02.私、マダムじゃありません!
銀行から出てすぐ、オリビアは鉄道馬車の駅に向かった。
鉄道馬車とは、地面に敷かれた二本のレールの上を走る馬車のことだ。
レールの上を走るため、とても早く、通常二日はかかる王都まで十時間弱で行ける。
オリビアが、駅の受付で「王都に行きたい」と告げると、眼鏡の受付嬢がテキパキと言った。
「次の便は三時間後になりますが、よろしいでしょうか」
「はい。お願いします」
四人家族が半月暮らせるほどの金額を支払って、切符を買うオリビア。
大急ぎで街の外れにある墓地に向かい、父母の墓前に「行ってきます」の挨拶を済ませる。
そして、再び駅舎に戻って改札を済ませると、簡単な屋根の付いたホームに入った。
ホームには複数の鉄道馬車が並んでおり、人々が忙しそうに乗り降りしている。
(王都に行くのは初めてだわ。物凄い都会だって聞くけど、どんな感じなのかしら)
オリビアが不安と期待が入り混じった気持ちで立っていると、後ろから男女の声が聞こえてきた。
「そこの素敵なお兄さん、どこに行くの?」
「こんにちは。素敵なお嬢さん。家に帰るところですよ」
「まあ、またこっちに来るのかしら? 一緒にお食事でもと思ったんだけど」
「嬉しいお誘いですが、こちらにはもう来ないのですよ」
「あらあ。残念だわあ。じゃあ、これからどう?」
男女の軽い会話に、オリビアは思わず眉を顰めた。
頭の中に浮かぶのは、元婚約者ヘンリーと義妹カトリーヌの顔。
(何かしら。今、一番聞きたくない会話のような気がするわ)
イライラする気持ちを隠すように、帽子を目深に被って目をつぶっていると、
ジリジリジリジリ
けたたましいベルの音と共に、係員の声が響き渡った。
「王都行、到着! 王都行、到着!」
客車二両をひいた大きな馬四頭が、彼女が立っているホームめがけて走ってくる。
(……!)
そのあまりの迫力に、思わず後ろによろけるオリビア。
後ろに倒れないようにと、必死に足を踏ん張ろうとした、その時。
「おっと」
力強い腕が彼女の背中を抱きとめた。
「大丈夫ですか?」
続いて振ってくる若い男性の声。
支えてくれた腕を頼りに何とか体勢を立て直すと、オリビアは慌てて頭を下げた。
「あ、ありがとうございました。お陰で転ばずに済みました」
「いえいえ。どういたしまして。お怪我がなくて何よりです。マダム」
「…………は?」
オリビアが俯いた体勢のままピシリと固まった。
「え? いえ。マダムが無事で良かったと思いまして……」
オリビアの険のある反応に、男性が戸惑ったような声を出す。
――その男性が、後ろで軽口を叩いてオリビアをイライラさせた男だったせいか。
マダムというのが「三十過ぎの既婚女性」を指す言葉だったせいか。
はたまた、公園で眠れぬ夜を明かして気が立っていたせいか。
気づけばオリビアは、自分より頭一つ以上大きな男性を思い切り睨みつけていた。
彼女の若さに気付き、息を飲む男性。
「私、マダムじゃありません!」
ヒヒーン!
オリビアの叫び声と馬の嘶く声が、駅構内に響き渡った。
*
男性に「本当に申し訳ありませんでした」と謝り倒された後、オリビアは二台あるうちの男性とは別の客車に乗り込んだ。
客車は細長く、左右に六人掛けの長椅子が設置されている十二人乗り。
ピークの時刻を過ぎたせいか、乗車したのはオリビアを含め七人で、かなり余裕がある。
オリビアは端の席を陣取ると、壁に寄りかかりながら溜息をついた。
(ついカッとなってしまったわ。あんな風に大声を出すなんて、いくら失礼なことを言われたとはいえ、良くなかったわ)
そして、反省と同時に、自嘲気味に笑った。
(……それに、マダムって言われても無理ないかもしれないわね)
今のオリビアの服は、良く言えば流行に左右されない、悪く言えばダサめの服。
お洒落をした時期もあったが、従業員が突然辞めてしまってから身なりに構う暇もなく、こんな格好をするようになった。
加えて、昨日ほとんど眠れていないことから、彼女はとても疲れていた。
ダサい服に、疲れた後姿。
男性が『マダム』だと思ったのも不思議ではないのかもしれない。
(……私がこんな風だから、ヘンリー様もカトリーヌを選んだのかもしれないわね)
走り出した鉄道馬車の外を眺めながら思い出すのは、元婚約者ヘンリーのこと。
今から五年前、オリビアが十五歳の年。
彼女がデザインした魔石宝飾品――指輪が、その斬新なデザインを評価され、王都の名誉ある大会で大賞を受賞した。
彼女の受賞に街は沸いた。
街は名産である時計のデザインをオリビアに依頼。
そのセンスがとても良かったことと、毎年新デザインを出すことから有名になり、街の時計の売り上げは飛躍的に伸びた。
これに目を付けたのが、ヘンリーの父親であり、街と周辺を治めているベルゴール子爵。
彼はオリビアの才能を自分の家に取り込もうと考えた。
「娘さんのセンスは素晴らしい。是非、我が息子ヘンリーと婚約して欲しい」
オリビアの父は準男爵。子爵との身分上の差は二段階。
通常、貴族の婚姻は身分差が一段階まで。
ヘンリーが四男とはいえ、子爵と準男爵の子供同士の結婚は難しいが、オリビアの大賞受賞でこれをカバー。
二人はめでたく婚約した。
当時のことを思い出し、オリビアは溜息をついた。
(ヘンリー様は見目が良いから、最初会った時は本当にドキドキしたわよね)
婚約後、二人は子爵の指示の元、交際を開始した。
お互いに誕生日プレゼントを贈り合い、月一度程度外に出かける。
出かけた際は、ヘンリーが主にしゃべり、オリビアは聞き役。
ヘンリーは人当たりが良い反面軽い男で、下らない話がほとんどだったが、知らない世界の話も多かったため、彼女は悪くない時間を過ごすことが出来た。
特に波風の立たない平和な関係を続けながら、オリビアは思った。
容姿も素敵だし、一緒にいて悪い気持ちにならない。結婚するには申し分ない相手なのかもしれないわ。と。
しかし、婚約の翌年。
父母が流行り病で相次いで亡くなり、叔父家族が家に乗り込んできてから状況が一転。
ヘンリーの態度が徐々に変わり始めた。
月一度の訪問が、二カ月に一回、三カ月に一回と減っていき、誕生日プレゼントもなし。
カトリーヌと仲良く歩いていたという噂が耳に入り始め、最後は婚約破棄を言い渡された。
(平気なフリはしたけど、やっぱりショックよね……)
確かに自分の容姿は一般的だ。
黒に近いグレーの髪は地味だし、目もよく見る青色。顔立ちも背格好も極めて普通だ。
カトリーヌのような人目をひく容姿はしていない。
でも、今まで勉強や仕事をしっかりやってきたという自負があった。
(でも、そんなものは関係なかったのね)
ヘンリーが選んだのは、自分が着飾ること以外興味のない嘘つきカトリーヌ。
今までの自分の努力に価値がないと突き付けられたような気分だ。
(……何なのかしらね。このやるせない気持ちは)
鼻の奥がツンとなってきて、慌てて窓の外を見るオリビア。
馬を何度か交換しながら、王都を目指して進む馬車。
そして、進むこと九時間。
空が薔薇色に染まり始めるころ。
オリビアを乗せた馬車鉄道は、王都に到着した。
<貴族の階級>
騎士爵→準男爵→男爵→子爵→伯爵→侯爵→公爵
※結婚は一段階差まで、理由があれば二段階差もOK