19.追いかけっこ
本日1話目です。
「もう! エリオットときたら! 一カ月経っても来ないなんて、何を考えているのよ!」
『サリー・ブライダル・ブディック』の奥にある、ピンクの壁紙の大人可愛い執務室にて。
サリーが顔を真っ赤にして怒っていた。
「ニッカがいたら、首根っこ捕まえてでも連れて来させるんだけど、アイツこんな時に限って遠征だし!」
サリーの勢いに、オリビアは苦笑いしながら思った。
まあ、確かに『待ってくれ』とは言っていたけど、一カ月はちょっと待たせすぎよね。と。
*
オリビアが王都に帰ってきてから数日後。
エリオットから手紙が届いた。
手紙には、几帳面な字で、結婚式で守り切れなかったこと、怖い思いをさせてしまったこと、そして身分と職業を隠していたことについて、謝罪の言葉が真摯に綴られていた。
身分と職業に関しては「詳しくは書けないが」と前置きした上で、家の方針で二つ持たされている。といったことが書いてあった。
そして最後は、こう結ばれていた。
――――
事件が思った以上の広がりを見せており、立場上あと数日はダレガスを離れることは難しそうです。
また、戻ってからも、私にはやらなければならないことがあります。
それらが終わったら必ず伺いますので、今しばらくお待ちいただけないでしょうか。
本当に申し訳ありません。
エリオット
――――
この手紙を読んで、オリビアはホッとした。
エリオットが彼女を陥れようとした訳ではない、ということが分かったからだ。
身分は一つしか持てないのが常識だが、公爵家ともなれば、二つ持てるのかもしれない。
そうなると、ディックス商会の商人というのは嘘ではないし、鉄道馬車でしてくれた「武闘派の実家」はフレランス公爵家の話だったということになる。
(もしかすると、ギリギリの話をしてくれていたのかもしれないわ)
こうなってくると分からないのは、あの騎士の『囮役ご苦労様でした』という発言。
あれは一体何だったのだろうか。
迷った末に、事情を知っていそうなニッカにそっと尋ねたところ、
「オリビアを囮役にするなんてことは騎士団の威信をかけてもありえない。そいつの話は出鱈目だ」
と苦々しそうに言われた。
ついでに、二年前になぜエリオットがダレガスに居たのか分かるか、と尋ねると、
「明確には分からないが、偽銀行札事件が最初に起こった場所がダレガスだからではないか」
という答えが返って来た。
ベルゴール子爵が事件の容疑者として浮上したのは、つい最近らしい。
「子爵とつながりを持つために自分と友人になった」という疑いも消えて安堵するオリビア。
(とりあえずエリオットから直接話を聞きましょう。手紙の内容から察するに、一、二週間後くらいに来る感じかしら)
しかし。
そこから二週間経っても三週間経っても彼が来ることはなかった。
途中、何度かオリビア好みの美味しいお菓子が送られて来たものの、本人は顔を見せず。
そして遂に一カ月ほど経ち。
サリーに「どうなった?」と聞かれ、「まだ会ってない」と言ったところ。
彼女が目を吊り上げて「あの男何を考えているのよ!」と怒り出した、という次第だ。
*
――その後。
怒れるサリーを宥め、
「帰ってきたら何か高価なものを買わせなさいよ!」
「考えておくわ」
という会話を交わし、サリーの店を出るオリビア。
ぐぐーっと伸びをすると、街を見回した。
陽は既にだいぶ傾いており、影法師を細長く斜めに石畳に映している。
その影法師をぼんやり眺めて歩きながら、彼女は小さくつぶやいた。
「……エリオット、今頃何をしているのかしら」
もらった手紙やニッカの話から、エリオットが自分に対して誠実でいてくれたことは分かった。
身分については、他人に言えない類のものだったのだろうと理解している。
今回まだ来ていないのも、それが関連しているのかなとも思っている。
(……でも、問題は、これからどうするか、よね)
エリオットとの身分差が分かっても、オリビアは変わらず彼が好きだった。
(性格が良くて、優しくて頼りになる。しかも、あんな風に助けてもらって。好きにならないはずがないわ)
しかし、公爵家と準男爵家の爵位順位の違いは、五段階。
おとぎ話の中では、王族が平民の娘と恋に落ちて結婚する話がよくある。
しかし、それはあくまで、夢物語。
現実的に許されるのは、せいぜい二段階差。
三段階差以上に至っては非常識扱い。
周囲の強い反対はもちろん、「愚か者」として後ろ指を指されることになる。
つまるところ、五段階差のオリビアとエリオットは、お互いどんなに想い合ったところで、結ばれる可能性がほとんどない関係だった訳だ。
(だからエリオットはずっと『友人』という言葉を使っていたのかもしれないわ)
そんなエリオットが、なぜ友人の壁を乗り越えてきたのかは分からない。
でも、意味のないことをしない彼のことだ。
色々考えた末に、今回のベルゴール子爵の件で、ただの友人ではオリビアを守るのが難しいと判断したのかもしれない。
問題は、事件が解決した今。
壁を越えてしまった二人の関係をどうするか。だ。
以前と同じように「友人」として関係を続けられるのが一番良いと思う。
元に戻れるのであれば、それに越したことはない。
(……でも、まあ、無理よね)
夕暮れの街を歩きながら、オリビアは苦笑いした。
ここまで好きになってしまったら、友人として接する自信がないし、それはエリオットも同じな気がする。
そして、もしも二人の関係が進んでしまえば、準男爵の娘でしかないオリビアは、確実にエリオットの足を引っ張ることになる。
好きな人の足を引っ張る。
それだけは避けたい。
(……それに、私は魔道具師は辞められないわ)
魔道具師の仕事が大好きだし、たくさんの人の協力の下に開かせてもらった店もある。
お客様に喜んでもらえるのも好きだし、デザインも好き。
父から受け継いだ魔道具師の知識と技術を生かして、これからも仕事を続けるのが使命だとも思っている。
(……となると、もう会わない方がいいのかもしれないわね)
肩を落とすオリビア。
一回は会わなければならないと思う。
会って、話を聞いて、今回のお礼をしなければならないからだ。
(でも、それ以降は、もう会わない方が、きっといい)
離れることを考えるだけで苦しくなるが、彼の足を引っ張ることになるよりは数倍いい。
今はどうしようもなく好きだが、二、三年ほど仕事に没頭すれば、きっと忘れられる。
(はあ。自分の気持ちを自覚してすぐ、忘れる努力をする羽目になるなんてね)
重い気持ちを抱えながら、とぼとぼと店に戻るオリビア。
店先にあるポストを覗いて、エリオットから届け物が来ていないことを確認し、溜息。
そして、扉を開けて中に入り、
「……っ!」
思わず息を飲んだ。
目に入ったのは、こちらを背にロッティと話をしている背の高い青年の後姿。
ドアが開いたことに気が付き、青年――エリオットがゆっくりと振り向く。
少し伸びた金色の髪が、軽やかに揺れる。
彼は、入り口に立ち尽くすオリビアを見ると、嬉しそうに微笑んだ。
「オリビア!」
銀縁眼鏡の奥の紫色の瞳が甘やかに細められたのを見て、オリビアの全身の血が一気に頭に昇った。
思わず、目を見開きながら後ずさりする。
(ど、どうしよう。すごく恥ずかしい!)
見られているのも恥ずかしいし、恥ずかしがっている自分も恥ずかしい。
そして、とうとう耐えきれなくなり。
「ロッティ! エリオットを足止めして!」
そう叫ぶと、彼女は脱兎の如く店から逃げ出した。
後ろから、「オリビア⁉ え? ロッティ、離して下さい!」「いえ、しばらく足止めさせて頂きます」という会話が聞こえた気がするが、そんなことは気にも留めず、夕方の雑踏の中を走る。
彼女は内心頭を抱えた。
(……ああ、もう。私、一体何をやっているのかしら)
エリオットを見た瞬間、訳が分からないくらい恥ずかしくなってしまったのだ。
いつもの緑色の眼鏡ではなく銀縁の眼鏡だったのもあり、すごくカッコいいと思ってしまったし、名前を呼ばれて死んでしまうかと思った。
そして、気が付いたらつい走って逃げていた。
(絶対びっくりしたわよね。悪いことしたわ……)
深く反省するオリビア。
(でも、無理なものは無理だわ。こんな状態で会ったりしたら、忘れるどころか、忘れられなくなってしまう)
彼女は思った。
これは絶対にもう少し落ち着いてから会った方がいい。と。
好きという気持ちが薄れてから会えば、きっと幾分かマシになる。
(帰ったら手紙を書くことにしましょう)
今日のことを謝って、しばらく会えないと言おう。と決心する。
(ちょっと申し訳ないけど、向こうも一カ月も来なかったんだもの。お互い様よね。でも、お礼だけは先に何とか考えないとね)
方針が決まり、肩で息をしながら立ち止まるオリビア。
そして、顔を上げて目の前にある街並みを見て、彼女は目を瞬いた。
(ここ、どこ?)
気が付くと、彼女はまるで知らない場所に立っていた。
ふと横を見ると、そこにあったのは夕日に照らされた街の南側を流れる大きな運河。
(夢中で走っていたら、こんなところまで来てしまったのね)
ゆっくりと歩きながら運河をながめる。
夕暮れの運河はとても静かで、ときおり吹く風が、川面に細かいひだを走らせている。
川沿いに整備された歩道には、背の高い街灯が等間隔に設置されており、もう既に明かりが灯り始めていた。
(懐かしくて、いい眺めね)
吸い寄せられるように、運河沿いの歩道に向かう階段を降りる。
そして、置いてあるベンチに座って休憩しようと歩き始めた、
――その時。
「オリビア!」
響き渡る聞き覚えのある声。
慌てて振り向くと、階段の上に肩で息をするエリオットが立っていた。
本日は、あともう1話投稿します。
丁寧な誤字脱字報告、ありがとうございました!




