01.公園の噴水で顔を洗うと緑の香りになります
朝焼けが、にじむように東の空にひろがりはじめる早朝。
チュンチュンという小鳥の声を聞きながら。
オリビアは誰もいない公園の噴水で、ジャブジャブと顔を洗っていた。
(ふう。ちょっとすっきりしたわ。寒い季節じゃなくて良かったわ)
家を飛び出した後。
彼女は、街の中心から少し外れたこの公園で夜を明かした。
ホテルに泊まることも考えたが、誰かに会って根掘り葉掘り聞かれるのも面倒で、街をうろついた挙句、この公園に辿り着いた。
「まさか自分が公園のベンチで夜を明かす日が来るなんて、夢に思わなかったわね……」
噴水の縁に座って、鞄から出したハンカチで顔を拭きながら、ぼんやりと呟くオリビア。
立ち上がると、自身の格好をチェックした。
白いシンプルなブラウスに、紺色の丈が短めのジャケットと、同じ色のフレアロングスカート。青い花飾りの付いた紺色の帽子。
しわになりにくい素材のお陰で、服の皺も目立たないし、黒に近いグレーの髪も横に三つ編みにして帽子をかぶれば色々と誤魔化せる。
少し気になるのが、きっと酷いであろう目の下のクマと、噴水の水で洗ったせいで付いた藻のにおいだが……。
(今はそんなこと言っている場合じゃないわ)
オリビアは、朝日に照らされながら、気合を入れるように、両手で頬をパンとたたいた。
(さっさと、やるべきことをやっちゃいましょう!)
まず彼女が向かったのは、街の中心にある銀行。
目的は、銀行札の紛失届と新しい銀行札の発行だ。
昨日の様子からして、義理一家は自分の部屋から銀行札が見つけられていない様子だった。
朝一番に銀行札を使えないようにしてしまえば、口座のお金と貸金庫の中身は守れる。
朝日に照らされた中央広場を横切り、開店直後の閑散とした銀行に入ると、受付に座っていた馴染みの女性銀行員がにっこり笑いかけてきた。
「あら、オリビアさんじゃないですか。こんな時間に珍しいですね」
「はい。実は、銀行札を紛失してしまって、口座を作り変えたいのです」
女性銀行員が申し訳なさそうな顔をした。
「……申し訳ありませんが、今、銀行札を紛失した方には詳しく話を聞かせて頂くことになっております。別室に来て頂いても宜しいでしょうか」
数年前に父が札を紛失した時はそんなことはなかったのに。と、首を傾げながら別室に行くと、銀行の制服を着た初老の男性が一人待っていた。
「すみませんね。今、銀行札紛失に厳しくなっていましてね」
男性の話では、隣国で流行った銀行札偽造事件が、この国でも起きているらしい。
「簡単に言うと、『札が一時的に紛失した後、全部お金を引き出される』っていう仕組みでね。金持ちの商人や店の経営者が狙われる傾向があるのです」
「そうなのですね」
「ええ。ですから、銀行札が紛失した場合は一律聞き取りをさせて頂いておりまして、もしも紛失した銀行札を持った人間が現れた場合は、事情聴取することになっています」
義母と義父が窓口で捕まって必死に言い訳している姿を想像し、オリビアは内心苦笑いした。
(ちょっと可哀そうだけど、人の口座から無断でお金を引き出そうとするんだから、自業自得よね)
男性の問いに対し、失くした時の状況や、紛失について家族が「見たこともないし知らない」と言ったことなどを丁寧に答えていく。
質問を終えた男性が立ち上がった。
「聞きたいことは以上になります。先ほど確認したところ、オリビアさんの口座のお金は無事だそうなので、新しい口座開設のお手続きをさせて頂きますから、このままお待ちください」
その後、再び受付の女性が現れて、口座新設の手続きを行うオリビア。
そして、書類を持って部屋を出て行く女性の後姿を見送りながら、彼女は溜息をついた。
(……さあ。これからどうしよう)
とりあえずお金は確保した。
一年くらい暮らせる貯蓄はあるが、このままでは減る一方だ。
どこかで働かなくてはいけない。
(……でも、どこで働く?)
出鱈目とはいえ、あんな理由で店をクビになったのだ。この街で魔道具師として働くのは難しいだろう。
魔道具師以外の仕事なら見つかるかもしれないが、魔石宝飾品やデザインをこよなく愛する彼女にとって、魔道具師以外の仕事はありえない。
仲の良い母方の従妹の住む街に行くことも考えるが、子供が生まれたばかりの従妹に迷惑をかける訳にもいかない。
(はあ……。どうしよう)
八方塞がりな状況に、思わずため息を漏らす。
――と、その時。彼女の脳裏に、生前の父の言葉が浮かんだ。
『もしも困ったことがあったら、この手紙を開けなさい』
病床の父に渡されたのは、一通の封筒。
父の死後、見るのが辛くて、金目のものと共に銀行の貸金庫に入れていたはずだ。
(そうだわ! あれよ! 今こそあれを開けるべきだわ!)
新しい銀行札を持ってきてくれた銀行員に、貸金庫を見たいと伝えるオリビア。
貸金庫室に案内され、新しく作った札で貸金庫を開いた。
(わあ。懐かしいわ……)
中に入れてあるのは、両親の形見である貴金属や時計。
義家族に奪われそうになって慌ててここに隠したのだ。
少しドキドキしながら、父から渡された白い封筒を取り出す。
開封すると、中は入っていたのは一通の封書と手紙。
手紙には少し震えた字でこんなことが書いてあった。
『困ったことがあったら、同封してある手紙を持って王都にあるゴードンの店を訪ねなさい。話は通してある。 父より』
手紙の裏には、ゴードンの店と思われる王都の住所。
(……お父様が、ゴードンさんに何かを伝えていたということ?)
父の葬儀の際に、王都からゴードンという魔道具師が来たのは知っているし、挨拶もした記憶がある。
何かあったら尋ねてくるようにと言われた気もする。
手紙をながめながら、彼女は思案に暮れた。
(……王都に行くというのは、悪い選択肢ではない気がするわ)
王都はこの街の何倍も大きいと聞く。
魔道具師として雇ってくれるところもあるに違いない。
手紙と封筒を鞄の中にしまい、貸金庫を閉めるオリビア。
遠くで見ていた銀行員にお礼を言うと、彼女は銀行の外に出た。
朝日は既に昇り切っており、石畳の上をたくさんの人や馬が忙しそうに往来している。
見上げると、透き通るような青みを帯びた空。
その空を眺めながら、オリビアは決心した。
「行こう。王都へ」
追い出されてしまったとはいえ、父の店を残してこの街を離れるのは忍びない。
でも、魔道具師を辞めてこの街に残ったところで、後悔するだけだろうし、同じ魔道具師だった父もきっと悲しむ。
王都に行って、魔道具師として頑張って働こう。
(そうと決まれば、切符を買わないと)
決意の表情で、足早に鉄道馬車の駅に向かうオリビア。
――この時彼女は知らなかった。
「私っ! マダムじゃありません!」
約三時間後。
鉄道馬車駅のホームで、力いっぱい男性を怒鳴りつけることになることを。