09.変わり果てた店
本日4話目です。
「なんで、こんな……」
立ち尽くすオリビアの目の前にあるのは、細い道に面した小さな店。
ペンキははげ落ちて変色し、ところどころ壁が崩れ落ちている。
窓は錆び付いたように閉め切られており、色あせたカーテンの隙間から見えるのは、物が散乱した床や棚。
外から見ても分かるほど埃が積もっている。
ショックで何も言えないオリビアの肩を、険しい顔をしたエリオットが支えるように抱き抱える。
彼は周囲を見回すと、通りを挟んで斜め向かいのパン屋に目をとめた。
「確か以前、良くしてくれたパン屋さんがいたと言っていましたね。事情をご存じなのではないですか」
「……そうね。聞いてみるわ」
我に返り、パン屋に向かってフラフラと歩きだすオリビア。
きっと何もかも変わってしまっているのだろうと覚悟はしていた。
ランプ以外の取り扱いを止めてしまったかもしれない。とも考えた。
(でも、まさか廃墟になっているなんて……)
これは明らかに異常事態だ。
一体何があったのか。
エリオットが開けてくれたパン屋のドアをくぐるオリビア。
中に入ると、懐かしい顔が見えた。
「いらっしゃい。クリームベーグルが焼きたてだよ」
愛想よく二人に声をかけるおかみさん。
オリビアをしばらくジッと見た後、驚いたような顔でカウンターから出て来た。
「あんた、オリビアちゃんじゃないか! どうしてたんだい! 心配していたんだよ!」
「おばちゃん!」
思わず抱き着くオリビア。
おかみさんは、よしよし、と、オリビアの頭を撫でた。
「無事で良かったよ。みんな心配してたんだよ」
「……ごめんなさい」
「いいんだよ。こうやって無事戻って来たんだから。ほら。これで涙を拭きな。せっかく綺麗にしてるのに、泣いたら崩れちまう」
手渡されたハンカチを受け取って涙を拭くオリビアに代わり、エリオットが尋ねた。
「カーター魔道具店で、一体何があったんですか?」
おかみさんが溜息をついた。
「見たまんまだよ。営業していたのは、オリビアちゃんがいなくなってから一年くらいかね。あとはずっと閉まったままさ。オリビアちゃんを訪ねたお客さんもいたんだけど、店があの感じだから、みんな諦めた感じだね」
そうですか。と、目を伏せるエリオット。
その後、おかみさんにお礼を言って、焼きたてのクリームベーグルや、ストロベリーデニッシュ、アップルパイを買って店を出る二人。
フラフラと歩くオリビアを支えて歩きながら、エリオットが口を開いた。
「どこかで少し話をしていきませんか。ホテルが用意してくれた紅茶もありますし、軽く昼食にしましょう」
「……そうね。そうしましょうか。街外れに庭園があるから、そこに行きましょう」
何とか答えるオリビア。
予想外過ぎる事態に、心が整理しきれない。
そして、二人は馬車に乗って、揺られること数十分。
高台にある、大きな庭園の前に到着した。
「これはまた、随分と大きいですね。あそこに見える建物は迎賓館ですか?」
「ええ。なんでも昔、ここに外国の偉い人が泊ったらしいわ。一般公開しているのは領主と偉い人のつながりを誇示するためなんですって」
身もふたもない説明に、なるほど。と、苦笑するエリオット。
馬車に待っていてくれるように頼むと、食べ物の入ったカゴを持って庭園の中に足を踏み入れる二人。
控えめに咲き始めている春の花々をながめながら、芽吹き始めた木々の間を通り抜けていく。
そして、少し高い場所にある東屋に入り、エリオットが思わずといった風に声を上げた。
「いい眺めですね。街が一望できるのですね」
「ええ。天気が良いと、むこうに大きな山も見えるのよ」
眼下に広がるダレガスの街を眺めながら、オリビアは目を細めた。
両親と一緒に遊びに来た記憶がよみがえり、心が少し穏やかになる。
二人は東屋の中にあるベンチに並んで腰かけると、景色をながめながら買ったパンを食べ始めた。
「おいしい! やっぱり、おばさんのパンはおいしいわ! よく差し入れしてもらったの」
「私はこのデニッシュが気に入りました」
そしてパンを食べ終わり。ホテルから持ってきたビンに入った紅茶を飲みながら。
オリビアは小さく呟いた。
「……私、分かっていたの。きっと上手くいかなくなるだろうな。って」
「それは、何故ですか?」
「私が描いたデザインは、どれも当時の流行のものだったの。流行は半年も経てば変わるし、一年経てば全然違う物になることだってあるわ」
オリビアは予想していた。
盗られた?デザイン帳が通用するのは長くても一年くらいだろう。と。
「でも、魔道具店には既存の仕事がたくさんあったの。ずっとうちのランプを使ってくれている所もたくさんあったし、そのメンテナンスも多かった。それに、叔父様が持ってくる貴族向けの仕事もある。形は変わっても店は続いて行くんだろうって思ってたの」
顧客の付いた魔道具店の経営は安定している。
だから、魔石宝飾品がなくなっても、店は普通に続いていくものだと思っていた。
「それなのに、まさかあんなことになるなんて……」
がっくりと肩を落とすオリビア。
もっと自分が我慢して頑張っていれば、あんな廃墟のような状態にはならなかったんじゃないかと、自責の念に囚われる。
エリオットが彼女の肩をそっと抱き寄せた。
「オリビアは十分頑張りましたよ。普通は追い出される前に辞めています」
「……でも、あんなことになってしまったわ」
オリビアが俯いて両手で顔を覆う。
その様子をやるせなさそうな目で見るエリオット。
軽く息を吐くと、低い声で呟いた。
「……取り戻しますか?」
「……え?」
意外な言葉に、思わず顔を上げるオリビア。
「できますよ。あなたが望めば」
エリオットが見たことがないような鋭い顔をする。
彼女は目を伏せた。
取り戻したいかと問われれば、取り戻したい。
今すぐにでも店に飛んで行って、ピカピカに磨き上げたい。
エリオットのいるディックス商会は大商会だ。
きっと取り戻すことが出来るのだろう。
(……でも、これはきっと、私が決着をつけなきゃいけないことだわ)
三年前。訳が分からないまま店を奪われ、ただ狼狽えるだけだった。
でも、きっと今なら出来ることがある。
彼女は軽く息を吐くと、感謝の目でエリオットを見上げた。
「ありがとう。エリオット。嬉しいわ」
でもね。
「私、がんばってみたいの。当時は何も分からずやられっぱなしだったけど、今ならきっと出来ることがあると思うの」
エリオットが表情を緩めた。
「……そうですね。あなたはそういう人でしたね」
でも、無理しないでちゃんと相談して下さいね。と、エリオットが愛おしそうに目を細めて彼女の髪を撫でる。
彼に寄りかかりながら、その心地よい感触に目をつぶるオリビア。
そして、しばらくして。
オリビアの青い瞳が彼を見上げた。
「……エリオット。眼鏡、外してくれる?」
考えて出たと言うよりは、自然に出た言葉。
突然のオリビアの願いに、戸惑ったような表情を浮かべるエリオット。
一瞬躊躇うような表情をした後、ゆっくりと眼鏡を外した。
「……っ」
そこにあったのは、アメジストのように透き通った瞳。
眼鏡で隠れている時は分からなかったその力強さと美しさに、思わず目を奪われる。
みるみる赤くなるオリビアを見て、エリオットが目を細めた。
その紫色の瞳が熱を帯びる。
そして、あっという間もなく引き寄せられ。
気が付くと、オリビアはたくましい両の腕で抱きしめられていた。
「エ、エリオット?」
「……」
何も言わず、抱きしめる腕にそっと力をこめるエリオット。
波打つ鼓動は、彼のものか、自分のものか。
(……不思議ね。ドキドキするけど、安心する)
オリビアは、その広い胸に頬を寄せた。
自分を包み込むエリオットのぬくもりを感じながら、そっと目を閉じる。
オリビアの頭と額に、愛おしくてたまらないという風に接吻の雨を降らせるエリオット。
その後、二人はぬくもりを分け合いながら美しい風景を眺めた後。
手をつないで、ゆっくりと馬車へと戻っていった。
次回、いよいよ結婚式。
誤字脱字報告ありがとうございます!




