06.個室の旅(上)
本日1話目です。
結婚式の二日前。
朝方ようやく最後の仕事を終わらせたオリビアが、大きめのスーツケースを持って、王都中央にある鉄道馬車の駅入り口付近に立っていた。
(……いよいよね)
自分を落ち着かせるように細く息を吐きながら、少し曇った空を見上げるオリビア。
「気を付けてね。オリビア。宿に着いたらすぐにドレスを出して皺を伸ばすのよ」
「発言にはくれぐれも気を付けてな。言質を取られないようにしろよ」
見送りに来てくれたサリーとニッカが心配そうな顔をする。
ニッカが周囲を見回した。
「ところで、エリオットは」
「待合室で合流したいって手紙が来たわ。何でもすごく忙しいらしくて、ギリギリになるらしいの」
「切符は大丈夫なのか」
「ええ。お詫びに予約しておくって書いてあったわ」
その後、手を振る二人に見送ってもらいながら、改札を通って駅に入っていくオリビア。
構内のあちこちに立っているポーターの一人に、待合室まで荷物を運ぶようにと頼む。
そして、荷物を運ぶポーターの後ろを歩きながら、周囲を見回した。
(変わっていないわね)
二年前と変わらぬ高い天井や太い柱。
思い出すのは、初めてここに降り立った日のこと。
右も左も分からず、ただただ圧倒されたことを思い出し、オリビアは思わず口元を緩めた。
(本当におのぼりさんって感じだったわね)
ポーターに、ホームの端にある待合室に案内してもらい、椅子に座る。
駅のホームと行き交う人々をボーっとながめながら、思い出すのは故郷に残した父の店。
(どうなっているかしら。私がいなくなって変わっているのでしょうね。もしかすると、貴族向けの商品が並ぶ店になってしまっているかもしれないわね……)
そして脳裏によみがえる、王都に来る前夜に起こった婚約破棄&追放事件。
領主の息子に婚約破棄された上、デザインを盗んだと家と店を追い出されたのだ。
今までなるべく考えないようにはしてきたが、さぞや悪い噂が立ったに違いない。
(憂鬱だわ……)
彼女は思わず溜息をついた。
もう二年前の話だし、考えたって仕方ないわよ。と自分に言い聞かせるものの、気持ちがどんどん重くなっていく。
――と、その時。
「遅くなってすみません」
上から穏やかな男性の声が降って来た。
その聞き慣れた声音に安堵を覚えて顔を上げると、そこにはスーツケースを持ったエリオットが立っていた。
「お待たせしました」
「そこまで待っていないから大丈夫よ。来てくれてありがとう」
そう言いながら立ち上がるオリビアを見て、エリオットが心配そうに目を細めた。
「……顔色が悪いですね。気分は大丈夫ですか?」
「ええ。大丈夫よ。少し人ごみに酔ってしまったのかもしれないわ」
「では、先に馬車に乗り込んでしまった方が良いかもしれませんね」
行きましょう。と、オリビアの荷物をひょいと持ち上げて、ゆっくりと歩き出すエリオット。
その広い背中の後ろを付いて歩きながら、彼女はホッと息をついた。
(良かったわ。エリオットが来てくれるって言ってくれて)
一人だったらさぞ心細かったに違いない。
感謝の目でエリオットを見るオリビア。
そして、その横顔を見て、首を傾げた。
(なんだかいつもと違うような気がするわ)
「……エリオット。今日は雰囲気が違うわね」
「ああ。服の色が違うからではないでしょうか」
そう言われて、エリオットの服装に視線を移す。
今日の彼は、いつもの茶色いスーツから一転。
見たことのない質の良さそうな紺色のジャケットを身にまとっている。
「今日はいつもの格好じゃないのね」
「ええ。結婚式への出席ですので」
そんな会話をしながら、雑踏を縫うように進む二人。
目的のホームに到着する。
そこに停まっている鉄道馬車を見て、オリビアは思わず声を上げた。
「え! これって特級?」
通常の鉄道馬車は、二両編成。
一両の定員は十二名で、最大二十四人が乗れる。
しかし、目の前に止まっているのは、三両編成。
各車両が個室になっている、貴族や金持ち御用達しの特級鉄道馬車だ。
(これ、確か普通の倍以上の値段するのよね。私、手持ちあるかしら……)
オリビアの心配を察したのか、エリオットが軽く言った。
「ああ。心配しないで下さい。私が勝手に予約しましたので、ここは私が払います」
「そ、そんな訳にはいかないわ! 仕事を休んでまで付いてきてもらっているのよ。私が払うわ」
ここは譲れないわ。とばかりに、オリビアが頑固に言い張る。
エリオットが、分かりました。といった風に頷いた。
「では、普通車両分をお願いします。残りは私が払いますので」
「でも……」
「私も男ですので、格好つけさせてください。それに、式に臨むにあたって、話すこともありますし」
それはそうね。と、頷くオリビア。
彼女にも幾つか聞きたいことがある。
(でも、好意に甘えっぱなしは良くないわ。帰ったらちゃんとお礼しないと)
エリオットが先に車両に乗り込み、荷物を棚の上に乗せる。
オリビアも続いて中に入る。
車両はゆったりとした四人乗りで、普通車より質の良さそうな革張りのベンチが、向かい合わせに備え付けてある。
荷物を積んでくれたお礼を言うと、エリオットの斜向かいに座るオリビア。
軽く息をつくと、窓の外をながめた。
(さあ。いよいよね)
思い浮かぶのは、意地悪そうに笑う義家族と馬鹿そうな元婚約者ヘンリーの姿。
絶対に嫌がらせをしてくるに違いないと考えると、きゅうっ、と胃が縮む感じがして、思わず顔を顰めそうになる。
エリオットが、優しく彼女の名前を呼んだ。
「オリビア。隣に座らせてもらってもいいですか?」
「え? ええ。いいけど」
突然の言葉に目を白黒させながら、オリビアが少し横にずれる。
エリオットは、「失礼」と言ってその横に座ると、彼女の手をそっと取った。
(……っ!)
彼の思わぬ行動に軽く固まるオリビア。
エリオットは彼女の小さな手を両の手で優しく包むと、穏やかに言った。
「大丈夫ですよ。私がいます」
その言葉と大きな手の温もりに、肩の力が抜けるのを感じるオリビア。
重苦しかった心が軽くなっていくのを感じる。
彼女は、頭をこてんとエリオットの鍛えられた肩に預けると、窓の外を眺めながら呟いた。
「ありがとう。エリオット。あなたが一緒に来てくれて本当に良かったわ。一人だったら、私、泣いていたかもしれない」
エリオットが何も言わず感情を込めるようにオリビアの手を握る。
鳴り響く、ジリジリジリ、というベルの音。
馬の嘶きと共に、鉄道馬車が動き始めた。
窓の外を、人や信号がゆっくりと流れ始め、だんだんそれが早くなっていく。
その様子を、エリオットに体を預けながら、何も言わずに眺めるオリビア。
寄り添うように、彼女の頭に自身の頭を軽く寄せるエリオット。
そして、しばらくして。
王都を抜けた鉄道馬車が、田園地帯を走り始めた頃。
彼女はふと気が付いた。
よく考えたら、今ものすごい恥ずかしいことしてないか。と。
手を握って寄りかかるだなんて、まるで、こ、恋人同士じゃないか。
(わ、私ったら!)
羞恥のあまり思わず立ち上がって両手で顔を覆うオリビア。
頬がまるで高熱を出したかのように熱い。
そして、息をスーハ―スーハーした後、なるべくさりげなくエリオットの斜め向かいに座った。
「そ、そういえば、エリオット、さっき話すことがあるって言っていたけど、何かしら」
なかったことにしようと頑張るオリビアを見て、顔を背けて肩を震わせるエリオット。
そして、恨みがましくジト目で睨むオリビアに「失礼しました」と謝ると、少し考えた後、口を開いた。
「貴女からお先にどうぞ。先ほど聞きたいことがあるとおっしゃっていましたよね」
そういえばそうだったわね。と思い出したオリビアが、軽く咳ばらいした。
「私が聞きたかったのは、エリオット自身のことよ。私達、あまりお互いのことを話さないから、ほとんど知らないでしょ。介添え人を務める相手のことを知らないのも変な気がして」
エリオットが、そうですね。と、つぶやく。
「では、改めて自己紹介をしましょう」
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