プロローグ:追い出されるんじゃない、私が出て行くのよ
(うっ、ま、まぶしい……)
オリビアは思わず目を細めた。
その青色の瞳に映り込むのは、約一年振りに入った自宅の応接室。
金箔が散りばめられた壁紙に、ギラギラと輝くシャンデリア。棚の上に所狭しと飾られた黄金に輝く骨董品に、昼間の如く部屋を照らす巨大な魔石ランプ。
仕事から疲れて帰ってきたオリビアの目に、大変優しくない部屋だ。
(……ひどい成金趣味ね。元の上品な応接室は見る影もないわ。お父様とお母様が生きていたら、こんなことにはならなかったのに)
思わずため息を漏らすオリビア。
そんな彼女の態度が癇に障ったのか。
部屋の中央のソファに座っていた、金の刺繍が施されたジャケットを着た年配の髭の男が怒鳴った。
「聞いているのか? オリビア!」
「はい。聞いております」
オリビアは、ソファに座る四人に目を移した。
顔を真っ赤にして怒っている叔父であり義父であるカーター準男爵。
口元に意地悪そうな笑いを浮かべて座っている義母。
女性好きする甘いマスクの、オリビアの婚約者のヘンリー。
そのヘンリーに寄り添うように座っている上目遣いの義妹のカトリーヌ。
ゲンナリする組み合わせね。と思いながら、オリビアが口を開いた。
「すみませんが、間違いがあるといけませんので、念のためもう一回言って頂けますか?」
義父が顔を真っ赤にして怒鳴った。
「お前のそういう飄々とした態度が気に食わないんだ! よく聞け! お前は今日をもってクビだ! 今すぐここを出て行け!」
「……理由をお聞きしても?」
冷静に尋ねるオリビアに、義父は勝ち誇ったように笑った。
「聞いているぞ! お前がデザインしたと言っていた魔石宝飾品は、全てカトリーヌが考えたものだと! 妹のアイディアを奪って自分の手柄にするなど、魔道具師の風上にも置けん!」
黙って座っていた婚約者のヘンリーが険しい顔で口を開いた。
「君はずっとカトリーヌをいじめていたそうじゃないか。事あるごとに彼女を虐げ、物まで取り上げていたなんて。君は最低だ」
「ヘンリー様ぁ。私、本当に辛かったんですぅ」
ストロベリーブロンドを揺らし、緑色の瞳から可憐に涙をこぼすカトリーヌ。
オリビアは白け切った顔で四人を見た。
(……この人達、本気で言っているのかしら)
従妹であり義妹でもあるカトリーヌは、自身の容姿や着飾ることにしか興味がない娘だ。
今まで店に来たこともなければ、仕事について何か聞かれたこともない。
魔道具作りに興味も関心もない彼女にデザインなど出来るはずがない。
(……それに、辛い目に遭わされていたのは私の方じゃない)
一年半前に父母が亡くなってすぐ。オリビアが未成年であることを良いことに、叔父一家が「後見人の義家族」として屋敷に乗り込んできた。
彼女は様々なものを彼らに奪われた。
日当たりの良い部屋に、お気に入りの服やアクセサリー。
そして、父親が経営していた『カーター魔道具店』の経営権と店の売上。
残されたのは、日当たりの悪い狭い部屋と、「副店長」という名ばかりの地位、酷い激務とわずかな給与。
虐げられたのも取り上げられたのも、オリビアの方だ。
黙っているオリビアに業を煮やしたのか。
義父が怒鳴った。
「カーター魔道具工房の店長として命じる。オリビア副店長、お前は今日をもってクビだ。そして、義父として宣言する。今日をもってお前との縁は切る! 今すぐ出て行け!」
「私も宣言する。君との婚約は破棄する。君には愛想が尽きた」
ヘンリーが、口元に笑みを浮かべるカトリーヌを守るように抱きしめながら、声高に言い放つ。
オリビアは、すうっと目を細めた。
言いたいことはたくさんある。
でも、今まで何を言っても聞いてもらえなかったし、ここでまた言ったところで更なる茶番を見せつけられるだけだろう。
(この一年。お父様の店を守るために我慢を重ねて来たけど、もう限界ね)
ごめんなさい。お父様。そう心の中で呟きながら、オリビアはグッと顔を上げた。
最後は堂々と出て行こう。
追い出されるんじゃなくて、私が出て行くのだ。
彼女は背筋を伸ばすと、義父の目を見て淡々と言い放った。
「はい。分かりました」
「……え?」
オリビアの言葉が予想外だったのか、呆気にとられた顔をする四人。
義母が顔を歪めて叫んだ。
「あなた! 何を言われたか分かっているの!?」
「はい。店と家を出て行くことと、婚約破棄、ですよね?」
「……そ、その通りよ」
オリビアの冷静さに怯む義母。
カトリーヌが叫んだ。
「なんなのですか!」
「はい?」
「なんで、そんな普通なんですか!?」
どうやら私が泣き喚くと思っていたみたいね。と、思いながら、オリビアは肩をすくめた。
「まあ、正直なところ、驚く理由もないのよね」
「え?」
(最後だもの。もういいわよね。言いたいことは全部言わせてもらうわ)
オリビアは静かに義父を見据えた。
「二カ月前、店に新しい人を二人も入れて下さった時から、おかしいと思っていました。給料をほとんど払ってくれないお義父様が、『オリビアが大変そうだから』なんて人道的な理由で人を雇うなんて変ですもの。私の替わりに働かせるつもりで育てさせたのでしょう?」
バツが悪そうに、義父がツウっと目を逸らした。
「ヘンリー様もです。ここ半年、会いに来たこともなければ、手紙もプレゼントもありませんでしたものね。婚約していたことすら忘れてしまうくらいでしたわ。よくカトリーヌと二人で出かけていたようですから、きっとそちらが忙しかったんでしょうけど」
「そ、それは……」
赤くなったり青くなったりしながら口の中でもごもご言うヘンリー。
義母が般若のような顔をして立ち上がった。
「オリビア! 失礼なことを言うのはお止めなさい!」
オリビアは感情のこもらない目を義母に向けた。
「そういえば、昨日。お義母様、お金を貸せとおっしゃいましたわね。私を家から追い出すことが決まっていて、返さなくていいから貸してくれと言ったんですね。あいにくお貸しできるようなお金はありませんでしたけど」
「……っ!」
怒りのあまり口をパクパクさせる義母を尻目に、部屋を出て行こうとするオリビア。
義父が怒鳴った。
「待て! どこへ行く!」
「自分の部屋ですわ。荷物を取りに行ってきます」
「その必要はないわ。荷物なら詰めてあります。泥棒を上に上げる訳にはいかないもの」
怒り狂った顔から一転。義母がニヤニヤし始める。
私も手伝って差し上げましたのよ、と、意地悪そうな笑みを浮かべるカトリーヌ。
オリビアは部屋の隅に置いてある自身のスーツケースを一瞥すると、肩をすくめた。
「いりません」
「は?」
「いりません、と言ったのです。どうせ不用品が詰め込んであるんでしょう?」
そう無表情に言うと、オリビアはスーツケースを部屋の中央に持ってきて、全員に見えるように開いた。
中には、つぎはぎだらけの色あせた服や下着、紙屑など、どうみてもゴミにしか見えない物体がギュウギュウに詰められている。
「こ、これは……」と言葉を失うヘンリーと、真っ青になる義母とカトリーヌ。
ここまで酷いのは予想外だったわ。と心の中で思いながら、オリビアは素早く目を動かした。
(やっぱりデザイン帳は入っていない。カトリーヌが盗んだのね。署名もしていないから、あれがカトリーヌが描いたものと言われても反論が出来ない。悔しいけど、持ち歩かずに部屋に置きっぱなしにした私が悪いわ。諦めるしかないわね。でも、あれは……)
オリビアが尋ねた。
「銀行札はどこですか? 部屋にあったでしょう?」
義母がズルそうな顔になった。
「知らないわ。見なかったわね。どこに置いてあったの? 教えてくれたら探してあげるわ」
「結構です」
オリビアは睨みつけてくる義母を無視するとカトリーヌを見据えた。
「今後のデザイン、楽しみにしてるわ。きっと次の時計のデザインは虹をモチーフにしたものなんでしょうね。あれ、考えるの苦労したんだけど、仕方ないからあなたに差し上げるわ」
「ひ、酷いですわ。私が作った物なのに……」
カトリーヌが、よよと泣き崩れて、ヘンリーにしなだれかかる。
そんな彼女に見向きもせず、オリビアは義父の前に鍵を二つ並べた。
「こちらがこの家の鍵で、こちらが店の鍵。確かにお返ししました。ヘンリー様、証人になって下さいますよね?」
「あ、ああ」
カトリーヌを抱えたまま、ヘンリーが目を白黒させて頷く。
オリビアのあまりの潔さに、タジタジになる義父。
オリビアは、そんな二人に冷めた顔を向けると、部屋の入り口に移動。
振り返ると、中に向かって丁寧にお辞儀をした。
「それでは、ごきげんよう。皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げます」
何も言えずにいる四人を残し、背筋をピンと伸ばしたまま玄関に向かうオリビア。
外に出てドアを閉めると、「はあ。疲れた……」と溜息。
踵を返すと、振り返りもせず、夜の街へと消えて行った。
今夜、あと2,3話投稿しようと思います。