04.甘い観劇
本日3話目です。
(……なんだか落ち着かないわ)
エリオットと観劇に行く約束をした日の朝。
オリビアは店に置いてある大きな姿見の前に立っていた。
今日の彼女は、いつもの紺色のロングスカートスーツから一転。
サリーに選んでもらった、青色の腰のあたりにギャザーが寄った流行のドレスを身にまとっている。
いつもはノーメイクに近い顔も店で教えてもらった通りに化粧。
邪魔にならないように束ねている髪の毛も、美容店の店員さんのアドバイスに従って一部おろしている。
初めての観劇ということで、習得した技術を駆使して頑張ってみたのだが……。
(なんだか自分じゃないみたいだわ)
頭の先からつま先まで流行に沿った格好なんてしたことがない。
服に着られているような気がする。
(本当に似合っているのかしら……)
彼女が不安になっていた、その時。
チリンチリン
ドアベルの音と、「こんにちは」という聞き慣れた声。
(エリオットだわ)
扉を開けながら、彼女は思った。
今までの言動から察するに、エリオットはオリビアの服装にあまり関心がない。
似合っていても似合っていなくても、礼儀的に「お似合いですよ(にこっ)」と、さらりと褒めて終わるくらいだろう。と。
しかし、彼女のこの予想は大きく外れることになる。
彼は、着飾ったオリビアを見て一瞬目を見開くと、嬉しそうに微笑んだ。
「新しい服を着てくれたのですね。素敵ですよ。とてもお似合いです」
(え!?)
予期せぬ反応に、思わず立ち尽くすオリビア。
そんな彼女を目を細めて眺めながら、エリオットが口元を緩めた。
「オリビアは色が白いですから、青が良く似合いますね。目の色とも合っていてとても綺麗です」
「あ、ありがとう」
目を泳がせながら、しどろもどろに答える。
思いも寄らない大絶賛に、全身の血液が顔に集中するような感覚を覚える。
頬を染めて俯く彼女を、愛おしげな表情で見つめるエリオット。
傍に置いてあったオリビアの小さなハンドバッグを持つと、優しく手を差し出した。
「表に馬車を待たせてあります。行きましょう」
*
(……ふう。やっと落ち着いたわ)
馬車に乗ってしばらくして。
窓から外をながめながら、オリビアはそっと息を吐いた。
(さっきは本当にびっくりしたわ……)
普段あまり容姿を褒めないエリオットに、褒められた。
しかも、予想外の大絶賛。
二年ほどの付き合いがあるが、こんなに容姿を褒められたのは初めてだ。
窓の外を見つめるエリオットの端正な横顔を眺めながら、一体どうしたのだろうと考えるオリビア。
そんな彼らを乗せて街の中心地へと走る馬車。
大きな建物の前を幾つも通り過ぎ、彫刻が施された白い大きな劇場の前に停まる。
「行きましょう」
先に馬車から降りて、「どうぞ」と、オリビアに手を差し出すエリオット。
その大きな手につかまり、馬車から降りるオリビア。
そして、「ありがとう」とお礼を言いながら手を引っ込めようとすると、エリオットが彼女の手を優しく押さえた。
「オリビア。エスコートさせてもらってもいいですか?」
「……へ?」
未だかつてない申し出に、オリビアは思わず大きく目を見開いた。
(エ、エスコート? どうしたのよ、エリオット!)
今までも馬車を降りる手伝いはしてもらったことはある。
でも、その後は大抵単独行動。エスコートされたこともなければ、してもらいたいと思ったこともない。
それなのに、なぜ突然エスコートするなど言い出すのか。
驚愕するオリビアを「駄目ですか?」とでも言うように、エリオットがジッと見つめる。
そのどこか希うような目に断ることも出来ず、オリビアはぎこちなく頷いた。
「お、お願い……します」
少々上ずった彼女の返事に、エリオットが嬉しそうに口角を上げる。
彼女の手を自身の手のひらに乗せると、まるで大切なものを扱うようにそっと握った。
「……っ」
その温かく大きな手に包まれて、肩をピクリと動かすオリビア。
慣れないせいか、妙に落ち着かない。
ほんのりと頬を染めるオリビアを見て、エリオットが微笑んだ。
「では。エスコートさせて頂きます。行きましょう」
*
劇場に入る際に、突然エスコートされるというハプニングがあったものの、観劇はごく普通に終わり。
劇場を出たオリビアは、エリオットに連れられてタルトの美味しいお洒落なカフェに入った……のだが。
(や、やっぱり何かが変だわ……)
エリオットの状態異常は未だに続いていた。
移動は常にエスコート。
タルトを食べながらふと視線を感じて目を上げれば、
(……っ!)
向けられているのは、思わず顔を伏せてしまうほどの、甘さを帯びた柔らかい視線。
いつも食べている所を見られているのは知っている。
妙ににこにこしているなと思いつつも、特に何とも思ったことはない。
しかし、今日のエリオットの視線は、オリビアを赤面させるに十分な何かを持っていた。
(ど、どうしたのかしら)
林檎タルトに続き、バナナタルトを食べながら考え込む。
いつもと違うエリオットの態度に、戸惑いを覚える。
そして、しばらく考えて。彼女は思い当たった。
(……もしかして、すごく疲れて眠いんじゃないかしら)
自分もたまにあるが、疲れて眠すぎてテンションがおかしくなっているのではないだろうか。
もしかすると、忙しいのに無理に時間を作ってくれたのかもしれない。
(そうだとしたら、とても申し訳ないわ)
そして、食事が終わると。
オリビアはエリオットを感謝の目で見た。
「ありがとうね。エリオット。劇は面白かったし、タルトもとても美味しかったわ。でも……」
彼女が目を伏せた。
「私、あなたがすごく疲れているんじゃないかと心配しているの。無理してくれたんじゃない?」
エリオットが怪訝そうな顔をした。
「なぜです?」
「エリオットの様子がいつもと違う気がして」
「……どう、違うと思ったんですか?」
穏やかに尋ねられ、オリビアは腕を組んで考え込んだ。
「うーん。なんか、変な感じ、かしら?」
「変な感じ」
思わずといった風にオウム返しするエリオット。
そして、片手を軽く額に当てると、堪えきれないように笑い出した。
「なるほど。そう来ましたか」
見たこともないほど大笑いする彼を見て、困惑するオリビア。
エリオットが笑いながら小さく呟いた。
「とりあえず我慢するのを止めるところからスタートしてみたのですが、難しいものですね」
「え? なに?」
「いいえ。何でもありません」
言葉がよく聞こえず戸惑うオリビアに、「失礼しました」と、謝るエリオット。
逡巡の末、ゆっくりと口を開いた。
「一つだけ聞かせて下さい。今日の私は、あなたに嫌な思いをさせましたか?」
さりげなく聞いている風ではあるが、どこか緊張した雰囲気。
真面目に答える必要を感じ、オリビアは思案に暮れた。
今日のエリオットは全体的に変だった。
妙に褒めてくれる、エスコートしてくれるし、ちょっと甘かったような気もする。
(……でも、嫌だとは思わなかったわ)
「嫌な思いはしなかった。……と思うわ」
オリビアの答えに、「そうですか」と、ホッとしたような表情を浮かべるエリオット。
彼女に微笑みかけた。
「心配しないで下さい。私は疲れていません。健康そのものです。ただ、ちょっと加減がまだ分からないだけです」
加減って何かしらと首を傾げつつも、「それならいいけど」と頷くオリビア。
その後、何事もなかったように進むお茶会。
話題はいつも通り仕事の話。
ごく普通に話すエリオットを見て、彼女は胸を撫でおろした。
さっきはちょっと変だったけど、元に戻ったっぽい。
今日はこの調子で店を出て、いつも通り解散になるのだろう。と。
しかし、事態は予想の斜め上をいくことになる。
その日の帰り。
オリビア魔石宝飾品店の店の入り口にて。
「送ってくれてありがとう。本当に楽しかったわ」
「こちらこそ。私も楽しかったです」
という、いつも通りの会話を交わした後。
「じゃあね」と普通に店に戻ろうとしたオリビアを、エリオットが呼び止めたのだ。
「オリビア。ちょっと待ってくれませんか」
珍しいわね、と思いながら「どうしたの?」と、オリビアが立ち止まる。
エリオットは軽く息を吐くと、少し緊張した様子で尋ねた。
「……お別れの挨拶をしてもいいですか?」
「え? お別れの挨拶?」
意味はよく分からないが、挨拶くらいならと、こくりと頷くオリビア。
エリオットは嬉しそうに微笑むと、そっと彼女の右手をとった。
触れられる感触を感じ、オリビアは自分の手に視線を移した。
ゆっくりと持ち上げられた手の先にあるのは、エリオットの端正な顔。
(……え?)
呆気にとられる彼女の手の指先に触れる柔らかい感触。
続いて向けられる、色眼鏡越しにでも分かる熱っぽい視線。
「……!!!!」
絶句するオリビア。
頭の中は真っ白だ。
そんな彼女を愛おし気に見つめながら、「また連絡します」と名残惜しそうに立ち去るエリオット。
それを呆然と見送った後。
オリビアは二階の自室に駆け上がると、声にならない叫びを上げながらベッドにダイブ。
枕を抱えて転げ回った。
「ぎゃああああ!! 今のなに!? エリオット、や、やっぱり変だわ!」
――そして、この日以降。
エリオットのこうした行動が、度々オリビアを赤面させるようになった。
誤字脱字ありがとうございます!
助かっております。