01.私が行きます
本日2話目です。
「オリビア様。口にクリームがついています」
「え?」
「それと、紅茶が溢れそうです」
「え? あ! 本当だわ!」
ロッティに指摘され、オリビアは慌てて立ち上がった。
そして、布巾を取ろうと足を踏み出して、
「痛っ!」
足の小指部分を思い切り角にぶつけて、顔を歪めてしゃがみこむ。
大丈夫ですか。と、ロッティが心配そうな顔をした。
「オリビア様。一体どうしたんですか。おとといも変でしたけど、今日は一段と変ですよ」
「な、何でもないわ。ちょっと眠れなかっただけ。もう目が覚めたから大丈夫」
布巾でこぼした紅茶を拭きながら、無理やり笑顔を作るオリビア。
ロッティが、ハア、と、ため息をついた。
「……多分大丈夫ではないと思います」
「え?」
「オリビア様。靴。右と左が逆です」
*
(はああ。今日は散々だったわ)
閉店の時間になり、オリビアは深いため息をついた。
インク瓶を倒しそうになったり、ゴミ箱に足を引っかけて、ぶちまけそうになったり。本当に散々な一日だった。
(はあ。私って本当にこういうダメージに弱いわよね……)
昨日は寝つきも悪く、途中で起きてしまったせいで、睡眠不足でフラフラだ。
(今日は夕食はいいから、もう寝よう)
彼女がそんなことをボーっと考えていた、その時。
チリンチリン
店内にドアベルの音が鳴り響いた。
(ドアに『閉店』のカードを掛けているはずなのに。急ぎのお客様かしら)
オリビアの目の前で「いらっしゃいませ」と、ドアを開けるロッティ。
すると、そこには、サリー、ニッカ、 エリオットの三人が立っていた。
(……え?)
突然の友人たちの来訪に、オリビアは呆気にとられた。
この三人が揃って何の前触れもなく来るなんて初めてだ。
そんな彼女の顔を見て、サリーが深いため息をついた。
「聞いていた通り酷い顔ね。寝てないんでしょう。何があったの?」
サリーの言葉に、目をぱちくりさせるオリビア。
そして、ハッと思い当たり、ロッティを睨んだ。
「あなた。お使いに行った時に、サリーに話したわね!」
「はい。私ではどうにもならなさそうだったので、サリー様に相談させていただきました」
シレっと答えるロッティ。
サリーが宥めるように言った。
「ロッティはあなたを心配して私のところに来たのよ。自分の店の主人が靴を左右反対に履いて、新聞を逆さに読んでいるのよ。心配するなという方が無理でしょ」
失態だらけの一日を思い出し、ぐっと詰まるオリビア。
そして、話さないと帰らないわよ。とでも言いたげなサリーの顔を見て、諦めたようにため息をついた。
本当であれば、こんな下らないお家騒動みたいな話は知られたくない。
でも、一人で抱えるには問題が大きすぎる。誰かに聞いて欲しい。
オリビアは意を決して、二階の自宅から手紙を持ってくると、それをサリーに差し出した。
「原因はこれよ。読んだら分かると思うわ」
サリーが「失礼するわね」と、手紙を開く。
そして中を読むなり、真っ赤になって怒り出した。
「ちょっと! 何よこれ!」
サリーの後ろから手紙を読んだニッカとエリオットが、「単なる結婚式の招待状じゃないのか?」と首を傾げる、
(まあ、ここまで来たら仕方がないわね)
オリビアは、今までサリーにしか話したことがなかった自分の事情を話し始めた。
・両親が死んだ後に、叔父一家に家と店を乗っ取られたこと
・デザインを奪ったと冤罪をかけられ、婚約破棄されて追い出されたこと
・父の親友であるゴードンを頼って王都に来たこと
オリビアの話を聞いて、端正な顔に怒りの表情を浮かべるエリオット。
ニッカも険しい顔になっていく。
サリーが憤慨したように口を開いた。
「こんな招待状、無視すればいいわ。行くことないわよ」
男性二人も、そうだな。と深く頷く。
しかし、オリビアは力なく首を横に振った。
「それができないのよ。二枚目の紙を見てみて」
サリーが「もう一枚あったのね」と、訝し気に二枚目の紙を広げる。
見るなり驚愕の表情を浮かべた。
「これって……」
それは、 元婚約者ヘンリーの実家であるベルゴール子爵からの貴族印付の手紙。
そこにはオリビアに結婚式に出席するようにと書いてあった。
オリビアは自嘲気味に肩を竦めた。
「まあ、早い話が領主様からの命令書よね 」
「そんな。横暴すぎるわよ。権力の濫用だわ!」
「私もそう思うけど、田舎だとよくこういうことがあるのよ」
ニッカが険しい顔で口を開いた。
「……これは俺の予想だが、最悪の場合、行ったら帰って来れないんじゃないか」
やっぱりそう思うわよね。と、呟くオリビア。
どうしてよ! と、いきり立つサリーに、ニッカが手紙を指さした。
「貴族が単に誰かを結婚式に参加させるだけで、こんな貴族印付の手紙を書くとは思えない。何か裏の目的があるに決まっている」
「裏の目的って何よ」
「分からないが、オリビアにとって良くないことだけは間違いないだろうな」
「取り消せないの?」
「……無理だろうな。理由がない。書いてあるのは『親族の結婚式に出席せよ』だけだからな」
店内がシンと静まり返る。
ニッカが眉間に皺を寄せた。
「……とりあえず、一人で行くのはやめたほうがいい。頼れる親戚はいないのか?」
「誰もいなかったら、私が行くわ!」
サリーが勢いよく手を挙げる。
オリビアは感謝の目で彼女を見た。
頼れる者が遠方の身重な従妹くらいの彼女にとって、サリーの申し出は本当にありがたい。
でも、自分の家の下らない事情で、多忙なサリーに仕事を休ませる訳にはいかない。
(大丈夫。一人でがんばれるわ)
そして、オリビアが「ありがとう。でも、一人で大丈夫よ」と言った、その時。
険しい顔で黙っていたエリオットが、ゆっくりと口を開いた。
「……私が行きます」
「……え?」
「私がオリビアと一緒に行きます」
まさかの申し出に、呆気にとられるオリビア。
いつになく真剣な顔のエリオットを見て、ニッカが、ふむ。と、腕を組んだ。
「……そうだな。エリオットが一緒に行くなら安心ではあるが、……いいのか?」
「ええ。問題ありません」
エリオットが、きっぱりとした表情でニッカに頷いてみせる。
オリビアは慌てた。
「ちょ、ちょっと待って! 気持ちは嬉しいけど、その間、仕事を休まなきゃいけないのよ?」
「一ヶ月半後に一週間程度ですよね。であれば問題ありません」
「で、でも、迷惑をかける訳には……」
焦る彼女を、エリオットが真っすぐ見つめた。
「オリビア。断らないで下さい。迷惑ではありません。私が行きたいのです」
真剣な表情に押され、言葉を詰まらせるオリビア。
ニッカが面白そうな表情で、ひゅうっと口笛を吹く。
サリーが小さい子供を宥めるような表情でオリビアの肩を叩いた。
「あんたね、今友達に頼らなくて、いつ頼るのよ」
「で、でも……」
「でもじゃないわよ! うん、と言いなさい!」
彼女の勢いに負けて、思わず「うん」と頷くオリビア。
サリーが「言質はとったぞ」と言わんばかりに頷くと、勇ましい顔をしてその場の全員を見回した。
「さあ、そうと決まれば、今後について相談しないとね。ロッティ、あなたには働いてもらうことになるけど、大丈夫?」
「はい。もちろんです」
「まずは服よね。結婚式の証人をするなら、それなりの格好が必要だわ。すごい物を揃えて、そいつらにギャフンと言わせてやりましょう。ギャフンと!」
意気込むサリーの横で、ロッティが冷静に口を開いた。
「もしかすると、王都の流行りも押さえた方が宜しいのではないかと」
「そうね。ロッティの言う通りだわ。服が王都風なら話す話題も王都風にしないとね。エリオット、そこ頼める?」
「ええ。もちろんです」
あまりの急展開に狼狽えるオリビアを他所に、熱心に話し合う四人。
そして、本人半分不在のもと、
・サリーと服&化粧品を買いに行くこと
・エリオットと流行りの劇を見に行くこと
の二つが決まった。