1. 第一章 「とても」が発生するまで
第一章 「とても」が発生するまで
『国語学研究辞典』(※注1 『国語学研究辞典』佐藤喜代治著)では、副詞の項で「副詞は他の品詞からの転成、複合によるものが多く」とある。このことは、「とても」も例外ではないらしい。
『語源大辞典』(※注2 堀井令以知編『語源大辞典』東京堂)では、「トテモカクテモの略か」とある。
また、『大言海』(※注3 『大言海』第三巻 大槻文彦 冨山房)の中に、「次條ノ語ノ略。」とあり、この次條とは「とてもかくても」である。
更に『日本国語大辞典』(※注4 『日本国語大辞典』第十四巻 小学館 日本大辞典刊行会編)を見ると、「(「とてもかくても」の略)」とあった。が、同時に連語の「とても」の項で、補注として「副詞「とても」の成立に影響を与えているか」とも記している。
一般的には「とてもかくても」の略が副詞「とても」につながると考えられているようである。だが、連語「とても」も一概に無関係だとは言えないと思う。
中世に入って副詞「とても」が成立するまでを、「とてもかくても」及び「とても」を中心に考えていきたい。
先にあげた各辞典類の記述等では、副詞である「とても」の前身と考えられているのは「とてもかくても」(連語)と「とても」(格助詞+接続助詞+係助詞)である。
まず、「とてもかくても」について考えて見る。『日本国語大辞典』(※注5 注4同)によれば、「とてもかくても」は、「とありてもかくありても」の意とある。「とてもかくても」は平安時代『大和物語』の頃からみられる語である。
意味は〈1〉ああしてもこうしても、どちらにしても、結局、といった諦めの気持ちの伴いやすいもの
(1)みのかいなくてとてもかくてもめづらしからぬよなりや 『宇津保物語』国譲下(※注6 『宇津保物語 本文と索引』 宇津保物語研究会編 笠間書院)
(我が身のかいがなくて、どのようにしても好ましくない世の中であるよ)
(2)とてもかくても同じ憂さとは言ひながら 『狭衣物語』(※注7 日本古典文学大系『狭衣物語』 岩波)
(こうなってはどっち道同じ辛さとは言うものの)
(3)過ぎにし人はとてもかくてもさるべきにこそは物し給ひけめ 『源氏物語』葵(※注8 木之下正雄『源氏物語用語索引 下巻』 国書刊行会)
(〔死んだ葵の上は〕どの道そうなるべき運命であったであろうから〔葵の上の死は〕致し方もないが)
また〈2〉どのようにしてでも、どうあっても、という決意や強意の表現を伴った物がある。
(4)をのれはとてもかくても經なむ。女のかく若きほどにかくてあるなむ。いといとお(ほ)しき 『大和物語』一四八(※注9 日本古典文学大系『竹取物語・伊勢物語・大和物語』 岩波)
(どのようにしてもでも過ごしてゆけよう。女の身でこのように若いのにこんなみすぼらしい様でおられる事はふびんだ)
(5)とてもかくてもいでむをこなるべき 『蜻蛉日記』中・天禄二年(※注10 改訂新版『かげろふ日記総索引』風間書房)
(どういう帰り方をしても、今さら出ていっては笑いものになるにちがいない)
(6)とてもかくてもわが怠にてはもてそこなはじ 『源氏物語』浮舟(※注11 注8同)
(どうあろうとも自分の怠慢から破滅を招くような事はしない)
他に、「とてもかくても」の音の転じた「とてもか(こ)うても」もいくつか存在する。意味は「とてもかくても」と同じく使われている。
(7)とてもかうても、まず御裳着の事をこそはとおぼして 『源氏物語』行幸(※注12 注8同)
(いずれにしてもまず御裳着の夜をすましてからと〔源氏は〕思って)
(8)とてもかうても、今更に志の隔たる事はあるまじけれど 『源氏物語』真木柱(※注13 注8同)
(どのみち今更愛情の離れていくという事はありますまいが)
(9)世の中のかくなりぬるうへは、とてもかうてもとこそおもはるべきに 『平家物語』巻十一(※注14 日本古典文学大系『平家物語』岩波)
(どうなっても仕方がないとお思ひになるはずなのであるが)
以上が、「とてもかくても」及び「とてもかうても」の意味と使用例である。
これが、「とても」とどのように結びつくかであるが、『言泉』(※参考文献 日本大辞典『言泉』落合直文・芳賀矢一)にある「と」〔副詞〕の項第二義に
「下に「斯く」又はその音便なる「斯う」といふ語を用ひて相對せしむるを常法とすれども、後世、「斯く」を省きて用ふるに至れり。例へば、「とても斯くても」を「とても」とのみもいひ、「とも有れ、斯くも有れ」を「とも有れ」とのみいふ類」
と記されており、「とても」の前身が「とてもかくても」であることの説明の一つと受け取れることができよう。
他にも、「とにも斯くにも」を「とにかく」、「とや斯くや」を「とやかく」と短縮させる例があることもあげておく。
語形が「とてもかくても」の省略形であるとすれば、意味の関連性はどうであろうか。
先に述べた「とてもかくても」の意味が「とても」の成立に関係すると考える場合、“~であっても”“どちらにしても”の意から、“どうせ~だから”、“どうせ~ならば”という意味が導き出されていったと思われる。
すなわち、“どのようにしても~であるならば”、という気持ちを示す意味が生じたのだろう。このことは第二章でも述べる。
総合して考えてみると、「とてもかくても」は副詞「と」の下に相対する「斯く」のついた連語で、主にとありてもかくありてもの意を示す語である。
しかし、後に、「斯く」を省略して用いられるようになり、“どちらにしても”、“~であっても”の意味から、“どうせ~だから”“どうせ~ならば”という意味へと進展し、副詞「とても」への道を歩んでいった、と推測する。
次に、連語「とても」について考える。
連語「とても」は品詞分解すると、格助詞「と」接続助詞「て」係助詞「も」になる。副詞の「とても」が確立するまでは、「とても」といえばこちらを指すことが多かった。
「と」(格助詞)は連用修飾語を示し、(1)動作の相手を示す、(2)変化の結果を示す、(3)引用されたものを受ける、(4)比較の基準を示す、(5)比喩を示す、等に使用される。並列助詞としての「と」は(1)強意を示す、(2)並列を示す、に使用される。
「て」(接続助詞)は活用語の連用形につき、また、前後の関係からみて(1)順接の仮定条件を示す、(2)順接の確定条件を示す、(3)逆接の仮定条件を示す、に使用される。
「も」(係助詞)は、体言、活用の連用形、連体形、助詞等につく。一つを取り出して他に同種・類似のものがあることを示す、などに使用される。
これらの連語「とても」の意味は、『古語大辞典』(※注15 中田祝夫『古語大辞典』小学館)によれば、
〈1〉~といっても、~だって、
〈2〉(1の引用が軽くなって)~でも、~と、
〈3〉(活用の終止形、または連体形について)逆接の仮定条件を示す、~としても、~ても、である。例をあげていくと
〈1〉の例
(10)げにこそ心細き夕に侍れとても、又なき給ふ 『源氏物語』葵(※注16 注8同)
(「なるほど本当に心細い夕暮れでございます」といって〔葵上の父左大臣は〕お泣きになった)
(11)まんとうゑなどさせ給てまかでさせ給とてもいみじうなかせ給 『栄華物語』巻七(※注17 高知大学人文学部国語史研究会編『栄華物語・本文と索引 本文篇』 武蔵野書院)
(万燈会などを催させなさっておいでになられても、なみなみでなくおなげきなさる)
〈2〉の例
(12)かたちとても人に似ず、心魂もあるにはあらで 『蜻蛉日記』上・序(※注18 注10同)
(容貌といっても人並みでなく、思慮分別もあるわけでもなくて)
(13)よとともに物おもふ人はよるとてもうちとけてめのあふ時もなし 『和泉式部日記』(※注19『和泉式部日記』武蔵野書院)
(毎晩物思いをする私は夜といってもくつろいで眠ることなど全くございません)
〈3〉の例
(14)えぇ、徳兵衛、土に食ひ付き死ぬるとてもこんなことはせぬものぢゃ 『曽根崎心中』(※注20 森修 鳥越文蔵 完訳日本の古典第五十六巻『近松門左衛門集』小学館)
(土にかじりついて死ぬことがあっても、(諺の土にかじりついても、により大変難儀することをいう))
(15)思す人ありとても、それをばさるものにて御文など奉り給へ 『落窪物語』巻之二(※注21 日本古典文學大系『落窪物語・堤中納言物語』岩波)
(思いをかけておられる人がいらっしゃっても、それはそれとして〔この方にも〕お手紙などを差し上げなさって下さい)
などがある。
この連語「とても」と副詞「とても」が非常に近い関係にあったことを示していると考えることができる例として、
(16)彼此只人テハナイソトトテ貰テハトテモ酒手ヲハ償ワレタ事アラハヤ 『史記抄』巻六(※注22 岡見正雄・大塚光信『抄物資料集成』清文堂)
がある。これは、酒代を払わずに飲んで責められている場面である。
連語「とても」として扱うべきであろうが、主語が省略されており、否定の意味とつながっていて、副詞への過渡期的存在だろう。
また、『日本国語大辞典』(※注23 注4同)では
「よのなかにありなば人に見えぬべしとてもやるかたぞしられぬ」『壬二集』の補注として
「とても」が下の句の頭にあり、「とて」のうける内容との間に句切れがあるためにやや独立性が感じられる
とある。こうしたことから、連語「とても」が副詞「とても」と何らかの関係があると思われる。
連語「とても」の“~といっても”、“~しても”の意味が副詞「とても」の“いかに~しても”“どのようになすとも”に変わったと考えることは、できなくもない。連語「とても」が多少の影響を与えることがあったとみてよいだろう。
これまでのことを考え合わせてみると、副詞「とても」は連語「とてもかくても」の省略形と、連語「とても」の両方が関係したものと思う。おそらく、「とてもかくても」の“ああしてもこう”“どちらにしても”の意味が、省略形の「とても」になったときに、連語「とても」の“~であっても”から影響を受けているのではないか、と推察する。
「とてもかくても」が副詞「とても」と共に存在していた期間は鎌倉時代初期から南北時代までである。
調べた限りでは、「とてもかくても」が文献に姿をみせているのは、『曽我物語』の頃までであった。「とてもかくても」は「とても」が浸透したのをみた後に消えていったように思われる。
一方、連語「とても」のほうは、後々まで使われ続け、文語的文章中にみられる語として残っている。
2022/1/21 誤字及び脱字修正しました。




