後日談8
「シン、おいしい?」
ヴェルニーナは、自分の隣でおかしを食べている少年にフードのかかった顔を向け少年に笑いかけた。
「はい」
黒髪の少年は、少しあわてたように口の中のものを飲み込み、ヴェルニーナを見上げながら笑顔で答える。
ヴェルニーナは検査のあと、途中にある市場へシンをつれて遊びに来ていた。
検査の結果は、少年の健康にいまのところ問題はないということだった。ただ、検査をした男は、シンの体に魔力が非常に少ないながらあることをやや興奮気味に報告する。その男は、穴無しに魔力があるかもしれないという仮説を立てていたようた。それを早口でなにかまくし立てるように説明していたが、ヴェルニーナにはほぼ意味がわからない。とりあえず少年に魔力があること自体は望ましいという話なので、日常の注意事項を教えてもらい、定期的に検診に訪れることに同意をして席を立った。
ヴェルニーナは、シンの健康にひとまず不安もなくなったことに安心した。そして、ディーネのすすめに従うことにし、シンを市場に連れて遊びに寄ることにした。
馬車から降りるとき、彼女はフードをするかどうか考えた。二人で初めての外出だから顔を隠したくない気がしたのだ。だが、少年との二人の時間を無粋な視線で邪魔されたくない。すこし迷った末、彼女はフードをかぶることにした。しかし、それでもフードの中の彼女の顔を覗き見て、二人に奇異な視線を向けてくる者が時折いたので、正解だったと彼女は思った。
途中の屋台で甘い味のするお菓子を見つけ、ヴェルニーナは二人で仲よく食べることを思いつき、瞬時に買い求める。お菓子を買いおわるとシンが隣の店をのぞいていた。売っていた石のアクセサリーをみているようだ。ほしいのかと彼女が尋ねると、いいえ、というのでただ見ていただけだろうかと彼女は思った。
少年はお菓子をほうばりながら、キョロキョロと興味深げに市場の様子を見まわしている。何かに驚いたのか時折目をみはったり、店の様子をじっと眺めたり。どうやら少年は市場を楽しんめているようだ。その様子を穏やかに見ながら、少年にあわせてヴェルニーナはゆっくり歩く。
連れてきてあげてよかった
そう思いつつ、ヴェルニーナがこっそり自分がかじったお菓子をシンに差し出してみる。すると少年が一瞬かたまった。嫌だったかと思い、一瞬彼女は調子に乗った自分を後悔した。だが、少年はすぐに彼女の手のものを遠慮がちに口を近づけ、小さくかじり取った。
少年がはヴェルニーナから顔を背けるようにして口をもぐもぐさせている。しかし黒髪からのぞく耳が真っ赤になっていることに彼女は気が付いた。
て、照れてる……!
少年の明らかに彼女を意識した反応に、ヴェルニーナもつられて顔を赤くした。にやにやと笑いそうになる口を片手の甲で抑えなんとかおさめた。
ヴェルニーナは歩きながら、つないだ手の中指を動かして、少年の手のひらをこすってみる。少年は顔を背けたままその指を捕まえるようにそっと握ってくる。彼女は大人しく指を捕獲されたまま、ゆっくりと市場を周り、体の火照りを楽しんだ。
またお出かけしよう!
時間がなく、その日の楽しい時間は短いものだったが、大変満足したヴェルニーナはそう決心した。
――――
その日の夜、いつものようにシンの寝顔を見ながらヴェルニーナは少年のことを考える。
シンは市場でもディーネの時と同じように、自分以外の女性に興味の視線を向けない。そして、少年がときどき自分のことを盗み見ているのに気が付いてもいた。彼女がさりげなく視線を向けると、少年は照れたように視線をそらし顔をほんの少し赤らめるのだ。
シンは私のことが好き……
彼女の目がことあるごとに少年の自分への好意を示してくる。あの日、少年の気持ちと気持ちを通じ合ったヴェルニーナだったが、そのことを毎日くりかえし態度で伝えられ、そのたびに安心する。
ヴェルニーナはシンにより呪いから解放された。だが、少年はその後も彼女の心に残った傷を癒し続ける。長く縛り付けられ縮んでいた自分の心が、そのことによって立ち上がり、成長していることをヴェルニーナは今日強く実感していた。求められることにより、彼女は強くなっていた。
私はシンに何を返してあげられるのだろう
少年の黒い髪を手のひらでゆっくりやさしくなでる。そして手のひらから熱を受け取りながらヴェルニーナは自問する。
私はこの子をどうしたら大切に、幸せにしてあげられるんだろう
サーリアの言葉を思い出し、ヴェルニーナはさらに自問する。
少年を守り、自分に与えられるものはすべて捧げるつもりであった。だが一方で、彼女は少年をこの家に閉じ込めていたかったのだと気が付いてもいた。
それらの問いに、彼女の大人の理性は少年に直接聞くべきだと教えてくる。そして少年により日々、癒され成長した彼女の心は、それを受け入れらるまでになっていた。
ヴェルニーナはその日から、少年とずっと幸せにいるために、少年を大切にすべきだと思うようになった。




