後日談3
「どういうこと?」
ディーネのシンに検査を受けさせたい、という話に、寝耳に水のヴェルニーナは不安を覚えて聞き返した。少年は、ひざに置かれた彼女の手を自分の両手でつつみ、いじりながらヴェルニーナの声を聞いているようだ。
ディーネの話には、黒髪の少年が魔力を持たない――――つまり、穴無しであるというのが理由であった。そのことをどうやってか聞きつけたある研究職の男が、研究対象として協力してくれないか、と打診してきたからだ。
先天的な穴無しはまれに生まれてくるが、数としては極めて少ない存在であった。通常、人間含め生物は大なり小なり魔力を身に宿しており、それを全く持たない、もしくは使えないものはめずらしい。そしてそのような存在は魔力の基礎研究をする者にとっては、魅力的な対象なのだった。
利口なその男は、穴無しが魔力の欠如により病気への抵抗力が低い可能性がある、という文献を用意していた。その上で、早めにその少年のために検査が必要で、ついでに少し研究に協力してもらえないか、と提案してきたわけであった。わざわざ同僚のディーネを通して、サーリアを経由するあたりも手際がよいといえよう。
サーリアは医療分野に造詣が深く、また研究現場の事情も理解していた。ディーネから話を聞いて、男の提案に一理あることをサーリアは認めた。魔力の研究は、人間社会の発展に重要な分野でもあったからだ。
そういった事情を聞かされては、ヴェルニーナとしても反対しずらく、むしろ少年のことが気になった。彼女は、シンの手をぎゅっと握って愛する者を不安げに見る。すると、少年が彼女を見つめかえす。そして、お互いにじっと見つめあい、握った手の力を増し――――
「じゃあ、そういうことでよろしくね」
「ひゃっ、はい!」
先ほど学んだディーネは、先手を打って二人の旅立ちを阻止しながら、そう言った。今回の訪問は検査の件とは別に、二人が上手くいけてるのか様子を見にきた目的もあった。だが、隙あらば雰囲気を高めあう目の前の二人の様子に、ディーネは頭を抱えた。自分の気にかける妹弟子の社会的信用を心配して。
「上手くいってそうでよかったじゃないか」
目を閉じていたサーリアが、ニヤリとしながらおもむろに口を開いた。ヴェルニーナは、少しはにかんで恥らいながら、うんと答える。
「節度はちゃんと守るんだよ」
「わかってる……」
サーリアが続けると、今度は穏やかに少年を見つめながらヴェルニーナは言った。ディーネは、本当にわかっているのだろうかと疑問に感じたが、様子を伺うことにして出されたお茶を静かに飲んでいた。
サーリアはその点には触れず、話を続けた。
「その子のことが大切かい?」
「うん、大切……とても大切なの」
少年が抱えている自分の手の指を、少年の指と遊ばせながらヴェルニーナは答えた。
「そうかい。じゃあ、どう大切にするんだい?」
穏やかな口調のままサーリアは、だが視線は強くヴェルニーナに向けながらさらに問うた。ヴェルニーナは意表をつかれたように、深い光をたたえるサーリアの目を見かえす。
「どう……大切に?」
「そうだ。大切なのはそうだろう。でもね、ヴェル」
お前はその子をどう大切にしてあげるんだとサーリアはもう一度ヴェルニーナに問いかける。
「それは、もちろん……」
答えようとしたヴェルニーナだが、自分の予想に反して言葉を続けることができなかった。彼女にとっては、少年を大切にするということは、そのままの意味で、大切にするということでしかなかった。そんなことはわかっており、また一言で言えるものではなさそうに思えた。しかし他ならぬ師から、どうやって少年を大切にするかを改めて問われ、彼女は思わず言葉に詰まった。
「ヴェル、ヴェル、お前は、それをこれからしっかりと考えるんだよ」
その子が大切ならねと付け加え、サーリアは立ち上がり、少年の頭を分厚い手でなで、ディーネと共に職務に戻っていった。
――――――
どう大切に…………
庭の巨岩に拳を二度三度打ち込みながら、ヴェルニーナは考える。
彼女はたったいま、少年との至福の世界を堪能し寝かせつけて、まさに少年を大切にするために巨岩に煩悩を処理してもらっているところであった。
いま自分が行っていることがそうなのだろうか、彼女は師が聞けば、頭を手にやりうつむきそうなことを考えた。しかし、そういうことではなさそうな気もしていた。
いままで彼女にとって大切なものは自分と師と、少ない友人程度だった。しかしその人たちと少年では、大切の意味が大きく異なっていた。そしてヴェルニーナは少年を手に入れてまだ時間がたっておらず、したがって、どう大切にするかは考えたことがなかったのであった。




