第七十六話 エドソンの新しい提案
筋骨建団の店を出た後、私は奴隷商の店にやってきた。店に入ると、今回は最初からジャニスが姿を見せ。
「これはこれはエドソン様。お久しゅうございます」
と頭を下げ出迎えてくれた。席に案内され紅茶も用意される。一度奴隷を購入したからか対応が良いな。
「して、本日はどのような奴隷をお探しで?」
「随分と話が早いな」
「勿論、こちらまで来られたからにはご用件はそれしか考えられませんので」
ニコニコと人好きのする笑顔をみせてジャニスが言った。今日はメイを連れてきていないが、そのことには触れてこない。顧客に対して必要以上に踏み込まないのは流石だな。
「実は人手が必要になっていてな。それは確かなんだが――」
そう。確かに今魔導ギルドはかなり忙しくなっており、正直言えば猫の手も借りたいぐらいだ。だからといって実際にその辺りで欠伸をかいてのんびりしている野良猫を連れていくわけにはいかないが。
「しかし、同時に今日はある提案をしにきたのだ。聞いては貰えないか?」
「はて、提案ですか?」
笑みが薄れ、ジャニスが目を丸くさせた。まさかやってきた客から提案を受けるとは思わなかったのだろう。
だが私には大事なことだ。以前は必要に迫られ奴隷としてウレルを購入したが、私は本心から奴隷を購入したかったわけではない。
それに、私は300年前からこの奴隷制度には懐疑的だった。勿論奴隷を不当には扱わず人として接する者もいるが、しかしやはり中には不当に扱うものがありその結果死なせてしまうことも少なくない。
また何より本来の足りない手を補うという点で考えると奴隷制度には色々と問題も多い。購入するにも決して安くはなく、誰もが手として活用できるわけではないからだ。
ただ、これをジャニスに伝えて興味を持つかどうかはかけでもある。これが上手くいけば長い目で見れば今より遥かに利益を生むとは思うが――
「先ずはこれを見てもらってもいいかな?」
私は何枚かの用紙をジャニスの前においた。
「ふむ、奴隷制度の代わりとなる、人材派遣制度について、ですか――」
ジャニスは私が用意した用紙、書いているのは企画書のようなものだが、それに目を走らせた。
私が思うのは、ジャニスも本心では奴隷制度を快く思っていないのではないか? ということだ。
なぜならこの店は、他の奴隷を扱う店と比べて顧客に要求する決まり事が多い。それは他の奴隷商にも直接あって話を聞いてみたから確かだ。
それに奴隷の扱いも全くことなり、ジャニスはしっかり奴隷を人として育てようとしている。これは言うならば奴隷をしっかり人として見ているということだ。奴隷の将来についてもしっかりと考えているしな。
だから可能性を感じた。そして、それが間違いではないことは私が用意した企画書に目を通す顔つきでわかった。
これがもし全く興味がなく、ただご機嫌取りの為だけに見ているのなら、読み方はもっと適当な筈だ。だが、真剣な顔で食い入るように見てくれている。そこに確かな手応えを感じた。
「――拝見させて頂きました。エドソン様、先ずこの提案そのものに対する私の感想ですが」
「……ふむ、どう思った?」
私もしっかりと聞く姿勢をとる。今のジャニスの表情はお客に対するものではなく、フェアな相手と取引に臨むような、そんな様相だ。
「――非常に興味深い。奴隷を購入するという意識を変え、期間を決めて必要とする人や店に人材として派遣する。これであれば奴隷を購入するよりは初期費用は安くすみますし、必要な時にだけ契約すればいい。とても合理的だ」
よかった、感触は悪くない。むしろかなり乗り気にも思える。
「――ただ、これはあくまでこのような制度を提供出来れば、のお話です」
うん? 途端にジャニスの表情が険しくなった。
「エドソン様の提案そのものは素晴らしい。ただ、これはある意味では既存の奴隷制度に真っ向から喧嘩を売っているともいえます。奴隷市場というのは少々特殊でして、それは良いも悪いもという意味ですが」
「…‥それは勿論理解している。だが、大きなことをするためには既存のものを破壊するぐらいの気概は必要ではないか?」
「…‥それはつまり、エドソン様にはその覚悟があると?」
「勿論だ。それにだ。奴隷制度にはもう一つ大きな問題がある。今はまだ影響が出ていないのか、それとも影響は出ていたが秘匿されているのはかはわからないがな」
「ふむ、大きな問題ですか。それは一体?」
「それは奴隷の悪魔化だ」
私が告げると、ジャニスがぎょっとした顔を見せた。悪魔と唐突に言われたならそうもなるか。
「それはゾッとしない話ですね。まるで奴隷になると悪魔になってしまうようだ」
「間違いではない。ただし条件がある。とりあえずジャニスは心配しなくても良い。悪魔化は基本心が大きく負の感情に支配された時に起きやすい。だから不当な扱いを受けた奴隷は陥りやすいとそういう話なのだ」
これは正確に言うなら人の体に流れる魔力が関係している。悪魔化というのはマイフが大きくカオス側に傾いた時に起きる現象だからだ。
そして300年前にも奴隷の悪魔化は良く見られた。勿論全体で言えば1割にも満たない程度だが、しかし悪魔化した奴隷が暴走するとかなりの被害が生じる。
このことがあったからこそ、私は当時から奴隷制度を廃止したほうがいいと提言していたのだがな。だが、当時から奴隷商の集団はそれを認めようとしなかった。
それでも300年も経っていれば変わっているかと思ったが全くそんなことはなかったからな。
「……しかしそう言われてみると、奴隷を不当に扱うと噂のあった貴族や商人の中に不審死で片付けられた事件が何件かあったような――」
ジャニスが何かを思い出したように呟く。そして――
「わかりました。この提案は一度預からせて頂いても? 私にも何が出来るか手探りではありますが、色々当たってみます。それと、エドソン様は今人手が必要で?」
「あぁ、何人かな。ただ、実は私は手を奴隷で補うつもりはないのだ」
「それならば、内々でここにある人材派遣という形でやらせていただいても? そして出来ればモデルケースとして試してみたいのです。私は大っぴらには動けないので……」
なるほど。確かに今大々的に動いてしまうと悪目立ちしかねない。だから私の知りあいなど先ずは小さく始めていこうということか。
「わかった。丁度人手が必要そうな案件もある。そっちにも当たってみよう」
「助かります。では必要な人材についてお聞きしましょう」
そして私はジャニスに条件を伝えた後、一度店を出た。初めてのことなので、流石に奴隷を買うようにすぐにとはいかない。書類の作成もあるだろうしな。
だから人材の派遣はまた後日となる。さて有意義な話もできた。新しい制度もジャニスは協力的だしな。
後は、そういえばハザンの武器のこともあったな。工房にでも寄ってみようか――
「い、いや! やめてくだ、さい」
「おいおい、そんな事を言うなって」
「そうだぜ。折角ここまで案内してやったんだしよ」
「で、でも私は宿にいこうとしていただけで……」
「だから、ここが俺たちの宿なんだって」
「違いねぇ。今更カマトトぶるなよ。どうせお前もそのつもりだったんだろう?」
やれやれ、そんなゲスな会話が私の耳に届いたので見てみれば、1人の女が、看板もない石造りの建物に連れ込まれようとしていた。明らかに女は嫌そうだし、全く仕方がないな――




