第311話 運が良かった
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「しかし、お前たちは運がいい」
いつ出来るのかとしつこくロートに詰め寄るフログを横目に、ロートがぽつりと呟いた。
「運がいいと言うと?」
私が問い返すと、ロートは顎を引いてゆっくりと答えた。
「乙女の接吻は、材料さえ揃えば調合自体はそれほど難しくない。だが――完成には満月の光が必要なのだ。それがなければ薬は仕上がらん」
そこでロートがニヤリと笑う。
「そして今宵が、その満月というわけだ」
なるほど。そういうことなら、確かに私たちは運が良かったと言える。
「つまり、完成は明日になってしまうゲロ?」
「明日には出来るんだから、不満そうな顔をするなって」
「そうですぅ! むしろ喜ぶべきなのですぅ!」
「フログ様、急いては事を仕損じるです」
メイとアレクトの諭すような声に、フログは渋々と頷いた。
「……わかったゲロ。明日まで待つゲコッ」
ふてくされた顔をしながらも、どこかホッとしたように見えた。
ロートは小さく笑って頷き、材料を手に取る。
「では明日の朝に来るといい。それまでに完成させておこう」
「ありがとう、ロート。本当に助かる」
こうして素材を託し、私たちは店を後にした。
「これからどうするですぅ?」
「そうだな。ギルドに顔を出しておこう。仕事の整理もあるし」
「私は家に帰るゲロ! 早く家族に伝えたいゲロ!」
「そうか。じゃあここで一旦お別れだな」
「明日、ロート様のお店で会いましょう」
そうして私たちはそれぞれの帰路についた。
◆◇◆
side フログ
エドソンたちと別れた後、私は家族の待つ我が家へと急いだ。
素材集めのために長く家を空けていた。きっと皆、心配しているはずだ。
坂道を登り切った先に、馴染み深い屋根が見える。頑張って建てた一軒家――私の努力と後悔が詰まった場所だ。
昔、私は家族のためだと信じて、あのドイルの手先として協力していた。だが妻に言われたのだ。
「過去はもういいから、これからは正しく生きて」と。
その言葉を思い出しながら、扉を開けた。
「ただいまゲロ」
家の中は静かだった。誰も出てこない。少し胸が痛む。暫く出ていて怒っているのだろうか? そんな不安がよぎった瞬間――
「パパぁー!」
「ママ! パパが帰ってきたよー!」
「ゲコッ!?」
小さな足音が階段を駆け下りてくる。次の瞬間、二人の子どもが勢いよく抱きついてきた。
九歳の息子ケロックと、七歳の娘リグーシア。二人の体温が、胸の奥まで温かく広がる。
「おかえりなさい、あなた」
「あぁ……ただいまゲコッ」
最愛の妻ラーナも、穏やかな笑みで迎えてくれた。
温もりが、心に沁みる。あぁ、やっと帰ってこられたのだ。
私は、子どもたちに今回の出来事を話して聞かせた。
封印の戦い、エドソンたちの奮闘、そして自分の“活躍”も少しばかり盛って。
ケロックは目を輝かせ、リグーシアは手を叩いて笑ってくれた。ラーナも優しい眼差しで聞いていた。
夕食は、まるでお祝いのようなご馳走だった。
チキンの丸焼きと温かいスープに、焼きたてのパン。美味しそうな香りが鼻をくすぐる。
これこそが私の望んだ幸せ――家族の笑顔に囲まれた団らんだ。
「パパ、今度友だちを呼んでもいい?」
「もちろんゲロ! いくらでも呼ぶといいゲコッ」
「やった!」
「パパ、明日一緒に遊ぼうね!」
「それが、明日はちょっと用事があるゲロ。出かけるゲコッ」
私の言葉に、リグーシアが「えぇ~」と唇を尖らせる。
ラーナが笑いながら尋ねた。
「明日は何があるの?」
「うむ! 聞いて驚くゲロ! 薬が完成する予定ゲコッ! これでパパも元の姿に戻るゲロ!」
胸を張って宣言した私を、家族がどんな顔で見るか楽しみにしていた。
だが――返ってきた反応は、思っていたものとは違った。
「……パパ、戻っちゃうの?」
「へ? そ、そうゲロ! 元のパパに戻るゲロ!」
「そう、なんだ……」
ケロックの表情が一瞬で曇る。
リグーシアも俯き、スプーンをぎゅっと握りしめていた。
「嫌だ! パパはカエルさんのままがいいもん!」
「ゲロッ!? な、何を言ってるゲコッ! パパが戻るのが嬉しくないのかゲロ!」
つい声を荒げてしまった。娘は涙目になり――
「パパのバカ!」
そう叫んで階段を駆け上がっていった。
「リグーシア!」
呼び止める声も届かない。
どうしてだ。私が人に戻ることが、そんなに嫌なのか――。
「……そっか。パパ、戻るんだね」
「そ、そうゲロ! ケロックは嬉しいゲロ!」
「……うん。良かったね、パパ」
ケロックの笑顔はどこか寂しげで、そのまま部屋へと戻ってしまった。
つい先ほどまで笑い声が響いていた家の中が、嘘のように静まり返る。
「……きっと、あの子たちも混乱しているのね」
ラーナが静かに口を開いた。
「混乱?」
「そう。あの子たちにとって今のあなたは、“カエルのパパ”なの。優しくて、一緒に遊んでくれる、頼もしいパパ」
「……」
「でも昔のあなたは違った。仕事ばかりで、家にいても疲れた顔をして、子どもたちとまともに話すこともなかった。蛙になって戻ってきたあなたは、まるで別人のように変わったの。だから――あの子たちは、元に戻ったらまた遠い存在に戻ってしまうんじゃないかって、怖いのよ」
その言葉が胸に刺さる。
思い返せば、かつての私は家庭よりも仕事を優先していた。
“家族のため”と自分に言い聞かせながら、実際には逃げていただけだったのかもしれない。
「……ごめんなさい。私は、あなたを信じているわ。
たとえ人の姿に戻っても、今のままのあなたでいてくれると」
ラーナの言葉に、私はゆっくりと頷いた。
「……勿論、そのつもりゲロ」
そう答えながらも、心の奥底には小さなしこりが残った。
“元に戻る”とは何を意味するのか――私は、今のままの私でいられるのだろうか。
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