第百七十三話 ドイルの師事した相手
「――それはどういう意味だ?」
「文字通りの意味だ。私は我が将来の為に家族を捨てて奴に師事することを決めた。そこで商売のイロハについて学んだのだ」
私の質問にドイルが答えた。家族を捨てたか――だが、奴、ねぇ。
「……しかし何故農家の生まれだった貴方に商人が?」
メイがドイルに問う。ドイルは商人の勉強をしていたというが――
「……こんなこと別に話すつもりもなかったがな。当時家は貧しかった。それは事実だ。当然商売の勉強をするにも道具も本もなかった。だから畑で採れた作物を町まで売りに行く仕事だけは私がやりその時に拾った商売についての本や紙を利用して必死に勉強し続けた。そんな時だったあいつらがやってきたのはな」
「それが家族を騙した商人?」
アレクトが問うように口にした。ドイルは憮然とした表情で答える。
「あぁそうだ。私の父はお人好しが過ぎたからな。まんまと騙されて借金の保証人にされ畑を取り上げられることになった。更にそれだけじゃ足りないと全員奴隷堕ちにされるところだったわけだ。全く馬鹿な奴らだ――」
「そんな。貴方の家族でしょう! それなのにそんな言い方ないです!」
アレクトが感情的に叫ぶ。まぁアレクトならこういう反応を見せるか。
「本当なら家族全員が奴隷にか。だがお前は違ったわけだ」
「そうだ。奴らが家探ししていたところで私が勉強のために使っていた紙束を見たようでな。それで目をつけられたのだ。奴はいった。私が望むなら私だけは奴隷にせず傍に置いてやるとな。私は二つ返事で承諾した。その時私は自分の努力が間違いでなかったことを悟った。畑なんぞにしがみついた挙げ句騙され全てを失った両親よりも毎日黙々と勉学に励み商売の勉強をした私の方が正しかったとな」
なるほどそれで商売人として生きていくことに決めたってことか。しかしこれを聞いていたアレクトが不機嫌な猫のようになってるな。
メイが後ろから羽交い締めにして抑えてる程だ。
「フン。これでわかっただろう? 貴様らがどれだけ見当違いのことを言っているか」
「あぁそうだな。確かにわかった」
軽く瞼を閉じドイルにそう答えた。ドイルが鼻を鳴らして反応する。
「貴様は所詮その程度ということだ。自分では賢いのだと思っていてもな」
「ハハッ。私は自分のことをそんな風に思ったことないさ。お前みたいに器用には生きられないしな」
「……皮肉のつもりか?」
ドイルの眉間に深い皺が刻まれた。皮肉か。まぁそういう意味もあるといえばあるが。
「まぁとは言え確かによくわかったよ。噂通りお前も苦労していた時期があったとな」
「何だと!?」
ドイルが目を剥いて驚いていた。あ、アレクトもか。
「……お前、もしかして馬鹿なのか?」
「藪から棒に失礼な奴だな」
「ご主人様。命じていただければ」
「待った待った」
ドイルにバカ呼ばわりされて何故かメイの怒りが溢れていた。拳を鳴らし始めたので止めておいたが。
「納得出来ませんよ! どうして今の話で苦労していたなんて話になるんですか!」
やれやれアレクトも随分と直情的なことで。
「苦労はしてるだろうさ。そんな男にわざわざ付き従っていたのだから」
「何を言っている? 私は自分のために自ら喜んで師事したのだ」
「私にはとてもそうは思えないがね」
「……知ったふうな口を」
知ったふうなか。確かに直接見ていたわけではない私が当時のドイルの気持ちを完全に理解出来るわけもない。
だがある程度なら推し量れる。それに嘘発見器も見ていたが所々点滅しているあたり本心でないことを言っていたのがわかる。
「家族を奪われて平気な奴などいない。私はそう思っている」
「……随分と甘い考えだな」
「そうかな? だが家族のことが無いにしても貴様が大人しくそんな奴の言うことを聞くとは思えない。貴様は執念深い男だ。私やメイ相手にも随分としつこかったしな」
「…………」
ドイルが黙って話を聞いている。じっとこっちの真意を探るように見ながらな。
「そんな貴様が家族を騙し引き離した相手に何も感じないわけがない。私の勝手な予想だがその男のことが憎々しくて仕方なかったのではないか? だが貴様は本心を押し殺し憎悪の感情を抑え込み、怒りでどうにかなりそうな気持ちを悟られることなくじっと我慢し続けたのだろう? それはとても辛いことだ。肉体的な痛みは傷が癒えると同時に薄れてゆく。だが精神的な痛みはそうはいかない、寧ろ募り募っていくものだからな」
そこまで告げ私は紅茶を一口飲んだ。さっきまで感情的だったアレクトも神妙な顔をしていた。
「――フンッ。随分と想像力のたくましいことだな」
「ま、想像力は魔導具師には必要不可欠ではあるけどね」
皮肉めいた返しを軽く受け流しておいた。とは言え、こいつも否定はしていないな。
「で? それでどうするのだ? 私を可哀想と同情でもしてこれからは仲良くやっていこうとでも言うつもりか?」
「ははっ。まさか」
それはありえないことだ。確かにこの男にも色々あったんだなとは思うが。
「過去に何があろうと貴様がこれまでやってきたことが消えるわけじゃない。貴様に騙され人生を狂わさられた者だっている。それにお前が奴隷相手にしてきたことも決して許されることではないだろうさ。今は上手くやってるつもりだろが何れ貴様はその報いを受けることになる」
「随分と強く出たものだな」
「言うべきことははっきりいわないとね♪」
私が答えるとドイルが席を立った。
「おや? お帰りで?」
「ふん。興が削がれたわ」
そしてドイルがギルドから出ていこうとするがピタッと足を止め首だけ回してこちらを見た。
「随分と調子に乗ってるようだがよく覚えておけ。貴様らは私なんかよりずっと恐ろしい相手を敵に回したのだ。何れ嫌でも思い知らされる日がくるだろう」
それだけ言い残してドイルが立ち去った。しかし恐ろしい相手、ねぇ――




