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1-7話 古の神話

 光星が、もはや消えかけ、あれだけ明るかった周囲の光景が、少しの先も見えない程の暗黒に包まれ始めている。

 先ほどまでの留まる事の無かった破壊音が、今や静寂に変わり不気味な暗い森に浸透していく。

 煌めくような光源は、目の前にある不気味な二つの双眸だけ。

 

 それは青年にとって現実離れしたような光景だった。

 悪夢からそのまま出てきたような鳥の怪物も。

 つい先ほどまで、まるで虫も殺せないような、優しい顔で笑うあの子が自身よりも何倍も大きい化け物を引き裂く姿も。

 砕け散った化け物の体が、液体によって再生していく姿も。

 あの子がなす術もなく、液体によって体中を貫かれ、放り投げられ、再生した化け物に吹き飛ばされることも。

 すべてすべてすべて、現実でないような、一枚紙を隔てた、夢の中に居るようなそんな感覚。

 けれどそれも、意識の無い人形のように青年のすぐそばに叩き付けられ、それでも勢いが止まらず、何度も地面を転がりまわりながら動かなくなったリカの姿を見て、現実へと引きずり戻される。

 

 パズズは、いや鎧をまとったような怪物となったソレは自身の変貌にも意を介さず、何事もなかったかのように笑みを浮かべこちらに近付いてくる。

 そして、身を固くした青年の横をすり抜けて、動かないリカの元へと歩を進めた。

 お前は後でだ、と言われた気がして、パズズの標的がいまだにリカであることを理解する。



「ま、まっ…て」



 生死の分からないリカの姿ではあったけれど、少なくとも、これ以上追撃を加えられたらどうなるかは明白で、それを止めたいのに、自分の口からは声すらもまともに出やしない。

 情けない程に、あの時に経験が青年を恐怖の鎖で縛りつけるのだ。

 

 頭の中で蘇るのは、あの化け物にいたぶられたあの時の事。

 血反吐を吐き、潰れた肉を庇い、死を直視しながらも、必死に逃げ続けたあの経験。

 許しを乞うても、助けを叫んでも、状況はなにも変わらなくて、ひたすら死なないように遊ばれた。

 いっそ死んでしまいたいと思うような状況の中で、何故だか、死ぬわけにはいかないと転げまわって泣き叫んだ。

――――そんな、地獄のような記憶が、頭に焼き付いて離れない。



 そうだ。

 僕は、死ぬわけにはいかないのだ。

 

 弱弱しい青年の静止の声が、鎧の化け物には届いていなかったのか、奴はこちらを一瞥もすることなく、倒れ伏すリカの元へと歩み続ける。


 僕は、何かをやり遂げなくてはいけないのだ。

 だから、死ぬわけにはいけない。

 どれだけ恐ろしくても、どれだけ痛みを伴っても、この命を繋いで、成し遂げなければならないことがある。


 震えて言うことを聞かない体を、這うようにして何とか動かす。

 生きなければいけない。

 頭の中で回るのはそんな言葉ばかりで、なんとか命を繋ぐ方法ばかりを模索しながら必死に震える腕を動かして這って進む。

 こんな状況になっても、まともに立てない自分自身に嫌気が差す。

 早く動かなくては、早く行動しなければ、早く―――――



――――――リカを連れて逃げなければ、と考えるのはその事ばっかりだった。

 


「やめろぉ!!!!くそ野郎っ!!!お前の相手は僕なんだよ!!!!」



 その、意地しかない青年の言葉に、化け物は足を止めた。

 

 涙が溢れる。

 歯が打ち鳴らされる。

 体の震えは―――より一層酷くなった。



 怖い。

 表現など出来ないくらい怖かった。

 アレと向かい合うのが怖い、アレに見詰められるのが怖い、アレに認識されるのが怖い。


 リカの様に、戦う準備なんて出来ていない。

 リカの様に、策を弄せるわけでもない。

 リカの様に、切り札があるわけでもなかった。

 

―――それでも、一人逃げるわけにはいかなかった。



 首だけを動かして、顔をこちらへ向けた怪物が、じっと青年を見詰める。

 標的を切り替えようかと考えているのだろうか、カチカチと嘴で音をたてながらその場から動こうとしない化け物の足元に身じろぎ一つせず転がっているリカの姿が見えた。

 優しいリカの笑顔が頭を過った。

 いたずらに成功した子供のような笑みを浮かべるリカ。

 心配をするように青年を覗き込むリカ。

 会話にもなっていない、現状の不安と愚痴に嫌な顔一つせず付き合ってくれたリカ。

 それらは、もうすでに、青年にとって掛け替えのないものになっていて。

 だから、青年は震える体を押さえつけて血を吐くように叫ぶ。



「気持ち悪いんだよ鳥野郎!!!掛かって来いって言ってんのが分かんねえのかよぉ!!!今度は僕がっ、お前をぐちゃぐちゃにしてやるからよ!!!!」



 ぐるりと体をこちらに向けた化け物に、青年の肌が粟立つ。

 あの時と同じ嗤いを見せた化け物に、短く悲鳴が零れる。

 情けない程簡単に涙が溢れた。

 

 飛び掛かってくる化け物の姿に、何の反応も出来ない。

 立ち上がることも出来ない、転がって逃げることもできない、攻撃を返すことなんて出来る訳がない。

 目の前に迫る死に対して、青年はただ待つことしかできない。

 青年が上げた叫びは、ただ単にリカの生き延びる時間がほんの少し伸びただけにすぎず、逃げることは出来なくても、隠れることは出来た青年の命を無為に消費するような結果になる筈であった。


 合理的でない、理論的でもない、さらには感情的でもなかったかもしれない。

 そんな青年の暴挙は、しかし確かに彼女の耳には届いていた。



 銀の閃光が走る。

 青年の目の前まで迫っていた怪物を、後方から脇腹に蹴りを叩き込む。

 骨と皮しかないような細足によるただの蹴りの筈が、それを受けた化け物は一瞬も耐えることなく吹き飛ばされた。

 

 

「りか…?」

「あはは、なんてひどいたんかしてるの…」



 涙でぐちゃぐちゃになった顔のままその名を呼べば、リカは血に濡れた笑顔を向けてきた。

 

 リカの姿は、何故立てているのかも分からないほど酷い有様だった。

 片目は潰れてしまったのか、閉ざされた瞼の隙間から血が流れ出し、片腕は力が入らないのかだらりと垂れ下がっており、片足は妙な方向に曲がっていて支えにすらなっていない。

 いつもはしっかりと巻かれた包帯も、所々破れやゆるみにより取れてしまっており、隠されていた赤黒い腫れが外気に晒されている。

 死に体、もはやいつ動かなくなってもおかしくないのではと思ってしまうような有様は、されどリカは気にも留めずいつも通りの笑顔を青年に向ける。



「いやあ…たすかったよ、あなたのこえがきこえてね?」



 いつものようにコロコロと笑うリカはあまりに痛々しい。

 普段の何気ない会話をするような姿勢を取るのは、それもまた彼のためなのだろう。



「あなたのやかましいこえが、めずらしくて、めがさめちゃった」



 からかうような色を含んだその言葉。

 慌てて涙を拭う青年を微笑みながら眺めていたが、化け物が傷一つない姿で立ち上がると青年から視線を外す。

 そして、止める間もなく、彼女は足を引きずりながらも化け物の方へ歩み始めた。

 片手に光を発生させて、臨戦態勢を取りつつも自身の傷を少しでも治そうとしている。

 それだけで、彼女がなにをしようとしているの、理解する。

 


「リカ!!だめだよ、一緒に逃げよう!!」

「…」

「逃げてエリィに助けを求めよう!?あんなのと戦っちゃだめだ!!」

「…そうだね、それがいちばんだよね。でもね」



 分かっているんでしょう、と囁くように語り掛ける。

 それは、聞き分けのない子供を諭すような口調だった。



「あれの速度は、わたしたちの比じゃない。すぐにおいつかれちゃうよ」

「でもっ、それ以上はリカが死んじゃうよっ」

「…じゃあ、あなたがかわってくれるの?」

「――っ!?」



 咄嗟に答えることが出来なかった青年に、リカはなんてねと言って笑い掛ける。



「勝算が、ないわけじゃないの、だから。ね、おねがい、わたしにまかせて」


 

 その言葉を最後に、少女は前を向いた。

 何も言えない青年を置いて、化け物の前に向かい合う。



―――最低だ

 そう思った。

 時間はいくらでもあったはずなのに、それらを無為に過ごしたのは自分だ。

 リカはずっと言っていた、ずっと青年を守っていた。

 期待して、信頼して、投げ打って。

 それら全てを裏切り続けたのは自分だった。

 それでも、彼女は最後まで身を盾にしようとするのだ。

 自業自得に人を巻き込み、挙句その代償を人に払わせる。

 それが、そのことがどうしても許せない。



「僕は何にも出来ないよ、そんなことずっと前から分かってるさ…」



 そんなことを、ぽつりと呟いた。


 いつからだろう、彼女たちの優しさに甘えるだけの生活になったのは。

 自分には記憶がないからと、言い訳で自分を繕っているだけの生活を甘受するようになったのは、何時からだったのだろうか。

 

 土を握りつぶす。

 腕に無理やり力を入れて歯を食いしばる。



「僕が、そうだなんて…そんなこと、分かり切っていたじゃないか…」



 そんなことは、最初から分かっていたじゃないか。

 ずっとずっと、思い続けてきたことだ。

  

 弱いなんて分かり切っている。

 役に立たないなんて知っている。

 立ち上がることも、刃向うことも、なんの意味がない事が当り前なのだろう。

 それでも、そのままでいることはどうしても出来ない。

 青年を構成する、形にはない、譲ることの出来ない大切な芯。

 魂の奥まで刻みつけられたそれは、今は思い出せない以前の自分が、狂おしい程後悔したことなのではと思う。

 目が覚めた時から、生きるのを諦める事が出来なかった。

 何かを成さなければならないと思った。

 これからを紡いでいかなければならないと思った。

 だから、名前も何も思い出せなかったとしても。



――――諦める事だけは、もうしたくなかった。



 

「―――え?」

 

 

 呆けたような声が駆け抜けた後から届いた。

 今後ろを向いたら、今まで見た事の無いような顔をしているリカが見られるのかと思うと、振り向きたい衝動に襲われたが、すぐに目の前の化け物へと思考を切り替える。

 破れ被れのような突撃の中で、それでも思考を加速させていく。


 絶対に生き残る


 考えることはそれだけだった。

 

 目の前には、遠くでしか見ていなかったおぞましい鎧の怪物。

 これまでよりも数倍大きいその体躯は、近くから見るとさらに圧倒される。

 怖いし、逃げたいという気持ちはいまだに心の中に燻っていたが、体の震えはもう無かった。

 唐突に現れた青年の姿に、怪物は僅かに動揺を見せるものの、すぐに砲弾のような拳が振り落してくる。

 

 軌道は見えない。

 初動も、着地点も、ましてや避けることの出来る道筋なんて分かりやしない。

 だが、それらは全て分かっていたことだ。



「おおおおああぁぁぁっ!!!!」



 悲鳴にも似た咆哮が口から洩れる。

 人体を上から槌で叩き潰すかのような軌道。

 それをもともと想定していた通りの、股下を潜り抜ける動きで滑り込み紙一重で回避して、ずっと持っていた草刈り用のナイフを大木のような足に叩き付ける。

 

 あっけない、鋼鉄を叩いたような感覚とともに切りつけたナイフが砕け散った。

 砕けたナイフの破片で手が傷付き血が噴き出す。

 しかし、そんなことを気にする余裕すらなく、急いで怪物から距離を取ろうと頭から地面に飛び込む。

 その直後、足のつま先を何かが掠ったような感覚とともに、爆音が響き渡り地面が捲れ上がった。



「―――馬鹿っ、なにしてるの!」



 追撃に走ろうとしていた化け物の背中を、剣の様に伸縮したナイフが真っ二つに引き裂く。

 すぐに砕け散るそれを投げ捨てて、青年の元へと着地したリカは、声を荒げて肩を震わせる。

 完全に怒っている様子だった。


 怒られたことへの衝撃もあったが、リカの姿を見て、先ほどまでの目についた怪我が大きなものを除き治療されて声にも張りが僅かに戻っているのを確認すると、ほっと息を吐いた。

 早く弁明して見せろとばかりに片目で睨み付けるリカに、青年は立ち上がりながら口を開く。

 


「…僕も、戦いたいんだ」

「…それで?気持ちは理解するよ、でも戦いたいと戦えるは違うの」

「分かってる、でも…、リカ一人に任せるのは、自分の全てを人に押し付けるのはもう嫌なんだ。ほんの少しでも、肉壁だっていい、それで時間が稼げればリカは助かるでしょ?」

「…」



 真っ二つになった化け物の断面から触手が伸びて、あっという間に再生していく化け物の姿は異様だ。

 先ほどよりも強くなっているのだろうと思うと、背筋が凍る思いだ。

 そんな理解の範疇を超えた再生能力に合わせて、こちらは何かしらの攻撃がまともに入れば、その時点で命が途絶えることになるのはもうわかっている。

 絶望的な状況だろう、勝ちの目は、万が一つにもないのかもしれない。


それでも、青年はもう目を逸らそうとはしなかった。



「…話し合うような時間は無い」



 溜息交じりのその言葉には、何故だか笑いが含まれているようで。

 


「―――前だけ見て、足りない部分は私が補う」



 青年の隣にリカが立った。

 小さな仲間だ。

 だが、今の青年にとっては何よりもその姿は頼もしい。

 リカの怒ったような雰囲気はいつの間にか霧散していて、視線は鋭く化け物を捉えて離さない。

 なぜ彼女が、自身の提案を受け入れてくれたのかは分からないけれど、隣に立たせてくれたことが、青年にとってたまらなく嬉しかった。


 動きを止め、じっと動き出しを待つ二人の姿に、心底忌々しいと言うように化け物は咆哮を上げる。



『―――――』

「…来るよ」



 リカの言葉が終わる間もなく、地を砕き目前へ化け物が現れた。

 二人が反対方向へ回避したことで、目標を失った拳が空を切る。

 


「離れて!!」

「っ!!??」



 攻勢に転じようとしていた青年は、鋭いリカの警告に慌てて化け物から距離を取る。

 


「■■■■■■■――!!!!」

 

 

 全身を覆っていた黒い鎧が、全方位に渡って刃を突出す。

 隙間を潰すように、巨大なものから針の様に細いものまで、様々な刃を生み出しそれを振り回した。

 そして、その刃の状態のまま、距離を取った青年目掛けて化け物は飛び掛かる。

 逃げようとした青年を捕えるために開かれた両腕や、飛び掛かる体勢からして化け物は全身の刃で切り潰そうとしているのは明らかで、そしてそれは。



「――私を放置?」



 目の前まで迫った化け物の巨体が宙で停止する。

 青年の周囲の地面から生えた刃の数々が、寸分の狂いなく薄くなった化け物の鎧を貫通し宙で縫い留める。

 

 リカによる刃の領域はいまだに効果を失っていない。



「つあらぁぁぁ!!!」



 青年は手元にあった木の枝を宙吊りになった怪物の目に向かって突き刺した。

 鎧も何もない化け物の目は先ほどとは異なり、いとも容易く潰された。

 叫びを上げようとしたのか、無様に開かれた口に地中から突き出した大量の刃が突き刺さる。

 

 転がるようにして、宙吊りになった化け物の下から這い出ると、青年はすぐに体勢を整えた。

 出鼻を挫く形での攻撃となったが、予想通り青年の攻撃は目くらましにはなっても、大勢を動かすほどの力はない。

 リカの手札がどこまで残っているかは分からないが、期待するのは難しいだろう。

 千日手になりつつある現状に、何とか一石を投じなくてはという焦燥が駆け巡る。

 

 

『―――……ので…』

「このまま串刺しを続けて、封印の方向へ持っていく」

「…?」

「…聞いてる?」

『―――え…んだの…ね』

「う、うん」



 化け物を止めどなく貫き続ける刃の嵐は留まることを知らない。

 リカから提案される声に交じって、頭に直接響く声に動揺したものの、青年はすぐに誰のものか当たりを付ける。

 鳥居に居た、あの人の声だ。

 あの人が、何かを伝えようとしているのか、絶えず青年に語り掛けてくる。

 

 リカは反応の鈍くなった青年の様子に不審そうな目を向けたものの、すぐに顔を歪めた。



「…嘘、内部からの干渉…? 二つのことを同時になんて、…いやそもそも、どうやって…」



 何らかの事態を把握したのか、リカは目の前の怪物の足止めを継続しながら思案する。

 だがそれも、一瞬だった。

 


『―――選んだのですね』



 今度ははっきりと、声が届いた。

 何のことかと考えた時に、リカの愕然とした表情でこちらを見詰めているのが目に入る。

 どうやら自分だけではなく、リカの耳にもこの声は届いたようであった。


 どろりと、何かが青年の前に現れる。

 それは蝋を溶かしたように、液体のような流動的な動きで顕現した。

 刀だ。

 色はくすんだねずみ色で、長い年月保管されてきたのだろう、刀身は使われていた面影がない程ボロボロに刃こぼれしており、柄の部分は所々剥げ落ちている。

 打ち合いはおろか、一振りしただけでも壊れてしまいそうなその刀が青年の前に鎮座し、鈍い光を放つ。

 壊れかけの古刀が宙に佇み、青年が手を伸ばすのをただ待つ。

 

 呆然と、それが現れるのを見詰めていた青年は思わずそれに手に取ろうとしてしまう。

 そこに何か考えがあった訳ではない。



「それに触れないで!」



 警告とともに、横から制するように手が伸ばされた。

 驚いてリカに目を向ければ、険しい顔つきで現れたそれを睨み付けている。

 あの人の声は、さらに強く、さらに明瞭に響き渡る。



『愛しい子、優しい子、恐れないで。貴方には祝福が、貴方だけはなんとしても』

「あ、あなたは…」

「信用できない、お前の目的はなに」

『…呪われた子よ。彼に対して私が害を及ぼすことはありません。信用してくださいとしか言えませんが、疑うような暇があるようには思えませんよ』

「…」

「リカ、多分だけど、この人は悪い人じゃないよ。…本気で僕を助けようとしてくれている」



 青年のそんな弁護を聞いて、リカはもごもごと何か言いたそうな複雑な顔をした後に呆れたように溜息を吐く。

 現状、藁にもすがらないといけないのは事実なのだから。

 青年と姿の無い者の関係を全く知らない自分がどうこう言って、止めることは出来ないのだ。

 


「もう、どうなっても知らないからね」

「――――――■■■■!!!」


 永久に続くかのような剣山の嵐を、ついに再生能力が上回ったのか、四肢で地を蹴りながら化け物は二人に向けて突き進んでくる。

 進みつ続ける化け物を追うように、地面より突き出す剣山も移動して、あらゆる角度から化け物を縫い付けるものの、まるで効果が無い。

 引き千切り、引き千切られながらも、こちらへと猛進してくる様は、もはや生物としての常識など無いように見える。



「それがどれだけの力があるかなんて知らないけど、譲り受けられる力なんて相応の代償があるものだから、…それを覚悟して」

「うん!やって見せる!!」



 青年は、目の前の古刀を強く掴み取る。

 仄かな暖かさを感じるその柄は、長年使い続けたように掌に吸い付き、重さを感じさせない。

 そして、手にとって間近で見ると、その壊れかけた刀の様子をありありと実感させられる。

 一合打ち合わせれば砕けるような、一振りすれば折れるような、そして太古の年月が凝縮された、その力を理解する。

 

 これは形こそ刀であるが、その本質は力そのものだ。



『そう、それは触媒。それを通して貴方は振るうのです、積み重ねられた力を、今ある私の全てを』

「―――――」



 脳に直接刻み付けられる、その力の全て。

 そのほとんどは理解の範疇を超えていて脳が理解を拒んだが、理解した部分だけでも、片鱗に触れただけでも、自身が変質するような感覚に襲われる。

 だが、それに不安など感じることはない。

 血流が騒ぐような感覚、意味もない気分の高揚。

 それはあまりに強大な力だった。

 強大過ぎた。


 プチプチと、触れている手の平から体の内を通して接続されていく。

 感覚がひっくり返る。

 視界が歪み、色が抜け落ち、思考が鈍化する。

 そして、壊れた何かを見た。

 建物が壊れ、人が壊れ、空が壊れた。

 煌々と輝く巨大な球体。

 火の海。

 黒煙に包まれ、叫びと咆哮。

 憎悪と憤怒の钁湯を頭から被ったような熱とともに、首を吊る誰かを見て。

 瞬きとともにそれらが消え、元の世界が戻ってくる。


 一際大きな激震が前方から伝わり、恐ろしい速さで肉薄してきた黒い鎧がもはや目前に迫る。

 腰を落とし構えるリカの後姿を視界の端に捉えながら、ぼんやりと視線を落として、手に持った古刀を見詰める。

 どういうことだろうと、のんきにそんなことを考えた。

 あれだけ恐ろしかった筈の怪物が、理解を超えていた筈の化け物の動きが、なんてことの無いものに見えてしまう。


 青年は再び、怪物に目を向ける。

 ほら、あんなにも、遅くて単純な生物に、どうやって負けるというのだろう。



「っ!?」



 軽く地面を蹴って身動き一つ出来なかったリカの前に出る。

 息を飲む音が後ろから聞こえて、飛び掛かってきていた化け物が目の前で起こった事象を把握できないまま反射的に攻撃に転じようとしたが、振るわれた古刀の刃に触れることなく、何かに焼切られて三等分になった。


 脆過ぎる。

 なんだこれは。

 あれだけ戦ってはいけないと思っていた筈の化け物がゴミのようだ。



「リカ! 凄いよこれ! あの化け物がこんな簡単に切れちゃうんだ!! なんだこんな感じだったのか、リカが簡単に切っているように見えていたけど、本当に簡単に切れるんだね!!!」

「…それは――」

「待っててリカ、すぐにこいつを焼き尽くしてしまうから」



 頬が火照る。

 体が熱い。

 何故だろう、凄く気分が高揚する。

 視界が赤く染まっているような気がする。

 もぞもぞと動く化け物の体の一つを蹴り飛ばせば、凄い勢いで吹き飛んでいき、何度も地面を転がりながら木々に叩き付けられた。

 もう一つの体を踏み潰して、古刀の持っていない黒く染まった拳でもう一つを殴り潰す。

 軽く振り下ろしたつもりだったが、拳を叩き付けた場所を中心に巨大なクレーターが出来上がる。

 急に出来上がった窪みにバランスを崩してしまうが、足の指を地に食い込ませ安定させた。



『「おっと、調子に乗りすぎちゃったかな。リカは無事?」』

「■■■■■…、■■■■…」

『「あれ?今何て言ったの? …まあいいか、どうせこの程度じゃあの化け物は倒れないだろうしなあ」』

「■■■■■■■■■っ…!」



 這いつくばりながら、青年に向かって何かを叫ぶリカの言葉がまるで伝わらない。

 それでも意に介そうともしない青年は、自身に向かって伸ばされた大量の触手を大きく一振りすることで灰塵に帰す。

 続けて、砲弾の様に蹴り飛ばした化け物の体が、復元しながらも青年目掛けて飛び掛かってくるのを、下から蹴り上げることで上空へ打ち上げる。

 


『「潰えろ」』



 古刀の柄から剣先に伝うように小さな赤い滴が移動する、それを上空に向けて振ることで、化け物へ向けて飛ばした。

 重力をまるで感じさせない水滴にも似たそれは、勢いをまるで落とすこともなく飛行を続け、落下してきた化け物に直撃する。


 直後、空に巨大な火の球が顕現した。


 爆風が木々を薙ぎ払い、近くにあったものは燃える事さえ許されず炭となる。

 そんな凄惨は地面の上空で、真っ黒な太陽は飛び込んできた獲物を喰らう。

 溶かす溶かす溶かす。

 原形もない程、塵すら残さずに。

 炎の下で獲物を舐め回して、縛り付けて、飲み込んで。

 日輪に喰われた怪物は悲鳴も上げることなく全てが消え去った。



『「…なんだこんなものか」』



 暴れ続ける足の裏の感覚に体重を乗せると、ただでさえ圧縮されていた土に蜘蛛の巣状の亀裂が入り軽く砕ける。

暴れていたものが大人しくなる。

あと溶かさないといけないのはどれだろう。

そんなことを考えながら、酷く痛む頭をガリガリと指で掻き毟る。

 特に痛みが激しい額の部分に、攻撃を受けたわけでもないのになんだろうと思って、治療をお願いできないかとリカへ目を向けようとした青年は彼女の姿が無い事に気が付いた。



「■■■!!!」

『「ぐっふぅぅっ!?」』



 いつの間にか懐に潜り込んでいたリカに、思いっきり腹部を強打された。

 

 痛みは無いのに、肺の中の空気が全て叩き出される。

反射的に殴られた部分を押さえて、ふらふらと後ずさる青年にリカは追撃を加えてきた。


為す術なく、手に持っていた古刀を落とされ、首と腕を抑えるように組み着いてきたリカに押し倒されてしまう。

ようやくまともに息を吸い込むことが出来るようになって、抗議の声を上げようとした青年の目前にリカが勢いよく顔を出す。



「ああ、引っ込んだね! 大丈夫、どこか痛いところはない?」

「ごほごほっ、今殴られたところが痛いです…え、引っ込んだ?」

「ちょっとごめんっ!」



 狼狽する青年を横抱きにして、潰れていた化け物の欠片からの攻撃を避ける。

 数十にも上るであろう、槍の様に変容した黒い触手から距離を取りつつ落ちている古刀を足で放り投げ確保して、今までにない程の猛攻に反撃しようともせずリカは回避に専念する。


 リカの腕の中から見る戦闘風景は、先ほどの傍から見るものとは異なり目まぐるしい程変化していた。

 滑るように地を走り、時に回転し、時に止める。

 飛ぶよ、なんて一応は声を掛けてくれるものの、無重力の中に引きこまれたような動きをされると心構えなんて、すぐに脆くも崩れ去ってしまう。


 怪我が完全に治っている様子はない。

素早く治せる部分だけを治しただけで、折れ曲がった足はそのままだし垂れ下がっていた腕は動かしてはいるものの力が入っていないのが分かる。

精細さは欠いているのだろう、速度や手数も劣るはずなのだろう。

 だが、当たらない。

 居る場所を狙ったものも、進行方向を塞ぐようなものも、先を読んだような動きさえも見せる槍の数々を、リカは掠りもしない。



「必死になった―――貴方のあれはアイツにとって致命打になるね、それを恐れてる」

「じゃ、じゃあもう一回その剣を僕が使えば良いんですね!?」

「…そういうことなんだけど、それは迷わないんだね」



 自分がどうなっていたのか、まったく分かっていない訳ではないみたいだけど、と呟いて自身の手に持った古刀に視線を向ける。

 酷い力だ。

 恐ろしい程、強大な力を保有したものだ。

 使い手を暴走させるほどの力の逆流は、彼を一時的に人外へと変質させていた。

 あのままであれば、彼は人でないナニカに至って、空白の自意識を怪物に転成したのは想像に難しくない。

 だが、彼の言っていた通り、姿の無い声の主はこちらに害意がある訳ではないのだと確信した。

 あの状態に至ったのは、ある意味正常なのだ。

 まともなやり方で手にしていない強大な力の代償など、おぞましいものに決まっているのだから。

 


「…勘違いをしているなら訂正しておきたいんだけど、貴方の言うあの人は悪意があった訳じゃないと思うよ」

「え?」

「普通は手にしたての祭器なんて出力が出るものじゃないの、貴方のあれは異常なまでの相性の良さであって、それを―――」

「いや、あの人が悪いなんて思ってないけど…」

「…えぇ、そうなんだ…」


 

 ともかく、と強めに仕切り直しながら、猛攻を続ける化け物を踏み台にして大きく距離を取る。



「これから逆流してくるものをしっかりと留めるように意識して使うこと。じゃないと、また呑まれちゃうからね。…任せちゃう形になっちゃうけど、ごめんね、お願い」

「ええと、さっきはまた助けてもらっちゃったから、威勢良く言うのは恥ずかしいんだけど…、うん、任せて」



 青年を抱えたまま、ふわりと着地したリカが化け物と逆方向に青年を押し出し手に持っていた古刀を差し出す。

 青年が慌ててそれを受け取ると、困ったように微笑んだ。

 なんだか申し訳ないとでも言うような、懐かしむかのようなそんな顔。

 


「うん、やっぱり」

「ま、まだ何かあるの?」

「―――似合ってるよ、それ」



 場違いな言葉を口にして、リカは化け物の方へ向き直り臨戦態勢に入った。

 

 青年はしばらく、状況にそぐわない言葉の意味を理解するのに数秒時間を要した。

 そして、ようやく何を言われたのか理解して、口元を緩めてしまう。

 こんな時に何を言っているのだろうと、零れる笑いを抑えようともせずに臨戦態勢に入った小さな彼女の隣に立つ。

 

 化け物が、触手を全身にまとわりつかせ、振り回しながら向かってくるのを視界に捉えながら、リカと同様に古刀を構えて化け物を待ち受ける。

 気が付けば―――体はもう、震えていなかった。



 化け物がこちらに辿り着くよりも早く飛び出したリカの意図を酌んで、化け物を中心とした円を描くように大きく横に走り出す。

 リカと化け物がぶつかり合い、嵐のような攻防が繰り広げられている横で、化け物の視界から外れたのを確認すると、青年は古刀に力を込めた。


 青年の意志に応じた古刀が、その力を開放する。

 先ほどとは異なる赤く黄金に近い焔が、古刀を包み握っている手を伝って青年の全身へ伝導していく。

 熱さはない。

 痛みもなければ、異常な気分の高揚もない。

 使い手である青年の意志の通りに、従順に従うその様は、先ほど青年を暴走させたものと同一とは思えないくらいだ。

 使い手が未熟なのだと、再認識させられる。

 気持ち次第、心の持ち様でここまで変わるのなら、きっとこの古刀は酷く扱いやすいものの一つなのだろう。

 ごめん、と心の中で呟く。

 これから、頑張っていくから、立派な使い手となれるよう努力していくから。

 だから、今だけは、この未熟な使い手に力を貸してほしいと、祈りを捧げた。


 中央での攻防は、再三に渡ってリカが勝利し続けている。

 振り下ろされた腕を裂き、蹴り出された足を縫い付け、不規則に襲い来る触手の槍を切り落とす。

 苛立ちを高ぶらせる化け物を嘲笑い、距離を取らせず取ることもせず、肌が触れ合うような超接近戦闘でひたすら圧倒する。

 だが、余裕なんてない。

 リカは今持てる全力を振り絞っていた。

 後先を考えない全力の動き。

 化け物の再生力を考えれば、無謀としか言えない程のそれは、しかし彼女の目的を果たすためには最善の手だ。



「リカァァァ!!!」



 咆哮のような青年の声に、リカは視線すら向けずに状況を把握して地面すれすれまで身を屈めた。


 直後、薙ぎ払うような真紅の巨大な斬撃が頭上を通り過ぎる。

 完全に躱したにも関わらず、高温が自身の身を焼くのに驚きながらも、青年が暴走しなかったことに安心する。

 次いで発生する高温の爆発を潜るように躱して、真っ二つになった化け物の下半身を掴み、青年の方へ放り投げた。

 

 青年は分かっていた様に、放り投げられた化け物の下半身を待ち構えていた業火で焼き尽くすと、爆発で上空に打ち上げられた最後の化け物の半身に向けて、発生させた火玉を絶え間なく打ち付ける。



「ここでっ、終わらせるっ!!!」



 焼かれ、黒い煙幕を上げ続ける化け物の最後の一部に向けて、数えきれない程打ち込んだ。

 幾つも幾つも、消し尽くすという決意を体現するかのようなその火球の連打は止まることは無い。

 しかし、発生し続ける爆音と火炎に、それでも油断なく様子を見ていたリカが叫んだ。



「来るよ!!!」

「っ!?」



 どろどろに全身が溶けた状態で、最後の力を振り絞ったのだろう化け物が青年目掛けて、煙の中から飛び出した。

 火球に当たるのも厭わずに、一直線に青年目掛けて突き進んでくる様は、妄執に取りつかれたようで。

 もはや化け物の目にリカは写っていない。

 ただ、その眼は青年だけを見詰める。



「火元に飛び込んでくるなら、好都合なんだよっ!!」



 青年は怯まない。

 もはや、いたぶられるだけの弱者ではない。

 立ち向かう意思を手に入れた。

 立ち上がる勇気を手に入れた。

 だから、蹲って震えていただけの彼はもう居ない。

 

 青年の意志に呼応するように、古刀はさらに熱量を引き上げる。

 唸り声のような音とともに焔をまとった古刀を上空に振り上げて、巨大な火炎の塔を作り上げる。

 渦を巻き、風を取り込み、肥大化していくその塔は空を覆いつくし、雲を焼き、天を焦がす。

 膨大な熱量は木々を焼き払い、距離がある筈のリカでさえそれ以上の接近を許されない。

 しかし、



「■■■■■■!!!!!!」



 己の危機を悟ったのか、全てを振り絞る叫びを上げて、自身の身が焼けるの厭わず体に巻きつく触手を地面に叩き付け、さらに加速した。

 あれを振り下ろされたらダメだと、本能が激しく警鐘を鳴らす。

 逃げることも無意味だと、直感が働く。

 だが、化け物の知性は、自身の死はありえないと断定した。

 

 あれ事態は脅威だ。

 自分自身ではどうすることもできないだろう。

 だが―――あの使い手は脆弱だ。

 あれにさえ手が届けば容易く引き裂くこともできるだろう、何より、あれが振り下ろすよりも先に自身がひねり潰すほうが早いと理解していた。

 だから、青年が振り下ろすよりも早く、あの火炎の使い手である青年を葬るために全力で、全てを投げ打って、速さに賭ける。

 そして、それは化け物の思惑通り、急な加速に着いていけなかった青年が、火炎の塔を振り下す前に目前まで辿り着く。


 化け物は嗤う。

 目の前の矮小な生物の弱さを嗤う。

 刃向った罰を与えてやろうと嗤う。

 以前見た、コイツの絶望した顔を最後に見て嗤おうとして。


眉一つ動かさずこちらを睨み続ける青年に恐怖した。



「足りない部分は私が補う、そう言ったのは私。そうでしょう?」



―――飛来した歪んだ槍にその身を貫かれる。

 

 振り上げた拳も、巻き付けた触手も、全てを“冥狗”は抉り貫く。


 何よりも早く、何よりも正確に、その場を整えられてしまう。

 化け物を打ち倒す場面が、しっかりと。


 化け物は理解できない。

 この状況も、目の前の弱者でしか無かった筈の青年も。



「怖かったよ、お前」



 青年は目の前の惨状を、それでも逸らすことなく、見開くこともなく、ただ事実として受け止める。


 思い出せる限りの記憶で、自分はこの化け物に嬲られ続けた。

 だから、何もない自分の原点は、痛みで。

 痛みを極度に恐れた自分は、何も為そうともしてこなかった。

 きっと、今でも自分は怖いのだろうと思う。

 この目の前の化け物も、この世界の全ても、自分自身の真実も、何もかもが怖いのだろうと思う。

 でも、それで足を止め続けることは絶対に出来ない。



 自分一人で止まるのはとても気が楽だ。

 怖くて、何もかもを見えないようにして、それでどこかに閉じ籠っていたら、それは己が朽ち果てるまで自分の責任で在れる。

 けれど、誰かが隣で一緒になって座り込んでしまうと、それはとても心苦しいのだ。

 きっと貴方ならもっと先に進める筈だ。

 足を止めてしまうような自分と違って、貴方ならもっと高い所に行ける筈だ。

 そう言っても、隣に座り込んだ誰かは、一緒に行こうと笑うのだ。

 どうして、なんて思わない。

 だって、ずっと最初からそうだったではないか。

 知っていた、信頼されているのを知っていた、だから、信頼に応えたいと思ってしまったのだ。

 弱い自分を守り続けたあの子の、優しいあの子の信頼に。



「僕は、先に進むよ。―――さよならだ、化け物」



 火炎の塔が、その身を倒した。


 業火の嵐が巻き起こる。

 その身に蓄えた強大な暴力を撒き散らして、あらゆる物体の存在を許さない。

 その暴力に曝された化け物は当然の様に。

 瞬く間にその身を溶かし、悲鳴を上げる暇もなく灰塵すら残さずにこの世から消え去った。

 残るのは、焼け果てた森と砕け散った大地、それと久方ぶりの静寂だった。








「―――ねえ、リカ。怪我は大丈夫なの?」

「ん~?全然大丈夫じゃないよー」

「そうなんだ、それは大変だね」

「そうなの。もう一歩も動けないから、これ以上は期待も何もしないでね」

「そうだね。僕もなんだか凄く眠くて…」

「あはは、その剣。早めに手放したほうが良いよ、きっとね」

「そっか。でも、それはきっとしないんだろうなぁ」

「えー、なんでよ?」

「ほら、一応、貰いものだし。それにまやかしだとしても一時的に戦えるくらいにはなるからね」

「ああ…、まあ、そうだよね。ままならないね、色んなことが」

「…ああ、あとはやっぱり、リカが似合ってるって言ってくれたから、もう少し似合うようになりたいなって思うからね」

「…変な理由。笑えるね」


 

 くすくすと笑うリカの隣で、大の字になって空を見上げる。

 精根使い果たしてしまったように、重く圧し掛かる疲労感はありとあらゆる気力を奪い、初めての命のやり取りは、どうも精神的にかなり堪えた様であった。

 隣で同じように寝そべるリカが何かの魔法を使っているのだろうか、少しずつではあるものの痛みが引いていく。

 


「ううん、帰るまでの気力が無い…、体力も無ければ元気もない…」

「はは、凄い無気力状態だね」

「なにおー、貴方だって人の事言えたもんじゃない癖にー」

「…そういえばさ、言葉遣いが丁寧じゃなくなっちゃってるんだけど、…このままでもいい?」

「ん、全然いいよ?むしろそうしてって言ってたじゃん」

「そっか…、ごめんね。待たせちゃって」

「…まあ、いいよ。最初なんてそんなものだよ。頑張ったって、えらいえらい」

「…っぷ、なにそれ、子供扱い?」

「子供子供。もっと甘えていいのよー」

「いやあ、ちっこいのに甘える気にはならないかな?」

「なにおー」

 



 けらけらと二人で一頻り笑い合って、さてとと、横にしていた体を起こす。

 もう完全に光星が輝きを止め、休止状態に入ってしまっており森の中は光一つない闇になってしまっている。

 あらかじめ話していたのは、この状態は休むも進むも危険だから、光がなくなる前に帰ろうという話だったが、どうやらそれは叶わなかったらしい。



「―――佐々木出雲。…ああ、そっか…それが僕の名前だった」

「へえ、なんだ、良い名前じゃん」

「そうなのかな? それなら、…嬉しいな」

「ちなみにそれ以外の事は?」

「…分からない。名前だけふと過って、…いや…僕が佐々木出雲ってことだけ、はっきりと理解してる」

「…なるほど。体も動くね…、怠いけど、そろそろ帰らないとね」

「エリィさんが心配しちゃうかな?」

「あー、してそう…。というか涙目になって森の中を徘徊してそう…」

「…え、そういう人だっけ?」

「…そういう子だよ。人見知りで寂しがり屋で泣き虫」

「そ、想像がつかないなぁ…」

「ああ、そういうのはこれからじっくり見て行けばいいよ。貴方が思ってるより、きっと可愛らしい子だよ」

「あはは、そっか」




「――――ごめん、油断してた」

「えっ?」



 特に危機感なんて抱かないで、不思議な気持ちでリカが睨み付けている方向を見れば、彼女の言っている意味がすぐに分かった。


 闇の中で煌々と輝く光が、数えるのが億劫になるくらいの量でこちらを覗き込んでいる。

 そういえば、パズズに結界が壊されちゃったんだっけ、と思いながらふらりと立ち上がる。

 古刀を手に、リカの隣に立って、軽く体を動かす。

 まだ、本調子とは言えないけれど、あれらの生き物がどれくらいの強さを誇るのか全く分からないけれど。

 全く根拠はない癖に、彼女が隣に居ると何とでもなるような気がしてしまう。



「全く気が付かなかったな。じゃあ、もうひと頑張りしようか」

「…ごめんね?」

「気にすることないよ。あれくらいなら、どうにでもなるでしょ。それとも僕一人でやっとこうか?」

「…ふふ、冗談。十年は早いよ」

「じゃあ、一緒に行こっか、リカ」

「そうだね。不甲斐ない姿は見せないでよね」



 ボロボロの姿で、二人は各々に武器を構える。

 状況は最悪の筈なのだが、青年の胸には諦観など微塵もない。

 どうにでもなる。

 どうとでもしよう。

 そんな事ばかりを考えていたから、青年は自然と口角が持ち上がる。


 続々と増えてくる不気味な光の数々に、張り付いたような緊張が場を支配する。

 きっかけがあれば、どちらからともなく動き出しそうな気配の中で、ふとリカがほっと息を吐いた。



「―――見つけた」



 背後から響いたやけに重く沈んだ声に、出雲は慌てて振り返る。

 そこには、暗闇の中に居る筈なのに、何故だかその姿がはっきりと映り込むエリィの姿があった。


 俯き気味の彼女は、両手で大きな本を抱え込み、プルプルと体を震わせている。

 彼女が抱いているのが、怒りなのか、悲しみなのか、安心なのか、その挙動だけでは分からなかったが、少なくとも理解できることがあった。

 それは―――隣で顔を真っ青にして冷や汗を掻いているリカが、全く頼りにならないことだった。



「リカ、お話しましょう?」

「あわ、あわわわわわわわわわわ」

「…えっと、ごめんなさい?」

「…貴方は少し黙ってて」

「あ、はい」



 微妙にリカを守ろうとしたものの、顔を覆い隠す髪の間から向けられた翡翠の目に、すごすごと引き下がる。

 涙目で、裏切者っ、と伝えてくるリカから目を逸らして、リカの背後に着いたエリィが手を伸ばしてしようとしていることを見ないようにした。


 リカの悲鳴が木霊するなかで、先ほどまでは微塵も震えていなかった体がガチガチを音を鳴らすのを気付かない振りをする。

 ドサリッ、という音とともにリカの悲鳴が途絶え、視線をやると白目を剝いて気を失ったリカの姿が目に入る。



「ヒッ…」

「さて、次は貴方かしらね」

「いやいやいや!?前見て前!!よく分かんない獣が一杯だよ!?ほら、もう直ぐにでも襲ってくるって!?」

「ええ、そうね。探索中に感じた違和感は結界の一部破損だったのね。でも、それが?」

「…え?」



 両手で抱えていた大きな本を小脇に抱え直すと、それを開く事すらせずに片手を出雲の背後に向けると、言の葉を紡ぐ。



「-aqua daidals-」



 紡がれた音が、力を持つ。

 ともに放出された魔力が彼女の思うままに、変化していく。

 魔力が変質し、自然に異常なサイクルを働きかけ、現れたのは透明な水の洪水だ。

 エリィの頭上に現れたその大量の水は、指向性を持つように球状を形作り、彼女の指示をただ従順に待つ。



「-compression-」



 視界に収まりきらない程の球体になった水の塊は、エリィのその一言で手の平で包めるほどの大きさに圧縮される。

 だが、水の発生は未だに続いているのか、圧縮されている水が耐えるように振動する。

 徐々に激しさを増していくその振動に、恐ろしさすら感じた出雲とは異なり、何も理解していないのか、闇の中からこちらを窺っていた魔物達が、その身を露わにして出雲達目掛けて接近してくる。



「-destroy-」



 限界まで振動が大きくなった水の塊は、エリィのその一言で破裂した。

 少なくとも、今の出雲にはそうとしか捉えることは出来なかった。

 次の瞬間、駆け出していた大量の魔物が消えた。

 いいや、正確には言葉通り、微塵切りになった。

 血潮のみを残して、固いものも、大きいものも、小さいものも、不定型なものも、何の分け隔てなく、魔物達は掻き消える。



「――――ぁ」



 絶句。

 それが、それしか、出雲はすることが出来なかった。


 確かに、弱いものもいただろう。

 魔法に対して弱いものも、攻撃耐性の無いものも、すでに弱って居たものも居たかもしれない。

 だが、視界に写った大量の魔物が、あれだけ居た筈の魔物が、何一つ残さず惨殺されたのは、変わらない事実だ。


 リカが、あの化け物に追われているときにエリィさえいれば何とでもなると言っていたのは、間違いなくその通りだったのだ。



「…ふん、一発で終わりね。用意した私が馬鹿みたいじゃない」



 エリィのその言葉に、掻き消えた魔物の方を見ていた固まっていた顔を動かしてエリィの方を向くと、その周りにはいつの間にか同じように振動する水球が幾つか闇夜に浮いている。

 一つの球体でこの有様、にも関わらずそれを複数同時に扱うことが出来る。

 それは、異常ではないのか?

 

 常識を知らない出雲にとって、それがどれだけの事なのかは分からない。

だが、少なくとも、自分では太刀打ちすることが出来ない位置にエリィが立っていることだけは理解出来た。


 軽く辺りを見渡して、魔物全てを処理したことを確認すると、エリィは片手を振る所作だけで周りに漂う水球を霧散させる。

 つい先ほどまで僅かも怯むことなく化け物と相対していた筈のリカが、情けない顔のままエリィに担がれた。


 

「じゃあ、とりあえず帰るわよ」

「はい!」



 異議を唱える事なんて、もちろん出来なかった。





焔の古刀

ぼろぼろで見るからに年代物の刀。

黄金に近い火炎を生み出し、人知を超えた力を振るう。

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