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2-8話 逃げ出す様に走り出して


 目が覚めた時、出雲はここが死後の世界だと思っていた。

 だってそうだろう。

 あんな状態で、あんな会話が目の前であって、生き残れるなど微塵も思う訳がないだろう。

 だから、多少体は痛むものの、何の不備なく手足を動かすことが出来た自身の体に、疑問はあれど、生きた体だとは思いもしなかった。

 だが、身を起こした時に右手に感じた重さに視線をやって、涙の跡の残る鳥居様が隣で眠っているのを見て、その暖かさを肌で感じて、その認識もようやく覆された。

 


「生きて…る?」



 ぺたぺたと体中を触ってみると、感触も痛みも以前と何一つ変わりなく知覚できて。

思わず声に出たそんな疑問に、答えるものはすぐ傍に居た。



「そりゃあね? 酷い怪我だったけど、まあ、どうしようも無いって程じゃなかったから」

「うわぁっ!?」



 まさか、自分と鳥居様意外に人がいるとは思わなかったからそんな声を上げてしまうが、その声は普段から聴き覚えのある声だと直ぐに気が付いた。

 慌ててそちらに目をやれば布団の脇に置いてある椅子に腰を掛けた、何事も無かったかのようにこちらを見詰める包帯娘、リカの姿がある。

 音も立てずに、まじまじと身を乗り出してこちらを窺う様はその風貌と相まって、もはやホラーだ。

 心臓に悪いと思いながらも責めるように半目で見詰めれば、彼女も自覚が無いわけではなかったのだろう、直ぐに肩を竦めながら笑い、体重を預けるように深く椅子に腰かけた。



「うん、大分無茶したね出雲」

「無茶…?」

「そりゃあ、無茶でしょ。全身の骨折と臓器破裂だけならまだしも、幾つかの中身は完全に喪失していたし、出血が酷すぎて体の至る所が壊死を始めていたし…。これを無茶と言わずに何と言うのか、私が聞きたいくらいなんだけれどね?」

「…そんなに、酷かったんだね」

「…まさか、その自覚も無かったの? それはそれで驚きだけど…いや、うん、そうだね。この話は後でにしようか」



 リカはそんな呆れた物言いこそしたものの、特に不満げな様子も無くリカはその話を後回しにする。

 何か大切な話でもあるのだろうかと不思議そうに彼女を見遣ると、リカはコホンと喉を整えてから、事務的な口調で質問を投げ掛けてきた。



「はい、確認しますー。どこか痛いところはありますか?」

「え…と? 体の節々が痛いのと、少しだけ全体的に痛いです…?」

「ふんふん、酷使した疲労は取ってないからね、その二つは異常なし。動かない個所と不具合がある個所はありますか?」

「んん、ないです」

「はい、深呼吸してみて?」

「…んんん?」



 言われたとおりに呼吸して、改めて自分の体に、全く異常が残っていない事を確認した。

 驚愕の表情を浮かべてリカを見遣るが、彼女は褒めろと言わんばかりのドヤ顔を披露するのに忙しいようで、出雲のそんな反応に何も言ってくれない。

 ほっとするとともに、どうやって、何ていう疑問が湧き出ていたが、それを解決するよりも目の前で満足そうにドヤ顔を浮かべているリカに聞きたいことがあった。



「ねえ…リカ」

「ん? 褒めるの? 良いよ一杯褒めて!」

「目覚めたばかりで、まだ状況も良く把握できてないんだけれど…」

「え…、あ、あー…、ごめん急ぎ過ぎてたかも」

「うん、それは良いんだけどさ…そっちは、大丈夫だったの…?」

「……あー、それね、うん。そりゃそうだよね…」



 リカは褒めて貰えなかったことに肩を落しながら、そういって、その先の回答を言い辛そうに視線を逸らした。

 自身の隣で眠る鳥居様を一瞥したリカの様子に嫌な予感を感じて、身構えそうになったが、過去にもこんな感じで言い辛そうだったことがあったのを思い出して、力を抜く。

 恐らくは、今回も。



「いやあ、よく分かんないけど、何の危害も加えられなかったし、後遺症も無いから大丈夫なんじゃないかなぁ…」

「やっぱりあやふやなんだねっ!!?」

「あ、あはは…」

「…ん、むぅ……」



 リカの何の解決にもなっていないそんな説明に、思わず吐いて出でてしまった驚きの声は全く周りを配意したものではなかった。

 しまったと思ったのも束の間、困ったように笑うリカが口元に指を添えて、静かにするように、と伝えてきたのに対して、慌てて口を抑えてから眠っている鳥居様の確認をする。

 寝苦しそうに寝返りを打ったものの、またすやすやと寝息を立て始めた鳥居様の様子に、ほっと息を吐く。

 


「その子、ずっと出雲の傍から離れなくてね…、まあ、今は出来るだけ眠らせてあげてよ」

「そう…なんですか…」



 ぎゅっと握ってくる鳥居様の小さな掌を少しだけ握り返すだけで、安心したように眉尻を下げた彼女の姿に、心配を掛けたのだと申し訳ない気持ちになる。

 そんな罪悪感に顔を俯けた出雲に、複雑そうな面持ちで彼を見詰めたリカは、重い息を吐いた。



「―――ごめんなさい」

「えっ?」



 唐突に述べられた謝罪の言葉に驚いて顔を上げれば、リカは出雲へ向けて深々と頭を下げていた。

 何の心構えも無しに言われたそんな謝罪に動揺して、出雲は何も返すことが出来ない。

 けれど、出雲の心情などお構いなしにリカは言葉を続ける。



「今回、私達に反省点があるとすれば、ソレは偏に私の認識の甘さにある」

「いやっ、そんな事は――」

「ううん、そんな事があるの」



 否定の言葉を遮られて、口を噤めば顔を上げたリカと目が合った。

 白濁した、生者とは思えないような瞳だ。

 光も無く、力も無く、あるのはただの執念か。

 空恐ろしささえ感じさせるその眼差しに、身動きを封じられた。



「私が引きずり込まれるなんて事なければ貴方に無理をさせることは無かった。私が居ればエリィは怪我をしなかった。全ての責任の原点は私にある、それは誰が何と言おうと変わらない事実、エリィにも、貴方にも、許しなんてもらうべきじゃない」

「リカ…」

「だから、言わせて。私の軽率が貴方に命の危険を与えた、次からはこんなこと無いようにする。ごめんなさい」

「…うん、わかった。その謝罪は受け取るね」



 でも、と言って空いている手でリカの手を掴んだ。


 目を見開いた彼女に、有無を言わさず顔を近づける。

 だって、このままじゃ不公平じゃないかと思うのだ。

 何でもかんでも主導権を握られて、勝手に責任を持たれて、勝手に苦労して。

 そんなことをさせたくて、一緒に居る訳じゃないんだから。

 だったら自分だって言うべき言葉がある筈だろう。

 


「僕からも謝らせて、リカが居なくなって、どれだけ頼り切りだったか分かったから。ずっと頼り切ってて、自分達だけでやってみたけどやっぱりうまくいかなくて、リカの凄さが、身に沁みた…」

「……」

「頼りなくてごめん。何も出来なくてごめん。上手くなんてやれなくて、ごめんなさい」

「……変なの」

「…変かな?」

「とっても変。人が謝ってるのにその上からかぶせてくるなんて、最低」

「ええ…、そうなのかな…?」

「ふふ、うん、最低だと思うけど、私は嫌いじゃないから良いや」



 そう言ってからリカは立ち上がり、エリィを呼んでこないとなんて呟いた。


 そうなのか…と軽くショックを受けている出雲に近付くとそのまま少しだけ立ち止まって、上半身しか起こしていない出雲の顔を見上げた。

 じっと見つめるリカの目は読み切れない感情があり、何か言いたげに口元を動かしていたが、直ぐにいたずらを思いついたかのように口角を上げた。


 そして、不思議そうに見つめ返してきた出雲の顔ごと、優しく抱きしめる。

 それは母親が子供を抱擁するように、恋人を優しく慰める様に、夫婦が合い愛を確かめる様な、そんな静かなものだった。



「―――無事でよかった」



 それだけを耳元で囁くと、すぐに顔を離してにっこりと微笑み振り返らずに部屋から出て行く。

 

 しばらく何をされたのか飲み込めず、リカが出ていた扉を眺めていた出雲はぼうっと夢心地のまま、吐息が触れるほどの距離にあった自分の耳を触る。

 仄かに暖かい。

 顔が近付いた時の脳が痺れるような心地良い香りと、微かに触れた髪の先の感触を思い出して、鳥居様の身動ぎした音を聞いてから、急激に顔が紅潮していくのが分かった。


 

(い、今っ、なにされたっ!!?? 抱きっ!!??)



 包帯だらけの彼女の体は、見た目に反して酷く柔らかかった。

 頭に添えられた手も、包み込んだ腕も、密着した胴体も、囁かれた声すら柔らかく、どこか人を惑わせるような色香があったのを思い出して、頭が沸騰するような感覚に襲われる。

 激しく鼓動する胸を抑えて、冷静になろうと努めるがその度に頭を過るのは、柔らかく微笑んだリカの顔と五感で感じた彼女の女性の部分。

 悪循環に陥った出雲の頭から、リカが離れようとしない。



(あああ!!! リカだぞ!? あの包帯だらけで、髪は老人みたいに枯れた白髪で、いたずらっぽく笑って、世話焼きで、鳥居様とそう変わりない体躯、そのリカだぞ!? 美人のエリィならまだ分かるっ!! よりにもよってリカにっ―――)




―――異性を感じた。


 理解してしまったそんな事実に、出雲は脱力して起こしていた上半身を布団に投げ出した。


 出雲の頭の中を巡り始めたぐちゃぐちゃした感情の処理は、なかなかに難しい。

 重症だななんて自覚しつつも、ふわふわと色んな妄想が始まっていくのをぼうっと感じて完全に気を抜いていた出雲の耳に、誰かが走ってくる音が聞こえてきた。

 普段なら誰が来ているかなんて、状況からして分かる筈だが、今の腑抜けた状態の出雲には誰だろうと言う、他人事のような思考しか湧いてこない。

 強烈な音を立てて扉が開かれれば、そこに居たのは治療を受けたのだろう、傷一つないエリィの姿がある。



「出雲っ!!!!」

「――のじゃあっ!?」

「――…え、…あれ、エリィ?」

「起きたのねっ!!?? 痛いところは無いっ!!??」

「にゃ、にゃにごとっ…!? い、ずも? …っ―――――!!」

「え、ちょっと待って、飛び込ま―――」



 ―――ないで、なんて続けようとした出雲に二つの弾丸が突き刺さった。

 

 かはっ、と肺から空気を吐き出してしまう。

 横と正面から突き刺さった重さに、もう一度昏倒しかけた意識を無理やり立て直す。

 夢心地でさえあった気分が、一気に現実という重みに引き戻された。

 痛みに呻きつつも、肌に感じる暖かさに手を掛けて、引きはがすよう力を込めるが、少しもビクともしない。

 


「はっ、なっ、れてってばっ…!!」



 絶え絶えとした出雲の言葉に反応したのは続いて入ってきたリカだけで、掴みかかっている手元の二人の耳にはまるで届いていないかのようである。

 引き攣った笑いを浮かべているリカに、助けてくれと視線で訴えれば、どうすれば良いかと視線を彷徨わせた後に二人を諌めようと努力を始めた。

 


「あのね二人とも、出雲は病み上がりで怪我の完治だってしたとは言えないのに、そんな乱暴に掴み掛ったら傷が開いちゃうでしょう?」

「…リカ、でも私は…」

「でもじゃない。申し訳ないと思っているなら相手の事を考えなさい。エリィは子供じゃないでしょう」

「…はい…」



 まずは反応を返したエリィの説得を成功させ、正面からの圧力を引き剥がした。

 しょぼくれたエリィの肩を叩いてから、自分の説得にも反応せず思いっきり抱き着いている鳥居様を、困ったように見つめる。

 それから、絶対に顔を上げようとしない鳥居様の様子を確認すると、お手上げというように出雲に向かって顔を横にぶんぶんと振るう。

 どうやらここからは、自分で何とかしろと言うらしい。



「あー…、鳥居様?」

「………なんじゃ」

「ちょっとだけ離れて貰えませんか?」

「嫌じゃ」

「…と、鳥居様?」

「絶対に嫌じゃ」



 服を握る力が強まり、押し付けられている顔から鼻を啜るような音が聞こえてきた。

 痛々しげに表情を歪ませているエリィと、もはや好きにしてくれとばかりに視線を外に向けているリカの二人は、ある程度この状況を予期していたのだろう。

 鳥居様の行動に、驚いている様子は少しもなかった。


 込めていた手の力が抜ける。

 どんな言葉を掛けるべきか、最善のものなんて浮かんでこないけれど、少なくとも何かしらの誠意を伝えなければならないと、何となく思った。

 


「…ここにいるよ、居なくなったりしない」

「嘘じゃよ、知っておる」



 自虐を含んだように笑う彼女は顔を上げない。



「…ごめんさない心配掛けて」

「違うのじゃ…すべて儂の責任、儂の無力さが招いた…」



 それは全てを諦めてしまったかの様で。

 希望など無いのだと知っているかのように涙を溢す。

 記憶の無い出雲にその理由は見当もつかない。



「それは違います。何に思い悩んでいるのか僕には分からないけれど。これは僕が選んだツケで、誰かのせいにするようなものではありません」

「…違う…違うのじゃ…、すまぬ…もう少し、このままで…」



 聞く耳を持たない、いいや、何か決定的なすれ違いがあるかのように、出雲と鳥居様の会話は成り立たない。

 そのそれ違いが何かわからずに黙り込めば、鳥居様の啜り泣く音だけが響いてしまう。


 何も言えなくなってしまった出雲と何も言おうとしない鳥居様の様子を見て、何の進展もしないと感じた残りの二人が顔を見合わせた。



「あー…、とりあえず、心配していたキーファさんには目を覚ましたっていう報告をした方が良いよね」

「…そうね。今も復興に忙しいのでしょうけど伝えるだけ伝えましょうか…、とりあえず私が――」

「いいよ、私が行ってくる。出雲と話したいことはエリィもあるでしょう? 十分くらいで戻るから、それくらいで済む程度の話をしておいてね。…それと、無いとは思うけど周囲の警戒は怠らないで」

「……ええ、分かってる」



 それじゃあ行ってくるねと言って、背を向けて出て行ったリカの後姿をぼんやりと見ていた出雲はずっと考えていた。

 鳥居様と自分の間で起こっているすれ違いについてだ。


 何がすれ違っているのだろう。

 何が原因ですれ違っているのだろう。

 彼女の悲しみは、自分の怪我を発端にしたものだとしても、それだけでないのは確実だった。

 ならばきっと、その根本にあるのは、自分が覚えていないことしかないのだろう。

 そう思って、必死にゴブリンキングを倒したことで取り戻した記憶の中に、何か手がかりが無いかと探っていると、ふとエリィから声を掛けられた。



「あの戦いから、どれだけの日数が経ったか気が付いてる?」

「――え? …分からないです」

「5日よ。5日貴方はここで眠り続けていたわ」



 先ほどとは異なり、落ち着いた様子のエリィにより告げられたのは、重く長い空白の時間だった。

 服を掴んだままの手に力が籠るのが分かる。

 予想できたことの筈なのに、やけに衝撃を受けてしまい思わず迷惑を掛けた事について謝ろうとするがそれを察していたかのように、手で制され止められる。



「先に言っておく、謝らないで。落ちがあったのはこちらで、貴方に責任があった訳ではない」

「…僕が眠っている時に、リカとそういう話もしたんだね」

「…そうよ、今回の後処理を二人の間で話して決めた結果、貴方には責任がないという事で落ち着いたの」



 除け者にしたわけじゃないのよなんて慌てたように付け加えて、エリィはパタパタと手を振る。



「―――旅を計画する上で、厄介ごとに巻き込まれることをあらかじめ予想はしてたの。ただでさえ危険の伴う旅なんてものに、不確定要素が多分に含まれているんだもの、考えない方がおかしいでしょう?」

「そりゃあ…そうですよね…」

「…まあ…、最初から対策不足だと実感させられて焦っていたというのはあるのだけど…。魔物の凶暴化でここまで被害が出ていることを考えていなかった。数か月前の情報を過信していた。足りない部分が多すぎた。だからこその、この被害…。準備が出来ていないのなら、見捨てることだって必要だった。にべも無く却下したリカの案が結局正解だったなんて、ね」



 自嘲するかのように吐き捨てたエリィの言葉に反応する者がいた。



「正解などではない…、あんなものは、正解などではないのじゃ…」



 動く事の無かった鳥居様がそんな言葉と共に顔を上げる。

 真っ赤な目元をしているが、いまは涙が収まっているようで頬が濡れていることは無い。

 口を挟んだ鳥居様の、明らかにリカの案を貶すかのような物言いに怒りを感じたのか、エリィは眉を歪めた。



「あれを受け入れたら、確かに一時は儂らに被害など出なかったかもしれん…。じゃが、それは大きなしこりとなって儂らに残っとったはずじゃ。そしてそれは火種となる可能性もあった」

「なんでそんな事を言えるのかしら? 適当なことを言っているのであれば、止めてほしいのだけど」

「いいや、適当なことではない。なぜなら、他ならぬお主らにとってあのような案は到底受け入れる事は出来るものではないからじゃ」

「…それはどういう?」

「――お主らの本質が善良であるから、誰かを見捨ててまで利を取ることに大きな抵抗があるから、その選択は絶対にしてはいけないんじゃよ、少なくとも、非道に慣れていない段階では」

「……」

「あやつがそれを理解した上で提案をしたのかは分からん。じゃが、案を却下されてもなんら動揺をしていなかったあやつも、この選択肢が最善だと思ったからこそ何も言わんかったのじゃ。そして、間違いなど無かった。全部儂らの力不足だった。それで良いじゃろう?」


「今回の件はそれで終わりじゃ。ずるずると長引かせるものではない」



 それだけ言うと、もう何も言うことは無いと思ったのだろう、鳥居様はようやく出雲から離れて眉尻を上げた。

 そして、一息入れ、怒りの表情を浮かべた鳥居様の標的なった出雲は危険を感じて腰を引かせたが、その分だけ身を乗り出した彼女に詰め寄られる。



「―――じゃが、それとこれは話が別じゃ。出雲ぉぉ!!! 儂は怒っておるぞ!!!」

「うえええ!!? さっきまで纏めようとしてたのにっ、いきなりなんでっ!?」

「当然じゃろう!! 力不足は多々あったかもしれんが、お主っ、もっとうまい立ち回りをしていればこんな怪我など負うことは無かった筈じゃろうがっ!!!」

「う、うまい立ち回りって…」

「良いかっ!? お主は自分の身をもっと大切にしなくてはならんのじゃ! 儂は涙もろいのじゃ!! 怪我なんてしてみようものなら泣くぞっ! すぐ泣くぞっ!!」

「――なんて潔い泣き虫宣言…」

「ちょっ、エリィっ!? 感心してないで助けて!!?」

「どこを見ておるのじゃ!! 儂は怒っておるのじゃぞっ!!?」



 儂を見よと顔を真っ赤にして、両腕を振り回す鳥居様の姿に押され布団の上に倒される。

 碌な抵抗も出来ないで、されるがままに仰向けになれば、さらに覆いかぶさってきた鳥居様の顔が目と鼻の先にまで詰められる。


 犬歯を剝き出しにして、不機嫌そうに威嚇する犬の様に吠えたてる鳥居様に、先ほどまでの弱弱しい感じは無い。

 圧倒されるほどのぐいぐいと押してくる鳥居様は、返事を返さず動揺している出雲の姿に目を三角にして気炎を上げる。

 

 馬乗りになって覆いかぶさった鳥居様に、これはどうしようもないとされるがままの覚悟を決めた時に、今度はエリィが鳥居様を止めた。



「怒るのは良いけど、そろそろリカが伝えに行って戻ってくる頃合いよ。よほど手が空いてない状況でもなければ、こちらに来るころだから今は落ち着きなさい」



 鳥居様のうなじをつまみ上げ、超軽量級の彼女を片手で楽々と持ち上げて出雲から距離を取らせると、離れた所にある椅子に座らせる。

 うなじを持ち上げられるという小動物のような扱いをされて、目を丸くしたまま硬直していた鳥居様は、状況を理解して不貞腐れた様に頬を膨らました。



「あ、ありがとう…」

「いえ、別に助けたわけじゃなくて、本当にそろそろ来る頃だと思ったから声を掛けただけよ」

「う、うん。そうだよね」

「…ふんっ」



 微妙な沈黙が部屋を包む、この空気に居心地が悪そうにするものの、誰も打破するために動こうとはせず、しばらくそのままお互いを牽制するかのように様子を窺う。

 そんな中、空気を読まない事に定評があるリカが戻ってきた。



「じゃじゃーん! 思ったよりも早めに戻れたよー! 近くに居て良かった良かった!! さあさ、入ってくださいね、特におもてなしはする気は無いのでそのつもりで!!」

「う、うむ、失礼するが…なんだか空気が悪くないか? いや、こう、気持ち的な意味でな?」

「気のせいです!」

「そうか、気のせいか…」



 やけに元気に話しているような気もするが、相変わらず気が付いていながら空気を読まないリカはいつも通りの様だ。

 一緒に入ってきたキーファの姿は依然とは異なるものの、仕事中だと一目でわかるようなしっかりとした服を着ている。

戦場では毅然としていた姿も形無しで、今は戦場から離れて娘に振り回される父親の様に弱腰であった。

 不穏な空気を察知したものの、リカに手を引っ張られて有無を言わさず部屋に入れられれば、布団の上で目を覚ましているのを確認して傷だらけの顔で笑みを作る。



「おお、無事に目を覚ましたか。安心したぞ、一時はどうなることかと思ったが」

「すいません、御心配をお掛けしました…」

「いやなに、こちらは助けて貰った側だ。感謝こそすれ、逆に謝罪される立場ではない」

「くふふ、随分心配してくれましたもんね! 守りきれなかった自責はあるでしょうが、この通りこちらの被害は軽微ですので御安心を」

「うむ、君らの事情は彼女達から聞かされているから君に問うことは無い。改めてこちらから述べたいのは感謝だ。君らのおかげでこの町は存続できる。本当に助かった、ありがとう」

「こ、こちらこそ色々と御迷惑をお掛けしまして」



深々と頭を下げるキーファの様子に釣られて頭を下げれば、キーファが顔を向けなければ見えない位置を陣取ったリカに鋭い視線を向けられる。

 なんだと思う間もなく、リカがキーファに話しかけ始めた。



「さて、出雲の意識も戻り体調もほぼ万全という事で、以前された話は断りたいと思います! 物資も資金も、未だ余裕がありこれから先、少なくとも次の補給場所まで持たせることは可能ですから! そも、旅を始めたのは目的があっての事、ここで足踏みして定住なんてことになれば本末転倒でしかないので!」

「そうか…、だが、未だ魔物の活発化は止まる様子も無い。可能であれば今しばらくこの町でともに防衛に当たって欲しいのだが…、もちろん礼はする」

「もちろんお断りさせていただきます!」

(希望すら持たせない即答っ!? というか、何だこの状況!? )



 会話から、自分が眠っている間に何か提案されたであろうことは分かるが、具体的なものが見えてこない。

 困惑して他の二人に目を向ければ、鳥居様は露骨に目線を逸らし、エリィはつまらなそうにリカとキーファの様子を窺っている。

 完全に交渉はリカに丸投げして、もはや口を挟もうと言う気概すら感じられない。

 

 話し合いを続けている二人へと視線を戻せば、話は平行線を辿っているようで進展が無いように思える。

 厳格な態度で次々に提案を出し譲歩を引き出そうとしているキーファと、子供のような無邪気さでそれを一蹴するリカの交渉は激化していた。



(これは…僕も二人の間には入らない方がいいよね?)

「出雲君、君はどう思う?」

「…えっ!?」



 突然振られた会話に二の句が継げないでいると、それを見たキーファが不思議そうにリカを見遣った。



「…彼にはまだ説明してないのか?」

「…そうですね、まだ起きたばかりですししていませんね、ですが問題ありません」

「そうか…であれば彼にも意見を聞きたいのだが」

「不要です。それはこちらで判断しますから、それとその話を続けるのであればここから出て話しましょう。病み上がりの彼を巻き込むのは私が許しません」

「…分かった。私は一度戻るとしよう、もう少し考えてもらえるとありがたい」



 そう言って、キーファはもう一度出雲達に頭を下げると、部屋から出て行く。

 それを見送りに行くのだろう、リカも部屋から出て行って、ようやく空気が弛緩した。


 見れば鳥居様は微妙に冷や汗を掻いているし、エリィは若干遠い目をしているような気もする。

 自分が寝ている間に何があったのだろうと疑問に思うが、それを口にする前に説明を始めてくれた。



「えっと…、出雲、さっきの話だけれど」

「うん」

「私達って、中々に優秀なのよ」

「うん、それは知ってる」

「魔物の凶暴化により、このケープの町は今なお絶え間ない侵攻を受けていて、変異種であるゴブリンキングを倒したと言っても、予断を許さない程度には危機的状況なの」

「…鳴る程…、つまり僕達という戦力を取り込みたいってことなんだね?」

「ええ、そういう事。おまけに、普段は危機を知らせれば駆けつけてくれる首都の騎士団も、連絡を出しても返事すらなく。援助もない孤立した状況で数か月経過しているものだから、ここで私達を逃したくないと言うのが本音らしいわ」



 おまけにこの前の襲撃で出た被害も馬鹿にならないものらしいからねと言って、宿の出入り口から忙しそうに出て行ったキーファの姿を窓から見下ろしているエリィに、何と声を掛けるべきか迷いつつ、言葉を出す。



「えっと、僕は二人が話し合って決めた事であればそれに従うけれど、さっきの二人の会話からして断るってことで良いんだよね?」

「ええ、その方向で話を進めているのだけど、諦めなくて…」

「…まあ、この前の闘いを見ればね…、手放すのが惜しいとは思うだろうけど…」

「もとより手に入れられてる訳ではないのだがのう…。ともあれ、あの様子からすれば、とっととこの町から出ていくことを考えなければならんと思うのじゃが」

「そうね…。出雲の調子次第で、次の町へと出発しましょうか。二人はやり残したこと無いわよね?」

「うん、僕は無いかな」

「儂もじゃ」



 やり残しこと等ある訳も無く。

 顔を見合わせることも無く、エリィへ返事をした二人は直ぐに自分の少ない荷物を纏めに掛かる。

 こくこく頷きを見せる二人の肯定を確認すると、エリィは溜息を吐きながら戻ってきたリカを有無を言わさず抱き上げた。

 あっという間に出立の準備を進めていく出雲達の姿に目を丸くしたリカが、暴れる前に宣言する。



「じゃあ、行きましょうか。旅の続きをね」












「なんでぇぇ!!? 私何も聞いてないしっ、しかも今すぐ出発なんておかしいでしょぉ!!?」

「リカ煩い。舌噛むよ」

「取りつく島も無いのですぅぅ!?」



 バタバタと暴れるリカを俵を担ぐように肩に乗せ、部屋から出たエリィは先頭を切って進んでいく。

 それを追う出雲達だが、その手にはエリィが持てない分多くの荷物が抱えられており、自分はともかく鳥居様は大丈夫なのだろうかと出雲が隣を確認すれば、ひいひいと息を切らしながらも、前方で子供のように扱われているリカの姿を見て笑みを浮かべている彼女の姿が目に入ってくる。



「…くくく、良い様じゃ。胸がすくような気分じゃ…。ふぅ…ふぅ…」

「鳥居様…あくどい顔が崩れすぎて、凄い変顔になってますから、笑ってしまいそうなので止めてください」

「お、お主…儂のささやかな復讐に…ふぅ…ふぅ、水を、げっほげほっ!」

「ああもう、背負いますから。ほら、首に手を回して」

「……ありがとなのじゃ…」



 しずしずとしゃがんで背中を差し出した出雲の首に手を回して背負われた鳥居様の体重は、荷物を含めても簡単に持ち上げられるほど軽い。

 顔に掛かる長い黒髪は柔らかく、リカとはまた異なる心地よい香りが鼻孔を突いた。

 その香りに、一瞬くらりと頭が白くなりかけて、もしかして自分は恥ずかしい事をしているのではと不安に思う。

 距離が開いてしまったエリィ達へと駆ければ、頭側をこちらに向けているリカと目が合った。

 その瞬間、嫌な予感に襲われる。



「…ふっ」



 意地の悪そうな笑みを浮かべて半目になるリカの姿に、まずいと思う間もなく首に回されている腕に力が入ったのが分かった。



「こ、これは別に儂が出雲に甘えている訳ではなくっ、出雲が、どうしても儂を背負いたいと言いおったからっ!」

「ええー? 別に私何も言ってないけどなぁ? どうしたのそんなに焦っちゃって、ふふふ」

「ちょ、ちょっとリカ! 鳥居様、落ち着いて――」

「ぶ、ぶ、…ぶれいものーーーー!!!!」

「あはははは!!」

「り、リカァァ!!?」



 想像通り、背中に居る鳥居様が手足をばたつかせ始め、バランスを崩しそうになる。

 けらけらと笑うリカの顔に苛立ちを覚えるが、状況を理解したエリィによる締め付けにより直ぐにその表情も痛みに歪んだのが見え少しだけ気が晴れた。


 拠点としていた宿の出入り口近くまで辿り着き、驚いたようにこちらを見遣った老夫婦が目に入る。

 こちらが何かを言う前に向こうは事情を察したのか、朗らかに微笑みを浮かべて手を振ってきた。



「ああ、出発するんだね。色々お世話になったねぇ、頑張るんだよ」

「元気でね、病気や怪我に気を付けなさい」

「…はい、お世話になりました。お元気で」

「じゃあ、いつかまた会いましょうね!!」

「あ、ありがとうございました!」

「うぎぎ…、お二人は自身の体調を気にされるのじゃ! 元気でいるのじゃぞ!」



 去る時まで喧しい四人組を、それでも老夫婦は笑顔で見送ってくれる。

 人柄も良く、善人なのだろう。

 支払いは事前に済ませたけれど、その際もこんな状況にもかかわらず足元を見る事の無い適正価格で扱ってくれたし、力があるからと言って何かを要求するという事も無かった。

 もっと話したいという気持ちもあるし、感謝の言葉を述べたいと言う気持ちもあるが、前を行くエリィは足を止めず、そのまま玄関から外へと飛び出した。


 外に出た瞬間にリカが口笛を吹けば、その音に気が付いたであろうムーが小屋の扉を内側から開け放つ。

 エリィに抱えられた腕からするりと抜け出して、ムーに荷台を付ける作業を即座に終わらせながら荷台に乗り込むように身振り手振りで伝えると、ムーの背中に飛び乗った。



「さあ、爆走するよ!! エリィ足場は任せた!!」

「はいはい、任されるわ」

「え、ここ町中っ!?」

「出雲…、こやつらがそんなことを気にする玉だとでも思っておったのか? それは甘い考えというものじゃ」

「ムオオオオオオ!!!!!!」



 ずどんっという音と共に、町中に踏み込んだムーの足元に亀裂が走る。

 想像を絶するムーの怪力に青褪めるが、道端で歩いている人達はより真っ青な顔をしていた。

 そりゃそうだろう、轢かれたら一溜まりないのが今の一歩で分かった上に、ムーの上で操縦している少女の笑みは止まる気などない事が明らかだからだ。


 慌てて道の端に駆け寄っていく人達の横を走り抜けて行けば、周囲の風景は流れるように過ぎ去っていく。

  その避けていく人の中に小さな子供達の姿を見付けて出雲が目を見知らけば、相手もこちらに気が付いたのか嬉しそうに手を振って好意的な感情を向けてくる。

 それに鳥居様は優しく手を振り返すのを見て、鳥居様とリカが引きずり込まれた場所に子供達が居たのだと理解した。

 したい話はあるのかもしれないが、ムーを操縦するリカはその速度を緩めることなく、さらに加速させた。


 駆け出し始めたムーの速度は、ケープの町に来た当初とは比べ物にならない程早い。

 これほど早く走れたのかと出雲が愕然としていると、前方に宿から出て行ったキーファの姿が見える。

 まずいと思う前に、その対策は事前に講じられていた。


 魔術式を組んでいたエリィが顔を上げる。



「出来たわリカ。ここからは飛ぶわよ」

「いいね、じゃあ短い空の旅を楽しむとしようか! 」

「空の、って!?」

「――いかん、口を閉じるのじゃ出雲! 本当にこれから空を飛ぶ!!」



 鳥居様の焦ったような言葉に、反射的に口を閉ざして衝撃に備えれば、ムーが思い切り地面に足を叩き付けて飛び上がったのが分かった。

 荷台から見える外が建物の屋根の部分と並んだ位置にある事に気が付いて、次にいつまで経っても落下を始めることが無い事に気が付く。

 

 ズドンッと、もう一度ムーが飛び上がれば町を囲む壁の高さに、さらにもう一度飛び上がれば周りには青空しか広がっていない。

 坂道を走るがごとく、空中の見えない足場を上っていけば、いつの間にか間近に居た筈の人々の姿は小さく見え、戻ってきたであろう子供達は指を差して楽しそうに笑い、こちらを見上げたキーファが口を開けたまま唖然とした表情をしている。



「いえーい、天空散歩! さてさて、どれくらい持つかなエリィ?」

「ふ、舐めないで。数十分は余裕で持たせて見せるわ」

「鳴る程、数十分で魔力が底を着くのね。じゃあ、数分で降りないとね!」

「…いえ、まあ、その通りなのだけど…」

「出雲に鳥居は―――と、…あれにちょっかいを出すのは無粋かな」

「リカはいつも無粋だと思うけどね」

「あ、今酷い事言ったでしょ? 凄い傷付いた…ムー慰めてぇ…」

「ムオオオオオオ!!!????」

「ふふ、嫌だって言ってるわよ?」

「…このぅ…」



 お互いがお互いに雑に扱いつつも笑みを絶やさない二人の後ろで、出雲と鳥居様は眼を見開いて眼下に広がる世界を見下ろしていた。

 

 それは美しい光景だった。

 広がる色取り取りの風景に、そこを生きる生き物達の姿が見える。

 最西端のこの場所は近くに海が見え、エリィが暮らしていた森が見え、これまでの道のりの草原が見えた。

 そして、これから行く先には見果てぬ大地が続き、遙か彼方までこのまま広がっているのではと錯覚してしまう程の世界があった。

 山や丘と言った起伏がある、丈の長い草が地表を覆うように散在して、大地が露出した場所には枯れた木の根が這い、またあるところには川が見えた。

 きらきらと輝くようなそれらの光景に思わず息を飲んだ出雲は、感動を声に出せないまま眼下に広がる自然の芸術を堪能する。



「―――美しいのう…」

「うんっ!! そうですね!! こんな風になっていたなんてっ…!!」



 鳥居様の呟くような言葉に、ようやく動き出した出雲が激しく頷きを見せて肯定すれば、彼女も少しだけ間をおいて笑みを見せた。


 いつか見た、儚い笑みだ。

 何かを諦めたようで、懺悔するようで、泣き出す様な、そんな笑み。

 けれど、目の前にある光景に目を奪われている出雲はそれに気が付けない。

 いいや、気が付けたとしても、きっと何も分からないだろう。



「ああ、本当にきれいな光景じゃ…」



 それだけ言って、鳥居様は口を閉ざしたのだ。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

しばらく次回更新は時間が置くことになると思います。

更新再開した際にこの後書きは削除すると思いますのでよろしくお願いします。

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