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2-7話 望まれない願い事



 すぐ間近に発生した、まるで大木が上空から落下してきたような轟音と身の毛が逆立つ様な激震を感じた。

 ふらりとバランスを崩しながらも、慌てて倒れることだけは堪えたエリィ達4人が、その衝撃の発生源へと視線を向ける。



「…出雲?」



 容認できないその光景に、ぽつりと呟かれたエリィの言葉を返す者はいない。


 それはそうだろう。

 だって、その人は潰れている。

 頭上から巨大な緑色の腕に、小さな虫でも殺す様に叩き潰されている。


 拳の隙間から溢れ出る真紅の赤い液体は、彼の体を巡っていた筈のもので。

 叩き付けられた腕から見える足はピクリとも動かなくて。

 砕け散った古刀は、もはやガラクタにしか見えなかった。



「あはは、キーファ団長。命令通り処理しましたよー」



 そして、それを行っている兵士は何でもないように返り血が付いた顔でへらへらと笑う。

 何事も無いかのように、それが毎日行っている習慣かの様な気軽さで。

 呆然としているエリィを見詰めて。

 到底、看過できない言葉を吐いて。



「っ―――!!!」

「ちがっ―――!!!」



 飛び跳ねる様にキーファ達から距離を取り、その身に宿る轟雷を兵士達全員に向ける。

 キーファが何かを叫ぼうとしているが、知ったことではない。


そうだ、最初から訝しんでいた。

 ゴブリンキングを倒していないのに、聞き取りを行おうとしてきたコイツらの神経に、そんなものは後回しで良いだろうにと思っていた。

 それが、この結果。

 やはりこんな奴らなどを助けるべきではなかったのだ。

 全部全部、リカが正しいのだ。

 そう、瞬間的に脳裏を駆け巡って。

 

 目の前に投げ飛ばされてきた血塗れの出雲の姿に、頭の中が真っ白になった。

 


「残念大はずれぇぇぇぇぇ!!!!!!」



 肉を打つ、鈍い音が耳に入ってくる。

 いや、これは耳から入った音なのだろうか。

 出雲の体ごと殴り抜かれたエリィは、自身の体か出雲の体から発せられたその音を聞いて、そんなどうでも良い事を考えてしまった。

 そうして次に感じる浮遊感と目が回るような視界の揺らぎに、まともに受け身も取れないまま地面に叩き付けられることとなる。



「――っぁ、が、-grou」

「遅いよねぇぇぇぇ!!!! そんなのぉぉぉ!!!!」



 痛みを無視して魔法を紡ごうとするも、異形の腕を持つ兵士は倒れるエリィの腹部目掛けて大砲のような拳を振り下ろした。

 叩き込まれたその拳の重さに、肺の空気を強制的にすべて吐き出させられたエリィは、魔法の呪文が途切れると同時に、ゴポリと血が競り上がってくる。



「ぐっ、いっ…ぎっ…!!」

「ああ?」



 痛みと血で言葉もままならない状態で、エリィは帯電させていた雷を一斉放出させた。

 幾多にも上る雷槍を至近距離のそいつが躱せるはずも無く、まるで抵抗も出来ないまま、その体を貫かれる。

 視界を覆いつくほどの閃光が迸り、人の形をしたナニカの体を焼き切っていく。

 人形の様に抵抗も無く吹き飛ばされたナニカは全身を真っ黒に焦がし、相当の高熱となっているのを証明するかのように、体からは大量の湯気を発生させている。


 人はおろか、まともな生き物であれば死んでいる筈の状態で、それでも何て事の無いように立ち上がった黒焦げのナニカは、ガリガリと顔であった場所を掻き始めた。



「ああ…糞。何もさせずに終わらしたかったのに、さては魔法で体の周りに結界を作っていたな? 卑怯者め、ちゃんと正々堂々戦えってゆうの」



 ガリガリガリガリと、剥がれていく皮とも鱗とも取れるコゲが爪によって減っていくごとに、その内側に居る魔物の姿が現れてくる。

 

 醜悪な緑色の皮膚、皺だらけで、通常のゴブリンよりも弛んだ皮膚が伸びきっている顔はどの位置に目や鼻があるのか分からない程だが、顔の端から端までつながったような大きな口は、存在を激しく主張している。

 ギザギザとした歯を苛立ちに打ち鳴らして、黄色い瞳でじっとエリィに見据えていた。



「まあ、だけど、もうまともに魔法は使えないよなぁ?」

「…ッ…」



 止まることなく流れ続ける口からの血を強引に袖で拭いながら、エリィは葉を食いしばる。

 腹部の痛みに顔をしかめつつも、付け入る隙を作らないように必死に息を整える。

 そして、対峙する二人に、三つの人影が高速で割って入った。

 鎧を身に纏っているとは思えない程の速さで後ろから一人が、正面からはキーファが、側面からもう一人が、魔物を人の皮ごと切断するように大振りの一撃を叩き込んだ。

 

突然加勢されたエリィは眼を見開くも、すぐに自身の体勢を整えるために深く呼吸をして、懐から瓶を取り出して中に入った緑色の液体を飲み干す。

 ねっとりとした触感のその液体は、競り上がっていた血液ごと飲み込んでエリィの傷付いた体の内側を急速に修復していく。

 


「おいおいおい、何するんすかキーファ団長。危ないじゃないですかー」



 叩き込まれた斬撃は、しかし直前に魔物を守るように這い出た黒い液体に押し止められて、醜悪なその肌に傷一つ付けることが出来ていない。

 その結果に愕然とした感情を抱きつつも素早く離脱したキーファ達を、特に追い打ちも掛けることなく笑いながら見ているその姿は不気味であった。

余裕を感じさせる立ち振る舞いに腹立たしさを感じつつも、先ほどまで一人の兵士の姿をしていた魔物に対して、問い質したい事は数多くあった。



「貴様っ、その体の持ち主をどうしたっ!?」

「やだなぁ、もともと俺は変わりないですよぉ」

「いいやっ、お前のような化け物が町に居ればっ、何かしらの被害や証拠を出すはずだ!!」

「あははは、俺を何だと思ってるんですか? まあでも、昔から化けてたっていうのは嘘ですけどね」

「ならばっ…!」

「あー、すいません。この体の人はもう生きてないので、助けようとか考えるのは時間の無駄ですよ? まあ、別に俺は無為に時間を浪費してくれればありがたいですけどね」

「―――おのれっ…」



 強く握り締めた剣から、ぎしりと音がする。

 キーファが足で地面を強く踏みつけゴブリンキングに肉薄すれば、追従するように左右から挟み撃ちをしようと部下たちが駆けて。

 何一つ乱れの無いその動きは、確かに息吐く暇すら与えない連撃を繋げるためのものだろう。

 多くの時間を掛けて訓練された、血の滲むような努力の賜物であるその動きは、だからこそ人の皮を被っていたゴブリンキングには通用しない。



「――な」

「――馬鹿なっ」

「馬鹿だなぁ、ちゃんと相手がどういう敵か考えないと」



 多くのフェイントや時間差攻撃を含ませたその連携を、あらかじめどの位置に攻撃されるのか、そしてそのタイミングさえも完全に理解していたゴブリンキングによって、手に持つ武器を優しく握り潰される。

 そして、正面から切り掛かったキーファの剣は、どこからともなく湧いた黒の液体に受け止められ、逆に硬質化した液体に足を縫い留められた。

 一気に悪くなった状況に、表情を硬くしたキーファ達は呻くように洩らす。


 

「くっ…、馬鹿な何故っ」

「何故かって? だってほら、一緒に訓練してたお仲間を、俺が食べちゃった訳だからさ、キーファ団長たちがどんな動きをするのか、全部分かっちゃうんだよねぇ」

「は…?」

「まあ、何が言いたいかって言うか。何も話すことなんて無いんだろうけどさ。多少の感傷は感じる訳よ。彼の記憶や経験や思考や技能は、全部貰っちゃったからさ。でもまあ、大丈夫。お前達も皆食べるからさ、ちゃんと体の一部にするからさ」



 だから大人しくしていろ、そう言って。

 ぶちぶちと、今の黒焦げの人の腕とは別の、緑色の丸太にも似た巨大な腕が2本、背中のあたりから生えた。

 握られた武器によりその場に貼り付けられていた二人の兵士が、目の前に現れた身を包み込むほどに巨大な掌に握り込まれて、そしてそのまま、その掌が口の様に変形し、二人は悲鳴も上げることが出来ないまま咀嚼されていく。

 

 骨が砕ける様な音がした。

 肉がちぎれるような音がした。

 血すら残さず飲み込んだ2本の腕はそのまま魔物の背中に収納されてゆく。

 目の前で部下が咀嚼されて行くのを、地面に縫い留められた足では助けることも出来ず、ただ見ている事しか出来なかったキーファの顔色は、もはや青を通り越して白い。

 そして、食べたものを飲み込んだゴブリンキングは満足そうに腹を擦った。



「ああ、おいしかった…。そうだよな、怖かったよな、痛かったよな、悲しかったよな、でももう大丈夫。勝手に付き従っていた魔物達はいない。勝手に殺されることは無い。俺が、ちゃんと一人ひとり町の人達を食べるから、な」

「…そ、そんなことを、させるものかっ」

「いいや、キーファ隊長。次は貴方の番だ。じゃあ、―――いただきます」



 粘り気のある音を出しながら、開かれていく口腔はあまりに大きい。

 もともと顔の多くを占めていたそれが開かれれば大きい筈だが、実際に開かれたその大きさは予想していたものと異なり、もはや関節や骨など無いのではと思うほど開ききった口腔はキーファをそのまま覆えるほどに大きく開かれる。

 その光景に恐怖によるものか驚愕によるものか、言葉を失ったキーファを、ゴブリンキングは気にも留めず、食らい付く。



「ふざけないで。あそこまで私を虚仮にしておいて、よくも何もされないと思ったわね」



 炸裂する。

 破裂する。

 そして、殺到した。

 膨大な量を圧縮した水の刃が、隙だらけのゴブリンキングに向けられる。


 それはこれまでのような面での攻撃などではない。

 粉微塵などでは生温いとばかりに、数十にも及ぶ水球の波状攻撃。

 鉄すら容易く切り裂く水の刃は、されどゴブリンキングを守る黒い液体を切り裂けず、だが幾千にも上る数の暴力はその液体の防御を突破することなく、ゴブリンキングの体を捕える。

 最初こそ、吹き飛ばされんばかりのその魔法の連打に笑みすら携えて甘んじて受けていたゴブリンキングであったが、十秒経過しても続く刃の嵐に笑みを消し、三十秒経過しても続く水撃に焦りを浮かべ、一分経過してもなお、隙間すらなく連続された斬撃に、もはや耐えきることも出来ずに吹き飛ばされた。

 だが、吹き飛ばされた程度で納めるほど、エリィは優しくなどない。


 巨大な木の杭が大地から突き出してゴブリンキングを打ち上げると、全方位から鉛のような圧力を伴った風圧が押し潰しに掛かり、それを囲うように燃え上がった業火が風圧による後押しを受け中央のソレを焼き尽くしに入る。

 そして、数多もの上級魔法により時間を稼いでいる間にエリィは体内に取り込んでいた術式を一冊の魔道書に戻し、ソレを弾丸として使用する。



「その顔、醜すぎて見たくもないわ―――」



 身の丈ほどの大きさの魔方陣が幾つも連なって発生される。

 エリィからゴブリンキングまでの道筋を辿るその魔方陣は、歯車が回るように順々に回転を始めた。

 魔方陣の回転によってギチギチという異音が鳴り響き始めた中で、押し潰され焼かれ続けるゴブリンキングは碌な抵抗も出来ず、狙い澄ますエリィを見る事しか出来ない。

 そして、魔道書一つを使用ではなく消費する、正真正銘、全力の一撃が打ち出される。


 ‐gungnir‐雷神の弾丸

 

 魔道書に記載された術式の全開放。

 魔道書が、先ほどまでの“暴食の蒼雷”とは別次元の巨大な雷へと変容して、焼かれ続けるゴブリンキングを貫く。

 だが、その雷はゴブリンキングの体を通過することなく、大蛇が体を締め上げる様に焼き上げて、一撃では終わらせないとばかりに、強く強く、噛み喰らう。


 絶叫が響き渡った。

 へらへらとして掴みどころのなかったゴブリンキングの形振り構わないようなその叫びがその荒野に響き渡り、一際大きな閃光が駆け巡ると同時に膨大な熱量を伴った爆発が、ゴブリンキングの滞空していた場所で巻き起こり、響いていた叫びはその爆音にかき消される。



その様子を見届けてから、魔力が底を着きそうになる程継続して強力な魔法を使い続けたエリィは、魔法を止めると同時にへたり込むように地面に座り込んだ。



「…はっ…はっ…はっ…、どうにか、なったわよね…?」



 思わずそんな弱気な言葉を吐いてしまう程にエリィは消耗していた。

 汗が額から滴り落ち地面を濡らす傍ら、膨大な量を誇ったエリィの魔力は、今は肉体の補助をする程度の余裕もない程に尽きている。

 だが、目前の空中を漂うのは炭化した、ミリ単位にも満たないような大きさの屑だけで、もはやゴブリンキングが原形すら留めていない事は明らかなのを確信すると、安心したように大きく息を吐いた。


 二本所持していた緊急用の回復薬はもうない。

 とは言っても、霊薬や秘薬と違って副作用が無い代わりに、せいぜいが応急処置程度の効果しか期待できないものではあるが、魔法を使える程度には回復したし出雲についても、何とか致死の域からは脱することが出来たであろうとエリィは考える。

 ふと、動かない出雲を確認すれば、未だに外傷は完治していないものの呼吸をしていて胸部が僅かに動いているのが分かり、とりあえずは胸を撫で下ろした。


 ついでに、立ち竦んでいるキーファに目を向けて、彼の無事も確認すると一息入れる。


 

「…ふう…、早く町に戻りましょう…。少し、休憩しないと」

「あ、ああ、すまん、助かった。だが、少し待ってくれ足を縫い留めてるこの黒いのが外れないんだ」

「…そう…、まあ、良いけれど…」



 そう言ってエリィは、本当に何気なしに、ゴブリンキングが居た場所に視線を向けて。


――――絶句した。



「そんな…止めてよね…」

 


―――そこには何かが居た。

 

 それは先ほどまでの人型の魔物ではない。

 人と変わらぬ背丈のゴブリンキングではない。

 通常のゴブリンキングに限りなく似ているが、絶対に異なるものが居た。


 それは、岩肌を思わせるような凹凸の体皮の、異常に発達して隆起した筋肉、そしてその体の至る所に黒い臓器のようなものが浮き出ている、

 形はゴブリンキングに近いものの、異常なその姿はもはや別種と言っても過言ではない程に変貌を遂げていた。

 

 その、醜悪な魔物は、憤怒の形相をぐしゃぐしゃに歪めて、憎悪に満ちた叫びを上げた。


 

「…オノレ、オノレオノレオノレオノレオノレェェェ!!!!」



 醜悪な顔を歪ませて天に向かって上げた咆哮は、先ほどまでの理性を感じさせた声色など微塵も無く、強烈な獣性を感じさせる化物のものであった。

 

 ぎらぎらと光る黄色の眼光が、座り込んでいるエリィを捕えた。

 憎悪に染まるその瞳に、抵抗手段が残されていないエリィは全身を総毛立たせる。

 これから何が始められるのかは、考えなくとも分かってしまう。

 腕の力だけで、少しでもその巨大な死から逃れようと這って進む。



「オレノッ、クイマクッテアツメタッ、イノチガァァァ!!!! ドウシテクレルゥゥゥゥ!!!!」

「ひっ…、嫌、近寄らないでっ…」

「ロクセン、ロクセンダゾッ!! オマエガ、オレカラウバッタイノチノカズダ!!! マズイノヲガマンシテ、ドウシュヲクッタノニッ、モウアンナマズイモノッ、クイタクナイノニィィ!!!!」

「煩いっ、貴方が攻撃してきたのが悪いんでしょうっ、自分が不利になったからってふざけた事を言わないでっ…!」

「クッテヤルゥゥゥ!!!! スベテヲ、オレニ、ヨコセェェェ!!!!」



 会話にならない。

 ゴブリンキングには既に理性は無い、いいや、それは正確な表現ではないだろう。

もともと無かった理性を、他から持ってくる形で補っていたゴブリンキングが、ただもとに戻っただけ、というのが正しいだろうか。


どちらにせよ、もはやエリィに残された抵抗手段は肉弾戦のみ。

ただでさえ、武器の扱いなど触り程度しか学んでいないのに、これまでの戦闘での疲れが今は如実に表れてしまっている。

痙攣するかのように震える手は魔力不足の初期症状だ、抑えようとしても少しも止まる事の無いその震えの中では、まともに武器を持ち振るえるとは到底思えない。

詰まる所、周囲の捜索に当たっているであろう冒険者達か町からの救援が無い限り、この場を切り抜ける事は不可能に近いという訳だ。

それでも、ふらふらと立ち上がったエリィの意志は、まだ折れていない。

 勝算が無くても、こんなところで息絶える訳にはいかないと掌に爪を立てる。

 少なくとも、こんな奴に負ける訳にはいかないと、歯を食いしばる。


 睨み付ける様に、精細の無い動きで近付いてくるゴブリンキングを捕えて、リカに渡されていた伸縮式の武器を伸ばし、両手で構えた。

 幸い、羽毛の様に軽く、全く力が入らなくても取り落とす事の無いその武器は、今のエリィに唯一の支えだ。

 

 だから、まだ戦える。

 

 

「食べる…? ふざけないでっ、私はっ――――」



「――――貴方みたいな奴が、大嫌いなのよっ!!」



 吠えた。

 衝動的なまでに、自分よりも強大な体躯の、既に勝てる見込み等薄いという事は分かっている相手に対して、それでもエリィは吼え立てた。

 それは別に、正義感に駆られた訳でもなければ、自分を鼓舞させるための虚勢でもなく。

 単純に目の前のゴブリンキングが、エリィにとって到底許すことの出来ない存在であっただけの話。


 誰かを喰らって何かを成そうとするものを許すことが出来ない。

 肥大化した自分勝手が横暴に振る舞う様がなによりも許せない。

 そんな、子供じみた好き嫌いの話でしかなくて、同時にエリィの中心に位置する大切な軸の話でもあった。

 


「掛かって来なさいよっ!!! 私が、ここでっ、貴方に引導を渡してやるっ!!!」



 もうエリィは、自分がどんな顔をしているのか分からなかった。



 

 




 夢を見る。

 遠い昔、あるいはつい最近の夢を。


 笑い掛ける誰かが居る、壊れていく何かがある、失っていくものがある。

 モザイクが掛かったように思い出せないそれらにどれだけ手を伸ばしても、空を切るようにすり抜けてしまう自分の腕では、永遠に届くことは無い。

 これは現実なのだろうか。

 そんな不安が過ってしまって、気が付けばひとり立ち止まる。

 頭が痛い。

 割れる様な痛みだ。


 そんな痛みに気を取られ、気が付けば周りに漂っていた夢は消えてなくなってしまっていた。

 色も音も、何もない。

 あの時と同じ、暗い世界がただ広がっている。


 これからどうしよう。

 そう思って、握っていた筈の託された希望を見れば、そんなものは何処にだって見当たらなかった。

 前回とは違い、ここあったはずの鳥居や鳥居様の姿は何処にもない。

 気遣うようなリカの声も、この場に響くことは無い。

 恐怖が無いと言えば嘘になる。

 だけどもう、縮こまって固まろうとは思わなかった。

 

 早くここから出よう、そんな事ばかり考えて当ても無く歩き始める。

 どれだけ足を出して進もうとも、先の無い世界は何も変わらずに、本当に進めているのか不安になる程に何の変化も起きてくれない。

 途中途中で駆け足になったり、遅くなったりしたが、それでも止まることなく足を動かし続けた自分自身に、驚く。

 自分が知らない内に、僅かばかりの成長はしているのかとそんな事さえ思って。

 ここに来る前の、直前の状況について思いを馳せた。


 状況を理解して対応するのが遅すぎた。

 あの黒い液体に有効打を与えられるのは、現状自分の持っている古刀だけだったというのに、無防備に警戒すらしていなかった。

 どう見ても兵士の姿をしたゴブリンキングに頭から殴り潰された。


―――ああ、顔を覆いたくなる程の失態だ。

自分の不甲斐なさが、また押し出された。


 無意識に足早になり始めた歩調を整えるため、深呼吸をする。

 失態を悔いるのは後だ、今は現状を詳しく把握するよう努めなければ、そう思って考えを巡らせる。

 

 自分がここにいるのなら、死んでしまった、という事は無いだろうと希望的に捉えた上で、ここに来た理由を考える。

 前回来たリカの魔法は、知識として知っている相手には使用できないと言っていた。

 つまり、リカの魔法によるものではない。

 同じく、鳥居様は古刀を触媒として外界に飛び出してきたことから、恐らくもうこの場にはいないのだろうと思う。

 どこを見渡しても、前回色付いていたあの見上げるほど大きな鳥居は見当たらず、儚げな女性の姿は無いのだから、鳥居様の力により引きずり込まれたという事も無いだろうと予想する。

 しかし、思い当たるのは記憶を振り絞ってもそれだけなのだ。

 その二つが違うのなら、正直お手上げだった。



『―――――』

「…っ!」



 くすくすと静かに、笑うような音がした。

 声、とは判別できなかった。

 だが確かに、笑っていると分かる音を、鈴を転がす様に鳴らしている。

 不意に聞こえたその音に立ち止まり、音のした方を見ればようやくここに引きずり込まれた元凶が姿を現した。

 

 そこには後姿の二人が居る。

 背の大きな男と髪を後ろにまとめた女だ。

 前に見た鳥居様の姿よりも、ずっと薄く向こう側の闇が透けて見えるほどに、その存在は希薄であった。

 意志を伝える力も無いのだろう。

 何を言う訳でもなく、こちらに視線を寄越すことも無い。


 唐突に男の腕が動き、透明な二人の先を指差した。

 先に行けという事だろうか、思考に費やす時間すら惜しいとばかりに指を差された方向へ、つまり二人を追い越す様に歩き出す。

 まさか、攻撃されないだろうかと、内心怯えながらも二人の横を通り過ぎた時にその声は掛けられた。



『■■■■■…』



 その声を聞いた瞬間、視界が開けた。

 暗闇しかなかった世界が、一気に色付き。

 安寧の空間が過酷な世界へと一転する。


 自分の体が何の異常も無く動くのを確認して、一安心したところで、聞き慣れた声の聞き慣れない感情的な叫びが響いてきた。



「掛かって来なさいよっ!!! 私が、ここでっ、貴方に引導を渡してやるっ!!!」



 そんな中で聞こえた彼女の叫びはどこかもの哀しい。

 ぐしゃぐしゃになった顔で、気丈に慣れない剣を構えて。

 怒りなのか、悲しみなのか、恐怖なのか、色んなものがごちゃごちゃになってしまったような声で、世の不条理を叩き付けている。

 状況が少しも分からないままで、それでも出雲は思うことがあった。


 そんな顔は見たくなかった。

 そんな声は聴きたくなかった。

 そんな涙を流して欲しくなかった。

 そんなことを、思うのだ。


 振り上げられた巨腕に、何も考えず駆け出した。

 間に合うのか、止めれるのか、躱せるのか。

 大切な筈のそれらを脇に置いて、全力で足を踏みしめて脇目も振らず真っ直ぐにその場に飛び込んだ。




 大地が潰れる。

 骨が割れて肉が裂ける。

 血が滴り落ちていく――――だが、それだけだ。

 黒く変色した腕を、全力で振り下ろしたゴブリンキングの一撃は貫くことが出来なかった。

 暴威を現したかのような一撃は、されど人の命一つを奪うことも出来ず、ただ腕一本潰しただけに終わった。



「―――出雲…?」



 呆然とした声が、後ろから掛けられる。

 ありえない光景を見ていると言うよりも、信じたくない光景という方が正しいのだろうか。

 あまりの激痛に顔を歪めて、けれども、のた打ち回るなんてこと、彼女の前ではしたくなくて歯を食いしばって我慢する。

壁になるようにゴブリンキングのような何かとエリィの間に、立ち塞がる。



「ジャマヲッッ、スルナァァァッ!!!!」



 碌な訓練も、ましてや武術の心得さえも無い子供が物を振り回すかの様に、黒い液体で作り上げた斧を横薙ぎに振るう。

 人が振るえば目も当てられないようなそんな一撃も、人外の膂力を誇るゴブリンキングが振るえば、それはあらゆる命を絶つ凶悪な物へと変わり果てる。


 みしり、と腕から音がした。

 身を固める様に重ねた腕に叩き付けられた斧は、それでも出雲の細い腕一つ切断することは叶わず、出雲の体を吹き飛ばすことすらも出来ない。

 ひび割れた腕から飛散した血液が辺りを汚し、伝い落ちる流血は痛々しさを物語る。

 だが、その腕で出雲は振るわれた斧を掴み取った。



「出雲っ!? 何をやっているのっ、逃げなさいっ!!」



 自分を守るように割り込んだ、何の力も経験も無い出雲の、傷付いていく姿に思わずそう叫ぶ。

 けれども、出雲はその言葉に少しだって耳を貸すつもりは無かった。

 ここで自分が引けば、彼女は殺されてしまうだろう。

 そんな確信があったから、出雲がここを譲ることは絶対に無い。



「ッ、オオオオオ!!!」



 声を上げ、掴み取った斧を力任せに砕き、支えを失いバランスを崩したゴブリンキングに蹴りを叩き込む。

 蹴り上げられたゴブリンキングの体は、大きく体を曲げながら、空中を錐揉みに回転しながら、何度も地面を跳ねて転がっていくが、それに追撃を加えることは無い、いいや、そんな余裕はないと言うのが正しいのか。

 力が入らない両腕を垂れ下がらせて、割れて罅の入った腕から滴る血液が大地を濡らすのを見てから、無理やり拳を握って前を向く。

 ゾッとする程、痛々しい出雲の腕を見て、顔を真っ青にしたエリィが唇を震わせる中で、出雲の頭を過るのは、パズズと相対していたリカの後姿だ。



(…ああ、こんな痛みをリカは感じていたのか…)

「…っ、血がっ、出雲、痛い癖に何をしてっ…」

 


 泣き出してしまいそうな程に声を震わせてそう言ったエリィは、震える手を出雲の背中へと伸ばす。



「返しきれない、恩があるんだ。」



 ようやく出雲が発したそんな言葉に、伸ばしていた腕が止まる。

 


「どうやったって、返せないだろうと思っていた恩があって。一時期はそんな自分への情けなさから、どうしようもなく苦しくなって。それでも恩を重ねていくしか、弱い僕に生きる術は無くてね、積み上げてきたものは途方も無く高くなっていったんだよ」

「何を…言って…」

「うん、ようやく分かった。エリィ、僕は君に恩を返したくて、成長を見せたくて、格好をつけたくてね。きっと僕は――――」



 かつてそんな悩みを、リカに言った事があった。

 重ねる事しか出来ない恩を、どうしたらいいかずっと考えて、苦しんできた。

 だから、この場で彼女を救わないと言う選択は、きっと出雲にはなくて。

 そうでなくても、一人の人間として、出雲は―――――



「―――君を守りたいだけなんだって、そう思う」

「――――――…ぁ」



 止める事は届かないし、伸ばした手は掴めない。

 出雲の背中を、いいや、誰かの後姿をただ見ている事しか出来ない自分自身が、本当に嫌だったはずなのにどうやって彼を止めれば良いのか分からなかった。

 身の毛もよだつ咆哮が響き渡り、嫌悪を感じ得ない、肉塊を人型に押し込んだような化け物が飛び掛かってくるのが見える。


 逃げてなんていう声は、意味なんてなさずに掻き消えて。

 避ける事も無く、振り下ろされた拳を受ける出雲に、驚愕に表情を崩したのはゴブリンキングだった。


 ゴブリンキングは元来狡猾だ。

 それは吸収した人の知能の大部分が失われようとも、もともと悪知恵を働かせる程度の狡猾さは持っていることを意味している。

 だから、闇雲に飛び掛かったように見えても、圧倒的な膂力で暴れ回るゴブリンキングを相手に目の前のひ弱な生き物は大きな立ち回りをするしかないと計算していた。

 ソレを利用して後ろにいる動けない少女だけを狙い、嬲ればいいと思っていた。

 そうすればおのずと、嬲られる少女を守ろうと、この死に損ないは勝手に隙を晒してあわよくば盾になってくれると思っていたからこそ、出雲のその行動は計算外。

 

 動揺は隙を生み、ゴブリンキングの一撃を受けた額から骨が砕ける嫌な音が響きながらも繰り出された出雲の膝蹴りが、まともにゴブリンキングの突き出した腹に突き刺さった。



「…分かっているんだよ…、お前がどんなことを考えているかなんてっ」


 

 吐き捨てる様にそう言って、傷付いた腕を振りかぶる。

 滴る血が飛散して、流血は未だ真新しい。



「お前がこれ以上、エリィに触れると思うなよっ…。ここで僕ごときに、お前は力負けをして、無様に這いつくばることになるんだからなっ」

「…ホザイタナッ、ゴミクズガァァ!!!!」



 出雲に叩き込まれた拳に一瞬だけ遅れて、無手による一撃が繰り出され、ゴブリンキングにとっては小さな的である人の横顔に突き刺さる。

 人体から発せられるとは到底思えないような岩を打つ様な音が鳴り響き、打ち込まれた衝撃により出雲は体のバランスを少しだけ崩したが、すぐに踏み留まり、飛来する次の一撃を踏み込むことで避けて下から抉るような蹴りを放つ。

 体を貫かんばかりの一撃に、ゴブリンキングは体をくの字に曲げて口から大量の黒い液体を吐き出しながら呻いた。

 一見隙だらけになったような体勢のゴブリンキングであったが、吐き出された黒い液体は意志を持っているかのように、地に着いた瞬間出雲目掛けて跳ね上がり、槍の様に形状変化する。

 完璧な奇襲の言ってと言っても過言ではない一撃だろうが、今の出雲にソレは通じない。

 踏み込む一歩を持ってその液体を踏み潰すと、ちょうどよく下げてくれた顔を打ち上げる様に殴り上げた。



「グッ、ギギィッアアア!!」



 跳ね上げられた上半身のまま、怒りの咆哮を上げたゴブリンキングの背中あたりから、ぶちぶちっと言う肉が千切れる音を立てて、兵士を食べた時の腕が4本突き出てきた。

 腕、とは言っても、物を掴んだり丁寧に扱うためのものではないだろうそれらは、必ずしも正常な形をしているものとは言い難く。

 関節が異常に多いものや、指の数が同一でないもの、果てには手の部分が黒い液体で作られた刃を模したものまである。

 いくら醜悪な見た目をしていても、通常の個体であればありえないそんな変貌をすれば、激痛は免れないだろう。

 だが、それでも――ゴブリンキングは、徹底的に出雲と殴り合う選択をしたのだ。


 そして、ソレを見た出雲が驚いたように目を見開いたのは一瞬で、口角を上げて笑った。



「…ふはっ、良い姿になってきたね」

「キサマダケハッ、コロシテヤルッ…」

「似合っているよ、本当に。下手糞同士単純な殴り合いをしようか」

「ルオオォォォォッ!!!!!!」


 

 6本となった腕を、それぞれが別の生き物かのように別々に動かして、繰り出される波状攻撃は一つ一つが必殺を込められた憤怒の一撃。

 その場から引かないのなら避ける事の方が珍しいその嵐のような連撃に、僅かだって怯むことなくさらに距離を詰めた出雲は、身に襲いかかる衝撃の上から、踏み込んで殴りかかる。

 出雲の言ったように基本のきの字も無い、酷く原始的な殴り合いは、その余りに強い力の振るい合いにより感じる印象を一変させる。

 技術もへたっくれも無い足さばきやフェイントすらない攻撃の数々は、轟音と暴風を生み近付く事すら難しい。

 踏み込んだ地面はそれだけで罅割れ、動きの速さは加速が止まらず、もはや一つ一つの挙動を肉眼で追う事すら不可能だろう。


 優勢はゴブリンキングだろう。

 元々の高い膂力に加えて強化された基礎能力と吸収した力の数々に、腕を生成するなんて常軌を逸した方法で手数を増やしたそれらは確かに有効で、出雲が一撃加える間に五発は出雲の体に攻撃を当てている。

 しかし、血が流れ傷を負ってはいるものの、ものともしない出雲の姿とは裏腹に、出雲の一撃を喰らう度に、体勢を崩しているのを見ると、このままゴブリンキングが競り勝つと断言することは出来ない。


 この戦いが始まってからどれだけの時間が経ったのだろう。

 目を逸らしたくなる程に凄惨な命の削り合いは、衰えない。

 音も、振動も、風さえも、最初と変わらない災害を思わせる強さを持って、周りにいた者達に叩き付けられた。



「どうすればっ…、あのままじゃ…」

「クソッ、何なんだこの液体はっ、全く壊れんっ!?」



 目の前で繰り広げられる光景に、焦燥を抱く二人がそんな言葉を漏らして、エリィは思考を巡らせ、キーファは足を縫い留める液体を攻撃していた。

 そして、そんな二人の元に駆け寄ってくる人影が複数あった。

 


「キーファさん! 御無事ですかっ!?」

「おおっ、冒険者ギルドの。私は何とかな、だが、まだ敵の首領を倒せていない…、今は加勢に来てくれたこの者達によって何とか戦線を維持しているが…」

「っ、何だあれ…、アレが本当にゴブリンキングか!?」



 別方向からの奇襲を警戒して、周囲の索敵に出ていた高ランク冒険者達が戻ってきたのだ。

 変貌した異形の姿に尻込みして、声が震えるのを抑えることが出来ていない。

 無理もないだろう、実際を知っている彼らは実物でなくとも資料を介してゴブリンキングの姿を理解していた。

 多くの魔物を討伐してきた彼らにとって、代々積み上げられてきた情報は金にも勝るし、その正確性に背を預けていたと言っても間違いではない。

 異常性のある亜種や派生種が確認できた際はどれだけ些細な違いであっても報告する義務があるように、情報に何より重きを置いている冒険者ギルドにとって、全く異なる種と言われても違和感を感じないようなまでに変質しているゴブリンキングの姿を見て、恐怖を感じないわけが無かった。



「あの青年が倒れた時が私達の終わりだ。すまん、私もすぐに参戦するっ、彼の加勢を頼む!」

「――はいっ…! やれるだけやりますともっ…!」

「あの中に飛び込めってかっ…、難しい事言ってくれるっ!」



 顔を歪めながらも各々の武器を持ち、出雲達の元へと駆けて行った冒険者たちの後姿に見送ってから、キーファは再び足に刺さる硬化した液体を何度も殴りつけるが、やはりビクともしない。

 苦々しげにその結果を見遣って、キーファは最後に強く殴り付けた。



「何なんだこの材質はっ!? ミスリルでも使われているのかっ!?」

「…さあどうかしらね。でも、少なくとも私の魔法で打ち壊せないのだから、魔力を全て打ち消す効果を持つオリハルコンが使われていたとしても、私は驚かないわ」

「そんなもの、壊せるわけがないだろうっ…!」

「ええそうね。私も、ついさっきまではそう思っていたわ」



 そう言って、出雲に加勢していく高ランク冒険者の姿を見ながら、エリィは思いを馳せる。

 この、壊れない黒い液体を焼き尽くす炎を扱い、つい先ほどは足で踏み壊していた出雲の姿を。

 


「―――でも、全く壊せないって訳ではないみたいよ」

「…あの青年は、壊していたな」

「ええ、もちろん何かしらの理由はあるんでしょうけど、壊せるものであるなら、何かしら方法がある筈よ」

「悪いが、私にはその方法は思いつかんし、私は愚直に剣の道しか進んでこなかった頭の固い老骨でしかない。豊富な手札は無いさ。―――仕方あるまい、この足を切り落とし逃れるしか無いか」

「…………待ちなさい」


 

 手刀を作り、魔力を纏わせることで切り味を上げ始めたキーファに対して、長い沈黙を作ったエリィがその行為を止める。

 他に解決策があるのかと顔を向けたキーファに、躊躇するように視線を巡らせるエリィは酷く言いにくそうに言葉を吐きだしていく。



「…これで解決するかは、正直分からない。失敗したら何が起こるか分からないし、何より成功したところで良いように転がるかも不確定。…でも、切り落とすよりもいい結果になる可能性はあるの」

「それで行こう」

「…迷わないのね、怖くないの?」

「今更怖がってどうなる、足を失えばまともに戦えるか怪しいものだ。それに自分自身で自分の足を切り落とすのは、流石に些かの抵抗はあってな」

「……些か、ね。分かったわ、責任は負わないからそのつもりで」



 そう言って自身の元に近付いたエリィに視線すら落とさず、ゴブリンキングの戦闘を冷静に観察するキーファは戦闘者としての集中を高めていく。

 足に突き刺さっている黒い液体を触ったエリィに、何気なしに確認の質問をする。



「それで、何をやるつもりなんだ? 先程でも使っていたような君が作成した魔法か?」

「…オリハルコンが使われていたら魔法は消されるでしょう、その逆よ」

「……逆?」



 その真意を問おうとした直後、バンっと、風船が割れる様な音と共にあれだけ攻撃しても傷一つ付く事の無かった黒い液体が砕け散った。

 エリィの手には魔方陣は無い。

 強力な魔法を使う魔力も残っていないであろうし、物理的に壊せるほどの力だって無かった筈なのに、実際に目の前には、いともたやすく破壊された残骸しか存在していない。



「―――ありがたい」



 聞きたいことはある。

 驚きに鳥肌が立つ様な気持ちだし、その原理だって知りたい気持ちはあった。

 だが、自分の手札を晒したくないと言う頑なな態度であった彼女がここまで手助けしてくれた理由は、きっと彼女を守ろうとしている青年を助けるために他ならないから、ここで自分の感情を優先するのは、手を貸してくれた彼女に対して、あまりに不義理だ。

 だから、キーファは何も聞かないでそれだけ言うと一歩前に踏み出した。



「私は加勢に行く、君は休んでいてくれ。…彼を死なせはしない」

「…お願いします…」

「任せろ」



 それだけ言うと、キーファは一息に戦闘が行われているところまで飛び込んだ。

 高ランク冒険者が加勢しても変わらなかった戦況が、キーファが入ったことで一気にひっくり返っていく。

 当初の規格外の強さが幾分か衰えているのだろう、先ほどは圧倒出来た相手に対しゴブリンキングは攻撃まで行えなくなってきている。

 自身の不利が分かっているのだろう、じりじりと押され始めているゴブリンキングは表情を歪ませた。



「ナゼダッ、ナゼコンナコトニナッテイルッ」



 ぼやく様に呟かれたその言葉に返す者はいない。

 それでも、独り言や恨み言の様に呟き続けるゴブリンキングの言葉は止まることは無い。



「オレハッ、ハンエイスルノダッ、オウニナルノダッ、アイツハソウイッタッ」



 振り回していた腕が二本千切れ飛ぶ。

 吹き飛ばした出雲とキーファの拳と蹴りが、さらに息を吐く間も与えず襲いかかる。



「イタイノタエタ、マズイノタエタ、ナノニ、ナンデ?」



 子供が駄々をこねるかのように、腕を力の限り振るうゴブリンキングは、もはや見苦しいまでの姿を晒している。

 それでも、一切の手加減をする事の無い出雲達は、攻撃の手を緩めることは無い。

 読みやすい攻撃の隙を縫って、間合いを詰め打ち込まれる攻撃をもはや耐えるだけの力も無いのか、ふらふらと体勢を崩すゴブリンキングに精細は無い。

 さらに、二本の腕が千切り飛ばされた。



「ナンデナンデナンデナンデナンデ」



 うわ言の様にそんな言葉を繰り返すゴブリンキングの片足と片手を消し飛ばし、もはや抵抗を止めたゴブリンキングに出雲とキーファが拳を振り絞った。

 


「お前が、こうならなければならなかった、理由なんて、知らない。でも、僕の敵になる理由があっただけで、僕には充分だ」

「私から言わせてもらえば、分を弁えず驕った末路、と言ったところだな」



 砲弾のような二人の一撃を受けて、錐揉みに吹き飛んでいくゴブリンキングの体はゴロゴロと地面を転がり、うつ伏せの体勢でようやく止まった。

 幾多もの攻撃を受けて、今なお息がある様に呆れたような溜息を吐いたキーファが、さらに追撃を加えようと他の者達に目配せするが、出雲は膝に手を着いて呼吸を整えていた。

 体に傷が無い場所の方が珍しい程に、ボロボロになっている出雲の姿に、キーファは無理も無いと思った。



(あれだけ、ゴブリンキングの攻撃を一身に受けたのだ。普通であれば再起不能、そもそも今だって立っている事すら辛いのだろう)



 そう思って、手を差し伸べようと近づいたところでそれは起こった。



「ァァァアアアアアアア―――■■■■■■ァ!!!!!!!!」



 絶叫が響いた。

 吹き飛ばされたゴブリンキングから発せられるその叫びに、弾かれた様にそちらに目を向けると、黒い糸のようなものがゴブリンキングの内側から突き出ているのが見える。

 それはまるで、生き物の様に、ゴブリンキングに取りつき、取り巻き、さらにその生物離れした体を変貌させてゆく。

 そして、ゴブリンキングはそれを引きはがす様に、何度も地面を転がりまわって取り巻いているソレラを擦り付けているが、まるで意味を為しておらず、あっという間に体を侵食されていっている。



「ば、馬鹿なっ!? 何だあれはっ!!」

「魔物を喰らう魔物かっ!? いや、それにしたって様子が可笑しいだろう!!」


「―――ダメだっ、あれを終わらせたらっ!」


「っ、中断させるぞっ!!! 攻撃しろぉぉ!!!」



 焦ったような出雲の声に、素早く反応したキーファが指示を出して今なお転がりまわっているゴブリンキング目掛けて駆け出すが、それも遅かった。



「■■■■タァ■■■――――――!!!!!!!!」

 


 ドンッ、と地響きのような音を置き去りに、黒い液体で作り上げられた腕と脚にいつか見た鎧を纏ったような姿となったゴブリンキングが、肉薄していた。

 呆然として一人離れた位置に居た、エリィへと。



「…………え?」



 もはや振るわれるのが腕なのか、足なのか、若しくは口なのかも分からない一撃を前に、何の反応も出来ず迫ってくるその壁を眺める事しか出来ないエリィは、ただ目を見開いた。




 世界が止まったような気がした。


 色が抜け落ちたような世界の中で、醜悪な魔物は目の前に居て。


 ゆっくりと迫ってくる一撃は死を予感させるには充分過ぎた。


 遠くで目を見開いてこちらに何事か叫ぶキーファの姿が見えた。


 高ランク冒険者達の、歪んだ顔が見えて。


 醜悪な魔物の表情が見えて。


 後姿の母親の背中が見えて。

 

―――――目の前に、出雲の後姿が見えた。



「――――出雲」



 エリィから零れたその名前に目の前の背中は反応を返してくれず、ただ体に纏った火炎を吹き上がらせた。



 爆音が迸る。

 爆風が周囲に吹き荒れて、衝撃が逃げ切れず大地を割った。

 ありえないレベルの力と力の打ち付け合いだ。

 それも、今まで戦ってきた中でも、とびっきりのもの。

 異常なまでに強力なゴブリンキングの一撃に対して、真っ向から迎え撃った出雲は体を吹き飛ばすことなくそこにあるが、逆に出雲の迎撃に体を股座から頭の先まで砕かれたゴブリンキングは、血液を出すかのように黒い液体を残った肉塊から吐き出して、そのままゆっくりと地に伏せた。


 長く長かった戦いは、このぶつかり合いでようやく終わったのだ。

 

 だが、そこに歓声は上がらなかった。



「い…ずも…」



 エリィの呼びかけに出雲は答えない。

 体の半分を失った出雲が、ただ目の前で立ち尽くしている。

 振り抜いた拳をそのままに、失われたもう半分の上半身にバランスを崩して、先ほどのゴブリンキングと同様にゆっくりと地に伏せた。



「神官を呼べ!!!! 今すぐだっ!!!!」

「はっ、はいっ!!! 今行ってきますっ!!!!」

「団長っ…、でもあの傷はっ…」

「それ以上言うなっ!!! 彼を救う手だてを考えろ!!! 薬を持っている者はいるかっ!!?」



 そんなキーファの叫び声さえ耳に入らずに、力が抜けて地面に膝を着いてしまう。

 そのまま何とか四つん這いで倒れている出雲の元へと近づいていく。


 やけに力が入らない。

 震える体は魔力不足だけで無い筈だ。

 地面に着いていた手が、出雲を中心に出来た血溜りに浸かる。

 服が汚れるのも気にせずに触れられる距離まで辿り着けば、出雲は空を見上げていた。

 光の無い瞳を見開いたまま、虚空へと目を向けている。

 


「いずも…嘘でしょう? いずも…?」

「――――」



 返事は無い。

 色を失った彼の顔色は、到底生者とは思えない冷たいものだ。

 ゆっくりとした仕草で頬に触れる。

 僅かに残っていた暖かさが、逃げて行っているのが分かる。

 それはあの時の、母親と同じであった。



「ねぇ…返事してよ、いずも…。探さないといけないものがあるんでしょう…? こんなところで、立ち止まる訳には…いかないんでしょう…?」

「――――」

「私なんか助けて、どうするつもりだったの…? 貴方の目的を捨ててまで、私を助ける意味はあったの…?」

「――――」

「返事して…返事しなさいよっ…!!」

「―――…ぁ、えりぃ…」

「出雲っ!!!」



 エリィの叫びに、僅かに瞳に光が戻った出雲は状況が読み込めないように視線を彷徨わせて、すぐに理解したように笑った。


 浮かべるのは、やけに儚い笑み。



「…そっか…、ぼくは、えりぃをまもれたのか…」

「出雲っ!! 喋っちゃ駄目よっ、待ってて今神官の人が来て貴方の傷を治してくれるわっ、きっと薬だって、もしかしたら秘薬もあるかもしれないからっ!! 大丈夫よっ、秘薬を買うくらいのお金なんて訳ないわ、だから安心してっ!」

「…あぁ、そうだね…。りかに、かおむけできる…。ほんとうに、よかった…」

「喋らないでっ…、ああ、血が止まらないっ…、どうしてよっどうしてっ」



 ぼそぼそと呟かれる言葉に、力は無い。

 消えてしまいそうな彼の言の葉は、彼の今をこれ以上も無く表していて、そのことが分かってしまうから、エリィはどうしようもない焦燥に駆られるのだ。

 残っている手を握って、なけなしの魔力を彼に送る。

 過去に読んだ信用もしていない一説にすがるそんな行為に、本当に意味があるのか分からなくとも、何かをせずにはいられなかった。



「神官が到着したぞっ!!! 君っ、治療するから少し離れていてくれっ!!!」

「っ…、はいっ、お願いしますっ…、お願いしますっ…!」



 キーファが白と金の刺繍を施された服装を着ている初老の男性を連れて駆けてきた。

 だが、背の小さな神官の男性は直ぐに近寄って出雲の状態を確認すると、顔を歪めた後、眉尻を下げてしまう。

 キーファへと振り返って首を横に振る神官の男性を見て、思わずエリィは口元を抑えた。



「…申し訳ない…。私程度では手の施しようがない…」

「そんなっ!! 何か治療魔法を、試してみるだけでもっ…!」

「申し訳ない…、彼は生きるために必要な臓器を幾つも失っている…。治すことではもう…、無理なのだ…」

「…なんて、ことだ…」



 すまないね、と出雲とエリィに声を掛けて、神官の男性が離れていく。

 肩を落として、呆然と出雲とエリィの様子を見るキーファは、彼らに何の言葉も掛けられない。


 子供だ。

 自分の半分も生きていない子供が、目の前で命を失おうとしている。

 その友もそれを看取るしかない。

 あまりに残酷な現実に脱力して、彼らに何も声を掛けられなかった。

 

 息をするのも忘れて、じっと黙っていたエリィに視線をやって出雲が笑う。



「…ぁぁ、えりぃって、そんなかおも、するんだね」

「……わたしは…」

「…ぼくは、えりぃにたすけられてから、…えりぃのことがにがてで…、おこられて、わらわれるから…」

「そんなこと…、わたしは…」

「…うん、わかってる、きらわれて、なかった…」



 ぽろぽろと、呟かれるのはこれまでの事だ。

 楽しい事ばかりでなかったけれど、悪いものでもなかった、何て事の無いそれらの記憶。

 思い違いもあったし、すれ違いもあった、最良の対応何て、どっちも出来ていなかった。

 今は何故だか、そんな事ばかり思い出すのだ。



「…ぼくはね、かぞくがいたんだ」

「――――ぁ」



 ゴブリンキングを倒したことによって取り戻した記憶。

 それは、ただの家族の記憶。

 こんな事になってまで手に入れる様なものでは無い筈のそんな記憶を取り戻して、それでも出雲は心底嬉しそうに言葉を紡ぐ。



「おかあさんと、おとおさんと、―――、…うん、さんにんかぞく…」

「…うん」

「どんなかおでわらっていたか、おもいだせて…、ほんとうによかった…」

「……うんっ」

「…あ、りがとう…えりぃ。ぼくは―――きみたちと会えて、ほんとうに良かった…」

「―――――」



 握っていた出雲の手から力が抜けた。

 それを落さないように必死に両手で掴み取るが、脱力した手に力が戻ることは無い。

 また徐々に失われてゆく瞳の光は、出雲の命そのものだ。



「いずも…?」



 問いかけたその言葉に返答は無い。



「いず、も…?」



 掴んだ手には、もう体温なんて残っていない。



「…い…ずも…」



 ボロボロと零れだした涙が、出雲の頬に落ちても、それを拭うことは無かった。



「あ、ああ、…ああぁ…、いやよ、いや…いずもっ、おきてっ、目を覚ましてっ」



 神官の男性が目を瞑って黙祷を捧げる横で、キーファも空を見上げて目を閉ざした。

 現場に駆けつけていた高ランク冒険者達も、その悲惨な光景から目を逸らし、誰も音を立てない。



「いずもっ…そんなのだめよっ、だめなんだからっ…なんでっ…ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」



 キーファがそんな少女の叫びに見てられなくなって、肩を貸そうと近づくが、子供の様に出雲に縋り付いたエリィは、彼から離れようとしない。

 


「ごめんなさいっ…ごめんなさいっ…、わたしがっ…わた、し、―――あぁぁぁぁぁ」



 ぽつりと、雨が降り始める。

 やけに冷たい雨だ。

 あっという間に強くなっていくその雨の中で、少女の悲鳴に似た叫びは木霊する。

 どこまでも遠く、どこまでも響き渡っていく。



「りかぁ…、いやだよぉ、こんなのいやだ…」



 体を震わせるエリィの声に交じり始めたその名前に、キーファは言いようの無い不安を覚えた。

 けれど、止める間もなくエリィの言葉は続いていく。



「たすけて…、助けてよぉ…、お願いだからっ、りか…」



 ボロボロと止まる事の無い涙を溢しながら、冷たくなった出雲の体を抱き寄せたエリィは、どうしようもないと分かっていながらも、懇願する。

 いつも助けてくれる彼女へと。



「りか…たすけて…」





「―――うん、もちろん」



 答えるいつもの声は、すぐそこにあった。




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