2-5話 始まる殲滅戦
その日の空は遮るものが何もない晴れ渡った晴天。
吹きつける微風は心地よい程度で、気温も汗を掻く事も無い程度の丁度良いものである。
風に吹かれた時の事を思えば、もう少し気温は高いほうが過ごしやすいのかもしれないが、こと今回のケープの町の者達にとっては今の方が都合が良かった。
この日は朝から異様な程にびりびりとした緊張の空気を発していた住人達は、空からの光が無くなり始めるに従って、その表情を強張らせていく。
正体不明の人物の指定した日は間違いなく今日であり、その者の言葉を信じている者も、信じていない者も、不安を隠すことなど出来はしない。
徐々に消えてゆく空の光を睨むように見ていた最後の指揮官を務める男は険しい顔を緩めることなく壁の外の警戒をしている部下からの報告を待つ。
男の歳は40程度だろうか。
眉間の皺は深く年期を感じさせ、皺と同化するように付けられた夥しい傷が露出する顔や腕に刻み込まれている。
赤い刻印の入った鎧を身に付け無骨な長剣を腰元にぶら下げる姿は、多くの戦場を経験した者にしか発することの出来ない空気を纏っている。
それもそうであろう、この男は過去の数十年前の人魔戦争、いわゆる魔王討伐戦に参加した歴戦の兵士である。
間近で勇者と言われる者の武勇を見たし、剣聖と呼ばれる者の絶技を体感したし、賢者と崇められる魔道を覗いた。
そして同様に魔王の、理解が及ばないような強さに絶望したこともあった。
だから、人類の頂点も魔物の頂点も知っている男は、周囲が不安を誤魔化す様に忙しなく動いている様子を横目に、今回の敵を冷徹に計算していた。
突如として帰還した者が昨日いた。
偵察に出ていたB級冒険者パーティの一人が四肢を失いながらもギルドに戻り、敵の戦力と町の包囲を伝えたそうで、貴重な情報として齎されたそれらにより、ようやく敵の存在が浮き彫りとなった。
ゴブリンキング。
強欲の化身とも呼ばれるその存在は、名を聞いただけでも嫌悪を感じずにはいられず、見付け次第討伐が推奨されるその存在は発生自体が珍しく、多くの戦いを経験したキーファが確認したのも二度しかない。
最初は人魔戦争で、次は小さな集落がゴブリンに占拠された際に。
いずれも多くの被害があった訳ではない、だが、その被害を受けた者はあまりに悲惨であった。
正義感が強く、誰かを守るために兵を志した男にとってそれは、到底寛容出来る事ではなく、憎悪にも似た感情をゴブリンという魔物に持っていた。
だからこそ、彼はその生き物を熟知している。
厄介な魔物だ。
少なくとも楽な相手ではないだろう。
欲望のまま理性の欠片も無く、暴れ回るそれに対して甘く見ることは絶対にない。
なぜなら理性が無くとも知性はある、下劣な小細工を行うのを男は知っている。
油断などで自ら隙を作るなど、指揮する者としては塵以下であるとよく理解していた。
―――だから、過不足無く相手を推し量り、キーファは勝てると踏んでいた。
キーファはゴブリンキングとの単騎戦闘となれば確実に勝利することが出来る実力を持っている。
それは、伊達や酔狂や慢心などではなく、単体で危険度6の魔物ならばいくつか討伐を成功させている事や、何より二度目の遭遇では実際に単騎で討伐を行っているからだ。
だから、問題はそれではなく、報告にあったその数だろう。
数百を超える大群が予想されると、四肢を失ったその男は色を失いながら言ったそうだ。
さらにはその中には、ゴブリンの上位種が多く含まれているだけでなく他の魔物であるガルムまでも飼育していたとの事である。
こちらの戦力は防衛に専念しても一日と持たない事は分かり切っている。
だから、やるならば迅速に王の首と取るべきだと、キーファは確信していた。
「っ!! 遠方に動く集団を確認!! 北東方向です!!!」
「よし、皆の者っ、配置に着けぇ!!! 警戒は続けよ! 別方向からの進行も十分あり得るぞ! 伝令はギルドへ通達し、住人には建物から出ないように指示しろ!!」
警戒していた兵からの声に、キーファは素早く指示を飛ばす。
目視が難しい位置なのであろう、壁の上から北東の方角に視線を向けても小さい点が動いているようにしか見えない
ゆっくりとだが確実に、ソレはこちらに近付いてきて、徐々にその点を拡大させてゆく。
最初は点がポツポツと増え始め、次第にそれが繋がって面になり、最後にはそれが一つの生き物様に黒くうねる何かへと姿を変える。
「…なんだ、あれ。なんかやけに多くないか…?」
誰かがそう呟いたのが聞こえた。
ざわつきは、少しずつ広がり始める。
「なあ、見間違いだよな? アイツら空を飛んでるように見えるんだが、俺の見間違いだよな?」
「おい、おいおいおい、待てよ。数百だよな? そういう情報だよな? あれ、本当に数百なんだよな!?」
「静まらんか馬鹿者どもっ!!!目の前にあるやるべきことをやれ!!!」
比較的若い者達の動揺に一喝すると、近くの兵士から遠見の魔道具を奪うように取り、蠢く黒い集団を確認する。
情報にあった魔物はどれも居る、情報は間違いではない、だが、足りなかったのだ。
数は千を下ることは無いだろうし、ワイバーンを飼育している等の情報は無かった。
ゴブリンキングらしき影も見えるが、それに付き従うように同等の大きさを持つのはタイラントか、若しくはジェネラルゴブリンだろうか。
それらがこれほどの数を持っている等聞いていない。
完全に想定外、いいや情報が不足であったのは分かっていたことだ。
だから想定外ではあるものの、予測していた範囲を超えていることは無い。
そう納得させると、遠見の魔道具を投げ返して、キーファは声を荒げる。
「想定を超えることはないっ!! 敵はゴブリンであり、この町を守ることに変わりは無い!! 方針は変わらん、遠隔攻撃の準備を進めろぉ!!! 魔法部隊、準備はどうだ!!」
「了解! こちら魔道統括、1番隊から5番隊まで準備完了! 最大飛距離魔法の射程内まであと300メートル、いつでも行けます!」
「よし! そのまま維持しろっ! 投石部隊、大弓部隊、すぐに出番があるぞっ!! そっちも準備しておけっ!!」
「了解!!!」
怒声のような大声に、部下達もそれに応える様に声を張り、指示された作業をこなしていく。
絶望はある、恐怖も失意も無いとは言い切れない。
だが、ここに残っている者達は、少なくとも守るべきものがこの町にあるから、逃げ出すことも出来ずにここに残ってしまった者達なのだから。
もう、やけくそだとしても、信じた道を突き進むしかなかった。
そんな中で、壁上に駆け上がってきた女性がキーファに向けて声を張り上げる。
「キーファ団長!」
「おお、エミリア嬢か! 君が来たということは、冒険者ギルドも作戦を開始したのだな」
「はい! 各位持ち場に着き、タイミングを計っています。こちらの最終的な戦力はB級冒険者グループ9組、C級冒険者グループ14組、D級冒険者グループ33組です。E級冒険者は町中の避難誘導に当たらせています!」
「有難い、流石はエミリア嬢だ。恐らく敵は千を超えている、皆に慎重に行動するように伝えてほしい」
「了解しました!」
「…本来なら、引退して受付嬢になった君にやらせることではないのだがね…。全く、あのボンクラは…」
「…いえ、ギルド長の夜逃げはこちらの責任です。謝るべきは私の方です、申し訳ありません」
「ああ、頭を上げてくれ。君に謝らせるために言ったのではない」
昨日、エレインを引き留めた冒険者ギルドの受付嬢が、申し訳なさそうに頭を下げるのをキーファは止める。
普段は威張り散らしていた癖に、こんな時になると我先にと逃げだしたあのギルド長を思い出して二人は苦々しい表情を浮かべた。
今はどこかで、一時の安全に酔いしれているのだろうか。
そう思いながら、進んでくる魔物の大群に視線をやる。
「…そう言えば、情報を持ち帰ったB級冒険者の仲間達は」
「…ええ、その家族や知人の方々は、今は亡骸を弔うことも出来ずに…」
「…そうか。いや、この戦闘が終われば捜索に当たろう」
「…ありがとうございます」
顔を歪ませて感謝の言葉を述べるエミリアに頷きを返すと、キーファは騒音に眉間に皺を寄せる。
騒ぎ立てる様な魔物達の声がここまで届き始めたのだ。
近付くとどれだけの騒音なのだろうと考えながら、そろそろ魔法の射程に届く頃かと判断して。
魔法部隊に確認を取ろうとしたところで、悲鳴のような報告が上がってくる。
「だ、団長っ!! 人がっ、人が串刺しにされていますっ!!」
「なんだと!?」
慌てて身を乗り出して確認すれば、確かに棒状のものを垂直に向けて立てており、その先端には何かが突き刺さっているのが見える。
下卑た笑いが聞こえてくる中でそれは、嫌に存在感を際立たせている。
「っ!! いいや、あれは死体だ! 死体を盾にしているだけだっ!! 魔法部隊っ、発動準備に取り掛かれ!!!」
「り、了解しました!!」
『や、やめろ、やめてくれぇぇぇぇ!! 私だぁ!! ギルド長のドミニクだっっ!!!』
拡声魔法だろうか、聞き慣れた腹立たしい声が聞こえてきて唖然とする。
隣から聞こえてきた呻くような声に、反応も出来ず、ただ魔物の行動を見詰めてしまう。
あの逃げ出した男が、あんなふうに利用されている事に、そしてあの男の性格を把握してこのような策を弄してきたゴブリン達の知能に背筋が凍った。
これから先の事は、考えなくとも分かる。
『魔法を撃たないでくれぇえぇぇぇえ!!! 私はまだ生きているんだぁぁああぁぁ!!! 誰かっ、誰か助けてくれえええええ!!!!』
「だ、団長っ、魔法を…」
「クソォ!!!」
思わず、そう吐き捨てて。
あの自分の命のためならば何でも切り捨てるボンクラの事と、この戦略の損失を計りに掛けて覚悟する。
「魔法を続けろっ!!! あれは偽物だっ!! ゴブリン程度に生け捕りなどと考える知能がある筈がない!!! もしも本物だとしても、責任は俺が取る!!!! 魔法部隊発動用意ぃぃ!!!!!!」
自分でもそんな筈がないと言うことを理解しながら、そう号令を掛ける。
あの数だ。
少しでも減らさなければ、対応しきれない数が残ってしまう。
ただでさえ、以前の鳥の化物に破壊された壁の修復が完全には終わっていないのだ。
今は瓦礫や荷物を詰めることで何とか防ぐよう対策しているが、それもあの魔物達に張り付かれたらどれだけ持つか。
だから、あの男一人のために、ここで全体を巻き込める範囲魔法を諦める事は愚か者のすることだと、判断した。
睨み付ける様に、自分のこれから行う罪を見詰めながら、叫ぶ。
「撃てぇぇぇ!!!!!!!!!!!」
『や、止めろおおおおおおおおおおおお!!!!!!!』
魔法部隊が一斉に、魔力を叩き込むように術式に流し込む。
用意された巨大な術式が一瞬発光し、町から巨大な魔法が5つ発動された。
それぞれが最も飛距離のある高位の雷魔法、grand-lightningグランドライトニングの術式を起動させると、地を砕きながら黄金の雷光が魔物目掛けて駆ける。
最速の雷魔法だ。
当然避けること等出来ずに、大地を歩んでいた魔物達はその偉大なる雷に焼かれ、前線にいた棒状の人の盾を持っていたゴブリン達は崩れ落ちる。
焼かれた者達から出た白煙が空に昇っていくのを見ながら、聞こえなくなったギルド長の声に一瞬だけ思いを馳せ、すぐに次の魔法を準備するように指示を出す。
「よし、効果は十分だ!! 次は殲滅力特化の火炎の魔法をっ―――!!??」
「キーファ団長っ!!」
飛来した巨大な棒を、腰元の長剣を抜いて真っ二つにすると、先端に突き刺さっていた黒く焦げた塊ごと切り裂いてしまう。
だが、それを考える時間は無い。
魔物の軍の方を見れば、ジェネラルゴブリンが次の棒を持ち上げている。
「身を隠せぇぇぇ!!!」
空気が避ける音と共に、次の棒が豪速で飛来する。
今度はキーファを狙ったものではない。
術式を準備していた魔法部隊の一角に、それが突き刺さる。
魔法部隊の悲鳴がここまで聞こえてきて、壁の崩れる様な音が響き渡った。
じっと、こちらを見詰めるジェネラルゴブリンと目があった。
頬を冷たい汗が落ちる。
ジェネラルゴブリンが、こんな力技を出来ただろうか。
「ま、魔道統括より連絡っ! 魔法第3部隊の術式が破壊されましたっ! 使用は不可能です!!」
「分かったっ!!! 他の部隊で予定通り火炎魔法を行えっ!!!」
「了解!!」
「火炎魔法の標的はワイバーンだ!!! 飛行する魔物を町中に入れるなっ!! 地上部隊、準備しろっ!!! ここはすでにあいつらの射程でもある!! 強力な魔物を我々で排除し長距離部隊、支援部隊への攻撃を無力化する!!!!」
吠えるような指示と共に、再度異なる魔法部隊目掛けて飛来した巨大な棒を、横から切り飛ばし吹き飛ばす。
「エミリア嬢!! 教会からの神官は何名いる!?」
「ほ、他の町からの支援はありません! この町に駐在する1名のみです!」
「ちっ…、ならば、負傷者を町中の安全な場所へ運び、運んだ者はE級冒険者に後を任せすぐに持ち場に戻れ!! 魔法部隊、撃てぇ!!!!!」
巨大な龍に似た火炎が四つ噴き上がり、そのまま蛇行しながら魔物の軍へと降り注いでいく。
壁上に居るだけでも熱を感じるほどの魔法に笑みを零しながら、後は頼んだと副官に告げるとキーファは壁から飛び降りて、地上からゴブリン目掛けて掛けて行く。
それに追従するのは、選抜した熟練の兵士達6名だ。
いずれも数々の武勇を打ち立てている強者、魔物達の対応だけでなく、背後からの味方の支援にも被害を受けることなく戦闘を継続できるだけの力を持っている者達だ。
先駆けるキーファの常人離れした速度にも遅れることなく着いて来ているだけで、その実力が並みでないのが分かる。
火炎の龍が、上空のワイバーンを喰い破りながら、その身を地面に叩き落としていくのを目前にしながらも、誰一人ひるむことなく魔物目掛けて突撃する。
接敵したその瞬間、瞬きの間もなく6体の魔物が切り落とされた。
「俺はゴブリンキングを討つ!!! お前達はジェネラルゴブリンをっ!!!」
「「「了解!!!」」」
最後にそれだけ指示を出し他の地上部隊と散り散りに分かれた。
背後から矢が降り注ぎ、割れた大地が魔物を飲み込む土魔法が足元から発生するのを紙一重で避けながら、剣の届く範囲に居る魔物を両断して加速する。
視界の端に映った杖を持ったゴブリン、ソーサラーゴブリンの位置を確認すると、回転切りで周囲の魔物を薙ぎ払い、その勢いのまま投剣した。
それだけで、叫び声一つ上げる事も出来ずゴブリンの上位種であるソーサラーゴブリンは息絶える。
完全に絶命してるのを確認して首に刺さった長剣を引き抜き、ソーサラーゴブリンの死体を持ち上げた。
「もはや貴様らに慈悲はない、散れ」
持っていた死骸が細切れとなり、塵に変わったのを見て、恐れを抱かぬはずのゴブリン達が気圧された様に後ずさる。
その引いた気配を察知したキーファは、作られたその意識の隙に反応すら許さず間合いを詰めた。
一振りで3つの首を切り飛ばし、混沌とする戦場をさらに駆ける。
ゴブリンキングを見つけるべく止めることなく索敵を続けるが、敵の数が多すぎてどうにも見つけられない。
焦りと共に我が身を省みれば、いつの間に出来たのか小さな切り傷が幾つも出来ている。
このままではジリ貧だと、次々にゴブリンを切り捨てて進めて行けば、ようやく巨大な影が見えた。
「あれが、王か…いや、これは…」
下手すれば町の壁よりも高いその魔物の姿に、息を飲む。
仲間であるはずのそれを、巨大な鎖で幾重にも巻いて身動きを取れないように蹲らせた格好のまま、大きな車輪が付いた台で運んでいた。
止める間もなく、それを止めていた鎖を切り落としたウォーゴブリン達が一斉にそれから離れる様に逃げてゆき、あっという間に近くに居るのは自分とその巨大な何かだけになる。
それは、ゆっくりと動き出した。
寝ぼけているかのように何度か瞬きをして、じっとりとキーファを眺めた後に、町の方へ目をやった。
「―――待て、どこを見ている」
キーファの声に、何の反応もしないその巨獣は蹲った体勢からのっそりと立ち上がる。
留め具として残っていた紐が音を立てて引き千切られ、運んでいた台車は潰れ落ちる。
酷く猫背のその巨獣は、それでもこの場にある何よりも大きくて、それだけで何よりも脅威だった。
ゆっくりとした一歩が踏み出される。
それだけで、大きく距離を稼ぐその巨獣の歩む先は、ケープの町ただ一つ。
それが興味を持っているのは、それだけの様だった。
「貴様っ、どこを見ているっ!!!!」
激昂し支えである片足に肉薄して、斬撃を叩き込んでもその足に刃が通らない。
異常に発達した外皮があまりに固く、あまりに太い。
虫に刺された程度の感覚も無かったであろうそれは、キーファのことなど気にもせずに、また次の一歩を踏み出そうとする。
焦りを目に見えて表情に出したキーファに対し、心底楽しくてたまらないと言った笑い声を上げて、鎧を着たゴブリン、ウォーゴブリン達が飛び掛かってくる。
必死に応戦するキーファだが、そんなことをしている間に町を目指す巨獣はさらに歩みを進めている。
そのことに対する焦りを浮かべたキーファに対して、適度な間合いを保ちつつ戦闘の時間を稼ぐ目の前のこいつらは、自分達の勝利条件ではなくキーファ達兵士の敗北条件を狙うかのように行動していて、これでは魔物というよりも、まるで。
「―――まるで、質の悪い人間を相手にしているかのようだ」
ぼやいた内容に、自分自身で驚いた。
こんな下種どもと、戦う前は考えていた。
少なくとも、人と同等などをは考えていなかった。
せいぜい頭の回る魔物としか思っていなかったのだ。
そうだ、目の前のこいつらはあまりに異常、そう思って歯噛みする。
知能が高すぎる、戦闘能力が高すぎる、何もかもが常識はずれの例外個体。
それどころではなかったため、度外視していた以前のパズズの異常な強さを思い出し、調べておくべきだったと今更になって後悔する。
だが、今そんなことを言ってもどうにもならないのだろう。
いざ、目の前のウォーゴブリンを薙ぎ払おうとした時に、その背後から彼らよりも立派な鎧を纏った、壁上で目があったあの上位種が現れたことで、動きを止める。
ジェネラルゴブリン、あの投擲からも分かる、異常な個体の一体。
部下に任せたが躱されたかと思い、剣を構え警戒するが、そのジェネラルゴブリンは構える訳でもなく、持っていた何かをキーファの前へ投げ寄越す。
そこに転がるのは、見慣れた筈の見慣れない姿。
任せた筈の部下、その3人が変わり果てた姿で動かなくなっていた。
「貴様っ…」
「オマエハ、タノシマセロ」
「貴様貴様貴様ぁぁぁぁ!!!!」
血走った眼で吠えれば、それすら心地良いとでも言うように目を細めて、口を横に裂いた。
大地を踏み込んで、剣に手を添える。
数歩で目標まで辿り着けば、全力を込めた剛剣を振るう。
渾身の一撃であった、何もかも。
だから――――それを片手で掴みとられた時、目の前で何が起こったのか分からなかった。
ジェネラルゴブリンは一つ、溜息を吐いた。
「ツマラナイナ」
凶手が目前に伸ばされた。
やけにとがった、その手先はべっとりと血に塗れていて。
この手で部下もやられたのだと、他人事のように思考を巡った。
終わりか、あっけない。
そう考えて、過去に背中を追っていて結局届く事の無かった、あの勇者の後姿が頭を過った。
「っ――、あ、危なかったですね。いえ、本当に、間に合って良かった」
「―――――…ゆうしゃ、さま?」
見知らぬ青年の後姿が目の前にあった。
動きやすいように短く折られた布の服を巻きつけるだけの、到底戦闘を行うものの服装ではない彼は、それでもジェネラルゴブリンの凶手を片手で掴みとっている。
鎧であろうとも軽く引き裂くはずのその一撃を、掴み取られたジェネラルゴブリンは驚愕に目を見開いて、慌てて距離を取ろうと行動したところでその頭を横合いから掴まれた。
「何やってるの、敵は生きてて目の前にいるんだから、ちゃんと処理しなさい」
パンッ、とあっけなく、あの異常個体であったジェネラルゴブリンの頭が弾けた。
頭部を失ったその体は、しばらく苦しげにもがいていたが、すぐにその動きを止めて地面に倒れ込んだ。
唖然と2人を見ていたが、あの巨獣が町に向かっていることを思い出して、そちらを見れば、巨獣はもう手を伸ばして壁に手を掛けようとしているところで。
壁上に居る者達が、必死に魔法や投石、弓などを使って抵抗しているがまるで意にも解さないそいつの姿に、絶望を浮かべている。
止めなければと思って、もう間に合う訳ないのに、駆け出そうとしたキーファの隣で少女がめんどくさそうに片手を向けて何かを紡いだ。
「‐forest seraphim‐‐restraint‐」
それだけで、巨獣の動きが止まる。
巨獣の足元から幾千もの木の根のようなものが這いだして、真上に居たソレの体に巻き付いたのだ。
ようやく何かしらの反応を見せたその巨獣に対して、少女は青年の肩を叩いた。
「じゃあ、とどめお願い」
「うん、任せて」
手に持っていたやけに古びた刀を伝うように、赤い滴が手元から先端に伝わっていく。
それを無造作に拘束された巨獣目掛けて振るえば、ふわふわと重力を無視した動きで真っ赤な滴が飛来して。
それが巨獣の背中に当たった瞬間、異常に肥大した様に見えた。
いいや、肥大したのかは正直分からなかった。
だが、少なくとも巨大な真っ赤な火の玉にあの巨獣が飲み込まれたのだけは、確かであった。
飲み込まれた巨獣の悲鳴が響き渡る。
球体の中でもがいているのだろう、うっすらと見える影がばたばたとそこから出ようとしているが、何故だかソレは叶わない。
次の瞬間には、発生した赤い球体は音も無く消え失せ、中に居た筈の巨獣の姿は何処にもなく、塵すら残っていなかった。
壁の上に居た者達の、呆然とした表情が見える。
あれだけ何をやっても、少しだって効果が無かった巨獣が、いともたやすく屠られた。
ほっとしたのも束の間に、金切り声をあげて全方位から囲むように襲いかかってきたウォーゴブリンに呼吸が止まるが、それすら彼らは動じない。
「邪魔よ」
少女の一言で、肩口辺りで漂っていた拳くらいの大きさの水球が破裂し、途端に、周囲に居た魔物全てが粉微塵となった。
恐らく、圧縮された水の刃だろうと思うのだが、正確なことは分からない。
少なくとも、その刃を目視することは叶わなかったのだ。
「な、なんなんだ…、君たちは…。味方で、良いのか…?」
「ええ、そうよ。…非常に、非常に不本意ではある訳なんだけれどね」
「またエリィは…。すいません、僕達はなんてことない通りすがりです。諸事情によりしばらく助太刀します、どうぞ宜しく」
突然目の前に現れた、可笑しな二人組に困惑しつつも、キーファは戦場の流れが変わったことを理解した。
どうにも、形勢は逆転したらしい。
「…空が青いのう…」
「…いや、黒いよね」
「…お腹、空いたのう…」
「…いや、ここじゃあお腹なんて空かないよね」
「…どれくらい時間が経ったのかのう…」
「…私が知りたい」
膝を抱えて空を見上げる二人の周りで、子供達がきゃいきゃいと転がって遊んでいる。
死んだ目をした二人を遊びに誘おうと、服を掴んで引っ張る子達も居るが、疲れ果てた二人にはもはや遊ぶ気力なんてない。
結論から言おう。
彼らから逃げていた二人だが、割とあっさり掴まってしまった。
原因を簡単に説明するなら、逃げている方向に居た子供達の中でも最年少くらいの子が、足を引っ掛けて転び泣き出してしまったのを見捨てることが出来なかっただけの情けない話である。
泣く、何ていう人間らしい行為をした子供に対して、カラカササマという正体不明の化物から洗脳や支配を受けていない、救うべき者だと誤解してしまったのが敗因だ。
近寄って抱き起せば、くしゃくしゃの泣き顔のままひっしりと抱きついて来た子供を鳥居様が引き剥がすことが出来ず、追いついて来たカラカササマ達に対して視線を向けてしまったリカが無力化されたことにより、抵抗できずに捕獲されたという経緯である。
もはやこれまでかと覚悟した二人に対して行われたのは、カラカササマによるキツイ抱擁、のみであったのだが。
頬を引っ張ったり髪を結んだりと、好きに玩具にされている二人と子供達を、嬉しそうにカラカササマは見守っている。
時折、頭を撫でてくるのをされるがままにすると、カラカササマは不気味に身をくねらせた。
2人は完全に子ども扱いされていた。
それも、手のかかる可愛い子供を見守るような対応である。
狭い世界、多すぎる追手の数、消耗する体力や気力と、そもそもの不調を加えれば、彼らから逃げ続けるなど、元より不可能な話で。
掴まった結果が、これであった。
真っ青な顔色をしたリカが自嘲するように呟く。
「こいつはやっぱり…私達に害意がある訳じゃなくて…、私が向けた敵意への自動防衛が発動しただけなんだね…」
「そうじゃ! お主、精神を汚染されたとか言っておったけど、今は大丈夫なのか!?」
「んん…、無理…。大丈夫とは言えなくて、でもこれで再起不能とかにはならないから、まあ、安心して…」
そう言って、リカが顔を腕に埋めると動かなくなる。
自分が想像しているよりもずっと深刻な影響を及ぼしているのかもしれないのだと思うと、鳥居様が感じていた不安がより大きくなって、抑えきれなくて、溢れて出してくる。
心配したように覗き込む子供達や、あわあわと動揺し始めたカラカササマに見向きもせずに鼻を啜って俯くと、その音が聞こえたのだろう、リカは直ぐに顔を上げた。
「―――なに、泣いてるの?」
小馬鹿にするような口調で告げられた言葉に慌てて頬を濡らしていた滴を拭った。
強がりだけが、何もなくなった、少女の形をした、何かの、残ったものだから。
こんな小娘に配慮されるなんて、到底許せないから。
「な、泣いてなんかっ…」
「はっ、そうなんだ。随分不細工な顔してるんだね」
「――おっ! お主こそっ、真っ青な顔してっ、今にも死にそうな顔してっ! 何が安心してじゃ! 辛いなら辛いと言えば良いじゃろう!!」
「馬鹿にしないで、貴方に心配される程、私は弱くない。この程度の喪失や痛み何て幾らでも経験して、その度に乗り越えてきた。それを、他ならない、貴方のような存在に弱音何て吐くと思っているの?」
「こんな所まで来てそれか!? わ、儂だってお主の事など心配なんてしておらんわ!! 儂にとって最も重要なのは出雲しかありえんっ! あ奴の安否がなによりでっ!」
「そう、それは重畳。私も、エリィ以外は別にどうなってもいい」
「ぐっ…うぅぅ……」
「……なにその不満そうな顔…。今の会話からしたら、別に不満を持つ個所何て無い筈」
「わ、わしだってっ…、だってっ…」
「……………」
俯いてしまった鳥居様に対して、困ったように視線を彷徨わせたリカ。
原因の分からない彼女の様子に、どうするのが最善かと考えを巡らせる。
そんな二人の発し始めた微妙な空気が伝わったのだろう、周りを囲んでいた子供達もいそいそと離れ始め、二人の様子を遠目に窺い始めるが、逆にカラカササマは異様に長い首を動かしてリカの前に顔を出す。
「……貴方も私を責めるの? …はいはい、私が悪いですよ」
痛む頭を片手で抑えてつつリカがそう言えば、カラカササマは笑みを模ったような道化のような顔を上下に揺らして喜びを露わにする。
目の前のそんな様子に、またリカは心底忌々しいとばかりに眉に皺を寄せるのだ。
カラカササマは、ケープの町に伝わる伝承、伝説である。
それは、カラカササマという存在が出来たのが先か、伝承が出来たのが先かは定かではないが、ともかくとして現在その伝承が本物である事が重要なのだ。
子供を守る怪。
闘争を嫌う化生。
神隠しの主犯。
あるいは、裏世界の主だろうか。
無邪気で、力が無く、有事の際は真っ先に命を落としてしまう、そんな弱い存在を愛し、ただただ闘争から遠ざけるその存在は、慈悲深く、同時に酷く冷酷で合理的。
子供以外を守らず、手を出さなければ町が消えてしまうような状況であっても、何一つ行動を変えることは無い。
そして、上位者のような物事を事象としか捉えないような精神性を持つがゆえに保有する、凶悪な能力が幾つかある。
そのいくつかの能力を大まかにまとめるとこの空間、反転した町の説明となる。
時間という概念が無く、成長や進化、ましてや和を乱す様な行動、子供を傷付ける行為を許さないこの世界は、カラカササマが持つ独自の空間、一種の所有領域。
その領域の範囲はケープの町そのもので、重なり、密接し、隣接する場所にある。
リカ達が何の前触れもなくこの領域に来てしまったのはいくつかの条件を満たしてしまったからであり、条件を満たしてしまえばケープの町に入っている者はどうやっても防ぐことが出来ない強制力を伴った能力により、保護されてしまう仕組みになっている。
リカやエリィが感知出来かったのはそのためだ。
目に見えない条件があるだけの、ケープの町のしくみとして成り立っているただの現象を、察知することが出来ないのは当然だろう。
察知することが出来ない。
抵抗が許されない。
逃げることが出来ない。
それらがまかり通る凶悪な能力だが、対象は子供と認識した相手のみであり、範囲もケープの町の中だけという点を考慮すれば、まだ納得できる加減であろうか。
ともあれこうして保護されて、ようやくその事に気が付けてももう遅いのだと、リカは不機嫌になる。
もし、ここからどうにかするとすれば、それらの能力を上から叩き潰すか、若しくは子供という認識を変えるかだろうか。
もちろんどちらに案も、リカに実行するだけの力は無い。
八方塞がりとはこのことだろう。
手の施しようが無いものの、けれどリカに焦りは無かった。
「…まぁ、あの二人ならどうにかしてくれるでしょ」
「…何を言っているのじゃ…?」
「要するに、町の危機が去れば私達は帰れる訳だから、後は外の二人に任せてゆっくりしようって事。あの二人なら大丈夫だろうからね。ここで無理に動いた方が、私達の不利になるからね」
「…楽観的じゃのう…、もしこやつらが儂らを襲ってきたらどうするのじゃ…?」
「いや、まあ、…そうだね、もしそうなったら―――」
不安そうにこちらを見る鳥居様から視線を外し、近くにいるカラカササマをじっと見つめる。
先ほどまでの微妙な空気が消え始めたのを理解しているのか、カラカササマはこちらを静かにこちらを観察している。
未だ多くのことが未知数だ。
手札がどれだけ残っているか、自分の把握した情報が確実なものなのか、分からない事は多いが、少なくとも―――。
「私が、全てを終わらせる」
これを倒すのは骨が折れるだろうなと、頭を痛めた。