2-3話 小さな者達の諍いが
空からの光が完全に消えた。
光の無い世界では寸分先も見通すことが出来ないが、対策を取れている町中で在れば生活することに支障が出るようなことは無い。
日中とは異なり建物からは魔道具を利用した明かりが灯り、路面からは薄い光が漏れだしている。
昼間に比べてしまえば明るさは大分下回るし、何より大部分が破壊されてしまっているこの現状では、町を包む光は普段以上に弱弱しいものであることは間違いない。
だが少なくとも町中に居れば、暗闇で視界が遮られて困るということは無いだろう。
だからだろうか、今なお町中は賑わいを見せており、物資の交換や明日に向けた防壁の整備などを精力的に行っている。
冒険者ギルドの構成員や自警団、駐在の兵等から発せられているピリピリとした空気を肌で感じているからだろうか、町を歩く人たちの表情は固い。
自分達の行く先を、何となく誰もが分かっているかのような雰囲気が町中を包みつつも、足を止める人は一人も居ない。
それは、特別彼らが強いとか、現状を認めていないとかという訳ではない。
ただ、いつかこうなるのだろうという予感があったから。
それだけの話だった。
そんな町中で、老舗の一つである宿屋の一室でも忙しなく作業を進める人影があった。
「ううん…即席で作り足してみたけど、どうにも…、エリィはどんな感じ?」
「こっちはどの程度の物を使おうか、選別しているところよ。…とりあえず、殲滅出来る様なものは幾つか出せるようにしとかないと。…そっちはどんな感じかしら?」
「ええと、僕の方はあれですね。この刀の手入れしか出来ないので、何とも言えませんが、でも、調子は悪くないです。変な緊張もほぐれましたし…、えっと、鳥居様は?」
「ふふふん! 当然のごとく良好じゃ! 今の逃げ足ならきっと兎にも負けんし、数十年は引き籠れる自信があるのじゃ!!」
「―――分からない…。僕には鳥居様が何を言っているか分からない…」
遠足にでも行くのを期待するように、飛び跳ねる鳥居様を見ながら出雲は頭を抱えた。
二人を眺めてコロコロ笑うリカと憮然としたままのエリィに、あれの世話は任せたと無言で肩を叩かれたことで、自分が戦闘面で期待されていない事は何となく分かる。
当然だ、以前のような正面からの殴り合いで基礎能力不足は痛い程痛感させられた。
経験も、能力も、技術も足りないのは分かり切っている。
特殊な力だけで圧倒できるようなら、それに越したことはないのだが、今回それは最後の最後の手段。
むしろこれからの戦いの基軸は、馬鹿正直に正面から武力衝突するものではなく、想定外からの奇襲による殲滅、これに尽きる。
闇夜の中で、煌々と輝く炎など、目立ってしまって奇襲など出来はしないのだ。
だから、戦闘力的な意味でも戦術的な意味でも、今回の出雲は戦力外、役割は鳥居様のお守りだ。
「とは言え、奇襲が失敗したら総力戦となるわ。その場合、…期待してるわよ」
「は、はい! 頑張ります!」
エリィからのフォローに意表を突かれたものの、お腹に力を籠めて返事をすれば小さく頷いてくれる。
エリィとの関係もだんだんと良くなってきているのだろうか、彼女からの優しい言葉やフォローも増えてきたように感じる。
このまま徐々に仲良くなって、リカとエリィの仲ほどに成れればいいなと思うが、彼女たちの関係は三年ものという。
どう甘く見たって長い道のりではある。
気長に旅を続けて、少しずつ話していくしかないなと結論付けた所で。
「リカ、対象の索敵をお願い」
「了解、ちょっと待ってね」
エリィの指示にすぐに応じたリカは、部屋の窓を開ける。
闇夜に照明の灯りが滲む視界の中で、空を見上げ数度鼻をスンスンと鳴らすと、視線を一方向に固定して目を細める。
「…血の匂い、遠いけどね。少し場所を移動した、東寄りに行ったか…」
彼女の、本格的な索敵を見たのは初めてであったが、どれほどの範囲を把握しているのだろうと他人事のように疑問に思う。
魔法を使っている様子は無いし、ただ五感を使っているようにしか見えない。
それでも、リカの言葉は止まることなく続く。
「数が増えたね、おおよそ全体数は千か。編成されているのは、ゴブリン、ウォーゴブリン、ガルムにワイバーン、…ジェネラルゴブリン、ソーサラーゴブリン、タイラント、――それとゴブリンキング」
「せ、千?」
「…想定以上の戦力ね…、通常個体として仮定したとしても、町一つを落すにしては過剰すぎるほどに」
「どうなのじゃ、実際。勝算はどの程度ある?」
「さてね。それは私の専門外、そもそも不確定要素が多すぎて何ともね」
難しい顔をした鳥居様の言葉にリカは肩をすくめて答えると、開いていた窓を閉める。
外の喧騒はそれでも聞こえてくるが、開けていると会話がしにくい程の音が部屋に入ってくるのだ。
リカの索敵結果に、エリィの表情は険しくなり、出雲は顔を青くする。
こうして正確な戦力を数えられると、どうしても及び腰になる。
それも、本拠地を叩くなんて言い出したのが自分自身だと思えば、その衝撃はより一層大きい物であった。
だが、そっと彼女達の様子を窺えば、誰も出雲を責める態度は無いし、解決策がすでに用意されているように戦闘担当の二人は軽い感じで一言二言交えている。
何度かエリィの頷きを貰うと、リカは口元を上げて出雲達に向き直った。
「今回の作戦をおさらいしよう。主とするのは私とエリィを中心とした奇襲。目標個体は、出雲の記憶に関するトリガーを持つモノ、今回はゴブリンキングのみを対象とするね。出雲と鳥居は近くまで行って身を潜めて、私達の成功の可否に関わらず、状況を見て所定の行動を取ること」
ここまでは良いね?
そう確認したリカに二人は頷きを返す。
「よろしい。…さて、ここからが補足。私達は確かにあれの頭を討伐するけれども、あの集団全てとぶつかり合うつもりは無い」
「それって…、奇襲だから当然じゃないの?」
「そう、当然の事なんだけどね。言っておかないで後々齟齬が出るのも嫌だしはっきりしておくの。王を失った集団が混乱してこの町に攻め込んだとしても、私達は関与するつもりは無いということを理解しておいて」
「―――え?」
呆然とリカから吐き出された言葉を理解しようと、頭の中で反芻させるが、それすら遅いと言わんばかりに彼女は重ねて出雲に告げる。
「いい? あくまで私達がこの作戦を行うのは、貴方の記憶を取り戻すため。それは、貴方を保護した私達の責任であると思うし、そこをどうこう言うつもりなんて私もエリィも無いの。…でも同時に、私達に何の関わりもない、せいぜい物資の購入に訪れるだけのこの町に住む他人のことなんて、どうでも良いの」
「でも、…ほら、時間が経てば経つほど厄介になる相手なんでしょ? だったら、ここで全滅させても…」
「ああ、うん。そんなものはどうだっていいんだよ。国の騎士団やギルドが対処するべきことでしかなくて、私達がやるべきことじゃない」
「でも…、それは…」
この宿の夫人の顔が思い浮かぶ。
少ししか会話なんてしていないし、相手の人格も、よく分かっている訳ではない。
だが、生きていてほしいと思うのは確かであったから、なんとか出来ないかと食い下がろうとするが、鳥居様が出雲の袖を引いた。
「止めよ、出雲。お主の感傷のためにこやつらに命を掛けろと言うつもりか」
「―――っ…」
言い聞かせるように優しい鳥居様の言葉に、息を飲む。
自分は何を言おうとしていたのだろうと考えて、口の中が乾いていく。
彼女たちは、やる必要もない事を自分のためにやろうとしているのだ。
危険と分かっているのに、回避できることでしかないのに、それをやろうとしているのに。
それなのに自分が、これ以上を要求するなんてあまりに恥知らずではないか。
言葉に詰まった様子の出雲の様子に、リカは困ったような表情を作った。
「いや、そんな気にする必要ないよ。誰かを救いたいと思う感情は理解するし意見は多いほうが良い、土壇場で勝手な行動をされる方が困るからね」
「…すいません、勝手なことを言いました」
「ええと…、的確に心を抉ったなぁ…。いやね、私達はあくまで世界を見て回る旅人でしかなくて、長年生きていないような子供でしかないの。色々人より出来ることは多いけど、何の組織にも所属してなくて何のしがらみもない、取るべき責任は何もない集団だってこと、これだけは覚えていてほしいな」
そう言い切ると鳥居様に視線をやってもう一度出雲へと戻す。
雰囲気が暗くなっていることを気にしているのだろう。
リカは、両手を大きく広げて自身が目立つようにして。
「つまり、私達は自由なのさっ! 私達がやることは私達が決める! そこにたとえどこかの国の王命や神からの運命だって入り込みなどさせないのさ!」
「運命とは…大きく出たのう」
「当然! 私は我儘だからね!」
「…しかも性格悪いしね」
「そうなのじゃ、儂に対してこやつ厳しすぎると思うのじゃが、も少し儂に優しくするよう、えれーからも言ってやってくれんか?」
「え、えれー…。いえ、難しいんじゃないかしら。ほら、リカって根に持つタイプだから、最初の時にリカの事馬鹿にした事を、多分今も恨んでると思うわよ」
「ええええー!? 身長と一緒でそんな器のちっこいやつなのじゃ…? 全く儂の広大な果ての無い器を見習ってほしいくらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!??? 頭がいたいのじゃぁぁぁぁぁぁ!!!???」
ドヤ顔で自信満々に語っていた鳥居様の頭を脇で抱え込むと、リカは暴れるのを抑え込みながらにっこりと笑顔をエリィに向けた。
不気味なほど静かな笑顔と相対することとなったエリィは、頬に汗をかきながら後ずさる。
「エリィ。私って、根に持つタイプなんだ? そう思ってたんだ? ふうん?」
「い、いや、違くてねっ。えっと、記憶力! そう、記憶力が良いから嫌なことをしたら忘れないよって言いたくてっ…!」
「へえ、つまり根に持つんだね」
「!?」
「頭がっ、割れるから、早くその腕を離すのじゃぁぁっ!!!!」
あっという間に騒がしくなったその一室。
別の部屋で作業していた夫婦にまでその騒音は届き、二人は顔を見合わせて笑みを零すと、また作業を再開させる。
同様に、落ち込んでいた出雲も、目の前の混沌とした状況についていけず目を白黒とさせていたが、すぐに噴き出してしまった。
能天気、それくらいが丁度良いのだと、なんだか言外に言われたような気がして、自分が悩んでいたことが馬鹿馬鹿しく思えた。
「やっとっ、やっと離しおったなっ、この無礼者めぇっ…!」
「ああ、ごめんごめん、小さすぎて見えなかったよ。謝るからさ、もちろん広大な果ての無い器の持ち主の方は許してくれるよね?」
「小ささはどちらかと言えばお主の方が小さいわぁ!!」
「はぁ!? そんなわけないし!? 寝言を吐くなチビ!!」
「んじゃとぉぉ!!?」
「なにさぁぁぁ!!?」
額を突き合わせて睨み合う二人は、どちらも譲る様子は無い。
牙を剝く鳥居様と、口を三角にして怒りを露わにするリカ、そんな二人をよそに、標的から外されたエリィはほっと息を吐いている。
戦いの前にこんなことで大丈夫だろうかと、笑いながらエリィの隣に立つと出雲は彼女に声を掛ける。
「大丈夫ですかね?」
「…大丈夫よ、どうにでもなるわ」
「そうですよね…良かった。あと、すいません、考えなしなこと言って」
「良いのよ。リカも言っていたけど、そう思うのは間違いじゃないし、正しい事だとは思うから」
そう言って、少しだけ悲しそうに笑ったエリィは二人を諌めようかと出雲に言って、リカ達の間に入る。
涙目のまま地団駄を踏んで不満を口にする鳥居様と、頬を膨らませてそっぽを向くリカを引き離すと、呆れたように二人を窘めるが、肝心な彼女達はもはや聞いてすらいないだろう。
エリィが目を離した隙に、小突きあっている様子を見ればそれは間違いない。
予想した通り、鳥居様が悪辣なリカに敵う筈もなく、結果鳥居様は目に溜まった涙が大きくなるだけに終わる。
「うぇぅぅっぐうぅぅっ…、ゆるさんっ……、今度という今度は許さぬぅぅっ…」
次の瞬間には、出雲達が止める間もなく、鳥居様がリカ目掛けて飛び掛かった。
さらりとそれを避けるリカに鳥居様は諦めず追撃を加えていくが、力の差は歴然である。
躱し、逸らし、受け流す。
パズズとの戦闘で見た、リカの身のこなしは健在だ。
あの化け物ですら手玉に取ったのだから、鳥居様では手が届くはずは無い。
だが、破れかぶれのその攻勢は衰えることなく、狭い部屋の中でどんどんリカを部屋の端に追いやっていく。
そのうち対応することに疲れただろうリカが距離を取るも、まだ鳥居様は諦めない。
「っちょ、なんでそんなにむきになってるのっ!?」
「むうううぅぅぅっ!!!」
もはや涙を溢しながら、我が身を省みずにリカ目掛けて飛び込んだ鳥居様に、追われている彼女は唖然とした表情をして。
そのままリカは突撃を避ける事無く、その渾身の一撃を身に受けると、二人してゴロゴロと部屋の外へ転がっていった。
それを見て焦ったのはエリィだ。
余興を楽しむかのように力を抜いてそれらの様子を見ていた彼女は、リカが転がっていくのを見て慌てて身を起こす。
「な、何やってるのリカ!?」
「えーと、まあ、大丈夫だと思いますよ。二人とも軽いですし、怪我とかはしてないと思います」
「…なんでリカの体重を知っているかは、今は聞かないけど、後でじっくり聞かせて頂戴」
「えっ!?」
「それより、二人は…」
慌てて身を起こしたエリィが、二人が転がっていった扉の先の様子を確認しようと早足で歩いていく。
どうにも、リカの事となると平常心でいられないのがエリィらしい。
鳥居様凄く悔しそうだったなと考えて、リカと対等にやり合いたかったのだろうかと思い至った。
背丈も同じくらい、暴力と暴言の応酬はあるもののいずれも後々引きずるようなものはしないし、色々と世話も焼いてくれて構ってくれる相手。
理由こそ分からないが初めは険悪であったように思うが、共に過ごす中で相手への理解が深まったのだろう、徐々に険悪さも薄れ始め、何かとお互いに歩み寄ろうとする姿勢はあったのだ。
だが、二人には決定的な違いがあった。
それは、役割の大きさの違いである。
鳥居様は、背丈だけでなく、自身と同様に記憶の喪失があった上、力も非力で特別な技術も無い。
対してリカは、何でもできる。
それこそ、日常の家事全てや、商談、交渉術、そして自分が見た戦闘術に回復魔法。
余りに広く要領よくこなしてしまう彼女の姿を、思い返せばここ最近鳥居様は追いかけていた気がする。
少しでも技術が盗めるようにか、それとも手助けできることがあればと思ったか。
だが、それはこんな短期間では叶わなかったのだろう。
何もできない自身と、何でもできる彼女。
じゃれあい一つにしたって、自分の攻撃全てが掠りもしなければ、焦ってしまうのも仕方ないのではと思って。
泣いていた鳥居様の様子を思い返し、色々フォローを入れないとなと思いながら、エリィの後を追って彼女達の様子を確認に向かう。
いいや、向かおうとして、影が背後の窓を過った気がして、足を止めた。
「…?」
後ろを見ても、窓には何も映っていない。
先ほどと同じ夜景と、町の灯りが入り込んでいるだけだ。
なのになぜだろう、こんなに不安を感じるのは。
はっきりと、誰かが窓の外を横切ったのを感じたからだろうか。
「…いや、ありえないよ。だってここは2階なんだし」
ぽつりと、自分の不安を打ち消すためにそう言い聞かせた。
だから、誰かが窓の前を横切ることなんて無い。
そんな高さの何かなんて、少なくともこの町で見ていない。
だから、そんな筈がないのだ。
そう思って。
「――――リカ、どこにいるの?」
扉の外を確認したエリィの呆然とした呟きが聞こえてきた瞬間、なぜかは分からないが背筋が凍った。
衝撃を殺すためにゴロゴロと転げまわった後、自分に馬乗りになった鳥居様はわあわあ言いながら涙を溢して胸を両手で叩いてくる。
なんでこんなに必死になって、なんて思ったが、意地悪し過ぎたかなと反省してリカは参ったと言わんばかりに両手を上げる。
「ごめんごめん、私が悪かったよ。直ぐ攻撃したり意地悪したりするのは嫌だよね。ごめん」
「ふぐぅぅっ、ぶれいものぉぉっ! もっと儂を敬うのじゃぁっ、蔑ろにするでない…!」
「ごめんね、別に貴方の事嫌いな訳じゃないから。…いやほんとは、最初は嫌いだったけど、よくよく貴方を見ていたら同類じゃないんだって思ったから、今は、うん、むしろ好きな方なんだって」
「うううぅぅ…」
「…ごめんって」
やっと叩くのを止めてくれた鳥居様を抱えて立ち上がる。
受け止めた胸部が痛むが大したものではない、戦闘の前にふざけ過ぎたと反省しつつ出雲達を心配させないように、無事を伝えようと思って。
「――――………」
扉を開けようと取っ手に手を掛けた所で、動きを止めた。
不思議そうにこちらを見上げてくる鳥居様になんの返答もせず、少し考える。
おかしい、何かがおかしいと。
辺りを見渡しても静寂が広がるばかりで、人影など無い。
薄暗い夜道を見下ろせば、先ほどと同様に多くに人影が楽しそうに通行している。
自分達がつい先ほど転がり出た筈の部屋の扉は、しっかりと閉ざされており。
そして、この扉の向こう側には――――
「…違う、おかしい」
「…え?」
「さっきはこんなに静かじゃなかった。外はこんなに薄暗くなかった。人影は子供ばかりじゃなかった。ここの扉は私達で開いてある筈だった。この先には出雲とエリィが居る筈で――――」
「人じゃないナニカが居るなんてこと無かった」
リカは独りでに開き始めた目の前の扉から逃げるように、鳥居様を抱えて後ろの窓を突き破った。
索敵
通常は音や空気の流れの変化で周囲の安全を確認し、異常を覚知する。
当然、魔法による代用も可能で危険地帯に入るなら必須の技能。