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2-2話 闇夜で蠢く者達よ



 子供が居なくなるのは、どんな時だろうか?


 発達した集団、またはそれに類する集落としよう。

 一定の出生が望め、育児環境もそれなりに整った場所を想定しよう。

 その場合、きっと理由は限られてくるだろう。


 例えば―――

  それはきっと、何らかの事情で子供ばかりが被害を受けた時。

  若しくは、それらの被害を恐れ避難させた時。

  あるいは、もともと子供が居なかったり、居ないと錯覚したりした時。

  もっと言えば、人がまとめて居なくなった時。


 少し考えただけでも、これだけの理由は上げることが出来る。

 何も、恐ろしい理由、のみではない。

 少なくとも、子供を町で見かけないと言うだけで取り乱すような程ではないのだ。

 そもそも前提が、魔物の襲撃を受け半壊した町だ。

 どのような対策が施されているか知らない彼らが不安に感じることは無いのだ。

 希望的観測をするならば、避難させたが望ましいだろうか。

 なんにせよ、彼らが心配する程の、悍ましいものがそうあることはない。

 普段であれば、だが。





「なんじゃ? もう帰ってきおったのか、早いのう…。いや、悪く言ってるわけではなく、仕事が早いと感心しておるのじゃが…」

「おお、外出していた仲間だね? いやぁ、済まないね、留守番していた二人にはお手伝いをして貰ってしまっていてねぇ。凄く助かってるんだよ」

「ふふん。当然じゃ、なんせこの儂が! お手伝いをしておるのじゃからな! わははは!」


「「…はぁ」」



 拠点としている宿の主人である優しそうな年配の男性と給士姿の元気な鳥居様を確認すると、出雲達は二人して安堵の溜息を吐いた。

 そんな二人を不思議そうに見上げる鳥居様と気に障ることをしてしまったかと心配する主人に、肌に服が張り付くほどの汗を自覚しつつ、出雲は安心させるために笑顔を向けた。



(そりゃそうだよな。ここを離れてからほんの少ししか経ってないのにそう災難に遭う訳もないか…)

「大丈夫かのう出雲、大分疲れているようじゃが…、ちょっと待っておるのじゃ、リカの奴を呼んでくるからのう」

「あっと、もう一人のお嬢ちゃんはウチの家内と一緒に奥の倉庫に居ると思うよ。ちょっと待っておくれ」

「うむ、頼むのじゃ御主人」



 いつも通りの鳥居様の上から目線も、主人は穏やかな表情で受け流して倉庫へと歩いていく。

 その人の好さに感謝しながら、自分と同じく自身の杞憂であったと確認できたエリィの様子を窺えば、滴る汗と火照った体を冷やそうと両手を団扇のようにして煽いでいた。

 出雲が見ていることに気が付いたのだろう、ちらりと一瞥した後、すまし顔で動作を止める。



「結局何なのじゃ? 何か大変な状況でも判明したとかかの?」

「いえ…、まあ、捉え方のよってはそうとも取れるのだけど…。基本的には私達の早とちりみたい」

「であるかー。まあ、何にせよこちらに異常はないのじゃ。先ほどまで上でだらだらしてたのじゃが、年配の二人が散らかったものの片付けをしているのを見て、売れる恩は売っておこうと言ったリカとともにこうしてお手伝い中という訳なのじゃ」



 見よ、似合っておろう、と言って身に付けた給士服…と言っても簡単にエプロンを付けただけのそれを、見せびらかす様に一回転する鳥居様は実に楽しげだ。

 確かに、何時もの古めかしい着物姿ではないこうした姿は目新しく新鮮味を感じさせるし、彼女の長く美しい黒髪は作業の邪魔にならないように頭の上でまとめられているのも、普段との印象が異なりまた違った美しさを振りまいている。

 勝気なその眉をつり上がらせながら、腰に手を当てて二人の感想待ちをしている彼女に何と声を掛けようか考えていると、その後ろから見慣れた包帯娘が姿を現した。



「わー、凄い可愛いねー。思わず抱き締めたくなっちゃう」

「っむぎゅうううう!!??」



 リカの抱擁は的確に、抵抗のための両腕と助けを呼ぶ口を抑えたものであり、碌な抵抗もできない鳥居様は瞬時に下がり眉の涙目となる。

 また始まった…と思わず声に出してしまった出雲と憐れみと若干の羨望を込めた目で見つめるエリィは、二人のじゃれつきを慣れたものとしてしまっていた。

 とは言え、止める者が居ないと何も始められない。

 リカの元気な姿に安堵しつつ出雲がいつも通りリカの行動を諌めると、素直に受け入れ、解放された鳥居様が涙目のまま出雲の裾に縋り付いてその背に隠れる。


 にやにやと、それこそ意地の悪い笑みを浮かべていたリカが、二人の疲れたような様子に気が付いて眉をひそめる。



「…どうかしたの?」

「いや…、早とちりというか…、言いにくいんだけど…」

「…むう」

「…情報共有大切だよ! 大丈夫大丈夫、大抵の取り返しは付くから、ズバッとゲロっちゃってよ!」

「ズバッとゲロるとか…よく分からないことをまた…、ふふふっ」



 パタパタと両手を開いて、説明を要求してくるリカの姿に先ほどまでの緊張が解きほぐされてしまい、エリィが固かった表情を和らげると、外で得た情報の数々と感じた疑問を一つ一つ説明していく。

 その話を要所要所、頷きを入れながら聞いていたリカは、話が終わった段階で、鳴る程と、呟いた。



「要するに、エリィの人見知りが爆発した事と、この町に子供が居ない事が異常だと感じて慌てて戻ってきたって事だね」

「そ、そんながっつり言わなくても…」

「あはは、冗談冗談。凄い言いにくそうにしてたからもっと酷い事やっちゃったのかと思って警戒してて、大したことなくて拍子抜けしちゃった」



 口元を抑えて笑うリカ。

 なんやかんやあったそれらを笑われるのはなんだか微妙な気分の二人は、変な表情でお互いの顔を見合わせる。



「一つ目だけど、冒険者ギルドなんて言う粗暴で暴力的な武力集団は舐めた相手に対してはずいぶんと上から物を言うものだよ。組織としては対等にしようという体を取っても、末端は、そりゃあ暴れるよ。力のはけ口を探しているような奴らがほとんどだからね。下手に舐められるくらいなら、エリィの様に威圧してしまった方が、だいぶやりやすい」



 薄く弧を描く口元。

 自身よりも頭二つ分小さい彼女の頭の中では、何が描かれているのだろうと背筋が冷える。

 それともう一つ、そう言って笑みを消すと、リカは少し考え込むように天井を見上げた。



「子供が居ないって言う件は、確かに貴方達が考えた通り異常事態なのかもしれないね。私が今分かる範囲で、子供が一切存在しないのは確認したから。まあ、だから急いで戻ってきてくれたのは正しい行動だったと思うよ」

「リカもそう思うなら、良かった」

「それで、なんだけど…」

「うんうん、それで次にどうしようってことなんだよね。明らかな異常を見つけて、これ以上ここで情報を集めるためにうだうだするのも、危険を増やすだけ。一日休息を取ろうっていう話だったけど、もう出発しちゃうのも手だよね」



 そう言って、倉庫から戻ってきた老夫婦に横目を向けると、リカはまあと言って笑う。



「明日の昼過ぎには北東の方角から魔物の軍が押し寄せるけどね」



 そう小声で囁いた。








 魔物に襲われたのは少し前。

 正確に言うなら、十日前だ。

 雨の降る夜の事だった。

 凍てつく寒さの中、夜闇を掻いて這い出た混沌。

 突如として現れた一般的に認知されている魔物の姿かたちに酷似した何かは、暴風の様に、古の神話にある三大災厄を思わせるような唐突さと暴虐を持って、このケープの町を破壊した。

 勿論抵抗はした。

 町に駐在している警備の兵、住民で構成された自警団、町の中に存在する戦闘用のギルドが総力となってそれの対処に当たった。

 だが、それらの戦力をまるで軽くひねり潰し、その化け物はものの数分で町への侵入を果たし、その破壊を見境なく振り撒いたのだ。

 そして、この町の人にとっては永い夜を終えるとともに、誰にも止めることの出来なかったその化け物は何かに引かれるように、来た方向とは逆方向に進んで行った。


 幸いにも抵抗敢え無く町を蹂躙されたものの、ケープの町の被害は半壊、人員の被害は負傷者こそ多数であるが死者は驚くほど少なかった。

 死者を出さないよう、再生するソイツと戦闘する者を交代させ続けたのも、確かに理由としてはあるだろうが、何よりの理由はソイツが殺すことよりも甚振ることを楽しんでいた事なのだろう。

 そして、もう一つ理由を上げるとすれば、ソレが単体で襲撃してきた事だった。

 あれでもしも群れを率いていたとしたら、今この町は無かったのかもしれない。


 だが、これで話は終わりではない。

 ほんの四日前に、黒衣の何者かが現れた。

 ケープの町の上空に現れたソレは、住民全ての脳裏に直接響かせ警告した。



―――罪深き者どもよ、死を待つだけの家畜どもよ。

   これより六日後の夕刻に、この場へ以前の怪物とは異なる闇の軍隊を攻めさせる。

   戦うことが出来ると思うな。

   以前と同様に運良く生き延びることが出来ると思うな。

   次は全て殺そう。

   この場にいる全てを殺そう。

   瓦解した建物の上から血の雨を降り注がせようではないか。

   逃げるが良い亡者どもよ。

   逃げた先もまた、我らは必ず滅ぼそう。



 それだけ言って、何をするでもなく、その黒衣の人物は姿を消したそうだ。

 詳細は分からない、真偽の程も分からない、その者の正体も分からなければ足取りもつかめない、もしかしたら混乱に乗じた愉快犯の可能性だってある。

 だが、それでも彼女は断言する。





「まあ、間違いなく真実だろうね。気配を探ってみたけど居るよ。北西方向の草原地帯にうじゃうじゃね」



 そう言ってリカは出雲達に貸し与えられた部屋の隅で壁に背を預けて座り込む。

 呆れたような物言いなのは、その警告を受けてなお、未だ有効な対策を打てていないこの町の危機感の無さに思うこところがあるからだろう。

 思案顔のエリィは、自身が得た情報と照らし合わせて、町としての対応と人の流れ、それによる状況の変化を考えているようで、鳥居様はというと不安そうな顔でそれぞれの表情を窺っている。

 出雲はというと、気になることがあった。



「…ねえ、その最初に襲ってきた生き物だけど…もしかして、僕達を襲ったパズズなのかな?」

「うん。私もそう思ってた。聞いてみた特徴も一致するし、ほぼ間違いないと思うよ。」

「え、あ、あの怪物の関係がまた攻め込んでくると言うのじゃ…? 出雲、戦略的撤退をっ、逃げるのじゃぁ!?」

「まあ待ってよ、ちびっ子。つまりあの変異パズズと同じ様に、次襲撃してくる軍の中にも出雲の記憶のトリガーとなる奴が居るってことに他ならない。チャンスでもあるんだよ、今の状況は。私達以外に向けられた敵意、日時と襲われる場所、襲ってくる方角まで分かった。どう? 目標だけを刈り取るのにとってもやりやすい状況でしょう?」



 出雲の記憶。

 以前、話し合ったもののあやふやのまま終わってしまった内容。

 それをはっきりとさせるチャンスでもあり、新たな記憶を取り戻すことにも繋がる絶好の機会。

 けれどそれは、リカの言っている事をその通りやるとすると。

 


「…待って、つまりそれは…」

「まあ、どさくさに紛れて狙い撃ちしちゃおうって話なんだよね。下手に力を示すとめんどくさいし、ここの戦力と協力、ではなくて勝手な行動としてってことね」

「うむ…、分かっていたとは言っても、お主ゲスいのう。ここの標的にされた住人を見殺しにしようと言っているようなものなんじゃが…」

「何言ってるの? その通り、見殺しにしようって言ってるの」

「ああ、うん。リカならそう言うと思ったわ、却下ね」

「そんなー!?」



 一通り考えをまとめたのだろう、思案を中止したエリィはリカの展開していた下種理論をにべもなく却下して、出雲と鳥居様に向けて何か意見はあるかと視線をやる。

 それをくみ取った二人は、お互いに視線を合わせてから意見を述べた。



「あー…、そうじゃのう。取れる選択肢は少ないと思うのじゃが、まあ普通にここの戦力と協力して迎撃はどうじゃろう。お主らの強さは知らんが、それをやれん程弱い訳はあるまい」

「ふむ…。確かに無難な意見ではあるのだけど、デメリットも存在する訳でね。ここの戦力で、戦えるものは前回でかなり減らされてしまっているのよ。町中を見れば分かる通り、負傷者だらけでその手当もままならない状態。それにぽっと出の私達を仲間としてどこまで見てくれるかっていう話にもなるから、一概にそれが最良とは言えないと思うの」

「んむむ…。いや、その通りじゃ」

「出雲は? 何かあるかしら?」

「そうですね…、あの、例えばなんですけど、こちらから攻めてしまうのはどうですか?」



 出雲の提案に、少しの沈黙が走る。

 難しい顔をして考え込むエリィと分かっているのか分かっていないのか、フンフンと頷いている鳥居様。

 硬直状態に入ってしまった3人の様子を見て、今まで黙っていたリカがコロコロ笑いながら出雲に問いかける。



「攻めてしまうって言うのは、どういう事? もう少し詳細を教えて出雲」

「ええと、だから、リカはそのうじゃうじゃいる場所を分かってるんだよね? だったらそこに強襲を掛けて、逆に殲滅しちゃうっていうのはどうですかという事なんだけど」

「…悪くないわね、うん、悪くない。それで行きましょう、…どうかしら?」

「鳴る程、良いんじゃないかな。悪くない提案だと思うよ。」

「儂は…あまりお主らが負担となるような作戦は止めて欲しいんじゃがな…。…うむ、儂の立場で言える事ではないか」


 

 必ずしも一つの意見にまとまるわけではない。

 リカの様に、他の犠牲をいくらでも許容して自身らの損害を最小限にしようとするもの。

 鳥居様の様に、安全策であり現実的で現在の状況を有効活用しようとするもの。

 若しくは出雲の様に、根本から原因を取り除く意見まである。

 それぞれを尊重して、折衷案を出すことは難しいが、この4人組には事前に話し合っていた取り決めがある、それは最終決断をエリィが下すというもの。

 不満の有無は関係ない、これは全員が妥協するためのものでありこの旅をしていくにあたって最も大切な取り決めの一つだった。

 だから、今回もそれぞれが自身の意見を一通り出し終えたのを確認すると、エリィはその決断を下す。



「―――出雲の案を採用とするわ。決行は今日の夜、各自準備をお願い」



 夜まで時間は、そう長くない。

 様々な感情が入り乱れる中で、それでも全員が肯定を見せた。

 



 

   


 




「――っ…、だめだ。自分で言い出した癖に緊張が解れない…」



 それぞれが各々に戦闘準備を整える中で、出雲は部屋の隅に腰を据え自身の唯一の武器である古刀を手入れしながら気持ちを落ち着かせていたが、どうにも収まりがつかず早まる鼓動に辟易する。

 トラウマは、打ち破った。

 だが、またこれから戦闘がある、命を懸けた戦いをしなければならないと思うと、自然と震え出してしまう自身の体はろくに言うことを聞いてくれない。

 

 これで、前回はリカにとても迷惑を掛けた事は分かっている。

 だが、そう簡単に体の機能を自制することが出来ないのが現状だ。

 同じ部屋にいるエリィなど、魔道書を一通り確認すると夜に備えて睡眠をとり始めているし、リカと鳥居様はすぐ戻ると言って資金の調達と物資の補充のために出掛けてしまった。

 どちらもこれからの事を全く気負っていないのは明らかだ。

 また自身が足を引っ張るわけにはいかないと気持ちを引き締めようとする度に、体の震えが強くなるものだからやってられない。

 どうしたものか、と頭を悩ませていれば、ふと布団に丸まって睡眠をとっているエリィの姿が目に入る。



「…そういえば、普通は男女って別の部屋で生活するべきなんじゃなかったっけ…?」



 唐突に、そんなことが頭を過って、口に出せばすんなりと納得してしまう。

 ああ、なるほど、感じていた違和感はこれかぁ…、すっきりしたなぁ…、何て思って一度手元に視線を落し、エリィの姿を二度見した。



(あれ? あれあれあれ? おかしくない? なんであんなに無防備で快眠してるの!? 何で僕、男だよね!? なんで女の子3人いる中に同じ部屋で泊まることになってるの!?)



 今更ではあるものの、その事実のおかしさに愕然として、幸せそうな顔で眠るエリィへ向けた視線が固定されてしまう。

 今までは気にもしていなかったのに、何故だかこの部屋から良い香りがしているような気分さえ湧いてくる。

 寝言を発しながら身じろぎするエリィは他の二人と異なり、女性らしい体つきをしていて、眺めていると変な気分となってしまう。

 慌てて目を逸らして下唇を噛んだ。



「(まずいっ…、不味い不味い不味いって!!)」



 湧き上がってくる煩悩の数々を押し殺そうと頭の中を真っ白にさせるが、意識したところで持続するのは数秒、そのあとにはじわじわと色付いた煩悩が出雲に襲いかかってくる。

 

 部屋の間取りは、お世辞にも広いとは言えない。

 中央の端に位置する場所に大き目のベットが一つ。

 荷車に乗せていると不都合があるようなものはこの部屋に持ち込まれ、ひとまとまりになっていて、それがさらに部屋の空間を埋めている。

 その他にあるのは小さな椅子が二つとそれに付随した机だろうか。

 殺風景であるはずのその部屋が、なぜだかひどく狭く感じてしまう。

 もう一度横になっている彼女を見た。

 

 第一印象で感じたように、改めて見ても彼女は端正な容姿をしていた。

 目を開いていたら怜悧な印象を与える彼女も、今は幼さをにじませる可愛らしいものに。

 普段から日に曝されていないだろう青白くさえある肌は傷一つなく、高めの鼻と薄めの唇はつややかだ。

 絹糸のような金髪が今はだらしなく布団に広がっており、輝ききらないくすんだその金色は、窓から差し込んだ光を反射して宝石のような輝きを発して、触れてみたいという衝動さえ感じさせてくる。


 無意識に唾を飲む。

 ぐるぐると忙しなく回る頭の中を落ち着かせるために、一度部屋から出ようと腰を浮かせたが、慌てすぎたのか何もないのに足を滑らせて受け身も取れないまま床に転がった。

 打ち付けた顔を抑えて呻いていると、今の音で起きてしまったのか、もぞもぞと動き出したエリィが出雲の醜態を寝ぼけ眼で確認する。



「…え、…どうかしたの?」

「あ、あの、いえ…、良い天気だなぁと思って」

「……そう」



 大変ね、なんて呆れたような声色で言われても何も言い返せないまま、身を起こした彼女から視線を逸らした。

出雲はそろそろと部屋から出て行こうと扉を目指すが、目ざとくソレに気が付いたエリィは不思議そうな顔をする。


 

「どこか行くの?」

「い、いや、外の空気を吸いたいなぁと」

「…単独での行動は危険だから止めて頂戴。待ってて、すぐ私も用意するから」

「すぐそこにしか行かないので! 大丈夫です!」

「だめよ、いいから少し待ちなさい」

「いいえ! 直ぐにっ、一秒も無駄に出来ないんですっ! ほんとにっ、ほんとにすぐそこに居ますからぁ!!!」



 そう言いいながら、扉から飛び出していった出雲の姿を唖然として見ていたエリィは、バタバタ聞こえている足音がだんだん遠ざかっていくのを聞きながら、心底不満そうに頬を膨らませた。

 


「…なによ、一秒も無駄に出来ないって…、気持ちよく寝てたのを起こした癖に…」



 足元に掛かる毛布を抱き込むと、ちらりと外に目を向ける。

 まだ光は強く差し込んでいる。

 もう少し眠ろうかとも考えたが、どうも完全に目が覚めてしまったようで眠気が全くなかった。

 早くみんなが帰って来ないかなと思いながら、エリィは自分の荷物からすでに何度か読み込んだ本を手に取ると、またその物語に没頭することにした。




 


「意識したらっ、変な気分になってきたっ」



 息も絶え絶えで宿屋の玄関口まで駆けると、近くに置いてあった椅子に腰掛ける。

 受付の位置で帳簿の整理をしていた夫人が、忙しない出雲の様子を見て楽しそうに笑っている。

 煩くして申し訳ないと、軽く会釈すれば、気にしてないと手を振って伝えて来てくれた。

 魔物に襲われ店が半壊となっているのに、出雲たちの無理を聞いて宿泊を許してくれたことから、何となく分かってはいたが、やはりここの主人たちはかなり人が良い。

 

 ふと、これから自分たちが夜中に外出することを伝えておいた方が良いのかと言う疑問が頭を過り、続けて、正体不明の黒衣の者に宣戦布告のようなことをされたのにここから逃げ出さないのだろうかと思う。

 そりゃあ、今でも立派な店構えをしていて、なおかつムーのような大型の獣や荷車まで収納できる建物があるのならば、それ相応の対価を払って築き上げた大切な宿なのだろうと言う理解はある。

 だが、出雲の価値観では、命には代えられないのではと思うのだ。

 だから、つい聞いて見たくなる。



「あの、お二人はこの町から逃げないんですか?」

「私達かい?」



 きょとんとした顔でこちらを見遣った老女は、年期を滲ませる皺皺の頬に片手を添えながらしばらく何というか悩んでいるようであった。

 


「いいえ、あの空に現れた黒い人の言葉を信じていない訳ではないの。自分達の命が惜しくない、という訳でもないし…何と言えばいいのかしらねぇ…」

「…なにか、やっぱりこの町に思い入れがあるとかですか?」

「そうねぇ、生まれ育った町だから、それなりの思い入れもあるけどここから出て行きたくないという程、頭が固いつもりも無いのよ。…ただ、そうね、子供達が…」



 懐かしむように目を細める。

 出雲の姿を誰かと重ね合わせる様に、穏やかな表情で微笑みを浮かべた。

 


「私達の子供が、きっとここから離れないから。だから私達はここで息絶えることになったとしても、それを受け入れると思うの」

「―――よく、分かりません…」

「…素直な子ね。でもそれで良いのよ、きっと。こんなことは年老いて耄碌して、死が身近になって思うようになることでしかないから、貴方のような若い子は絶対生きなくちゃいけないと思う。老いぼれの戯言だとでも思ってくれれば良いの」



 枯れたように微笑む老女は、その癖ずしりと重い決意を感じさせて。

自分が何を言ったところで、きっと彼女のその決断を変えることは出来ないのだと理解するには充分すぎた。

 老女は静かに首を振る。



「この町の若い子達は抵抗しようと頑張っているけど、…そうね、きっとこの町は明日には無くなってしまうわ」

「…そんなこと…」

「いいのよ、頭のどこかで皆が理解しているから…。王都への救援要請は出しているけれど、危険な状態なのはここだけじゃないもの、国にとって重要とは言えないこの土地へ裂ける人員なんて、今は何処にもないの」



 悲壮感など感じさせないようなその語りに、出雲は何も言えなくなる。

 何故、この人はこんなに全てを諦めてしまうのだろうと、形にはならない悲しみを感じる。

 老女は、だから、と続けた。



「貴方達は、ここで一晩過ごしたらすぐにここを発って安全なところに逃げなきゃダメよ? この町の終わりに、無理に巻き込まれることは無いの、ちゃんと生き長らえて歳を重ねないとダメ」

「っ…」



 優しさが、痛い。

 どうすれば良いのかと言う自問自答ばかりが頭に巣食う。

 自分達が問題を解決しますとでも言えば良いのか。

 力及ばなければ何かしらの方法で離脱するであろう自分達が、こんな深い決意をしてしまっている人に対して、そんな無責任な言葉を投げ掛けるのか。

 それとも、彼女の提案に肯定して、何事も無く過ごせばいいのか。

 若しくは、無理と分かっている説得でもするのか。

 答えは、どれだけ考えても出てこなくて、ただ老女の微笑みに圧倒された。


 だから、そんな時に帰ってきた鳥居様達が、二人の様子に驚いた様子を見せるのは当然だった。



「むむ? こんなところで何をしているのじゃ、出雲」

「あれ、エリィは一緒じゃないんだ。…と言うか、なんでお婆さんをじっと見詰めてるのさ、もうっ、失礼でしょ」

「ふふ、良いのよ。さっきまでお話してたからねぇ。若い子と話せて元気を貰ったわ」

「そうなんですか? …まあ、それなら良いんですけど」



 手に持った甘味を齧りつつ、二人は背負った鞄から包装に包まれたお土産をお婆さんに手渡す。

 心配そうに覗き込んでくる鳥居様と、感謝の言葉を述べている夫人に対応しているリカ、二人のいつも通りな様子に出雲も少しずつ平常心と取り戻していく。

 自分が感じている罪悪感のような何かに、自分はどうしたいのだろうと考えながら、両手で引っ張っる鳥居様に連れられて、エリィの居る部屋へと歩を進ませる。



「ねえリカ…、この町を襲う戦力ってどれくらい強大なの?」

「ん、弱気になっちゃったの? まあ、この前のパズズの件があるから断言はできないんだけど、大体ゴブリンとかの雑兵を中心とした群れだから、危険度でいえば8くらいはあるのかな…、あくまで目安程度に考えてだけど」

「ゴブリンって、確か危険度は2だったっけ?」

「そうだね。でも、派生とか亜種とか、上位種とかいるから、単体の危険度は当てにならない魔物なんだよね。例えば、今回の群れの主はゴブリンキングなんだけど、ああもちろん黒衣の奴は除いてね。それが、指揮した群れは魔物特有の種族魔法っていうのが掛かるから、普通よりも個体個体の能力が増すんだよね」

「ゴブリンキング…」

「んむぅ…、指揮する者によって群れが強化されるなど、厄介極まりないのう…」

「そう、それでこの前の強化パズズの例と、戦略を持ってここを攻め滅ぼそうとしている奴がいるっているのが確定したことから考えると、今回のけしかける魔物として選んだのがゴブリンキングっていうのが、何を期待しているのか分かりやすいよね」

「え?」

「ゴブリンキングは単体ではせいぜい危険度6程度の魔物で、そんな脅威とは言えないんだよ、普通は。素のパズズで危険度は8、単体性能としてはパズズの方が上で、特徴は群れを率いる能力と、ゴブリンという種族の王、まあ、つまり繁殖能力の頂点に立つゴブリンと言う生き物を支配しているという事。付け足すとしたら、ゴブリンの群れは見つけ次第排除が推奨されているんだけど、その理由は、時間が経てば経つほど取り返しが付かなくなるからってことかな」

「…えっと、つまり?」

「―――そやつらは、ここを生産拠点としようとしておるのかっ!?」

「正解、分かりやすいでしょう?」

「なっ―――、なんて下種野郎がっ」



 頭が沸騰したように熱くなって、手のひらが居たくなる程拳が握り締められる。

 噛み締めた歯が音をならし、行き場のない怒りが体の内側に留まってしまう。

 え、今私に言ったんじゃないよね、と焦ったように聞いてくるリカに返答する余裕など、今の出雲には無かった。



 基本的に、魔物の繁殖方法は他の動物と変わらない。

 同種若しくは派生種、亜種、上位種の雌雄との交わり、また種族によっては単為生殖が可能なものも居るがおおよそ前者であるのだ。

 その中でも、ゴブリンと言う魔物は異質だ。

 性比は比べようのない程雄が多く、小さな体と緑色の体色、皺皺の肌が特徴である。

 知能は低く欲望に従順、食欲と睡眠欲、性欲を基本とした各種欲望に対して積極的に発散させようとする傾向にあり、国として正式にA級討伐指定が通達されているほどに危険視されている魔物だ。

 過去に魔王として、ゴブリン種の王が君臨したことがあったが、その時後手に回った各国は非常に苦しい戦いを強いられることとなったそうであり、幾つかの国が亡びる程の事態であったらしい。

 自身の上位者に従う姿勢があることから、群れとして発達するケースが多く、肥大化した欲望を発散するために町を襲うことも珍しくは無い。

 そして、国から危険視されるもっとも厄介な点が、他種族の雌を母体として作り変えられるという点だ。

 原理は不明、ただ浚われた女性が多くのゴブリンを生み落し、もはや人の子を為す事が出来ないという事実だけが判明しているのだ。

 

 生物種として、嫌悪を感じ得ない程に醜い彼らの生態は、戦闘を生業とする者達のみならず、この世界に生きる人種の常識として、彼らは排除すべき生き物だと理解されている。

 だから、それを利用した攻撃など、なにより人道に反するし、本来はあってはいけない事であるはずなのだ。



「ちょ、ちょっと待ってってっ! ホントに待ってっ」



 ワタワタと背中の荷物を背負い直しながら走ってくるリカに、どうしてくれるのだと言う目でリカを視線で責める鳥居様、そして人を人とも思わないような下劣な相手の行為に怒りを滲ませる出雲が二人の先をゆく。

 困ったように窓の外に視線をやったリカが、空からの光量が減ってきているのを確認して、もうゆっくりしている時間もそれほどないのだと考える。

 この町でやるべきことは終わった、ならばもう、ここに居る必要などない。

 可能な限りここで体を休め、魔物の群れを全滅させることが出来なくとも目標だけ刈り取れば全て達成だ。

 なんの障害だってありはしない。

 


「出雲、そう殺気立たせるでない。リカの言い方は遠回りに過ぎていたが、要するに戦力強化を計れていない今が、最も突き崩しやすい時期ということじゃ」

「…確かに、そうなんでしょうけどっ」

「驕るでない。揺らぐでない。こやつのような歴戦ではないお主が、感情に左右され迎える先は総じて死しかありえぬ。今は冷徹に、駆除に当たるべき事柄じゃ」

「…はい」

「わあい、私の話をしてるのかな? そろそろリカの事も思いやって欲しいなぁって思うんだけどなぁ」



 ぼやくリカに苦笑を向けて、辿り着いた部屋の前で取っ手を握る。

 部屋の扉を開ければ、ベットの上で横になって読書をしていたエリィがこちらを一瞥して、全員が居ることを確認すると、手元の本を片付けながら身を起こした。


 さてと、と誰かが口にした。

 誰が言い出したわけでもなく、各々がそれぞれの荷物の点検に入る。

 最終調整を経て、作戦を開始するために。

 もう時間は無い。








 暗くなり始めた視界の中で、鮮血が舞う。

 悲鳴と怒号が入り混じった叫びが木霊する。

 肉片と鉄塊が飛び散り、風に揺れる草木を汚していく。


 失敗した。

 失敗した失敗した失敗した失敗した。

 来るべきでなかった。

 進むべきでなかった。

 あの時戻っていれば――いいや、そもそも刃向おうと考えなければ良かったのだろう。

 勝てる訳が無かった、勝てる道理など在るはずも無かった。

 逃げて逃げて逃げて、地の果てまで逃げ延びて、愛する者とともに震えていればよかったのだ。

 大人しく弱者でいればよかったのだ。

 せめてそうすれば、こんなことにはならなかった。

 ああ、でもそんな後悔など、もはや意味を為さないのだろう。


 数年来の戦友が頭部を半分ほど無くした状態で、ゴブリンどもに貪られている。

 血気盛んな盗賊上がりが、四肢を引き千切られた状態で泣き叫んでいる。

 魔法の腕前に自信を持っていた奴が、見上げるほど大きな鎧のゴブリンに丸呑みされている。

 剣で名を轟かせてやると活き込んできた自分は、今、腸を引きずり出されている。


 ゴブリンを中心としたはずの混成軍に物量で押し切られることはあっても、打つ手がない程追い詰められることは無いと思っていた。

 だからこそ買って出た調査の筈だった。

 宣戦布告された町から、町民全員での隣町への大移動は可能なのか。

 敵の戦力は何処にいるのか、どれほどの強さなのか。

 それを遠目に図るための自分達で、十数年と冒険者家業を行ってきたベテランの自分達だからこそ、この町の生死が掛かった重要な任務を任されたのだ。


 だが、結果はこの様。

 何も情報を持ちかえれず、こいつらの餌になるだけしかない。



「…ぐぞがァ」



 纏わりついていた異形を、最後の力を振り絞って振り払えば遠目にこちらを眺めていた上位種が面白そうに両手を叩いた。

 愉しんでいるのだろうか、弱小生物が惨めに這う姿を。

 


「ふざっ、けるなよっ…」



 こいつらは明日には、あの町を攻めに行くのだろう。

 この物量で、この残虐性を持って、あの町を滅ぼしに行くのだろう。

 あの町の人達を、気の良いあいつらを、この目の前の光景を再現するのだろう。

 それは到底、許せるものでは無かった。

 


「お前らっ、みたいな屑にっ…!」



 思い浮かぶのは家族の事、愛した者達の事。

 もはや、守ることは出来ない掛け替えの無いもの。



「やらせてたまるかっ…、俺の、命が尽きようともっ」



 もはや自分は血を流し過ぎた。

 何もかも食われ過ぎた。

 視界がちかちかと揺れるのが、分かる。

 もう、自分は長くない。

 死がそこまで迫っている。



「―――ォォォォオオオオっ!!!」



 倒れ込むかのように奴らに向けて突進する。

 最後の悪あがきと知ったのか、不快な鳴き声で囃し立てる奴らを無視して、倒れ伏す盗賊上がりに向けて懐から取り出した短刀を突き刺す。

 

 驚愕した様子の盗賊上がりと、さらに大きくなった笑い声に笑みを浮かべる。

 どうにか油断してくれたみたいだった。



「あとは、頼む…」



 突き刺した短刀が崩れるとともに、盗賊上がりは姿を消した。

 今はもうない短刀は、冒険者業の自分を心配して、幼い時から一緒だったあいつが無理やり俺に持たせた、アホみたいに高価なもの。

 帰還の祈り刀という、魔法具だった。

 

 出し抜かれたことに気が付いたのだろう。

 ゴブリンどもの上位種は怒りの叫びを上げて。

 一斉に自分に向けて襲いかかってくる奴らを見て、笑った。

 どうか、生き延びてくれ、そう思って。

 不快な音と激痛とともに、意識を闇に落とした。




帰還の祈り刀

神聖な儀式によって作られる最上位のお守り。

突き刺した対象を帰るべき場所へと転移させる代物で、一度使うと壊れてしまうとても高価なもの。

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