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1-9話 それぞれの異世界見聞録



 寒い。

 ここはとても寒かった。

 刺す様な痛みを伴う程のものではない。

 体を縮れば耐えられない程の寒さではないのだ。


 それでも。


 冷たさの原因がわからない、何もない、冷たさだけが広がっているようなこの場所で、ずっと耐えられるだけ、自分は強くなくて。

 ここには居たくないって、どうしても思ってしまうのだ。






 腹部に軽い衝撃を受けて、頬をぺしぺしと叩かれる。

 小さな子供のようなその手は、自分にはないような温かさがあり、触れられると酷く安心する。

 止む事の無いその衝撃にうっすらと瞼を開ければ、嬉しそうな少女の顔が目に入る。

 昨日現れた黒髪の少女だ。



「起きるのじゃ出雲ーー! おはようの時間じゃぞ!」

「…あー、うん。分かりました、起きますから…退いてもらっていいですか鳥居様」

「うむうむ、一日の始まりは充実させねばな! そのためにもまずは朝の食饌に与るとしようではないか!」



 出雲の眠たげな返答にも、彼女は心底嬉しそうに顔を綻ばせて喜びを露わにする。


 先程出雲が呼んだ、鳥居様と言う名は、名の無いままでは不便だということで、出雲の中にあって唯一思い出せたものであり、彼女と関連のあるであろうそれを一時的な呼び名として使用しようという考えで使っている、ただの仮の名だった。

 昨日、僅かだって興奮が冷めていない状態の二人を引き離し、なんで逃げるように退避しなければならないのじゃと暴れる彼女を落ち着かせるため、後先も考えず提案したことであったけれど。

 どうやらその効果は想像以上であったらしく、彼女は目を輝かせると飛び跳ねて喜びながらその提案を受け入れたのだ。


 正直、提案した瞬間は後悔した。

 何も覚えていないとは言っても、過去にあった自分がなくなるわけではない。

 だから、まるで過去を否定するようとも取れるその発言は、酷く不躾なものではなかっただろうかと。

 結果的には出雲の希望通り、先ほどまでのことなど何でもないように忘れ、もっと名前を呼んでほしいとせがんでくる彼女を落ち着かせるために、何度もその仮の名を呼んだほどだ。

 とはいえ結果論でしかなく、反省しなければと思うのも事実である。

 次はこういったことはしないようにしなければと自身に言い聞かせながら、腹部の上から退いてくれた鳥居様を連れて、寝室を後にする。



「お、おはよう」

「おはよう。よく眠れたかしら?」

「もちろんです。えっと、ほら、鳥居様も」

「…うむ、おはようなのじゃ」

「ええ、おはよう」



 いつもはもっとも遅く食卓に着く筈のエリィが、二人が着く頃には待ち構えていた様に席に着き、暖かそうな飲み物を口にして、自作したであろう魔道書の確認作業を片手間に行っていた。

 昨日の件もあり、若干ドキドキしながら挨拶をすれば、軽い微笑みとともに挨拶を返してくれるのだから、今日の機嫌は良いらしい。

 研究の失敗が続いていて不機嫌な時などは無視されることもしばしばなのだから、これには一安心だった。


 だが、心残りの本命は次だ。



「えっと、リカはどこですか?」

「あら、随分と警戒してるのね。かわいそうに、怖がられちゃったわねリカ」

「…別に良いけどね」

「!?」



 おずおずとエリィに問いかけた出雲に対して、エリィは目線で出雲の横に視線をやれば、いつの間にか皿を持って仁王立ちする包帯少女の姿があった。

 昨日とは異なり、そこまで興奮はしていないようであるが、鳥居様に向ける視線には黒い感情が混ざっているような気もする。

 そんな不穏な視線を察したのだろうか、出雲の服から手は離さないものの、いーと歯をむき出しにして威嚇する鳥居様の胆力には素直に感心するとともに頭が痛くなる。



「おはよう出雲。…おはよう鳥居ちゃん。食事の準備は出来てるから、しっかり食べて体調を整えてね」

「あ、ありがとうございます…」

「…ふん、ご苦労様なのじゃ」

「……あ、毒とかは盛らないから、そういう心配はしなくていいからね」

「ちょっ、その発言が無ければ疑いもしてなかったんだけど!?」

「ふん、きき…きさま程度に討たれる儂ではないわっ。…うう」

「鳥居様!? めっちゃ震えてるじゃないですか! 何でそこまで頑なにリカを目の敵にするんです!?」



 目が笑っていないリカの発言に翻弄される二人を見て、エリィは面白そうに、確認作業をしていた手を止める。

 幸先に不安を抱えていたものの、リカはともかくとしてエリィからは、理由は分からないものの、歓迎している空気さえ醸し出されている。

そのことに若干の疑問を覚えながらも、蒼い顔をしている鳥居様を席に座らせると、調理したものを運ぶリカの手伝いをするために厨房へと向かう。

 普段の風景に一人を加えた、なんてことの無い朝の一部は今日もまた始まるのだ。






 基本的に、朝はちょっとした軽いものと、果物や山菜といった栄養が多くあるものを中心とした食事をしている。

 これはエリィのこだわりを反映したものらしく、家の周辺で育てている作物は基本的に、この朝の食卓として調理される。


 朝食は大切に。

 どれだけ立て込んでいても、用事があろうとも、みんなが揃って食事をする。

 それが、エリィに言われた初めての守り事であった。



「むきゅむきゅっ、んぐ。旨いではないか! 少し独特な感じはあるものの、食べにくい要素もなく、すっきりとした味わいっ! うむうむ、お代わりじゃぁ!!」

「ちょっ、鳥居様! 身を乗り出さないでっ!」

「そう、それは良かった。まあ、私に掛かればね、当り前なんだけどね」

「リカ、せめて顔がにやけてるの隠したら?」

「んんっ…。にやけてなんかないよ」


「あれ、エリィさん。なんだか今日は普段よりお皿に盛られてないね。もしかして――」

「過ぎた言葉は身を滅ぼすわ、教訓としなさい」

「――えっ」

「お代わりを寄越すのじゃぁ! 儂はまだまだ食べるぞ、一杯入る!」

「別にお腹を一杯にする必要はないと思うんだけどなぁ…。くふふ、仕方ない、私が持ってきてやろう。さあ、その皿を寄越すのだ」

「ふふん。良きに計らってくれたもう」


「聞きそびれてたけど、リカの怪我は大丈夫なの? …酷い怪我だったと思うんだけど」

「んー? 見ての通り元気だよ? まあ、あれくらいの怪我なら、ほら魔法でちょちょいのちょいだし」

「回復魔法って、そんなに効力あるだね…。後で、基本を教えて貰っていい?」

「ふうん? 回復魔法に興味あるなんて、まあ、別にいいよ、使えるかどうかはまた別問題だけどね」

「うん、頑張ってみよう。宜しくね!」

「凄い食い気ね…。朝からそんなに食べて気持ち悪くならない?」

「もひろんひゃ!! んぐっ、まだまだいける!」

「あー…、出来ればそろそろ勘弁…まあ、いいわ、満足するまで食べちゃって良いわよ。はい、これ私のおすすめ」

「おお! ありがとうなのじゃー!」



 騒がしい朝食で、舌触りの良い食事を囲んで、各々が自由に囃し立てる。

 がやがやと騒がしくなっていく食卓では、これまでのぎすぎすしたような空気などまるで無かったかのように、笑いの溢れる場となる。

 出雲が心配するほど、彼女達は神経質ではなかったのだ。

 

 食事も終わり、普段ならば各々の予定を消化するために自然と解散の流れとなるが、今回はそうはならないようである。

 食事が無くなった食器を流し場へと運び終わると、そのままエリィが卓上へ一枚ものの紙を広げる。

 白紙のそれは、片手で持ち運べる程度の大きさであるが、大きく文字を書いても過不足無い程でもある。

 それを広げたエリィは片手に筆を持つと、顔を出雲へと向けた。



「出雲、私は昨日貴方に言ったわよね。長旅の心積もりをしなさいと」

「うん、それは聞いたけど…。どういうことなの?」



 心情が表に出たのか、出雲から発せられた声は自身でも驚く程、不安に満ちたものであった。

 そんな情けない自分の声に恥ずかしくなり、誤魔化すように頬を掻けば、エリィは眉を顰めながらも口元を緩めるという、よく分からない表情を浮かべる。



「…前々から、計画してたのよ。」



 沈黙を作った後にぽつりと、そう言葉を繋ぐと、窓の外を一瞥した後に重々しく口を開く。



「ここは人里離れた一軒家。海が近くて、自然も豊か。私が構築している結界によって、これと言った脅威もない。―――素敵でしょう? 私もそう思っていたわ、満足していた」



 トントンと、卓上を指で叩きながらそんなことを言う。



「一人、いえ、リカと過ごすようになってからおよそ三年。手元にある知識は全て身に付けてきた。人里に下りて物資調達をする傍らで、見聞を広めるために文学書や歴史書と言った書物を漁って掻き集めてきた。…でも、足りないのよ、私には。もっと知識が必要なの。もっと力が必要なの。見聞を深め、人を見て、知らなければならないことが沢山あるの」


「だから、外を見て回りたい。旅がしたいの」



 エリィの目は欠片も揺るがない。

 きっとこれは、長い長い自問自答の上での決断なのだろう。

 だから、誰に対しても引け目なんて感じることは無いし、胸を張ってこうするのだと言える。

 不思議なほど静かに聞いていた鳥居様は瞼を閉ざして重々しく頷いているし、リカはなにをする訳でもなくエリィの発言を聞き届けている。

 そんな三人を見ていると、動揺している自分だけが酷く情けないものの様に感じてしまう。


 いろんな疑問はある。

 彼女の発言の中だけでも、聞きたいことは一杯あって。

 それを一つ一つ整理してみても、きっとそれらは聞くべきではないのだと何となく思って。

 だから、一つだけ、それだけを言葉にしようと思った。



「僕も、エリィさんの求めているものが、一刻も早く手に入れることが出来るように、協力させてもらって良いですか?」

「―――……」



 一切揺らがなかった瞳が僅かに、動揺して揺れる。

 少しだけ目を見開いて、目を丸くして、それからいつも通りの笑みを彼女は浮かべるのだ。

 少しだけ意地の悪そうなあの笑みを。

 


「当り前じゃない。何のために保護してあげたと思ってるのよ。無いよりはマシかとおもって色々治療してあげたんだから、身を粉にするつもりで私の手助けをしなさいよね」



 そんな照れ隠しをして誰にも顔が見られないよう場所を移動すると、後ろ手にひらひらと手を振ってくる。



「まあ、その、ありがとね。正直、助かるわ…」

「あはは、お礼を言うのは僕の方だと思うんだけどなぁ…」

「私がありがとうって言ってるんだから。いいから大人しく、お礼を受けなさいよ馬鹿」

「ご、ごめん」

「…そ、それに貴方の欠けた記憶を取り戻すことにも繋がると思うから」

「うん…、ありがとう」



 お互いが相手の顔を見ようとしない。

 自分でも分からない変な感覚に襲われて、表情が歪んでしまっているのが分かるからだ。

 なんだか妙な空気になり始めているのを静観していたリカは察知するとズズイッ、と二人の間に割り込んだ。

 犬歯が見えるほど深い笑顔を携えたリカが、威嚇するように出雲に向き直る。



「じゃあ、決定だね。私達の、知識を深めるという目的の旅。同時に、貴方の記憶を取り戻す手掛かりを探す旅。それらを並行するこれからの旅は、きっと私達にとって大切な見聞の旅となる」



 まるで歌うかのように紡がれたリカの語りに、目を背けていた二人の視線は真ん中に位置取る包帯娘へと向けられる。

 三人から向けられた注目をものともせず、彼女は大仰な動作で両腕を広げた。



「まだ見ぬ土地。まだ見ぬ生態。無限に続くかと思うほど広大な果てのある行く先は、途方もない苦難と困難が待ち受けている事だろう。苦痛も、悲嘆も、絶望も、あるだろう。安穏な繭から分不相応に這いだした先にあるのは、決して希望ばかりでは無い筈だ。でもそれは私達が選んだ道だ。私達が超えてみせると決意して選択した道だ。ならばこそ、足は止めちゃいけない。怠惰に身を任せてはいけない。惰性に従ってはいけない。なぜなら貴方達の旅は一つの色で彩られるようなものではなく、数えきれない程の彩で作り出される一つの作品でなければならない。それこそが、私達の見聞録だからだ」



 枯れた色の白髪が輝く。

 包帯が揺れ、開かれた双眸からは煌々とした光が漏れる。

 彼女が謡うのは、祝言か、それとも警告か。

 透き通るような声が、不気味なまでに背筋を凍らせて、同時に暖かい何かが胸を熱くさせる。


 そして、



「さあ、今こそ、私達の出発の時なのです。祝福された子らよ。恐れず進むのです」

「それ、絶対に儂の真似じゃろぉぉ!? このちびっこぉぉ!!」



 ドヤッ、という効果音が付きそうな表情でそう締めたリカに、鳥居様は飛び掛かった。

 すでに恒例と化したそのキャットファイトに視線もやらず、エリィの方を見れば、出雲と同様にきょとんとした顔でこちらを見ている。

 どちらともなく噴き出した二人は、一方的になり始めた小さい二人の争いを止めるため動き出すのだ。






 旅とは、生易しいものではない。

 想像だにしない障害が多く待ち受けており、想定していないような災厄が襲いかかってくることも多々あるだろう。

 災害や交通、金銭や物品。

 それに加えて悪意や人間関係の拗れが起こることだって十分考えられる。

 何が襲ってくるかわからない、どこから襲い来るかわからない。

 なぜならこれからの行く先々は、勝手知ったる土地ではなく、誰かの思惑が蔓延る世界。

 どのように物事が転がるか、想像も出来ない。

 だから、せめて想定できる災厄の対処、または防止方策をあらかじめ作っておくのはとても大切なのである。


 言い換えれば、最初に始めた準備は簡単な役割分担だった。



「嘘だよ! 絶対嘘!!」



 その段階の話し合いが最後に近付き、抗議の声を上げたのが出雲だった。

 普段は出さないような大きな声を上げて直前の話を否定する。

 それに対して返すのは、出雲が異論を唱えている相手であるリカだ。



「えー? 何のことか分からないんだけどなぁ?」

「しらばっくれてっ…! リカが近接戦闘出来ないなんて嘘に決まってるじゃん! 僕の前であの、パズズだっけ、を一方的にあしらうことが出来るだけの技術があったの見てたんだから、言い逃れなんて出来ないんです!!」



 ぴっ、とリカに指を向ければ、リカはエリィと顔を見合わせて、困った子供の相談でもするように肩をすくめながら、諦めずに攻撃する鳥居様を軽くあしらっている。

 それが不満だったのか、鳥居様は体全体を使った突撃を繰り出すが容易く宙へ浮かされて抱えられていた。

 怪我しないように構ってくれていることに感謝する気持ちはあるが、それとこれとは話が別だと口元に力を込める。


 戦闘時の基本的な役割を決める際に、それの疑問は生じた。

 エリィが後方魔法攻撃型というのは納得しよう、だが、あれだけ冷然とパズズを切り裂いたリカが後方支援、要するに強化と回復を担うというのだ。

 鳥居様に戦闘力が無い事を思えば、おのずと前衛型は自分一人ということになる。

 それは、出雲にとってあまりに自信が無かった。

 つい先日の、パズズのような怪物との戦闘時、自身一人でアレと渡り合うことが難しいなど、火を見るより明らかだ。

 たまたま、前回は鳥居様の力があり、リカの補助があり、幸運に幸運が重なって何とかできたものの、あの出来事だけで自分が接近戦闘を行えると思うほど勘違いするような頭を、出雲はしていなかった。


 納得していない出雲の姿に、エリィがなんと言えばいいのかと困ったように手を顎に当てる。



「リカは…なんていうか、強いんだけど、体力が無いというか…。魔法も無から有を生み出す様な消費の激しいのは使用しないようにしてるし…、継続して持続できるような力は無いのよ。だから一応、私達の中での役割だと後方支援型になるんだけど…」

「それは…、役割の適正なんて、僕には分からないですけど…僕一人の前衛なんて不安でしょうがなくて」

「それは、そうなんでしょうけど…、でもこれはある意味私達の手札の一つともいえるのよ」

「手札、ですか?」



 エリィはその言葉に頷くと、説明を始める。



「例えば一般論なんだけど、潜伏、奇襲、遠隔攻撃、それらの気付きにくい攻撃をするにあたって、その目標となるのは何かって話。どうしたって、戦闘での大切な分岐点となる一撃は、最も効率的な個所への攻撃となるわ。それを私達ならどうとでも出来る、いえ、返り討ちにすることだって可能よ」

「…なるほど。後衛を狙った攻撃を、逆に反撃の目に出来るんですね…」

「そういうこと。それに、無理に貴方に前衛全てを任せるわけないじゃない。基本の形として今はこうして決めているけれど、リカはあの通り戦闘における全ての役割を一応はこなすことが出来る。私だって、ある程度剣術や棒術の心得はあるわ。足りないと思えば、二人で飛び出して加勢もする。…それでも不安?」

「それは、不安ではありますよ…」



 話し合いの邪魔にならないように、部屋の端まで鳥居様を連れて行っているリカに視線をやる。

 本当は、戦うことの決意なんてものも持ちたくはないかった。

 けれど、あの時の様に、自分を守るために誰かが傷付くなら、自分も戦わなければと思うのだ。

 弱い気持ちなのかもしれないし、覚悟何て足りないのかもしれない。

 それでも、この不安な気持ちを超えられない程度の覚悟ではなかった筈だ。



「そう。…なら、仕方ないわね、別に他の方法が無いわけではないし。最善ではないでしょうけど、リカにあれ以上の負担は掛けれないから私が一緒に前線構築を行うようにしようかしらね」

「ううん、やるよ。やらせて欲しい」

「…提案した私が言うのもあれだけど、見るからに戦闘経験は皆無だったとリカから教えて貰ってはいたの。その具合がどの程度か分からないのだけれど、本当に戦えないという不安があるなら、止めといたほうがいいと思うわ。私は接近戦闘もそこそこ強いのよ」

「ありがとう。でも、やっぱり不安だからって何でもかんでもエリィさん達に頼るのは間違っていると思うし。それじゃあ、ただのお荷物になるだけで手伝いなんて出来ないから、…それが最善だったらそれをやるべきだって思うんだ」



 拳を握って見せるエリィに対して、自分の判断を告げる。

 先ほどまでとは打って変わったようなその言葉に、不思議そうな表情を浮かべたエリィは首を傾げた。



「本当にいいのね? 今後の状況によっては、また変更するかもしれないけど、それまでに貴方が命を落としたらどうすることもできないのよ?」

「―――うん。それは、あの時あの化け物に向かって抵抗するって決めた時から分かってたよ」

「…ふうん、そう。貴方が良いなら良いんだけどね」



 少しだけ躊躇した様子を見せたが、結局はやりたいようにやらせようと思ったのかエリィは出雲の判断を了承する。

 心配ではある。

 だが、どちらにしても、彼がどこまで本気で、どこまでやれるのかを見なければ何とも言えない。

 エリィはそう自身に言い聞かせて、なおも引き留めそうになる自分を抑え、次の分担に移るのだった。





1.移動はムーを使った荷車で行う。移動中はリカがムーを操り走行する。夜間はエリィと出雲が順に警戒を行うこと。

2.街に着いた時の担当は、宿の確保・情報収集をエリィが、必要物の購入・魔道書の売却をリカが行う。出雲は慣れるまでどちらかに同行すること。

3.戦闘時は先ほど話し合った戦い方を基本に臨機応変に対応すること。なお、戦闘時の指揮官はリカとする。追加指示があった際はそちらを優先すること。

4.可能な限りこちらの情報を他人に公開しないこと。必要があった際はエリィおよびリカへ相談すること。なお、これは他の不明事項に際しても同様とする。

5.個別に必要な物があれば皆で話し合うこと。意見や相談、気になった事柄でも情報の共有は大切にすること。

6.極力面倒事からは避けること。何よりも自身の命を優先すること。

7.これらの取り決めを変更したい際はエリィに申し出ること。どうしても意見が分かれて対立するようであれば、エリィの判断で人をこの旅から追放することが出来る。



 話し合いの末に決まったのは指針となる7条。

 足りない部分は後から補っていくが、とりあえずはこれで行くらしい。

 文書へとそれらを書き出したエリィは、何らかの魔法を行使して空中に黄色く光る魔方陣を発生させる。

 すると、インクによって書かれたその文字列が輝き、その上から透明な何かに紙自体がコーティングされた。

 どうやら保管用の魔法を使ったらしい。

 それを見て、魔法とは極めれば本当に便利な物なのだなと出雲は思った。


 呆けたような表情でそんなことを考えてその光景を見ていたら、エリィはその保護した紙を軽く筒状に巻くと懐に仕舞う。

 そのまま素早く立ち上がり、身だしなみを整え始めたエリィに、自分も準備をしなければと慌てていると、それに気が付いた彼女は驚いたように目を見開いたが、すぐに得心がいったとばかりに普段の表情に戻った。

 それから、眉にしわを寄せてから、言いにくそうに出雲に声を掛ける。



「…ごめんなさい、少しだけ私的な用事で外に出てくるわ。出発は昼過ぎ…、いえ遅くなるようだったら明日の朝にしましょう」

「え? あの、勘違いだったら申し訳ないんですが、結界が壊れているなら、早く出発しないと不味いんじゃないですか?」

「…ええ、その通りよ。…ごめんなさい」



 少しの間ならまだしも、一日掛かる用事とはなんだろうと思ったものの、それよりも新しい疑問が降って湧き、それを思わず口にすれば、エリィはその疑問を肯定して、顔を俯ける。

 その様子に、慌てたのは出雲だ。

 彼女を責めるつもりでそんな発言をしたわけではなかった。



「あ、謝らないで下さい! 何か事情があるなら、全然大丈夫です! エリィさんが一人で出て行って危険じゃないかとか、そういうことを考えただけでしてっ」



 そう言い募ってみても、空回っている感覚が拭えない。

 それでも、エリィは微笑みを返すと、それじゃあ少しだけ行ってくるわねと言葉を残すと、扉から出て行った。


 扉が閉まる音の後には、鳥居様とリカの言い争いのような言葉の応酬のみが響くばかりで、またやってしまったのではないかという焦燥感に駆られてしまう。


 エリィと、仲良くなりたいという想いがある。

 それは、彼女の器量が良いという理由が無いわけではない。

 自身がどれほどの人との関わりがあったのかは分からないが、彼女の一つ一つの動作に思わず見惚れてしまう程の美貌は、恐らく稀有なのではないだろうかと思う。

 これで、彼女の容姿に引かれるところが少しもないというのは流石に無理がある。

 だがそれよりも、自身を助けてくれ、突然現れた鳥居様さえ保護すると言った彼女の優しさに何とか報いたいと思うのだ。


 当初こそ、あまりの口の悪さと上から見下すような態度には辟易した。

 だがそれも少しすれば柔らかいものに変わり、慣れもあるだろうが気にならなくなっていった。

 リカが言うには人見知りの延長線らしいが、ともあれ彼女が意識してあのような態度を取っていた訳ではないという。

 となれば出雲としては、エリィと距離を置こうとする理由は無い。

 仲良くなれたら、それに越したことは無いのだ。

 だが、どうやら自分は配慮が足りないらしい。

 気にしているところを、触れてほしくないところを無遠慮に踏みにじるがごとく、手を伸ばし関わろうとしてしまう。

 それは、いけないことなのだろう。

 領分は弁えなくてはいけないのだろう。

 だからこれ以上踏み込むべきではないのだろう。

 そう思った。



「うん、出雲。エリィの後を追って渡して来て欲しい物があるんだけど」

「――え?」



 つい先ほど出て行ったエリィに慌てて渡さなければならないものがあることや、そもそも自分で行けばいいのではという思いを塗りつぶすように、エリィは見られたくない場所へ行くからこそ一人で出て行った筈であるのに、それを配慮しようともしないリカの言葉に驚愕した。

 リカの方へ向き直れば、鳥居様の顔を片手で掴み上げながら、どこから取り出したのか小さな花瓶とそれに入れられた白い花を出雲に向けて差し出した。

 反射的に受け取れば、そのずしりとした感触と派手さは無いものの美しく装飾されたそれに、名のある工芸人が作ったのではないかと思わせるなにかがあった。



「慌てて出て行って何も持ってなかったからね。あの様子じゃあ、意地張って一度戻ってくることもないだろうし、持って行ってあげてよ」

「え…、あのでも…、と、とりあえず鳥居様を離してあげて…」

「ほら、早く行って。家の玄関から反対側の少し大きな木の近くにいる筈だからそれを渡して、…少しだけ話を聞いてあげて」

「…うむ、儂も追うのが良いと思うぞ出雲。」

「鳥居様…、あの大丈夫なんですか?」

「気にせずとも良い。それよりも、あの者は少しばかり抱え込み過ぎておるのじゃ。まだ童であるというのに、難儀な物よな。…出雲、ここは死が身近じゃ、それを理解するためにも追いかけよ」

「っ…は、はい」



 アイアンクローを決められている鳥居様の後押しに、ようやく足を踏み出して部屋を飛び出す。

 背後から再び聞こえてきた二人の暴れる音を聞きながらも、リカの言っていた場所を目指して走り出した。




 その場所はすぐに見つかった。

 家からそれほど離れていない大きな木の根元。

 少しだけ開けた場所には多くの花々が植えられており、色とりどりの景観を生み出している。

 そよ風を受けて小さく身を揺らす花々の中に建てられた小さな石の柱の前に、エリィはそっと身を屈ませながら優しく触れて、小さく口元を動かしている。


 その石柱は、見れば常日頃から手入れされていたのだろう、苔一つ生えておらず、近くにはいくつもの花が添えられている。

 その石柱にはなんの文字も書かれてはいなかったが、鳥居様の言葉、リカの様子、エリィの態度から、何となくそれが何なのかは理解できた。


 あれは、きっと誰かの墓なのだろう。



「エリィさん」

「――っ」



 出雲が声を掛ければ弾かれた様に立ち上がりこちらへ向き直る。 

 目の前の墓に意識を集中させすぎて、全く周りの警戒を怠っていたのであろう。

 普段のエリィからはありえないような不用心さに、出雲を視界に捉えて瞳を揺らす彼女の姿に胸が痛くなる。

 エリィが驚いた様子を見せたのはほんの数秒で、すぐに元の様子に戻ると、心底忌々しそうに出雲を睨み付けてきた。

 


「なんなのかしら。私が一人で出てきたんだから少しくらい配慮して欲しいのだけど」

「ご、ごめんなさいっ。でもこれを、届けるようにって」

「これって…、花?」



 彼女の怒りに満ちた言葉を受けて、慌てて手に持った花瓶と花を差し出せば、エリィは眼を丸くして、それから後ろの墓の前に置かれている花々を一瞥すると仕方がないと言った風に笑みを零した。



「リカったら、本当に心配性なんだから…」

「ええっと、…すいません、僕も追わない方が良いかなとは思ったんですけど…、様子が変でしたし…心配で」

「…いえ、実際貴方に声を掛けられるまでまるで気が付いていなかったし、結界が壊れていることを思えば、もっと警戒をしていなければならなかったわ。…私こそごめんなさい。見られたくない場所を見られて気が立っていたわ…」

「そんなっ、謝らないで下さい…」



 二人して謝りあって、おのずと重くなっていく雰囲気をどうすることもできない。

 空気を読んでふざけるリカや、何も考えず騒ぐ鳥居様が居れば、あっという間に払拭されるだろう空気は、そういうことが得意でない二人にはどうすることもできない。

 嫌な沈黙に場が包まれる。

 お互いに目を逸らしあい話題を探すが出てくるのは、建前と事実の羅列だけ。

 ついには先に耐えきれなくなったエリィが石柱の前に屈み、出雲に渡された花瓶に魔法で生み出した水を入れると、正面に供える。



「―――これはね、私の母親の墓なの」



 こくりと、唾を飲んだ音が聞こえた。

 エリィの表情は見えないものの、顔色は悪いのは分かった。



「優しい母親だった。良く笑う母親だった。料理が得意で、魔法に没頭する父を支えて、私の話をよく聞いてくれる人だった。」



 ポツリポツリと吐き出されるその言葉は酷く重く、触れるだけでも気が滅入る様で、抱え込むことはきっと苦しいのだろうと思った。



「多分、人に誇れるような家族じゃなかったわ。こんな人里離れた場所に住んで暮らす様な私達の家族は、どこか後ろ暗さを抱えていて、きっと褒められたことをしていなかったのかもしれない。…でも、私は幸せだったの、少なくとも小さな私は何の不満も無く、ここでの生活を謳歌していた」



 いつの間にか、彼女の手は強く握り込まれていて、目に見えるほど手の平に立てている爪は、感情を押し殺すためのものなのだろう。

 もしくは、零れそうになる激情を抑えるためのものなのだろうか。



「―――突然のことだった。私は朝早くから頼まれた薬草を摘みに家を出ていて、もう慣れたものだったその作業を手早く終わらせて、昼ごろには家に帰ったと思うわ。お昼ご飯はなんだろうなんて、どうでも良いようなことを無邪気に考えて、手元の籠一杯に入った薬草を、きっと喜んで褒めてくれるだろうと妄想して、…結局、それらは何一つ叶いはしなかったけどね」



家の玄関は無残に破壊されていた。

 家の中には、無数の破壊の痕と血の海に伏せる母親がいた。


 血の気が失せたのはその時が初めてだった。

 体中の体温が無くなった気分だった。

 現実が信じられなくて倒れ伏す母親を何度も呼び掛けた。

 肩を叩いた。

体を揺すった。

縋り付いて泣き叫んだ。

それでも、母親はほんの少しも動かなかった。

ほんのついさっきまで会話していた母親が、物言わぬ肉塊になっていた。

ほんの数時間でなにもかもを、失ってしまった。

私に残されたのは、人の居なくなってしまったこの家だけだった。



「…その時のことは、良く覚えていないの。それからどうやって生活したのか、一人きりでどうやって生きてきたのか、良く覚えていないのよ」

「きっと、抜け殻の様だったのだと思う。ボロボロの家も、母親の亡骸も、帰って来ない父親も、何も手を付けることなくそのままだったんだから…」

「…リカがここに住むようになって、ようやく前に進みだした。リカが手を引いてくれて、この墓を作ってくれて、家の修理も、私に必要なことも、生きるための術も、全部助けてくれた…そうでなければ、私はあのまま朽ち果てていたのだと、そう思う」



 くしゃりと、片手で髪を掴む。

 震える彼女の後姿に、何も声を掛けることが出来ない。

 これは、何も知らない自分が口を出せる話ではなかった。

 ただ聞く事しかできない自分が、恨めしい。

 

 エリィは、震える体を掻き抱いて体を縮めて寒さに耐える。

 絶望の傷は、今なお彼女を蝕むのだろう。



「なんで自分がと何度も思った。なんでこんなことになってしまったのだろうと何度も思った。あの時外に出ていなければと何度も思った。いっそあの時一緒に死ねていればと、何度も…思った」



 絶望に押し潰された。

 先の見えない暗黒に突き落とされた。

 這い上がることなど出来ないだろうと思っていた。


―――でも、自分は今ここに立って、過去を形にして生きている。

 だからきっと。

 だからこそ、私は。



「生きているから、知らなければならないと思った。前に進むと決めたから、知らなければならないと思ったの。あの日の事を、その真実を、全部全部私は知らなくちゃいけないと思ったよ」



 先に進むと決めた。

 震えて涙を流すだけの子供は、もうやめようと決めた。

 立ち止まり続けるのはいけないのだと、理解した。

 だから、ここから出発するのだ。

 きっと、何も取り戻すことは出来ない旅に。



「っ…、僕はっ、凄いと思いますっ」



 震えても、拳を握っても、歯を食いしばっても、ほんの少しの涙を見せなかったエリィの前で、出雲はだらしなくポロポロと涙を溢す。

 驚くエリィの前で、袖で涙を拭いながらも出雲は胸の内に生まれた尊敬の感情を、吐き出していく。



「だって、辛いに決まってるじゃないですかっ。目の前で親が死んでいて、近くに頼れる人なんて居なくて、こんな誰もいない森の中で、一人ぼっちでいたエリィさんがっ、こうやって先に進もうと思えるなんてっ…、どれだけ難しい事かだなんて、きっと途方もないんだろうってっ」

「―――…っ」

「立派ですよっ、凄いですっ…。…何言ってんだ僕…こんな何も知らない奴が知ったような口を…、ごめんなさいエリィさん、不快になりましたよね…」



 エリィに背を向ける。

 溢れだした涙は、しばらく止まりそうになかった。

 話を聞いて分かった。

 ここは、この場所は、エリィにとってとても大切な場所なのだ。

 汚されたくない、掛け替えのない場所なのだ。

 それの、最後の別れを、彼女は行いに来たのだろう。

 

 ここにいるべきではない。

 自分にはそんな資格ないのだと、そう思った。

 


「すっ、すいませんっ、先に戻ってますっ…。いくらでも待っていますから、どれだけ掛かってもいいですからっ」



 それだけ言って、出雲は逃げるように駆け出していく。

 目元を拭いながら、嗚咽を漏らしながら、もう曝け出そうともしない誰かの感情を肩代わりするように吐き出しながら、駆けていく。



「―――なんで、貴方が泣くのよ」



 出雲のそんな後姿を目で追いながら、エリィはそんな事を呟いた。

 ふと、石柱に目をやると、先ほど置いた白い花が寄り添うように石柱にもたれかかっている。

 もたれかかりながら、その花は何故だかエリィを優しく見つめるように、こちらに花弁を向けている。

 もう長い間思い出さなかった、母親の笑顔が重なって。

 いつの間にか、自分の頬を暖かい滴が濡らしていることに気が付いた。



「なん、で、もう、泣かないって決めたのにっ…」



 力が抜けて、膝を地に着いて。

 縋り付くように石柱に顔を寄せると、白い花が優しくエリィの頬を撫でた。



「ぁ…、い、いってきますっ、お母さん。私っ、行ってくるからっ」



 風が吹いた。

 新しい風だ。

 壊された結界から吹き込んだ外界の風を受けて、暖かな日差しの中で花々はその身を揺らす。

 それは、祝福するように、応援するように、身近で育ってきた彼女の門出を喜ぶように、大きく大きく揺らすのだ。

 

   



  居たくないと思っていた場所で、いつの間にか身動きを取れなくなっていた。

  誰もいなかったこの場所は、いつの間に笑ってくれる誰かが居るようになった。

  失ってばかりだと思っていたのに、どうやら大切なものを手に入れていたみたいだった。

  だから、少しだけ、強くなりたいと思うようになった。

  そうして、ようやく一歩を踏み出した人がいた。


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