7話 タウロス【種族:ミノタウロス】
早朝。
魔王室には今日も俺とアリスの二人きりだ。
秘書の正装であるスーツとタイトスカートを纏ったアリスは、俺を半目で見る。
「昨日は魔王様のせいで大変な目に遭いましたよ。まさか秘書を売るなんて、それが魔王のすることですか? 幸い話だけですませてもらえたから良かったものの……」
「ああ、あいつは相手が望んでないとそういうことはしないからな。そういうポリシーらしいから」
「最終的には相手から襲わせる」のがサキュレの信条らしい。
だから、本人が拒めば無害ではあるのだ。
「ならそれを教えておいてくださいよ」
「悪い悪い、知ってるもんだと思ってた。そういやお前まだこの軍に入って三か月しか経ってないんだもんな」
アリスが魔王軍に入ったのはまだ三か月前の話である。
戦闘部隊しか入らないはずの魔王城のグランドで、気を失っていたアリスを俺が見つけたのだ。
自身がヴァルキリーであると名乗ったアリスは、天界への帰り方がわからないと言った。
そのまま放り出すわけにもいかないので、空席だった俺の秘書の座をアリスに充てたわけだ。
椅子に腰かけている俺の横に立つアリスを見る。
アリスの綺麗な金の双眸が俺を映し出している。
彼女もゲーム大会に参加したり皆と仲良くなろうと努力はしているようだが、まだまだ軍に入ってから月日が浅いのは事実だ。
魔族には万年単位で生きる種がざらにいるから、時間の感覚が様々なのが難儀なところである。
それでも徐々に認められてはきている……気がする。
「魔王様は忘れていると思うので申し上げておきますが、今日は戦闘部隊の皆さんのところに行くんですよ?」
「なんで覚えてないこと前提なんだ?」
そのくらい俺だって覚えているぞ。
「だって魔王様ですし」
アリスは「何をいまさら」とでも言いたげな顔で俺に言う。
「俺が俺であること自体が理由になるのか……哲学的な話だな」
「ほら、やっぱり魔王様です」
やっぱりの意味がわからんが、まあ今はそれよりも戦闘部隊の話が先だな。
もっとも、部隊長のところに行ったところでアイツが話が通じるから甚だ疑問ではあるが……。
とにかく行ってみなければ何も始まらないのはたしかだ。
「タウロスの元に向かうぞ。準備は良いな、アリス」
「はい、魔王様」
俺はアリスを引き連れて戦闘部隊隊長、ミノタウロスのタウロスの元へと向かった。
戦闘部隊は魔王軍の中核をなす部隊である。
彼らは基本的に魔王城の目下に設けられた千人は収容できるであろうグラウンドで日夜訓練に励んでいるのだ。
グラウンドにでた俺たちを、屈強なシルエットの男が出迎えた。
二メートルを超える筋肉質で浅黒い肉体に、右手には常人では持てないほどの巨大な斧をあろうことか片手で持っている。
短めの茶髪に、威圧感を与える二本の力強い角。
彼こそが魔王軍戦闘部隊隊長、タウロスであった。
「悪いなタウロス。わざわざ時間を割いてもらって」
そんな俺の言葉に、タウロスは大きく口を開く。
その挙動を見た俺はすぐさま耳に手を当てた。
次の瞬間、周囲にタウロスの大音量の声が響き渡る。
「うおおおおおおお! 魔王様、うおおおおおお! オラにそんな言葉をかけてくれるなんてええ! 魔王様ああああ!」
「叫ばれても何一つ伝わらん! 落ち着けタウロス!」
「あ、わかりましただ」
ひゅん、とすぐさま音量を調節したタウロスはなんでもなかったような顔でそう言う。
コイツの耳と喉はどうなってるんだ。どっちもぶっ壊れてるんじゃなかろうか。
疑惑の目で見る俺を余所に、タウロスは浅黒い肌の腕でアリスを指差す。
「あっ、アリスどんが倒れてるだ!? 大変だだ!」
「大丈夫だ、安心しろ。お前の大声に驚いただけだから。なあアリス?」
倒れていたアリスは頭を押さえ、目をしかめながらムクリと立ち上がった。
「し、心臓が止まるかと思いました……」
「えっ、心臓が!? 大変だ、大変だだあああああ!」
「だからその大声をやめろっ!」
俺は斧をタウロスから取り上げる。
すると二メートルを超えていた身体は見る見るうちに縮んでいく。
さきほどまで二十歳半ばの大男がいた場所には、今は十歳ほどの少年にしか見えない子供がいた。
角まで小さくなった少年――タウロスは、ビクビクしながら俺に手を伸ばしてくる。
「あっ……お、斧返してください……。僕それがないと……あの……ご、ごめんなさい!」
「なんで謝る」
そんなに声を震わせて涙目で俺を見ないでくれ。
なんか自分が悪いことしたみたいに思えてくるから。
「足りませんか……なら、これで許してください!」
「待て待て待て! 土下座する必要はないぞ!? 落ち着けタウロス!」
膝をつき始めたタウロスを慌てて制止させる。
これじゃ事情を知らないやつが見たら、俺がいたいけな少年を泣かせて土下座させてる最低野郎にしか見えないじゃないか。
「うわぁ、魔王様最低です……」
「お前は一部始終見てただろうが! 全部知ってるだろ!」
これでアリスにまで悪者扱いされたらたまったもんじゃないぞ!
十分後。
「落ち着きましただ。みっともないところをお見せして申し訳ないだ」
斧を右手に持ち、元の巨体に戻ったタウロスは俺に頭を下げる。
「お前から斧とったら駄目だな。骨身にしみてわかったよ」
「斧はオラの半身みたいなもんですからね。無くなると心細くて身体が小さくなってしまうんですだ」
前半はわかるんだけどな……。
前半からどうすれば後半に繋がるのか、いまだに理解できないのは俺がおかしいんだろうか。
「お前の身体は一体全体どういう構造になってるんだろうなぁ」
「身体……」
「なんでそこだけ抜き出したんだアリス。意味深な顔で意味深な発言をするのはやめろ」
頬を染めるな、内股になるな、目線を逸らすな。
コイツ、完全に俺で遊んでやがるな……。
「まあいい、アリスは放っておく。今日俺が来たのは、近頃戦闘部隊での負傷者が増加していると聞いたからだ。サキュレにも確認をとったから間違いない。この原因を教えてもらいに来た」
原因次第では、久しぶりに俺が前線にでることもありえるからな。
何が起きているかしっかり把握しておかねば。
「ああ、それならあれですだ」
タウロスは照れたように茶色い髪を掻く。
「最近戦闘らしい戦闘がないんで、『たるまないように』ということで強い順にご飯にありつけるシステムに変えたら、皆血眼になっちゃって。嬉しい半分困った半分ですだ」
「なんだその理由は……」
思っていたのの数倍しょうもない理由だったぞ……。
「ご飯は大事ですからねやっぱり。オラも負けてられませんだ。……あ、もちろん全員に満足な量は与えていますだよ? オラが言ってるのは、ちょっと大きい魚とかを選べるってことですだ」
「そうか、よくわかった」
それならば問題はない。
たしかに見回してみてもやせ細っているような人員をいないし、タウロスの言っていることは事実とみていいだろう。というかコイツに嘘がつけるとは思えん。
ふう、と俺は小さく息を吐く。
正直拍子抜けはしたが、平和であることが確認できただけでも十分だ。
まあ、不要だと思うが一応忠告をしておくか。
「競争もいいが、ほどほどにしろよ? サキュレも心配していたからな」
「わかりましただ魔王様!」
タウロスは元気な声を出す。
なんにせよ、万事解決万々歳だな。
俺はグラウンドに来たついでに、戦闘部隊の様子を視察する。
俺が見ているということで浮き足立っている者もいるが、その数は思っていたよりも少ない。
統治者としてのタウロスの資質は俺の想像以上なようだ。
というか、俺よりも魔王に向いているかもしれんな。
「そういえば、ヴェルレアをここに連れて来ればよかったな」
俺は声が飛び交うグラウンドを見回りながらぼそりと呟く。
いくら実年齢が一万歳だと言っても、見た目が幼女なせいでついつい無意識にここをアイツの所属候補に入れるのを忘れていた。
アイツは面倒くさがりだが戦うのだけは面倒くさがらないし、保育園に入れておくよりもここに入れてしまった方が本人的にもいいのかもしれない。
「ああ、そうですね。ヴェルレアさんなら戦闘経験は申し分ないでしょうし。どうでしょう、今からでも戦闘部隊に入ってもらうというのは」
アリスも俺の意見に同意のようだ。
「それもありかもしれんな。どうだタウロス、ヴェルレアを戦闘部隊に――」
「それは、それはやめてくださいですだ! あの人は勘弁してくれですだ!」
妙案だと思ったのだが、タウロスは凄い勢いで俺の案に否定してくる。
その精悍で屈強な顔には瞬く間に脂汗が滝のように浮かんでいた。
あまりの変化に目を丸くする俺を前に、タウロスは語る。
「あの人は戦いになると歯止めがきかなくなって、周囲を巻き込んだ魔法を使いだしますだ。しかも全部自分で倒しちまう。味方に被害ばかり与えるばかりで碌に経験も積めない、そんなのは御免ですだ!」
なるほど、それは実にはた迷惑な人材だ。
次代の教育に差し支えるというのは今の魔王軍において致命的である。
それに、コイツラにしてみれば仲間内に敵が増えるようなものだ。
それも、絶対に倒せないような強靭な力を兼ね備えているときてる。
それは断りたくなるのも無理はない。というか自然な道理だ。
「昔ならともかく、平和な今ならヴェルレアさんには保育園にいたままでいてほしいってのがオラたち魔王軍戦闘部隊の総意ですだ」
そのタウロスの言葉に、俺は首を縦に振った。
「そうか……わかった。お前たちの意思を尊重する」
「っ……! ありがとうございますだ魔王様ああああ! オラは感激しましただああああ!」
「だから大声を出すなと言ってるだろうが!」
「そうでしただああああ! ごめんなさいだあああ!」
「わざとやってるのか!? わざとやってるだろお前!」
耳が痛いからやめてくれ!
グラウンドから魔王室へと帰った俺は、「あ、あー」と声を出しながら喉を擦る。
「ったく、アイツと話すといつも声が枯れる」
「喉が弱いのでは? 唐辛子を濃縮した汁を喉に垂らしてみるのはどうでしょう」
「何がどうでしょうなんだかさっぱりわからん。頭大丈夫か?」
この秘書は何を言っているんだろうか。
「ご心配なく、私の頭は大丈夫です。ただ、魔王様には苦しみで床をはいずり回ってほしいと思いまして。幸せな人生を送ってほしいです」
「せいぜい幸せな人生を送らせてもらうとするよ」
どうせあとで本音が出てしまうと言うのに、アリスはなぜこうも憎まれ口を叩こうとするのだろうか。
コイツもよくわからないやつだ。
アリスは不機嫌そうな顔で自分の平坦な胸に手を当てながら、「むぅ」と声を出す。
「この体質ってなんとかならないんですかね。人に悪口も言えやしません」
「言えなくていいから。そのままのお前でいろ」
「告白ですか? 照れますね」
「一人で照れとけ」
「酷いです! 魔王様の悪魔!」
どうでもいいが、魔王に悪魔って悪口になってないぞアリス。




