5話 魔王室にて
夕時。
あのプリン騒動から丁度一時間ほどたったころ、魔王室の扉がコンコンとノックされる。
「入っていいぞ」
今日は珍しく何も起きずに済んだと思ったが、また誰かが何か起こしたのだろうか。
そんなことを考えながら許可を出す。
「お邪魔するのじゃー」
「夕時の遊宴」
入ってきたのは面倒くさがりのヴァンパイアと厨二病なリザードマン。つまりはヴェルレアとリザヴトだった。
「一時間ぶりじゃの。どうじゃ、あの後はきちんと『あーん』できたのか?」
「うぅぅ……」
「するわけないだろうが」
からかうような声色のヴェルレアに、毅然とした態度で返す。
俺たちで遊ぶな。アリスがノックアウトされちまったじゃないか。
俺の返答を聞いたヴェルレアは小さくため息を吐いた。
「なんじゃロード、お主は甲斐性のない男じゃのう。そんなんじゃからお主は千を超えても女の影がないんじゃ」
「お前だって一万歳を超えてるのに男いないじゃないか」
「それは世間の男のせいじゃ、妾のせいではないわい」
「世間が悪いのじゃ、世間が」とまったくこたえた様子のないヴェルレア。
なんと都合のいい責任転嫁であることか。
「それで、何しに来たんだ?」
「漆黒の饗宴」
あー、漆黒の饗宴か。
なるほどな。さっぱりわからん。
「ヴェルレア、通訳を頼む」
「嫌じゃ、面倒くさいもん」
にべもなしか。お前も相変わらずだな。
「ちなみに妾は今日は暇じゃったからやってきた。妾を楽しませてほしいのじゃ」
無茶苦茶言いやがるこのヴァンパイア。
まあいいや、とりあえずヴェルレアは無視だな。
「それで、リザヴトは何のために来たんだ? もうちょっとわかりやすく頼む」
リザヴトは顎に手を置き、考える素振りを見せる。
「……付添いの大人」
「一気にわかりやすくなったな」
ヴェルレアの付添いってことか。
ヴェルレアは両手を上げて快活に笑う。
「妾が頼んだら、快くついてきてくれたのじゃ!」
「孤独の下僕……」
リザヴトのテンションからして多分快くでは無いよな。
「『一人でいたかったのに、こんな年齢詐称のゴスロリと一緒に魔王様のところに行くことになるなんて……。こんな年齢詐称のゴスロリと一緒に……』と仰っていますね」
ようやく復活するや否や、リザヴトの気持ちを代弁するアリス。
しかしそれはどうも筋違いというか言いすぎだったようで、リザヴトはブンブンと手と首を横に振る。
「ご、誤解の誤解!」
「テンパり過ぎだろリザヴト……」
誤解の誤解って、要するにただの誤解じゃないか。
「リザヴトがそんなことを言う訳がないのじゃ。……ということは、今のはアリスの意見ということじゃな? 妾が年齢詐称のゴスロリとは、アリスも随分と言うようになったのぉ……」
邪悪な顔に変わったヴェルレアはポキポキと自身の小さな拳を小気味よく鳴らす。
あ、これは戦争時代に戻ってるな。
普段やる気がない反動なのかは知らないが、こうなったヴェルレアは俺でさえ止めるのは難しい。
その殺気を一身に受けたアリスはサッと顔を青くした。
このままじゃヤバいというのを本能で察したのだろう。
「……魔王様、私気分がすぐれないので、お暇を頂戴してもいいですか? 今すぐに」
「逃がすかこの毒舌ヴァルキリーが! お前など、こうしてやるわ!」
ヴェルレアは逃げようとしたアリスを見違えるような俊敏な動きで捉える。
そしてその勢いのままアリスの白いうなじにかぶりついた。
「あっ!」
アリスの肩がビクンと跳ねる。
「ああぁ……! んっ……!」
指を噛んで声を抑えるアリスだが、努力もむなしく桃色の唇の間からは艶のある声が漏れていく。
「んっ、くっ。お主の血も美味じゃよなぁ」
「やっ、んんっ……!」
力なく抵抗するアリスの首筋に、ヴェルレアは容赦なく牙を立てる。
「め、目に毒な光景!」
リザヴトは目を覆う。
でもお前、手の間から見てるの丸わかりだぞ。……気持ちはわかるけど。
「不健全な夜宴……!」
「まったくだな」
そういういかがわしいの魔王室でやらないでくれないかな。
ここ、一応俺の部屋なんだけど。
数分後、ヴェルレアがようやくアリスの首筋から牙を離した。
「っ……ぷはあっ。うむ、中々美味じゃったぞアリス」
そう言いながら舌なめずりをするヴェルレアはとても幼女の見た目をしているとは思えないほどの妖艶さを備えている。やはり一万歳というのは伊達じゃないらしい。
一方のアリスは力尽きたように壁にしなだれかかっている。
荒い息を漏らしながら、涙目でヴェルレアを見ていた。
「汚されました……。もうお嫁にいけません……」
「心配するでない、万一そんなことになったらそこのロードが貰うてくれるわ」
「ん? ああ、もちろんアリスが良いならだけどな」
急にこっちに話題を飛ばすな。
まあ俺としてもアリスのことは家族だと思っている。
同じ魔王軍の一員だしな。
ならば嫁に貰うくらいは造作もないことだ。
「……」
それを聞いたアリスは壁にしなだれかかったまま、唇を噛みしめてプルプルと震えだした。
「おぅおぅ、黙ってしもうて。いつもの毒舌はどうしたのじゃアリス?」
「う、うるさいですよっ! ヴェルレアさんなんてゴスロリなくせにっ!」
「それはさっき聞いたぞ? ほれほれ、他の言葉は思いつかないのかのぉ、アリスちゃん?」
ヴェルレアは耳に手を当てニヤニヤと笑う。
なんというか、俺の周りって性格良いやつがいないな……。
言い返せないアリスは吐き捨てるように言った。
「~っ! もうヴェルレアさんなんて嫌い、大っ嫌いです! 好きです!」
……ああ、お前嘘つけないもんな。
「……うわああん! なんで私はいつもこうなるんですかああ!」
ついに堪えきれなくなったアリスは床にぺたりと腰を付けてしまった。
「……お主、可愛いやつじゃなあ」
「純情の乙女」
「元気出せよアリス」
俺たちは各々アリスに声をかけるが、アリスはブンブンと腕を回して聞く耳を持とうとしない。
「うるさいうるさいうるさいです! 皆大嫌いです! 大好きです!」
ああ、アリスのやつまた同じミスを……。
「うぅぅぅぅ……っ! ひっくっ……!」
アリスは目に玉のような涙をためる。
なんかもうここまでいくと愛おしくなってきたわ。
数十分後。
アリスがようやく立ち直ってくれたところで、ヴェルレアとリザヴトが保育園に帰ることになった。
リザヴトは俺に敬礼をしながら言う。
「永久の別れ」
「全然永久じゃないから。会おうと思えば明日にでも会えるから」
真面目な顔で嘘つくのはやめてくれ。
いや、コイツにとっては格好つけてるだけなんだろうけどさ。
「ふわあ……運動したら疲れたのじゃ……。ロード、お主妾を背負って行け」
ヴェルリアは翼をはためかせ、俺の背中に着地した。
背中に小さな重みを感じる。
「なんで俺がお前のために保育園までいかなきゃならないんだ……」
少しくらい自分で何かをするという意思を持て、ヴェルレア。
そんな反応をした俺に、ヴェルレアは耳元で告げる。
「そんなこと言っていいのかのぅ? ……七歳にもなっておねしょしておったこと、皆にばらすぞ?」
「背負いましょう! いや、背負わせてくださいヴェルレア様!」
「うむ、そうか。くるしゅうないぞよ」
そんな過去をほのめかされたら言うことを聞かない訳にはいかない。
魔王が七歳でおねしょしてた、なんて部下に知られたら俺の権威は地に落ちてしまう!
そんなことは絶対に避けたい俺は、むしろ背負わせてもらえるようヴェルレアに頼み込んだ。
「うわぁ、魔王様ってそういう性癖だったんですね。控えめに言ってドン引きです」
「ぬ、拭えぬ業……」
あ、いつの間にか二人が引いてるだと!?
「違う、違うから! 待て、誤解だお前ら!」
「嫌だー、妾怖いのじゃー。汚されるー」
「下手な演技は止めてくれヴェルレア!」
ああ、なんで俺がこんな目に合わなきゃならないんだ!