21話 二人きりの魔王室
今日は晴天。
雲が二つ三つ空に浮かぶ中、俺とアリスは魔王室でペンを走らせていた。
もう三時間ほど経っただろうか。
そろそろ休憩の一つでも入れようか、と俺は万年筆をデスクに置く。
チラリとアリスの方を見ると、アリスも同じように休憩に入ったところだった。
「偶然だな。これが阿吽の呼吸ってやつか?」
「笑わせないでください」
「相変わらず辛辣だな……。どうせ一緒に休憩なんだ、空でも見ないか? 今日は風が気持ちいい」
俺は窓を開ける。
吹き込んだ風が、魔王室の空気を一瞬で新鮮なものへと変えた。
「空ですか? いいですよ」
俺とアリスは開け放たれた窓の傍に並ぶ。
「そういえば、お前と会ったのもこんな天気の日だったな」
「いや、たしかにそうですけど大抵こんな天気ですよね。三日に二日は晴れてると思いますけど」
「晴れた日にお前と会ったのは事実だろ。何の嘘もついてない」
「まあ、そうですけどね」
今からおよそ三か月前。
戦闘部隊専用のグラウンドでアリスを見つけたときは、どこかのスパイかと疑ったものだ。
今から考えれば、スパイならもっと当たり障りのない人材を送り込んでくるだろうけどな。
「……あれから三か月ですか。長いような、短いような。不思議な感覚ですね」
アリスはチラリと空から焦点をずらした。
『天界』を見ているのだと、なんとなく伝わってくる。
「……ここは、どうだ?」
「どう、とは?」
「暮らしていて、楽しいか? ……天界に戻りたくはないか?」
いてもたってもいられずに質問した俺に、アリスは軽く驚いたような顔をする。
そしてその後、フッと僅かに口角を上げた。
「そう言えば、私の話をほとんどしていませんでしたね」
金髪が風に揺れる。
「いい機会ですから、全部話しますよ」
そう言って、アリスはぽつぽつと語り始めた。
私は昔から一人でいることが多い子供でした。
いえ、厳密に言えば私は一人ではなかったのかもしれませんが。
私はヴァルキリーの中でも「最も高貴な血を引く」と言われた子でした。
皆が私に畏敬の念を抱きました。
そのため、両親以外は私に話しかけてくることもなかったと記憶しています。
どうしようもなく一人でした。周りに人がいくらいれども、私は常に一人でした。
彼らが見ているのは私ではなく、私の血だとわかっていたからです。
それが嫌になった私はある日、衝動的に家を飛び出しました。
しかしまあ、なにぶん箱入り娘だったもので地界への正しいルートもわからず……ですが天界に留まっていれば捕まってしまうのはわかりきっていたので、意を決して雲の切れ間から地界へとダイブしました。
やはり正式な降り方ではなかったようで、翼が役に立たないほどの気流に押し流され、私は地界へと落下しました。
そして気が付いたときにはここ、魔王城の医務室に寝かされていて、金色の翼が出せなくなっていることに気が付いたのです。
長年自由に操ってきた翼が無くなるのは当然ショックでしたが、それと同時に「帰れない理由」ができたことに安心もしていました。
翼が無ければ、天界へは戻れませんからね。
そしてそれからは魔王様たちのご厚意に甘えさせていただく形で、この魔王城で秘書官として働かせてもらっているわけです。
「……と、こんなところでしょうか」
そこまで話したところで、アリスは窓に背を向ける。そして首を俺の方へと回した。
「魔王様は先ほど聞きましたね。『戻りたいか?』と。……正直わかりません。自分自身、どうしたいのか」
「そうか」
「でも、ここで皆さんと暮らしているのはとても楽しいです。……とても」
「……そうか」
そこまで話したところで、アリスは「たくさん話したせいで喉が渇きました」と言って机の上の飲み物を手に取り、一口飲んだ。
そして笑う。
「まあ、魔王様が娶ってくれればもう考えなくてすむんですけどね!」
ニヒヒと笑う顔からしても、明るくするための冗談だろう。
それに気づいた俺は頭を掻く。
部下に気を使わせてしまうとは、俺は魔王失格だな。
だが、魔王軍の『仲間』の配慮だ。乗っからせてもらうとしよう。
「ハッハッハッ、まあそうだな。考えておくとするか」
「前向きに善処しておいてくださいねっ」
その冗談まだ続けるのか。
……ん? あれ、そう言えば「俺が娶れば大丈夫」なんて冗談言っても、後ろに本音が付かなくなったな。
「アリス。嘘が言えない癖、治ったんじゃないか?」
俺の指摘を聞いたアリスは、キラキラと目を輝かせる。
「本当ですか! 魔王様のバーカ! 尊敬してます!」
「あれ、治ってないな……」
「治ってないじゃないですか、魔王様の嘘つき! タンスの角に小指ぶつけてください! 怪我なく健康でいてほしいです!」
うん、やっぱり治ってない。
じゃあなんで娶るとかそんな冗談言えたんだ? よくわからんな……。
「さて、そろそろ仕事に戻らないとな。お前の話が聞けて良かったよ」
「私も少し肩の荷が下りたような、そんな気分です」
アリスは晴れ晴れとした顔で言う。
昔よりも心を開いてくれているということだろう。それは素直に喜ぶべきことだ。
俺とアリスは各々のデスクへと戻るのだった。




