18話 治療
ドアを手荒に開けながら、俺は医務室へと駆けこむ。
「サキュレ、いるか!」
「あらぁ、どうしたのぉ?」
そこでは白衣のサキュレが優雅にティータイムを楽しんでいた。
今は他に怪我人がいないようだ、丁度良かった。
「メドゥーサが熱を出して倒れた! 診てやってくれ!」
「保育園の子供ね? ベッドに寝かせて」
背負ったメドゥーサの姿を確認したサキュレは即座に組んでいた足をおろし、仕事の顔へと変わる。
ベッドへと寝かせたメドゥーサの身体を流れるような動作で確認した後、サキュレは俺たちの方を向いた。
「女の子の治療風景はあんまり見せたくないわ。カーテン、閉めさせてもらうわね」
そしてベッドと俺たちの間にけつられたカーテンを手に持つ。
「わかった」
もしかしたら治療で衣服をはだけさせるのかもしれない。
それならば、たしかに俺たちが見るのは問題があるだろう。俺たちは気にしないが、メドゥーサが気にする。
なんにせよ、この部屋内に限ってはサキュレの地位は俺より高い。
従わない道理がなかった。
「サキュレ、メドゥーサをお願い申す」
リザヴトがサキュレに頭を下げる。
「任せおきなさぁい。あたし、これでも魔王軍の幹部だもの」
リザヴトを安心させるように笑って、サキュレは薄桃色のカーテンを閉めた。
カーテンの外へと締め出された俺たちは、医務室の端に並べられた黒い丸椅子に並んで腰かける。
「危惧……」
「大丈夫だ、メドゥーサは根性ある子だよ。それに、サキュレもすごいやつだ」
不安から足を小刻みに揺らすリザヴトを励ます。
カーテンで仕切られた向こう側で、今サキュレがメドゥーサの治療にあたっているんだろう。
見えるはずのない薄桃色のカーテンの向こうを凝視する。
「んああぁぁっ……!」
……治療にあたってるんだよな?
いや、わかってる。今のサキュレの声は、呪武器に関するものだろう。
ただちょっとこの場には場違いすぎる官能的な声が聞こえたから一瞬戸惑っただけだ。
サキュレの呪武器は『槍』。尻尾と一体化した槍が、刺した相手の自然治癒力と免疫力を高めるのだ。
槍から治療に必要な成分を人体に流し込む時に痛みを感じるらしいから、さっきの声はおそらくそれだ。
その代償にサキュレ自身はフェロモンが常時放出される身体になってしまっているが、その治療は世界でも有数のものだ。サキュレが治療する以上、メドゥーサはもう一安心と思っていい。
「ああっ……んんっ……!」
「……」
「……」
だけどなんというか、心臓に悪い治療だな……。
俺とリザヴトは尋常ならざる居心地の悪さを感じながら、黙って治療が終わるのを待った。
部屋には十分近く、サキュレの甘い声が響いていた。
「終わったわ」
約十分後、カーテンを開けたサキュレの第一声はそれだった。
いつの間にか閉めていた胸元のボタンを開け始めるサキュレに、リザヴトが詰め寄る。
「メドゥーサは、メドゥーサは如何!」
「大丈夫、問題ないわ。すぐに目を覚ますはずよぉ」
「あ、安堵……。安堵の砂浜……」
リザヴトが深く息を吐く。
安堵の砂浜って何だ?
ホッと一息ついた俺とリザヴトに、サキュレが今回の病気の原因を話してくれる。
サキュレは寝息を立てるメドゥーサの頭を長い指で撫でながら言った。
「メドゥーサちゃんと言ったかしら。この子、ゴーゴンでしょう? 頭の蛇が脱皮したばかりで免疫力が落ちていたところに風邪を引いちゃったみたいだわ。だけどもう大丈夫、完治させたから」
「さすがサキュレだな」
「感謝……! ただただ感謝……!」
リザヴトが目をシバシバとさせながら、サキュレの手を取る。
そして歓喜の気持ちを表すよように上下にブンブンと振った。
それに対しサキュレは嫌がるそぶりも見せず、ただ蠱惑的に微笑む。
「あたしの手をとるってことは、誘ってるってことでいいのかしら?」
「……!? ご、誤解っ! 誤解っ!」
リザヴトはパッと手を離し、壁際まで後退した。
それを、獲物を逃がさない狩人の目でサキュレが追う。
あっという間にリザヴトは壁際に追い詰められた。
「もう、素直になっていいのよぉ?」
「~っ!」
眼前まで迫られたリザヴトは必死にサキュレから目を逸らす。
「あら、顔を真っ赤にしちゃって。かわいいわねぇ」
「か、悲しき男の性……!」
「うふふ、食べちゃいたいわぁ……」
ペロリと妖艶な動作で舌なめずりをするサキュレ。
俺は何を見せられてるんだ。帰りたい。
「あー!」
とそこで、メドゥーサの高い声が響く。
もう起きたのか、早いな。
メドゥーサはベッドの上で、慌てて離れたリザヴトとサキュレを指差した。
「二人とも仲良くしてずるいー! わたしもいーれて!」
何という純粋無垢。
汚れた心が浄化されていくのを感じる。
きっとこのメドゥーサの言葉は、サキュレにも多大なダメージがいったのではないだろうか。
そう思ってサキュレを見ると、サキュレははぁはぁと荒い息を漏らしてメドゥーサを恍惚と眺めていた。
「メドゥーサちゃんをあたし色に染める……。ゴクリ……ありかもしれないわね」
「無しだバカ」
「ゴクリ……」じゃねえだろこの色欲魔!
俺とリザヴトは、元気になったメドゥーサを連れて保育園へと帰る。
もう完治しているから二次感染を危惧する必要もない。サキュレ様々だな。
保育園へと帰るとヴェルレアとフェイ、それにアリスが駆けてきた。
どうやらアリスは溜まった書類仕事を迅速に終わらせ、保育園でヴェルレアたちと共に報告を待っていたらしい。
「大丈夫じゃったかメドゥーサ!? 具合はもう平気なのかえ!?」
「うん、もう平気。サキュレさんが治してくれたから」
いの一番に駆け寄って肩を掴んだヴェルレアに、サキュレは優しく笑顔を返す。
「メドゥーサちゃん……」
気まずそうにメドゥーサに声をかけるフェイ。
昼にメドゥーサを叩いてしまった責任を感じているのだろう。
風邪には関係ないと思うが、園児なら混同しても無理はない。
「フェイくん、出迎えてくれてありがとう」
そんなフェイに、メドゥーサはヴェルレアに浮かべたのと同じ優しげな笑みを浮かべた。
それを見たフェイの目から涙がこぼれ出す。
「メドゥーサちゃん。ぼく、ぼくっ……本当にごめんなさい……っ!」
「そんなに謝らなくていいよぉ。わたし、フェイくんとこれからも仲良くしたいもん。だってわたしたち、友達でしょ?」
そう言ってメドゥーサはフェイに小さな手を差し出した。
フェイは一瞬呆けた顔をした後、言葉の意味を理解して一層涙ぐむ。
そして顔を真っ赤に紅潮させながらメドゥーサの手を取った。
「……ありがとう、ありがとうぅ……」
仕方ないフェイ。
今のは同い年なら誰だってオチる。
というかメドゥーサが聖人すぎるんだよな。見ろよあの一万歳超えの醜態を。
「な~に顔を赤くしてるのじゃ! このスケベ小童!」
メドゥーサはフェイをケラケラとからかっていた。
なんという残念さ。
お前実は見た目通りの六歳だろ、そうだと言ってくれ。
からかわれたフェイはムッとした顔で言い返す。
「な、なんだとぉ……! この、妖怪長生きオバサン!」
「なっ……! ななっ……! なんじゃとぉ……!」
メドゥーサは怒りで顔を赤くした。
「おいアリス、アイツ園児に本気で切れてるぞ」
「まるで魔王様みたいな精神年齢の低さですよね」
またいつもの毒舌か。学習しないなアリスも。
そんな嘘ついたらすぐに本心が出るんだぞアリス?
俺はアリスの口から出てくるであろう次のフォローをニヤニヤと待つ。
やはり本命は「尊敬してます」かな。だが「素敵です」の可能性も……。
「……? 魔王様、どうかしましたか?」
……ん? おかしいな、いつまでたっても本心が出てこないぞ?
「……え、もしかして今のって冗談じゃなかったのか?」
「? はい、本心ですけど?」
本心? え、俺アリスにメドゥーサと同じだと思われてるってことか!?
そんな、バカな……。
俺は放心状態になりながら、園児たち三人の会話に耳を傾ける。
「妾は一万歳、一万歳じゃぞ! 偉いじゃろうがっ! 偉いじゃろうがっ!」
メドゥーサは地団駄を踏んでいた。
「ただただ年を重ねただけで何が偉いのかぼくにおしえてくださーい」
「き、貴様言わせておけばぁ……! ……メドゥーサ、援護を頼むのじゃ!」
「え、わたし!? えーっと、フェイくん、ヴェルレアちゃんはやさしいよ」
急に応援を要請されてもしっかりと答えるメドゥーサ。
「ほ~れ! どうじゃ、みたかフェイ! メドゥーサは妾の味方じゃもん――」
「そうなんだ。ごめんねヴェルレア」
すんなりとフェイが謝ったことに、ヴェルレアは意表をつかれた顔をする。
「う、うむ。わかればいいのじゃ、わかれば。カッカッカッ」
「駄目だよヴェルレアちゃん。フェイくんが謝ったんだから、ヴェルレアちゃんも謝らなきゃ」
今度はメドゥーサがフェイの味方に回った。
そうなるとヴェルレアは弱い。
「わ、妾もか!? うぐっ……ご、ごめんなさいなのじゃ」
「許してやるよ」
「ぬぐぐ、屈辱じゃ……!」
結局ヴェルレアは涙目で拳を震わせる。
その無様な姿を見て俺は思った。
俺が、あれと、同じ……。
俺はふらふらと立ち上がる。
「ヴェルレアと精神年齢が同じとか、もう悲しすぎてこれからどう生きていけばいいのか……」
「おいロード、それどういう意味じゃぁああっ!」
フラストレーションが溜まっていたヴェルレアはその解消先を俺に指定し、つまりは凄い速度で俺の首筋に牙を立ててきた。
「いだだっ! 牙を差すな牙を!」
今血を吸われたら絶対致死量ギリギリまで吸われるだろ、そんなのごめんだからな!
「うるさいうるさい、お主は大人しく血を吸わせい!」
「絶対嫌だ、断固断る!」
「ヴェルレアちゃんとまおうさまは仲良いねー」
「ヴェルレアこええー。さすが一万歳」
俺は首元にガジガジと齧りつくヴェルレアの頭を押さえながら、アリスとリザヴトに目線で助けを求める。
「賑やかですねー」
「喧騒の保育園」
アイツラのほほんと会話しやがって……!
散々な目にあったような気もしないでもないが、なんだかんだで今日も幸せなのであった。