彼女は記憶喪失だった。
命令を実行しますかYES or No.
人がひとりやっと入れるような全面ガラス張りのカプセルの中で、仰向けになっていた少女の目の前には、そんな文字が浮かんでいた。
いいや、文字が浮かんでいたというのは正しい表現ではない。
文字が、一見ガラスにしか見えない液晶の画面に表示されていたのだ。
その文字を彼女はただ見つめる・・・
見ているのか、ぼーとしているのか、
側からはわからない。
だが、彼女の中ではひとつの決心をつける時間であった。
彼女の目は今度は何かを決心した、しっかりとした瞳に変わり、
その指は液晶のYESに触れた。
その瞬間、視界を遮る強烈な光に、無機質で、このガラス張りのカプセルと、パソコンしかない部屋がまっしろの世界に包まれた。
ちりりりーん!ちりりりーん!
朝6時、まだ夜が明けて間もないからだろうか、外はまだ静かで、お店もまだ空いていない。
街がまだ動き始めていない時間帯。
だが、そんなことは関係ないといわんばかりに、目覚ましが鳴り響いている。
しかたない・・・起きるか
毛布を頭にかぶり、丸くなっている居候、もといこの家の二代目小川高校2年の上条翔也は、心の中でそう決心し、体を無理やり起こそうと、うなされているような声を出しながら、重い腕をベッド横のテーブルをバンバン叩くが、依然強烈な音を鳴らし続けている目覚ましには届かない。
まあしかし、目覚ましというものは止めなければ永遠になり続けるというわけではない。
一分立てばまた止まり、5分経てばスヌーズ機能でなり始める。
そんなことを繰り返していくうちに、気が付けばならなくなっている。
気づけば手を引っ込め、もそもそとベッドのほうに戻って行ってしまった。
こうなったらもう抜け出せない・・・
それに慣れとは恐ろしいものだ。
どんなにうるさい目覚ましでも、ずっとなっていると気にならなくなってしまう。
そしてこのまま初めての遅刻を経験すると思われた翔也であった・・・が
「起きて翔君、朝だよ」
毛布にくるまっている翔也の体をゆすりながら、繰り返す。
「起きて朝だよ、遅刻しちゃうよ」
そんなちょっと甘ったるい声が頭の中に入ってくる。
「ん~わかったよ、起きるよ」
大あくびをしながら翔也は眠い目を開けた。
目の前には、黒髪ロングに、ぱっちり開いた黒目、鼻は高く、口はそつなく収まっている。
服装は白いワンピースにハートの銀のネックレス。
おそらく街を歩いていたら、誰もが振り向いてしまうようなそんな美人な少女がこちらをのぞき込んでいた。
段々と頭が回ってきた。
ん!
一瞬思考が停止した。
確かに、よくある妹がダメな兄を起こしに来る、もしくは主人公のことを好きな幼馴染が部屋に押し入ってくる、物語ではよくある展開ではある。
まあ、現実ではありえないに等しいが。
だから驚いて、思考が停止するのも仕方ない。
しかし、そうではなかった。
翔也が驚いたのは、彼女と全く面識がなかったからである。
ばさりと毛布つかみ、胸のところに持ってくる。
今にも襲われそうな女性の反応をしてしまったが、たとえ容姿端麗な見た目をしていても、寝起きにいきなり、見ず知らずの人が立っていたら、びっくりもする。
「え!え!」
翔也は視点が右往左往しながら、おちつけと自分に言い聞かし、深呼吸する。
「君は一体誰?」
至極まっとうな質問である。
考えた末の答えだったが、へんな質問をしなくて内心安心していた。
「わからない」
「・・・」
分からない?わからないという答えがわからない、翔也はそう思った。
だがそのあとすぐに、
もしかして記憶喪失か何かなのか。
「記憶喪失か何か?」
思ったことがすぐ声に出ていた。
「たぶんそう、気づいたらこの部屋にいて」
先ほどまで明るい表情をしていた少女が、すこし表情に影を落とした。
その表情を見て、翔也も声に詰まってしまった。
すこしの沈黙。
翔也もなぜこの状況になってしまったのかと考える。
「・・・」
「・・・」
するとふと頭の中にさっきのやり取りを思い出した。
「起きて翔君、朝だよ」
最初に発した彼女の一言。
「えっと、なんで僕の名前を?」
「なんでかはわからない、でも翔君の名前だけは覚えてるの」
参った。
彼女はそれしか覚えていないという。自分の名前も年齢も家族も友人も自分がなぜここにいるのかも。
参った。翔也は頭の中で何回もそう思った。
ふと心配になり彼女を見る。
すると彼女もこちらを見ていた。
…
彼女は確かに困っていた。だが彼女の中では決して深刻な悩みではなかったのである。
よくよく考えてみれば、悩んでる相手がのん気に人のことをおこしに来るわけがない。
そう冷静に考えればすぐに分かること。
だが翔也は冷静ではなかった。
だがら翔也は驚いたのだ、彼女の言葉に、
「あの、学校そろそろ行かないと遅刻するよ」
彼女の言葉に、また一瞬思考が止まり、ちらっと時計を見る。
時計の針は7時を回っていた。
「あああああああ!」
とよくわからない声をあげドアの方へかける。
そして勢いよくドアを開けようとしたが、こういう忙しい時に限って足をつまずく。
慌てていて気付かなかったのか、床に這っていた充電器の配線に躓き、床に勢いよくダイビング!
その衝撃で腕に着けていたALLが外れてしまった。
プツン
その音とともに、彼女は視界からいなくなった。