旦那様のお礼。
「もう体調はいいのか?ヴィクター。」
「はい、昨日は失礼致しました。」
レオンハルト王の執務室。
レオンハルト王は、各領地からの書類にサインしながらヴィクターに問うた。どうやら、心配してくれたらしい。お騒がせしたようだが、クリスティーナが看病してくれたので役得というか何というか。
「ところで、ヴィクター」
「なんでしょう?」
「クリスティーナとは上手くいっているのか?」
突然の質問に、ヴィクターはうっと声を詰まらせた。
「ふっ、その様子だとあまり上手くいっていないようだな。」
「そんなことはございませんが・・・」
慌てて取り繕ってももう遅い。レオンハルトにはお見通しのようだった。
「クリスティーナは気が強いからな。・・・しかし。」
そこで言葉を切って、レオンハルトは内緒話をするように手招きした。
「意地っぱりで負けん気の強い娘だが、涙もろいところもある。本当はお前と話したくても、上手く話せなくてまた意地を張る。そんなところがあるかもしれんぞ?」
「そう、ですか。・・・ありがとうございます。」
レオンハルトの心遣いに礼を言うと、彼はいやいやと手を横に振った。
「お前にはいつも助けられているからな。・・・ほら、お前も頑固者だろう?クリスティーナなら、その頑固者の心もこじ開けるのではと思っている。あれは怖いものは嫌いだが、それ以上に見たものを信じるたちだ。お前のことも、きっと助けてくれるはずだ。」
レオンハルトはヴィクターの噂を知っている。そして、その噂にヴィクターが傷ついていることも知っているのだ。
「吸血鬼ですか。・・・それもまた、真実でありましょうよ。」
人事のようにつぶやかれた言葉をどう思ったのか、レオンハルトは深くため息をついた。
「はい、では進展しない不器用夫婦のためにこちら。」
おどけた口調でレオンハルトが差し出したのは、白い上品な封筒。
「スチュアンティック公爵邸で開かれる夜会の招待状だ。主催は王妃アメリア。クリスティーナは絶対に連れてこい、だそうだ。」
「わ、分かりました。」
王妃が絶対というのなら行かなければならない。レオンハルトの妻であるアメリア王妃は、普段は優しくておっとりとした女性なのだが、何というか・・・やるときはやるタイプなのである。レオンハルトも結婚してから気付いたようだが、王妃はたぶん女王に生まれていても上手くやっていたはずだといえるときが・・・ある。
「・・・絶対に。」
「懸命だ。」
そしてまた書類の整理に戻る。
レオンハルトが一枚の書状に手を止めた。
「何か、ありましたか?」
「あ・・・いや。それよりヴィクター、花でも買って帰ってクリスティーナのご機嫌を取ってこい。今日はもういい。」
「分かりました。」
書状の中身が気になったが、クリスティーナに看病のお礼もしたいので、レオンハルトの言葉に従うことにした。
・・・・・・・・
屋敷のエントランスがにわかにざわめき出し、ヴィクターが帰ってきたのだと分かった。
クリスティーナは慌てて部屋を飛び出した。
ぱたぱたと階段を駆け降り、エントランスで執事と話すヴィクターのもとまで走る。
「お帰りなさい、旦那様!」
ちょっと照れながら微笑みかけると、ヴィクターも微笑を返してくれた。
「ただいま帰りました、姫。」
持ち物とコートを執事に渡したあと、ヴィクターはクリスティ。ーナのもとへ歩み寄る。
「ちょうどよかった。看病してもらったお礼に、こちらを。」
そう言ってヴィクターが差し出したのは、クリスティーナの瞳と同じピンクがかった赤い薔薇の花束だった。
「受け取ってもらえますか?」
「え、え、あの・・・」
どんどん頬が熱くなっていくのがわかる。でも、頬を染めていることをヴィクターに知られるのは恥ずかしくて、クリスティーナはぷいっと横を向いた。
「こ、こんなものでわたしの気がひけるとでも思ったんですの?」
思わず意地をはってしまい、すぐにしまったと慌てる。
「・・・あ、違っ。」
「実は、あんまり思っていませんでした。」
「え?」
困ったように笑って、ヴィクターは赤い薔薇の一輪をクリスティーナの髪にさした。
「あなたを前にすれば、どれほど美しい花も、美しさが霞んでしまいます。」
これは無意識なのか、天然なのか。
口説かれている・・・のか?
「・・・ヴィクター、さま?」
無意識にクリスティーナはヴィクターの袖をつかんでいた。
きゅっとと力を入れると、ヴィクターははっとした表情でクリスティーナの顔をのぞき込む。
(・・・そんなに見ないでよ。)
やっぱり恥ずかしくてクリスティーナは俯いた。
「姫・・・」
耳もとでそっとささやかれて、思わず顔を上げる。
直後ーーー
「・・・っ。」
ふわっと頬に柔らかなものが触れた。少し冷たくて、しっとりとした・・・ヴィクターの唇。
理解が追いつかずにクリスティーナはヴィクターをじっと見つめる。
「もう遅いから。おやすみなさい、姫。」
もう一度クリスティーナのほおに口づけると、ヴィクターは名残惜しそうにクリスティーナから体を離した。
「あ・・・おやすみ、なさい・・・」
こちらに向けられたヴィクターの背が、少し寂しかった。
穏やかに主夫妻を見守っている使用人たちの視線がいたたまれない。
逃げるように私室に戻ると、化粧台の前に座った。
化粧台の鏡に映っているのは、頬を紅色に染めたクリスティーナ。
(わたしったら、なんて・・・なんて馬鹿なの・・・)
いかないで、と言えばいいだけなのに、それさえも上手く言えない。
もどかしい思いを抱えながら、クリスティーナは赤い薔薇を見つめていた。