侯爵さまは吸血鬼ですか?
あれほど嫌がっていたクリスティーナの願いは、もちろん聞き届けられず・・・そろそろ夏になろうかという暖かな日に、王女クリスティーナとファドリック侯爵ヴィクター・ブラッドフィールドの結婚式は行われた。
王都一の教会で。
司祭が神に祈りを捧げ、花嫁と花婿は誓いの言葉を交わす。
美しいウエディングドレスとヴェールがずっしりとクリスティーナの肩にのしかかるが、それ以上に気が重い。
「末長く、幸多からんことを。」
司祭が締めくくりの言葉を言い、教会の鐘が厳かに鳴り響く。
誓いの口づけをするために、クリスティーナとヴィクターは向かい合った。
レースのヴェールがめくられて、視界にヴィクターの顔がはっきりと映った。
ヴィクターは優美で繊細な顔立ちをしている。女性が好む甘い顔立ちだが、深い海のような青い瞳が冷たく、恐ろしく感じてしまう。
不安を押し殺してクリスティーナは目を閉じた。ヴィクターの息づかいが聞こえ、彼の顔が近づいてくるのが分かる。
そっと触れてきたヴィクターの唇。それは、クリスティーナの唇ではなく、
「・・・」
まわりからは口づけしたように見える、唇のすぐそばの頬に触れた。
・・・・・・・
怖がっているのだなと思った。
いつもはいきいきと輝いているクリスティーナ姫の瞳が、不安げに伏せられていた。
私も王宮に出入りする貴族の一人として、彼女のことは幼いころから知っている。
ロゼワインのような赤い瞳、桃色がかった金髪の美しい華やかな少女。
彼女が妻になると知ったとき、それまで興味があったわけでもないはずなのに、なぜだか浮かれた気分になっていた。
(ヴィクター・ブラッドフィールドの手記より)
・・・・・・・
「食べられる・・・殺されるぅ・・・わたしの血はおいしくない、飲まないで・・・」
冷静に考えれば、侯爵の彼が王から賜った妻を殺すはずないのだが、あいにく今のクリスティーナにそんな余裕はなかった。
結婚式、夜会、それらをすべて終えて、クリスティーナとヴィクターは王都にあるブラッドフィールド家の屋敷に帰ってきた。
そして、最後に残っているのは夫婦が初めて共に過ごす夜、すなわち初夜である。
一人、寝室で夫を待つクリスティーナは、これからくるであろう恐ろしい時間をどう回避するかを考えていた。
「だって、吸血鬼ということは血を吸うのでしょう?・・・絶対に怖い人にきまってる。」
「誰が怖い人なのですか?」
「きゃぁっ!」
突然言葉が返ってきて、クリスティーナは跳び上がった。
「だ、旦那様、いつからそこに・・・!」
「つい先ほど。扉を開けようとしたら、なにやら声が聞こえたので。」
「そ、それはっ!」
ヴィクターはゆっくりとベッドに腰かけるクリスティーナのもとまで歩み寄る。
少しかがむようにして、クリスティーナの顔を覗き込んだ。
「な、何ですか?」
「いや、やっぱりきれいな姫だと思って。」
ふっ、とヴィクターが笑うと怪しい色香が漂った。
クリスティーナは息を飲む。
人外の美しさ。
やはり、この人は吸血鬼だ。
「いやっいやです!近づかないでください、この吸血鬼!!」
思わず叫んだクリスティーナを見て、ヴィクターはきょとんと目を丸くする。そして、楽しげに笑い出した。
「ははっ、吸血鬼?まさか貴女までそんな噂を信じていたなんて。」
口元に笑みを浮かべたまま、ヴィクターはクリスティーナの頬に手を添えた。
「貴女はどう思いますか?」
「わたしは・・・わかりません。」
あれだけ叫んだあとで白々しいが、いちおう当たり障りのないことを言った。
「なるほど。では、本当に吸血鬼なのだと言ったら?」
「ほ、本当なのですか?!」
涙声で絶叫したクリスティーナの頭を、ヴィクターは幼い子にするように優しく撫でた。
「泣かないで下さい。少なくとも私は吸血鬼ではないし、王家のお姫様を傷つけたりしないから。」
こらえきれずに頬を伝った涙を、ヴィクターは優しく指で拭ってくれた。
その仕草にドキリとして、思わず頬を染める。
「私は別の部屋で寝るよ。」
クリスティーナに気を遣ったのか、ヴィクターはそう言って部屋を出ようとする。
(・・・やさしい人だわ。)
思えば、結婚式でもヴィクターは唇には口づけなかった。今も、彼はきっとクリスティーナを思いやってくれているのだ。
「ま、まって。・・・あの、ありがとうございます。それと、ごめんなさい。」
こんなにやさしい人を化けものだと思ってしまった。
気まずくて、目を逸らしながらクリスティーナは謝罪した。
「姫・・・」
少し驚いたような顔をしたヴィクターだったが、すぐに怪しく笑ってちろりと舌を出す。
「あんまり可愛らしいと、食べてしまいますよ?」
きざな手つきで手を振って、彼は部屋を出て行った。