おかえりなさい、ヴィクター様。
海の上は濃い霧が立ち込めていた。
霧の間に見えた、蒼い旗。中央に描かれた獅子を10の星が輪になって囲む。見間違えることはない、グレンバロディオン帝国の国旗だ。
船同士がぶつかり、木材が砕ける。大型の軍船でもかろうじて浮いている程度だ。小型の早舟などは、どうしただろうか。
剣のぶつかり合う金属音。
兵たちの叫び。
ふと、あたりを見回す。
「陛下っ!」
レオンハルト王の背後から振り下ろされようとした敵の剣の前に身を乗り出した。
「ーーーーー・・っっ!」
渾身の力でレオンハルトを突きとばす。
背が、カッと燃えるように熱くなった。
「ヴィクター!」
レオンハルトの声が聞こえる。
残りの力で敵を切る、どさっと地に落ちる。
意識が朦朧としてきた。そのとき、聞こえてきたのは愛しい姫君の声。
ーーーー帰ってこなくてはいやっ!
あぁ、そうだ。帰らなくては。
彼女が待っている。だって帰らなくては、彼女が一人は嫌と泣いてしまう。
こんな所で死ねない。
・・・・・・・・
国に勝利をもたらした王と国軍が帰ってくるとあって、港には多くの人々が集まっていた。
そして、人々が口ずさむのは王を讃える国歌。
「アメリア、気分は悪くない?」
「大丈夫よ。」
港の近くに馬車を止め、アメリアとクリスティーナは外を伺っていた。
クリスティーナは、アメリアを眩しそうに見る。
金糸で薔薇の刺繍がされたアイヴォリー・ホワイトのドレスは襟や袖口のレースが素晴らしく、いくつものドレープをつくったスカート部分も優雅である。
輝く銀髪は高く複雑に結われ、白薔薇がモチーフの髪飾りと古くから受け継がれてきた王妃にのみ許されるティアラで飾られていた。
まるで一輪の白薔薇のようだと感嘆のため息を落とした。
ちなみに、クリスティーナはアメリアと対になるかのように、黒糸で薔薇の刺繍が入ったボルドー色の落ち着きのあるドレスである。金の髪は丁寧に巻かれ、ふんわりと結われていた。
ふたりが並ぶと、まさしく二大家の象徴たる赤薔薇と白薔薇のように見えるだろう。
「船がきたぞ!」
港に響いた声を聞き、クリスティーナとアメリアは馬車を降りた。
船の姿を見て息を飲む。
そこに今きたばかりの船は、あちこちが欠けていてよく帰ってこれたものだと思ってしまうような無残な有様だった。
再び、恐怖が蘇る。本当に無事でよかった。
ぼろぼろの軍船三隻のうち、一隻に宝冠の旗と国旗が掲げられている。その船から渡り橋がかかった。
最初に降りてきたのはもちろん、レオンハルトだった。
そのあとに部下に支えられながらヴィクターが降りてくる。
「国王陛下万歳!国王陛下万歳!」
民衆の声はどれも王を讃える声で、彼らの瞳はひたと国王と王国の未来を見据えていた。
アメリアが誇らしげな表情でレオンハルトをみている。
「アメリア。」
そっと呼びかけるとアメリアは小さく頷いた。
「レオンハルト国王陛下!そして、我らが英雄イザリエ国軍の兵たちよ!」
凜としたアメリアの声に、ざわついた港が静まる。
先頭のレオンハルトに続き、船を降りてきた兵士らがレオンハルトの背後で列をなして跪く。
優雅な足取りで彼らの前にでたアメリアは、少しスカートをつまんで一礼した。
「この国のためのお勤め、ご苦労さまでした。国民一同、あなた方を尊敬いたします。」
アメリアが視線を注ぐのは、その場にいるすべての国民ためであった。
「心より感謝申し上げます。ありがとうございました。」
わぁっ、と歓声が上がった。
アメリアはレオンハルトに歩み寄る。
「お疲れさまでした。レオン。」
「アメリア・・・」
目が合うと、二人は自然と微笑み合う。
「お帰りなさい、信じて待っていましたよ。」
「・・・少し遅くなったか?」
「いいえ。おかげでうれしいことがわかりましたもの。あなたにとっても良い報告ですわ。」
レオンハルトは不思議そうに首を傾げた。
アメリアが満面の笑みを浮かべる。
「あなたの子を身ごもりましたの!」
アメリアの言葉にレオンハルトは目を瞠り、直後嬉しそうな笑い声を上げてアメリアを抱きしめた。
喜びを叫ぶ民衆の声は、二倍になっていた。
・・・・・・・・
幸せそうな国王夫妻を見て、これで役目は終わりとクリスティーナにヴィクターを探した。
船から荷を下ろす威勢の良い声を聞き、ああ皆生きているのだとあらためて実感する。
安堵のため息をつき、振り返ったときーーーーー
「クリスティーナ!」
視界に、黒い長髪が揺れた。




