大切な貴女のために。
ヴィクターが王宮に呼び出されてから三日。彼は一度も屋敷に帰って来なかったが、彼が王宮に呼び出された理由はすぐに分かった。イザリエ王国と海を隔てた隣国、ファレーン王国とグレンバロディオン帝国が海戦を始めたのだ。
建国してまだ百年にも満たない新興国ファレーンだが、近年の経済成長は著しい。対してグレンバロディオンは、多くの小王国や公国を従える大帝国である。
両者一歩も引かない戦いに、イザリエ王国にも被害が及び始めたのだ。
古くからの同盟国であるグレンバロディオンからも、レオンハルト王の生母の祖国ファレーンからも援軍の要請があった。
「国王陛下は、両国の間を取りもち停戦へと進めるようです。」
執事から聞き出すようにと頼んでいたエリカが、得られた情報を報告した。
「そう。ありがとう、エリカ」
「いえ。」
失礼します、と退出しようとしたエリカをクリスティーナは呼び止めた。
「王宮へ行くわよ。」
・・・・・・・・・
「こっちへ地図をまわせ!」
「荷は地下室だ!・・・おいっ、新人そっちじゃない!」
「備品が足りんぞ。船上に補給出来ないんだちゃんと考えろよ!」
軍靴の靴音を慌ただしくならし、兵士たちが軍船に次々と荷を積み込んでいく。
その船には、王が乗っていることを示す¦王冠の旗とイザリエ王国の国旗が掲げられていた。
「本当に陛下もいらっしゃるのですか?」
「もちろんだ。王とは象徴。王がいるというだけで、兵たちの士気は上がる。」
海戦を止める為、イザリエは三万の兵とともに海上の国境付近へ行くことになった。
大将を任されたのはヴィクターだが、急にレオンハルトも行くと言い出したのだ。
「私では力不足でしょうか?」
「そういうことではない。ただ、国の一大事に一人のうのうと王宮で守られていることが我慢ならなかったのだ。」
「・・・陛下、ファドリック侯爵、お客様が」
「客?」
困惑ぎみの表情で兵士が言った。
レオンハルトとともに船を降りると、ふたりで顔を見合わせた。そこには確かに困惑の光景があった。
「国王陛下、旦那様、お忙しい中申し訳ありません。」
人混みの中、悠然と腕を組み、挑むような眼差しでこちらを見つめていたのはクリスティーナだった。
「あの、おじゃまするつもりはなかったのですわ。ただ、クリスがどうしてもと言うから・・・」
クリスティーナの隣でおろおろしているのは、クリスティーナとは対照的な優しい雰囲気を持つ、レオンハルトの妻アメリア王妃だ。
「何かあったのか?」
レオンハルトが問うとアメリア王妃は困ったような顔をした。
「お見送りを。それと言いたいことがあって・・・」
アメリア王妃が美しい面を不安そうにくもらせてうつむく。
「・・・レオン。この度の出陣はあなたの意志で決めたこと。わたしはなにも言いません。ですから・・・」
そっと面を上げると、アメリア王妃はふわりと笑みを浮かべた。
「わたしはあなたの留守を守りましょう。あなたの、あなたたちの帰る場所を守ります。・・・お帰りを待っていますね。」
先ほどの不安げな様子がうそのように、アメリア王妃は強く光る瞳でレオンハルトを見つめた。その瞳を見て、レオンハルトは満足そうにうなずく。
「ああ、すぐに帰ってくるさ。」
後の世に語り継がれるほどの賢王と王妃はぎゅっと手をつないでいた。
ふたりのそばから離れ、ヴィクターは自分の妻のもとへ歩み寄る。
「貴女らしいですね、姫。」
そういうと彼女はちらっとこちらを見て笑った。
「こうでもしないと、だめなのよ。アメリアは自分の気持ちは後回しにしてしまうから。」
おせっかいかもしれないけど、とクリスティーナは肩をすくめる。自分の気持ちを後回しにするのはクリスティーナも同じだと思う。
ヴィクターはクリスティーナを見つめた。
優しくて、まっすぐで、美しい王女。
そして、ヴィクターの妻になった人。
ーーーあぁ、そうか。
羨望にも似たこの感情は、その強さを羨むものだと思っていた。だが、違ったのだ。
「姫・・・私は貴女が愛おしい。」
「えっ?」
クリスティーナの目が見開かれた。
「貴女が大切なのです。だから、命をかけて戦います。貴女を、貴女が暮らすこの国を守るために。」
大切な貴女を守るためなら、命も惜しくない。
「貴方は・・・貴方は?」
クリスティーナは唇を震わせてヴィクターに手をのばす。
「貴方がいなければいやっ!帰ってきて。命なんて賭けないでよ。」
「クリスティーナ姫・・・?」
ヴィクターの胸にすがるクリスティーナを見下ろしたとき・・・
パチンッ、と頬を打つ乾いた音が響いた。
「帰ってこなければいや。帰って来ないのならわたしが連れ戻しに行くわ!えぇ、死者の国にも行ってやりましょう。貴方に会うためなら何だって出来るのだからっ!」
支離滅裂なことを言って、クリスティーナはくるりと身を翻して馬車に乗り込んだ。
「ちょ、ちょっとクリス!」
慌ててアメリア王妃がクリスティーナを追う。
「おい、お前何を言ったんだ?」
あきれたようなレオンハルトの呟きは、呆然としているヴィクターには届きそうもなかった。




