三上現る
「先生、原稿早く願いします」
「えー無理無理今日までで三十ページとか死ぬから寝れないから~」
「……大阪湾に沈めますよ?」
「善処致します」
閑静な住宅街にある三上の家で行われているちょと穏やかではない言葉のやりとり。
机にかじりつき、パソコンのモニターを泣きそうな目で見ているのが家主の三上飛鳥、一応作家である。
三上は高校時代の青のジャージに身を包み、洗い晒しの踝までの長い長髪を一纏めにして結い上げ、化粧っ気のない素顔であるが肢体はスラリと長くどちらかといわれると可愛いとは万人が言う、しかし今はそのすべてをかなぐり捨てて今日までの予定の作品に取り組んでいた。
彼女は所謂作家というやつであるが純文学ではなくライトノベル、しかも少女向けのものしか『自分』では書けない。それでも数年前に賞をとってこの世界に入った。と同時に担当についたのが彼女を背後で見守る三上曰く後門の鬼鬼畜最低な男上沼亮。無表情な顔はきつめの切れ長の瞳にスタイリッシュな縁のない眼鏡をかけている背の高い美男子である。が、二人の間には恋愛的なものは存在せず、あるのは筆の遅い三上の尻を叩く上沼の図である。勿論比ゆ的表現だ。
「うぅ……書けない」」
三上が机につっぷして嘆きだせば。
「書けなくても書くんです、それが作家です。書きなさい」
と上沼が三上の頭をバスケットボールのように持ち上げて画面に向かわせる。
「横暴だ! 私は今スランプ! そう! スランプなの!」
三上は駄々をこねるように捕まれた頭を左右に振るが、それを許す上沼ではない。
「何言ってるんですか? 十日前には楽勝で原稿仕上げるって言ってましたよね? こちとら態々家まで原稿取りに来てやってんですよ。今時入稿をアナログでする作家なんて大御所でもやらないんですよ。わかったらさっさと書きなさい」
まだ、ぶつぶつと言っている三上にマシンガントークで押し付ける上沼はさながら始末の終えない息子を持ったお母さんである。
「……ちょっと読者さんのファンレター読んでいい? 気つけに」
上沼が深いため息を吐いて今日編集部から三上にあてたファンレターの袋を差し出す。こんな三上であるがファンはちゃんといる上沼が定期的に彼女あての手紙やら品やらを持ってくる、それが本日だったのだ。
「少しですよ、少し読んだら執筆活動に戻ってくださいね」
「大丈夫、だいじょうぶ! 全部読んだら元気出る!」
「おいこら、本当に大阪湾しずめんぞ」
しゅんと沈んだ三上は福引をするように袋から一通のファンレターを引き当てる。
「うん、来た来た、これが私の原動力!」
三上が引き当てたのは桜の柄の封筒に入った可愛い手紙だった。いかにも三上が書いている作品を読む層が好む柄である。うきうきと文具が押し込まれている箱からハサミを取り出し慎重に中身を取り出す。中身も綺麗な桜が柄が透かされている上質の便箋だった。
上沼は座って読んでいる三上の上からのぞいてほのぼのとした雰囲気の可愛い女子らしい丸みを帯びた文字を見て滅多に見せない柔和な微笑みを浮かべた。が。三上は表情を険しくして文字を追っている。
「ヤバいよ亮ちゃん」
三上は便箋を封筒に収めて真剣な眼差しで上沼を見上げると彼は顔をひきつらせた。彼女が言う「ヤバい」とは単語的に危ないのではなく、ある意味を持つ場合がある。それを知っている上沼ががらりと原稿搾取の強行態度を軟化させて、眉間にしわを寄せ三上の持っている桜の柄の封筒を取り上げた。危ない文面のファンレターを送ってくる読者も確かにいるが、三上の言う「ヤバい」は……
「やっぱ、バレちゃった、居る」
上沼の眉間のしわが深くなり、細く長く深いため息を吐き出した。
「アレがいるんですか。この部屋に」
三上は椅子に座った状態で上沼を見上げつつ、右手を差し出した。
「毎度の事ながら関わっちゃいけない? スッゴイ助けてコールされてる」
事情を知らない第三者から見ればよくわからない会話であるが、三上と上沼の間では通じてしまう事情。上沼は大きく肩を落として、左手を三上の差し出された手のひらの上に置いた。
三上はとある周波数だけの放送を受信するラジオであると上沼は思っている。その周波数は決まって、彼女に助けを求め、解決を願うサインだ。三上が願って受け入れているわけでもなく拒絶をしているわけでもない。彼女はそのサインをかかさず逃さず受信してしまう能力者である。
「また『死者の救難信号』ですか」
上沼が三上の手の上に置いた瞬間から膨大な情報が流れてくる。まさにラジオである。こちらからは情報を発信できないのに受信だけはする古いラジオ。このSNS氾濫期に受信だけとは何とも使えない能力だと上沼は思っている。そして、そんな彼女と情報を共有できるのが自分だけだというのが無性に腹が立つ上沼だが、この能力はある利点を三上に与えた。
少女小説しか『自分』では書けない三上は極まれにであるが凝ったサスペンスを書くことある。勿論フィクションとして発表している作品群であるが、本当は。
「今回もいい作品書けそうですか? 先生」
彼女が受信したリアルなサスペンスである。三上は死者の魂を救済する対価として起こった出来事を仮名にしたり固有名詞を変更し「沢良木翔太」名義で小説として発表する。
三上曰くギブ&テイクである。
「勿論よ!」
上沼はその左手を三上の頭に乗せて、ぐりぐりと動かした後に、低い声で呟いた。
「で、今の作品の原稿逃れられると思うなかれ」
「……善処致します」
三上はぼそっと目をそらせて呟いた。
その後、調子が上がった三上が原稿三十枚を二時間で無事に書き上げ、上沼が受け取り、自生に向いていない三上を心配した上沼が三上のマンションの隣にセカンドハウスを持っていたり、そこから大体、デジタルにした原稿を送っているのは閑話休題。
そんなこんなで仕事を終わらせてぐったりしている三上に上沼は自室から栄養ドリンクを持ってきて『沢良木翔太』の原稿を書くための『執筆』に取り掛かるように促す。
が……
「今回は情報が少ないのよね……」
という三上。
上沼が垣間共有した情報の渦では人一人分の誕生から死までが感じられた、三上は赤シックレコードに触れているのだと言うが上沼はサイコメトリーの一種だと考えている能力、それは死者の死までの状況とその後の死者からの『依頼』を受けるもの。
上沼は三上から受けとった桜柄の封筒の中身をそっと開いてみる。そこには丸っこい幼い字で三上の作品のキャラを愛しているという文面と三上の健康を気遣うことが書かれてあった普通のファンレターである。
しかし上沼が『共有』した彼女『本田雅』は背後から誰かにおされ、階段を転げ落ちることによって死亡した。それ以降の彼女の生ける情報はなかった。
誰におされ、誰によって死んだのはわからない。
三上の能力の限界である。
これは本格的に情報収集が必要である。
「まさか、先生。本当に取材にいくんじゃないですよね?」
上沼が顔を引きつらせると三上はにやりと笑い。
「亮ちゃんがいつも言ってる方のサイコメトリーしてやるわよ」
「……余計なことに首を突っ込まないことと『三上飛鳥』と『沢良木翔太』の原稿の期限は守ってくださいね」
「交通費は経費で落としてね。あ、大丈夫、ここから近いところの子だったから大阪府内でOKだよ~」
ほややんと答える三上に上沼は深くため息を吐いた。