ある村人の日常
唐突に三人称。読み難かったらすみません。次は普通に主人公視点です。
アンヌ・グインは今日もいつものようにとある屋敷に向かっていた。屋敷は国の端の端の端にある辺鄙な村の中で、一等大きくて立派だ。アンヌは自宅から歩いて15分で着くまでの距離を、このところの屋敷の住人たちについて考えていた。
屋敷の住人は三人いる。屋敷の主であるベガ・ヴァセットとその妻のウ-ナ・ヴァセット。どちらも人柄がよく、ベガはこの村から一番近いそこそこ大きな町の役所で、ウ-ナはその町にある治癒院でそれぞれ働いている。それから五歳になる娘のエルナ・ヴァセットだ。
ヴァセット家はこの国の貴族の一員だ。といってもこの世界の貴族というのは、地球とは随分と異なっている。それにベガは当主ではなく、貴族位があるのは父親であるベガの代までだ。その為、庶民とあまり変わらない生活をしていた。
ベガは若い頃に家の制止を振り切って文官への道を蹴り、国の軍に所属した。その頃、国は十数年前から増していた魔物の襲来に対抗するべく、軍を強化していた。
ベガは戦える力があった為に、貴族のとある義務を放棄して家を飛び出したのだ。その際に家とは縁切り状態になった。
しかし怪我を負って軍人のままではいられなくなり、さらにウ-ナとの間に子どもが出来たりして漸く数十年ぶりに家を頼った。
久しぶりに会った当主である兄との仲は悪くなく、軍に所属していた時の功績もあり、ある程度の融通がきいたベガは、ウーナと話し合ってこの村に引っ越してきて文官として役所で働く事を選んだのだ。
ウ-ナは腕のいい治癒術師だったが、子どもが出来たのを機にベガと結婚してこの村に引っ越してきた。町では精力的に働いていて評判もいい。
アンヌは仕事で忙しいこの二人の親に代わって、娘のエルナの子守りをしている。
五年前に貴族の屋敷で側使えをしていた経験を買われて雇われて以来、毎日のように朝早くから夫婦が帰って来る夕方までの間はエルナの面倒をみている。今頃ならエルナに礼儀作法を教えている予定だった。
アンヌは産まれてからほとんど感情を見せず、声も上げないエルナを思い浮かべた。
どこか悪い所があるのかと、都市の治癒院に連れて診てもらっても異常はなかったらしく原因は不明だった。
ベガとウーナは初めこそ困惑していたがすぐに落ち着き、それまでと変わらずにエルナに愛情を注ぎ続けている。
アンヌも焦らず、なるべくエルナの成長に合わせるように接してきた。
食事を目の前に置けば、アンヌが食べさせてやらないでも一人で食べ物を口に運べるようになったのは今から一年ほど前だ。
排泄も誘導しなくても一人で出来るようになったのは、それと同じ位の時期だった。
それでもエルナからは何の感情も読み取れない。エルナは未だに話すことがなく、アンヌは声を聞いたこともなかった。
子どもがいるにしては、この屋敷は静か過ぎた。
エルナが部屋の椅子に座りじっとしている様子は、本人の容姿が整っているのも相まって、まるで人形のように思える。
だがエルナは決して中身が空っぽな人形ではなかった。
簡単な事なら意志疎通ができたし、アンヌが毎日絵本を読み聞かせていたら視線はいつの間にかしっかりと絵本を見つめていた。
アンヌはエルナが内容を理解しているのかは分からないけれど、エルナには中身がちゃんとあると思っている。まだそこに感情が見えなくても。
アンヌはエルナについて楽観視している訳ではないが、大袈裟に悲観的になることもなかった。
当の親達が前向きなので尚更だ。
それに嬉しい話もある。あと数ヶ月でウ-ナにもう一人、子どもが生まれるのだ。
エルナに妹か弟が出来る。この村には子どもは少ないのできっと明るくなるだろう。
アンヌはもうすぐ着く屋敷を見て、微笑みを浮かべた。
いつか、移り変わっていく日常のなかでエルナの声を聞くこともそう遠くないかもしれないと思いながら。