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異世界リース物語  作者: ジーン
第二章
13/28

ある治癒術師の朝

また三人称です。

 リース暦3000年8月4日風の日


 ウ-ナは朝の6時に目が覚めた。ここ最近ずっと気に掛かることがあり、寝つきが悪いのだ。

 隣で寝ている夫を起こさないようにそっとベッドから出て、そのまま自分と夫の部屋の向かいにある部屋に赴いた。


 朝の静寂に満ちた部屋には一つのベッドがある。その上には、まだぐっすりと眠っている、娘のエルナがいた。

 エルナはこの時間にはまだ起きない。ウ-ナは眠ったままのエルナの頭をそっと撫でて、寝顔を見つめた。

 エルナの顔には涙の跡がうっすらと残っている。ウ-ナはその跡を指で優しく拭った。




 ウ-ナ・ヴァセットはエルナ・ヴァセットの母親であると同時に治癒術師でもある。

 治癒術師とは魔物と戦い傷ついた人を癒すのが主な仕事であり、遥か昔から魔物の脅威に晒されているこの世界で無くてはならない職業の1つだ。


 ウ-ナは腕が良く、ほんの数年前までは魔物の比較的多い土地でその腕を存分に生かしていた。今でこそ脅威の少ないスロット村で夫のベガと娘のエルナと共に暮らしているが、ここでもウ-ナの腕は多くの人に必要とされている。


 ウ-ナは治癒術師の中でも使える者が限られる治癒魔術が扱える。

 治癒魔術とは、木属性の魔術で自身や相手の魔力を使って傷の回復を早めたり治したりする事ができる難易度の高い魔術だ。

 木属性の精霊を祖に持つと言われる精霊族の1つ、エルファ族に扱える者が多い。それ以外の者は使える者は少ないが、ウ-ナには素質があったので使えることができた。

 ウ-ナは治癒魔術を使って人を治せる事に誇りを持っているし、治癒術師としてその役目をしっかりと果たしている人物だった。



 5年前にエルナが産まれた時、いち早く異変に気付いたのはウ-ナだった。

 赤ん坊だったエルナは、泣く事も笑う事もせず何も感じていないかのようなのっぺりとした表情を常にしていたのだ。


 違和感を覚えたウ-ナはすぐに自分の手には負えないと感じ、より腕のいい治癒術師や町の神官に異常がないかを診てもらった。

 この世界ではこんな状態の子どもは、優秀な治癒術師であるウ-ナですら聞いたことも見たこともなかったのだ。

 ルイスによってエルナの前の人生の記憶が魂ごと封印されていたのが原因なのだから、それもそのはずである。


 魂に関する事柄は神官の得意とする分野だっが、そもそもこれはたとえ神官の国であるロウ・リース神聖国にいる高位神官であっても、エルナを転生させた本人にしか見破れることの出来ないような事象だった。なので、治癒術師やそこらの神官に分かるはずも無かったのだ。


 もはや何に対しても、ほとんど反応を見せないエルナの状態は誰がどう見ても異常だった。だがウ-ナは、母親として治癒術師として決してエルナを諦めて見捨てるようなことはなく、普通に育てるようにしてきた。


 抱きしめて、キスをして、食事を食べさせて、夜には子守唄を歌った。その間も自身の伝手を使い、ずっと治療法を探していたのだ。

 エルナの封印が解けて記憶が戻った時は、本人にとってもそうだがウ-ナにとっても衝撃的な事だった。


 それまで声を上げることも感情を表に出すことも無かったエルナが、5歳の誕生日を迎えた1ヵ月半前に突然体に魂が入ったかのように表情豊かになり、意味のある言葉を話し出したのだ。

 ウ-ナは原因は分からなくても、その事については純粋にとても喜んだのだ。



 言葉を発してから最初の1週間のエルナの様子は、迷子になって何も分からなくて不安になっている幼子のようだった。

 いつもアンヌかウ-ナにしがみ付いて、時々ちゃんとそこに居るのか確認するようにウーナを見上げた。

 ウ-ナは安心させるように頭を撫でて抱き締めてやっていた。そうするとエルナは強張っていた緊張が解けたような顔をするのだが、それでも泣き出しそうなのを必死に我慢しているようだった。


 エルナはこれまでの月日を取り戻すかのように、知識をどんどん吸収しているようにウーナには見えた。

 何も知らないという事に不安を感じているのだと思ったウ-ナが、せめてと思い子ども用の辞書を買ってやったのはそんなに遅くない時期だった。

 エルナは本を渡すと、とても喜んで花が咲いたような笑顔をウ-ナに見せた。


 ウ-ナは段々と笑うようになったエルナを胸を撫で下ろして見ていた。

 エルナが喋りだして1ヵ月が過ぎる頃には不安そうな顔を見る事は随分減って、笑顔を見る事が多くなっていた。

 だけど、エルナが隠れるように泣いている事にウ-ナは気付いていた。



 エルナは5歳の誕生日を迎える前は一人部屋で寝ていた。

 ウ-ナやベガが夜になって寝かしつけると、ちょっとやそっとでは起きない手の掛からない子どもだった。

 それが感情を見せるようになってからは離れるのが不安な様子だったので、3人で一緒に眠るようになったのだ。


 エルナはこれまで通り寝つきがとても良かった。だけれど前とは違い眠っている間に苦しそうな顔をして、声も上げずに静かに泣いていた。

 ウ-ナやベガが心配になり揺すって起こしても、ぼんやりした様子でほんの少し目を開けるだけで、ほとんど反応がなくすぐに寝てしまう。

 ウ-ナが手を繋いで抱き締めてやると、少しの間だけだが泣き止んだ。


 朝になると何も無かったかのようにエルナは起きた。

 眠っている時の事は憶えていないようで、ウ-ナは心配はしたが日が経てばきっとすぐに泣かなくなるだろうと思っていた。だがエルナはそれからも毎晩眠りながら泣いていた。


 そんな事があったので1週間が過ぎてエルナが一人部屋に戻って眠ると言った時、ウ-ナとベガは反対した。

 だけれどエルナの意志は固く、2人は仕方がなく条件を付けて許可する事にした。

 眠る間は部屋の扉を開けておく事と何かあったらすぐにウ-ナとベガの部屋に来る事をしっかりとエルナに言い聞かせた。



 日が経つにつれて、エルナの様子は段々と余所余所しくなっていった。

 エルナは起きている間も、誰にも頼らずに隠れるようにこっそりと泣いていた。エルナが何かを隠している事にウ-ナは気付き、余所余所しさはそこからきているのだと確信もしていた。

 けれどエルナはウーナがどんなに尋ねても、何でもないと頑として口を閉ざすのだ。


 1ヵ月半が経っても、エルナは毎晩ずっと泣きながら眠り続けていた。

 ウ-ナは母親として、エルナが何か言ってくれたなら間違いなく力になり原因があればそれを取り除こうと考えていた。だが泣き続けている理由が分からず、何も知らないウ-ナには娘を慰めることはできないでいた。



 ウ-ナは何も出来ないことに心を痛めたが、いつか話してくれる日が来るまで待つ事にした。そして話してくれたなら、どんな事をしてもエルナの笑顔を守ろうと思っていた。


 それまでは愛しい娘が不安に苛まれないように、出来るだけ傍にいる事を心掛けるようになった。


 ウ-ナは部屋で静かに眠っているエルナの頭をもう一度撫でた。

 

 今日もまたエルナは自分が泣いているのに気付く事なく、目を覚ます。

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