1週間後
リース暦3000年6月28日風の日
記憶が戻ってから1週間が経った。
あれから毎日、8時ぐらいに起きては朝御飯を食べて父と母が仕事に行った後はずっと本を読んでもらっていた。分からないところがあるとアンヌに質問をして、たまに魔術の練習もした。
夕方になると両親と御飯を食べながらその日にあったことを話し、その後は大体20時には眠る。この1週間はそれの繰り返しだった。
私の内心とは裏腹に、穏やかに日々は過ぎていった。
今日も遊戯部屋で本を読む。
遊戯部屋には20冊の本がある。半分は子ども向けの絵本だ。
この世界の絵本は精霊や竜がでてくる物語が圧倒的に多い。どれも目新しくて面白かった。アンヌにこれらの絵本を読み聞かせてもらったおかげで、子ども向けの簡単な本ならすらすら読めるようになっていた。
あとの半分の内訳は図鑑が4冊、史書が2冊、辞典が2冊、魔術に関する本が2冊だ。
あと、2日前に父と母から子ども向けの辞典[リリアス大陸共通語辞典]をもらった。リリアス大陸では国によって方言のようなものはあるが、言語はほとんど変わらないらしい。
私はこの辞典のおかげでアンヌにいちいち意味を聞かなくても、少しずつだが普通の本も読めるようになった。言葉も文法通りに話せるようになり、語彙も増えた。書くのはまだ難しいが、簡単な会話にはほとんど困らなくなった。
私がどんどん言葉や文字を吸収することに、両親やアンヌは純粋に喜んでくれていた。
両親やアンヌについて新たに分かった事もある。
今更だが外見についても紹介しておこう。
まず母だ。母は濃いブラウンの長い髪を首の後ろ辺りで括っている。
顔立ちは整っていて優しそうだが、それに劣らない意思の強そうな明るい茶色の目が特徴的だ。
普段はゆったりした長袖の服に腕を通して長いスカートをはいており、20代後半ぐらいに見える。
母はやはり町で治癒術師(こちらでの医者)をしていた。
アンヌに聞く限りものすごく腕が良く、治癒院では他の治癒術師のまとめ役らしい。結構重要な位置にいるみたいだ。
ちなみに母は治癒魔術が使えるそうだ。
治癒魔術というのは傷を負った人の魔力の流れを活性化させて自己治癒力を高めて傷を治す、木属性の魔術らしい。
属性とかはまだよくわからないが治癒魔術を使える人はあまりいないらしく、国に法の上で保護とかされているみたいだ。
次に父だが、父はほんの少し茶色がかったさっぱりした短めの黒髪と髪と同じ目の色をしていて、人の良さそうな顔立ちをしている。
着ている服は生地のがっしりとした普通の洋服にも見える。だが所々頑丈な作りになっていて、戦いに備えたような感じの服だ。
昔に怪我を負った足を少し引き摺っている。年は30代くらいに見える。
父は足を怪我する前は軍人をしていたそうだ。この世界の軍人は基本的に魔物を相手に戦うのと町の警備などが主な仕事で、国同士での戦争はしていないらしい。なので父はその時の経験を生かし、町の役所で魔物の殲滅、駆除に関する事を総合的に担当する事務官をしているらしい。町の治安維持にも大きく貢献していて、町の人からも慕われているそうだ。
2人はかなり忙しいらしく、本来なら週に2度ある休み、風の日と人の日だが、風の日は2人共家に揃っている事はあまりないようだ。ちなみに今日は風の日だが珍しく2人共家にいる。
そしてそんな2人の代わりに、私の子守りをしてくれていたのが同じスロット村に住むアンヌだ。
アンヌは明るめの茶色の髪を首の後ろ辺りでお団子にしている。落ち着いた雰囲気で年は50代ぐらいに見える。アンヌはこの村で旦那さんと2人で暮らしている。子どもはもう自立しているらしい。
昔は貴族の屋敷で側仕えをしていたそうだ。
エヴェリット王国には王様がいる。王国なのだから当然なんだろう。だから普通は貴族がいても可笑しくはないと思うのだろうけれど、今までに知ったここの文明からすると何か違和感を感じる。
そんな風に思っていたら衝撃の事実が発覚した。
なんとこの家も一応貴族の家らしい。私のイメージしていた貴族像がガラガラと音を立てて崩れた。
ずっと一般庶民だと思ってたのに。
けれど貴族なのは父の代までらしく、私にはあまり関係なさそうだった。暮らしもやはり庶民と変わらないらしいし。
ここの世界の貴族って一体どういうものなんだろう。気になる。この家にある本に書いてあるといいのだけれど。
というかこれで一つの謎が解けた。なんの事かというと、前に私は父と母から子ども向けの辞典[リリアス大陸共通語辞典]をもらったと言ったが、そのなかで偶然[母]という単語を見つけたのだ。
そこには、私が今まで使っていた言葉は[お母さん]ではなく[お母様]だと書いてあり、大分混乱していたのだ。
一応貴族だったのなら納得だ。というか私が貴族の娘だというなら、これからは言葉使いに気を付けた方がいいのかもしれない。素で喋ったら、今の私の容姿も相まって大惨事になりそうだ。
父と母にも違和感を持たれないように、これからは心の中でもなるべく丁寧な言葉使いを心掛けるようにしよう。
……大丈夫かな?
まぁ慣れるまで頑張ろう。
私は魔術を練習する時以外はほとんどこの家から外には出ていなかった。そろそろ自分の住んでいる村を把握しておいた方がいいと頭では分かっていたのだが、この家から離れるのが怖くて踏ん切りがつかないでいたのだ。
黒マントに殺された時の事が、思いの外トラウマになっていたようだ。
だがルイスを探す為にも第2の人生を歩む為にも、こんなところで足踏みしている訳にはいかない。
そう思い私は今日やっと、父と母と共に村を歩く事ができた。と言っても歩いて5分ほどの隣の家までだが。
でもこれを機に、今日からは前まで寝ていた部屋で1人で眠る事にした。
この世界に来て不安になった気持ちよりも、転生した私の存在が父と母にとって受け入れ難いものかもしれないという不安の方が大きくなったのだ。
父と母には残念そうな顔をされたが、これ以上甘えることは私にはできなかった。
まぁそうはいっても部屋は父と母の部屋の向かいにあり、父と母の気遣いにより扉はいつでも開け放されている状態なのだが。
私は1週間経ち、取り巻く環境の知識が増えていくにつれて、漸く自分の足場を確認する事ができたのだった。
ベッドに横になり、この日はやっと地球でのことを思い出す余裕が生まれた。
私は記憶が戻って初めて、残してきた両親や友人の事を想った。
友人達は私が死んだことをきっと悲しんでくれているだろう。私にはもう友人達の幸せを祈る事しかできないが、私の事はどうかあまり気に病まずにいてほしい。
この世界ではもう5年以上過ぎている。時間の流れが同じかどうかは分からないが、きっと向こうでは記憶が薄れていてほしいと願った。
最期に話した時のことを思い出すと涙が出そうになった。
堪えようとしても無理だった。
私は横になったまま一頻り泣いた。
両親については、私は友人達ほどはあまり心配はしていない。あの人達は私の死を悲しんではくれるだろうけど、私が祈ったりしなくてもどうにでもなるはずだ。
私は両親と友人達の顔を思い浮かべてから、そっと大事に胸にしまった。