Ⅵ 家族
「あの、ルカさん……」
「どうした?」
戦闘が終わり、ようやくその余韻が薄らぎ始めた昼下がりのこと。ルカはアリエルを伴ってある建物の前に立っていた。
「なんで王宮に来たんですか……?」
アリエルから妙に非難めいた視線を向けられてたじろぐルカに、イザベラが本の中から盛大なため息で追い討ちをかけた。
疲れた、といって本に引っ込んだイザベラの声には、確かに微小な疲労が見え隠れしていなくもない。
「いや、だってアリエル言ってたろ。私を私として必要として欲しい、って」
「え、えぇ……まぁ」
ルカの反論が予想外だったのか、アリエルは曖昧に頷く。
「俺がいるでしょ? あと、イザベラも」
アリエルは顔を紅潮させ、口を噤んだまま俯いてしまった。
ルカの主張を要すればこうである。俺とイザベラが君を必要としているから、君が戻るべきだとは考えているこの場所に一緒に戻ってきた。
聡い少女がそこまで察したかどうかはわからないが、ルカは沈黙を是と取ったらしい。
「じゃ、アリエルも了解したってことで、国王陛下とご対面だな」
《了解はしてないだろ。あと、そんな簡単に国王に会えると思ってんのか? だいたい、会ってどうするつもりだよ》
「それは秘密です。ま、こっちには捜索中のお嬢様がいるわけだし、心配ないさ」
《そういう問題でもないと思うんだがなぁ……》
イザベラの心配を余所に、ルカはアリエルの手を引いて王宮の中に進んでいった。
約半刻の後、行方不明のイリュージア王家第七子息を連れてきた者として、三人は応接間に身を置いていた。
「まもなく陛下が参られます。暫しお待ちください」
恭しく頭を下げ、壮年の男性が部屋を後にすると、ルカはかぶっていたフードを下ろす。
光式の造形術で急ごしらえした罪伐隊の装束だったが、ルカの怪しい点よりアリエルが見つかったことに関心が向いたようで、何事もなくここまで漕ぎつけてしまった。
「な、上手くいくもんだろ」
煌びやかに設えられた室内を物珍しそうに見回しながら、ルカが黒本に耳打ちする。
《なんだかな……》
イザベラは釈然としない様子だったが、こうしてここにいられるのは事実だ。
「アリエル、疲れた?」
「いろいろ、聞かれたので……」
「戻るべきだとは思うが戻りたくはない場所」に戻ってきたことも一因だろうが、アリエルの表情は少し曇っていた。
ルカとは違い、アリエルはどうしても偽者ではないかという疑いが付きまとう。入室に半刻を要したのも、少女が本物であると確認するためだった。
「悪いようにはさせないから。な?」
アリエルは小さく頷くと、従者が置いていった紅茶のカップに手を伸ばす。
そのとき、黒樫の扉に備えられたノッカーが硬質な音を立てた。
ルカは下ろしていたフードを被り直す。すぐに扉が開き、先ほどの男性が部屋に入ってきた。
「失礼いたします。陛下がお見えでございます」
その後について敷居を跨いだのは、痩身で高身長、少々厳格そうな面持ちをした男性だった。
ともすればどこにでもいそうな雰囲気だが、羽織った真紅のローブが彼の纏う空気をさらに厳かなものへ引き立てているかのようである。
その実力は全ての術師を越えると噂され、全ての国家軍事組織の頂点に立つ人物は、片眼鏡の向こうから三人の様子を眺めていた。
「ご苦労。戻ってよいぞ」
王にお辞儀を返すと、従者は部屋から出て行った。
ルカたちの対面に位置する椅子に腰掛け、王が口を開く。深みのある声が部屋の中にゆったりと充満した。
「今回の件、良き働きである。取り決めどおり、そなたには――」
「いえ、国王陛下。それにつきまして、私めの嘆願を一つ、聴いていただきとうございます」
《このアホっ、何言ってんだ!》
ルカが王の言葉を遮ると、イザベラは何とかルカに聞こえるような声で蛮行を嗜める。
「ほう……申せ」
しかし、ルカはそれを意に介することなく話を続けた。
「では、失礼ながら申させていただきます。陛下は、お嬢様がなぜ王宮から逃げ出したか、ご存知でいらっしゃいますか?」
問いかけに対し、王は静かに首を横に振る。
「知らぬ」
「……お嬢様は、お嬢様個人として欲されることを強くお望みです。そのような人物が近くに居て欲しいと、仰っております」
「……真か?」
アリエルは向けられた視線を居心地が悪そうに受け止め、王の目を見つめ返した。
「真で、ございます。お義父様」
「……そうか」
王は僅かに思考を巡らせ。ルカに視線を戻す。
「して? 私にどうせよというのだ」
「簡単なことにございます」
ルカはフードを下ろし、素顔でもって王と対峙した。
「私を雇ってくださればよろしいのです、国王陛下」
突如として目の前で存在を明かした男に、王は眦を開いて唖然としていた。すぐそこに指名手配犯が座っており、それが行方不明の養子を連れてきた、という事態が完全に飲み込めていないようだった。
「お、お前は……」
「ルカ=ラストラデル。霊媒術使用の罪で七年来指名手配されております。王とて、知らないはずはございますまい?」
王はようやく理解が及んできたのか、少し表情に余裕の色が表れる。
「よく知っている。それで……雇うとはどういうことか、説明していただこうか」
「今日、私は反政府勢力から王家抹殺の依頼を受けました。それを途中で投げ出した結果がこの右目というわけですが、私は彼らの溜まり場を知っている」
黙ったまま、王はルカに先を促した。
「勢力の中核は魔術省大臣です」
絶対契約など一切無視して、ルカは情報を言ってのけた。
既に右目も腎臓も謙譲してしまっているルカには、奪われようにも契約書に記された部分は存在しない。これほど有名無実なこともないだろう。
「証拠は、あるのか?」
どこか信用しきっていないような様子で、王はルカに問いかけた。
「ええ、ございます」
ルカが黒本を開いて『保存』の魔方陣に魔力を流すと、男の声が聞こえ始める。
『私は、君に王家の抹殺を依頼したい』
『王を、妃を。王子や王女といった、その子息も含めてな。少しばかり面倒だろうが、養子も勘定に入れてくれたまえよ』
少し音がざらついていたが、交わされた会話の内容や話している人物はわかる。
厳しそうな顔をさらに険しく歪め、国家の長は包み隠されることのない会話に耳を傾けていた。
魔方陣が停止すると、ルカは王に笑いかける。
「どうです?」
「……確かな、ようだな」
王は低く唸るように呟いた。
「あなたには及ばずまでも、彼とて相当の魔術師。みすみす見逃すわけにはいかないでしょう? ですから」
ルカはニヤリと笑うと、その先を続ける。
「陛下は、反体制派の掃討と引き換えに私を国家術師、ひいてはお嬢様の世話係として雇ってくださればよいのです。保護観察の元で更正させる、という名目でもまったく構いませんとも」
「…………」
「私は、私を陛下の身柄で買う。陛下は、ご自身の身柄を私で買う。悪い話では、ないですよね?」
ルカの話が終わっても、王はじっと押し黙ったままでいた。
《さすがにまずいだろ、いきなりこんな……》
イザベラは不安感を隠そうともせず、ルカの耳元で囁く。
だが、王の答えはイザベラの心配を杞憂に変えた。
「良かろう。ラストラデル、お前に反乱分子の掃討を依頼しよう。殺すのではなく、生かして連れて来い」
「すぐにでも」
《嘘だろ……》
ルカは深々と頭を下げると、あまりのことに呆然としているイザベラを抱えて席を立つ。
「アリエル。ちょっと待っててくれよ」
「……ちゃんと、帰ってきてくださいね」
「ああ、約束する」
少女と指切りを交わし、ルカは王に向き直った。
「陛下、一つよろしいでしょうか」
「……なんだ?」
「用意していただきたいものがあるのです」
それはまさに地獄絵図といっても差し支えない光景だった。
王宮で仕事を片付けていたほんの数刻の間に何があったのかと、彼は我が目を疑う。
余すことなく錠と枷で拘束された同志たちが塵芥の如く積み上げられ、その頂点に一人の男が座っていた。
「な……お前たち、何があった!」
その問いかけに、捕らわれた一人が弱々しく返答した。
「大将……逃げろ」
「何があったと聞いて――」
「おいおい、そう喚くなよ。魔術省大臣殿」
聞き覚えのある声だった。昼間聞いたばかりの、男の声。
「目玉と腎臓は返してもらったよ。いやぁ、取っといてくれるなんて助かったぜ」
「黒、尽くめ……」
両目ともを揃えた顔で笑う男が、黒尽くめの頼まれ屋その人だろう。
夜の冷気とはまた別の冷ややかさがざわざわと背筋を撫ぜる。
「仕事だからさ、大人しく捕まってくれると助かるなぁ」
「ふざけるな!」
即座に魔道書を取り出し、魔方陣を起動させた。
しかし、何も起きることはない。叫び声の残響だけが虚しく聞こえるばかりである。
「何……?」
「ざーんねん、この部屋じゃ魔術使えないんだわ」
いつの間に湧いて出たのか、背後で女がくすくすと笑った。この声も知っている。昼間の呼び人だ。
重い音を立てて、入り口の扉が閉められた。
「何を……何をした!」
「そうだな……陛下にもらった『無効』の陣が起動している、と言えばわかるか?」
頼まれ屋の答えに、体の血が引いていく感覚を覚える。
「は、話したのか……? 王に!? どうやって……!」
轟音を立てて足下が瓦解していくような錯覚が精神を苛んだ。
罪人風情の戯言など、誰も気に止めないだろうと考えた上での契約条件だったが、詰めが甘すぎたらしい。
「殺すべきだった……あぁ! やはり殺しておくべきだった!」
「吠えんな」
女がピシャリと叫びを遮る。
「魔術が使えないあんたは、一般市民と大差ない。ひとっつも怖くないね」
呼び人の言うことは腹立たしいほどに正論で、だんだんと色濃い絶望が体中を支配していく。どす黒い闇に飲み込まれるような気分だった。
「さーて、お縄についてもらおうか。大臣殿」
「……くっ、貴様らぁ!」
人の上の男は、楽しそうに笑みを浮かべた。
有象無象を引き連れ、一組の男女が夜の王都を歩く。
有象も無象も、錠や枷やを鎖で繋がれ、時代錯誤の奴隷商人が街に繰り出してきたかのようだった。
二つ目の月が昇り始めて夜も更けだす時間だったが、人々は物珍しさに釣られて窓から乗り出していたり、玄関から顔を覗かせていた。
ただでさえ目を引くその行列が必要以上に注目されているのは、前に立つ男とその後ろで悪態を吐いている人物が原因だった。
一人は指名手配犯、ルカ=ラストラデル。霊媒術の違法使用を筆頭に、七年前から国家指名手配を受けている。
もう一人は魔術省大臣、ダグラス=デステアーノ。優れた魔術の技量と知識を持ち合わせ、若くして大臣になった有望株だ。
ただし、列を率いているのは罪人であり、捕らわれているのは大臣の方だった。
抵抗を赦さないためか、大臣の背中では『無効』の陣が光っている。その他大勢に関しては、女の方が目を光らせているようだ。
そのちぐはぐな光景を見ても、王都を巡回している罪伐隊員たちは眉一つ動かさない。
住人は皆一様に首を傾げたが、国家権力が何も言わないのであれば、と傍観に徹しているようだった。
「デステアーノ殿……ら、ラストラデル殿、キルヒナー殿……お帰りなさいませ」
「これは、どういうことだ! なぜ罪人が王宮に迎えられている!?」
未だに事態を飲み込めていない大臣が、戸惑いながらも頭を下げた番兵に向かって叫ぶ。
「我々も詳しくは存じておりませんが、王の取り決めだそうで……」
兵がそう答えると、面食らったように大臣の気勢が削がれた。
「王の……? 黒尽くめ、貴様何をした?」
「別に、何も?」
飄々と追求を免れ、ルカは頑強な城門を通り抜ける。
王宮の正面口にはちょっとした人だかりができていた。
「ルカさん!」
その中から、金の髪に星明りを宿した少女が駆けてくる。飛びつくようにルカに抱きつくと、少女は安堵の息を漏らした。
「おかえりなさい」
「ただいま」
微笑みながらアリエルに応え、その頭を優しく撫でてやる。
「帰ってきて、くれましたね」
「約束したからな」
「アリエルー、私にもギュってしてー」
「イザベラさんも、無事で良かったです」
「やーん、かーわーいーいー」
少女が良いように弄ばれている様子から目を離し、ルカは紅のローブを着た男性に呼びかけた。
「陛下。国家に仇なす不逞の輩、総勢百十三名、連行してまいりました」
「ご苦労、ラストラデル。処分が決まるまで、そやつらは地下牢に入れておけ」
その命に従い、一人の兵士がルカから鎖を受け取った。
「王よ、お待ちください! これは、そう、こやつの企みです! 王は騙されておいでなのです!」
大臣の叫びに、国王は僅かに眉を上げる。
「何か、証明できるものがあるのか?」
「私の、忠義に誓いまして」
「……これを聞いても、同じことが申せるか?」
王はイザベラから一枚の紙を受け取ると、『保存』の陣を起動させる。
「なんです、それは……?」
魔方陣が起動すると、例の集会の一部始終が音声となって流れ出した。
大臣の顔から急速に血の気が引いていく。
「そ、それは偽物だ! 誰も、誰も証人がいないではありませんか!」
「……私、聞いてました」
ルカの腕をとったまま、アリエルが小さく呟く。
「……何、だと?」
「この音、少なくとも中盤までは本当です。間違いないです」
「……くっ」
デステアーノは、怨恨の相手でも睨むかのような目で少女に視線を向けた。
「へ、陛下! このような子供の言うことを鵜呑みになさるのですか!」
「…………少なくとも、そのような顔をする者よりは、信頼ができような」
歪んでいた大臣の表情が、更に醜さを増す。
「連れて行け」
「はっ!」
兵士に鎖を引かれていく間もずっと、大臣は憎悪の表情で国王を睨んでいた。
「よく、やってくれたな」
大臣の姿が地下へ向かう階段へと消えると、王はルカに向き直る。
「ラストラデル、君を歓迎しよう」
その言葉とともに、彼の方へと掌が差し出された。
「ありがたき幸せにございます、陛下」
ルカが力強くその手を握り返すと、王は満面に笑みを浮かべる。
「さぁ、新任魔術師の歓迎の席を設けよ! 存分に労ってやるが良い!」
正面口に集って一部始終を見ていた人々は、概ねルカたちに対して歓迎的なようだった。高らかに返答すると、各々の準備のために散っていく。
「ルカさん」
「勝手に行くなよ」
王の後についていこうとしたところで、アリエルとイザベラが追いついてきた。
「ああ、悪い」
「あの……ルカさん、イザベラさん」
二人に向かって、少女はなにやら照れたように言葉をかける。
「どうした?」
聞き返すと、アリエルは決心したように二人に向き直った。
「あの、今日は、三人同じお布団で寝ませんか……?」
「いいよー! もう、大歓迎! 今日だけと言わず、毎日でも!」
イザベラは喜々として少女を抱き締める。
美女の腕に抱かれながら、少女は気恥ずかしさのためにか顔を赤らめていた。
少し考えて、ルカは少女に視線を向けたまま答える。
「じゃあ、今日は一緒に寝るか。三人で」
アリエルはきょとんとルカの方を見返していたが、やがて秋薔薇のようにゆっくりと笑みを浮かべる。
「……はい!」
「さ、陛下が宴会してくれるらしいし、俺たちも行こうぜ」
三人家族の後姿は、新しい家の中へと消えていった。
終




