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家族の事情  作者: 雪消陽
1/6

Ⅰ 子供拾いました。

 擦れた息も絶え絶えに、一人の男が木立に身を隠していた。

 脇腹には切り傷が生々しく口を開き、止むことなく血が滴っている。

 片手でそこを押えてはいるが、大した効果はないようだった。

《おい、ルカ。もっと集中しねぇと殺されるぞ》

 凛と澄んだ声が彼に注意を促す。美麗な女声は、青年の傍らに置かれた鈍器ともとれる巨大な本から聞こえてくる。

「わかって……痛てッ!」

 相棒の檄に対する口答えは、脇腹の激痛によって中断された。飽くことなく流血を続けるそこを、ルカと呼ばれた青年は恨みがましそうに睨む。

「そこか」

「チィッ」

 せっかく身を隠せたというのに、情けなくも上げてしまった呻き声で敵に居場所を悟られたらしい。思わず舌打ちが零れる。

 手負いの体に鞭打ち、ルカは今までいた場所からできる限り離れた。直後、いままで彼がいたところを数十本の白槍が貫く。

 獲物を仕留めそこなった槍は、すぐに光となって虚空に消えた。

《うっわー、怖ぇえー》

 ルカの脇に抱えられている本は、何がおかしいのかケタケタと笑っている。

「言ってる場合か!」

 全体の指揮をとっているらしい細身の男は、炙り出されてきたルカに向き直ると、右手に握ったタクトを軽く振るう。

 男は聖職者が着るような、金の糸で細工された白の法衣を身に纏っていた。顔は部隊長特有のフードで隠れ、何者なのかは判断がつかない。

 思わず見惚れる洗練された動きで、タクトが辺りの光に形を与える。

 確固たる質量を得た光は鋭い矢を模して、ふわふわと白装束の周囲を漂っていた。

 柔らかな音色を奏でるようだったタクトの動きが荒々しく叩きつけるようなものに変化すると、瞬時に光の矢が反応し、いくつかの塊に分かれてルカを襲う。

「っと!」

 間一髪、屈んだ際に取り残された髪が数本持っていかれた。それを気にする間もなく、後に続いてきた矢群が彼を射殺そうと迫る。

 咄嗟の判断で横に跳ねるも失策。端の一本が腕を掠めていった。

 腕の負傷を嘆く暇さえ与えない速さで、三波、四波がやってきている。

《しっかりしろよ》

 見かねた様子で黒本は表紙を開くと、細やかな線と古代文字で描かれた魔方陣を起動させた。

「うぉあ!?」

 気色の悪い音を立てて、ルカの姿が液体のように柔らかくなった影に沈む。

 影の上を矢群が通り過ぎると、粘着質の嫌な音ともに影の中から青年が這い出てきた。

「荒っぽい!」

《戦場で繊細もクソもあるかよ》

 一人と一冊が戦場に似合わないやり取りを交わすのを尻目に、白装束は腰に下げていた麻袋から刀剣の柄だけを取り出す。本来刃があるべき部分の窪みにタクトの持ち手を差し込んだ。

 ルカは目の端でそれを確認すると、黒本を抱えて猛然と走り出す。少しでも間合いをあけようという腹積もりだったが、思ったよりも脇腹の傷が痛んだ。

「逃がしはせん」

 逃げの一手を打つつもりの敵を前にして、白装束が何もしないわけがない。

 手に持った柄を振ると、タクトから漏れ出た光がそこに欠けていた刃を作り出した。

《逃げ切れんのか?》

「……無理かも」

 強く地面を蹴る音が響き、逃げる背中に殺意が近づく。

 ルカは脇に抱えた本を放り投げた。

「『転移』!」

《はいよ》

 本は軽く返答し、着地した先でページを開く。

ルカは自分の影に手を突っ込んで漆黒の塊を掬い上げると、それに魔力を込めて一本の棒切れに仕立て上げた。

 叩き潰すために形作られた剣が頭部に向かって振り下ろされたのと同時、振り向く回転力を打撃に乗せた一撃が、剣の横っ面を強打した。

 硬度の高いものがぶつかり合う派手な音を立てて、白装束の体が僅かに傾く。

《ルカ、今のうちにさっさとずらかるぞ》

 放り投げられた先で、黒本の影から一匹の大蛇が湧き出した。

「おう」

 本が表紙を打ち付けるように閉じると、現れた蛇は黒本を一呑みにする。苦しそうに走ってきたルカも、躊躇わずにその口腔に飛び込んだ。

 今にも消えてしまおうとする蛇に向かって、白装束の投げた短剣が飛ぶ。

 しかし、剣が蛇を捕らえるよりも僅かに早く、それは腹の中の者たちもろとも夕闇の空に霧消した。

「……全軍に通達。目標は『転移』によって離脱した。状況を終了する」

 白装束は首から下げていた『通信』の陣に呼びかける。やり場のない怒りに固めた拳を、思い切り木の幹に打ちつけた。

 木は枝葉を揺らして抗議の声を上げる。



 ここがどこで、いったいどの辺りなのか。

 それは今の彼にとって些末なことに過ぎず、しかし最も気にすべき事柄であった。

 悪だと認識されている身分としては、うかうか人前に出て行くわけにもいかない。

 それこそ、先ほどの罪人討伐部隊などという仰々しい連中とまた刃を交えなくてはならないかもしれないのだ。

「はぁ……」

 難しいことはまたそのときに考えればいい。今は現状の把握に努めるべきだと判断し、状況の分析にかかる。

 背中を預けているものは、おそらく何かの建造物だろう。ひやりと布越しに冷たい感触は、石造りのようだった。

 辺境の建物は大抵あばら家で、こういうしっかりした建物は国の中心に近いところでなければ見当たらない。

 少し目を凝らせば、王宮の豪奢な建物を見ることができるかもしれなかった。

 それは同時に、ここが人目につきやすい場所であることを示している。その上、先ほどの戦場からあまり距離を離せていない。

 再び鎌首をもたげてくる不吉な物思いを振り払った。

 そうならないようにしなければならない。

「キルヒナー」

《……なんだ》

 渋々とした声で傍らの黒本が答える。

「『隠形』と、止血してもらっていい?」

 本が大きくページを開けると、ルカがそこに掌を重ねる。動力となる魔力を受け取った紋様は、その身に青白い光を灯した。それだけでは不足と判断したようで、本は『消音』という魔方陣も起動させる。

 ルカがそうする間も不満そうにぶつぶつと文言を呟いていた彼女は、影で形作った腕で思い切りルカの傷口を叩いた。

 小気味よい音と悲痛な叫びが夕闇の裏路地に響く。

「……て、めぇえ」

 今まで傷が大口を開けていたところは肌とは違う質感で黒光りしており、確かに血は止まっていた。

《名前で呼べと言っているだろう》

「そんなことでいちいち目くじら立てんなよ……」

《キルヒナーは語感が好きじゃない》

 とんでもなく個人的な理由だったが、ルカはそのことについては承知している。十年間も一緒にいれば、彼女の考えくらい何となく理解できていようというものだ。

 要するに、彼はわざと名字で呼んでいるのである。思わぬ手傷をもらって、虫の居所が悪いせいだ。

《まったく、機嫌悪いとすぐこれだから》

 思考回路が筒抜けなのはお互い様のようだった。

「でも最初に名前で呼ぶな、って言ったのはお前だろ」

《いや……それは》

 名前で呼んだ途端、『馴れ馴れしいぞ、ガキ!』と、喝をもらったのは懐かしい記憶だ。

 厳然たる事実には反論のしようがないのか、彼女の勢いが弱まる。

「ま、お国一番の有名人ですから、神経質になるのもわかりますけどね」

 そう言って皮肉るが、ルカ本人とて彼女くらいではないにしろ、人のことを棚に上げていられるほど無名ではない。

 依頼があれば違法行為でも遂行し、それなりに罪状を抱えた頼まれ屋なのだからそれも当然のこと。罪人討伐部隊に追われている原因もそこにある。

 何よりも、その名を世に知らしめたのが霊媒術を禁止した法を破ったことだった。

 霊媒術は、いわゆる死した者の魂を呼び起こす反魂の術である。ただし、呼び出される魂を術者が任意に選べるわけではない。罷り間違って死刑に処された者の魂でも呼び出そうものなら、いったい何のために執行人が斧を落としたというのだろう。

 そういった観点もあってか霊媒術の使用は永らく禁止されており、また誰も使おうとは思わなかった。

 それを見事にやってのけたとあっては、国が黙っているはずがない。その首に少しながら懸賞金までかけられ、ルカ=ラストラデルの名は国民の半数に知れることとなった。

《うぅ……》

 一方で半数どころか誰にでも名前を知られているらしいキルヒナーは、今度こそ反駁の術をなくして黙り込んだ。

 そう思ったのも束の間。

《いや、でも! こんな間抜けにそんなことを説教される謂れはないぞ!》

 萎んでいた彼女が急に元気を取り戻した。

「ん?」

 どういう意味だ、とルカが片方の眉を上げる。

《お前が仕事終わりで気を抜いているから、こんなことになったんだ》

「う……」

 次はルカが勢いを殺がれる番だった。

《確かに今回の依頼はチョロかったよなぁ? 前金だったし、そう危険なこともない。さくっと済ませて、それで終了のカンタン、実にカンタンなお仕事でしたよねぇ?》

「ま、まぁな……」

 どうやらおかしなスイッチを入れてしまったようだ。ルカはちょっとした苛立ちを相棒にぶつけたことを心底後悔した。

《それがどうよ。カンタンなお仕事の帰り道に襲撃されて、挙句脇腹切られましただぁ? 罪人が笑わせるな》

 その罪人たる由縁が自分であることなどどこ吹く風で、黒本は実に楽しそうにルカの失態をいびる。

《それに、私がまだ生きていた頃なんて――》

「イザベラ!」

 何度となく聞かされてきた話が始まりそうになり、ルカは慌てて彼女の名を呼んだ。

《なんだよ》

「わかった、スマン。俺が悪かった」

《……わかったなら、まぁいい》

 まだ話し足りない、そんな心情が声の端にありありと浮かんでいる。

 だが、彼女曰く素晴らしい功績については少なくとも七回は聞いたはずだ。いい加減耳にタコができていてもおかしくない。

《ところでだな》

「どうした?」

 唐突に低く小さくなったイザベラの声に、ルカも思わず身を引き締めた。

《さっきからこっちを見てる奴がいる》

「? 術は効いてるんじゃないのか?」

 ルカの疑問はもっともであった。先ほどから好き放題騒ぐ二人の前を、夕飯の買い物を済ませた婦人が何人も通り過ぎたが、誰も何一つ気にしなかった。

《ほら、あそこだ》

 イザベラが影で示した先には、確かに人影がある。

 じっとそこを動かず、邪魔そうに避けられていることなど意に介さない様子で二人にだけ視線を固定していた。

《どう思う?》

「どうって……見えちゃいないだろ」

 試しにルカが手を振ってみる。

《……おい、今》

「……あぁ、振り返したな」

 その人影は、控えめに手首から先だけを揺らした。

もしかしたら単なる偶然かもしれない。ルカは人差し指を手前に曲げて、こっちに来い、と意思表示してみた。

《おい、近づいて来てないか》

「…………」

 思っていたよりずっと小柄な人影が、目の前までやってきた。

 夕闇の裏路地でさえ僅かな光を逃さず反射し、輝きを放つ見事なアッシュブロンドが風に靡く。

 幼さの残る顔立ちは、未だ年端のいかない子供でありながら、既に魔性の片鱗を覗かせていた。

 どこか現実味がないほどの麗らかさが人の形でもって、彼らの前に立っている。

 そんな少女は先ほどから揺らがずにただ一点、空色の瞳でルカの顔を注視していた。要するに、彼女には見えているし、もしかすれば聞こえてもいる。

《どうすんだ、これ》

 イザベラが困り果てた声でルカに問う。

「いや、そう言われても……」

 ルカとて、まさかこちらにやってくるとは思いも寄らなかったのだ。

 途中でルカが何者かに気付き、怖気づいて逃げ出すか、全く反応を示さないかのどちらかだろうと高をくくっていた。

 目の前に立たれることなど、想定すらしていない。

「……あー……」

 見るからに十歳程度の子供、しかも少女の扱いなど、ルカにわかるはずもなく。生涯を研究にのみ費やしたイザベラも似たような境遇だった。

 ひとまずわかるのが、今はこんな少女が出歩くにしては少々遅い時間であるということ。

「もう遅いぞ、帰れ」

 しかし少女は動こうとはせず、澄んだ瞳でルカを見つめている。うっすらと口元に笑みが浮かんでいるのはルカの気のせいなのか。

(仕方ないな……)

 ルカは手元の裏路地に溢れる影から黒塊を一掬いし、材質のイメージを魔力に載せて投影、杖を造形した。

 石突の部分を敷石に打ち付けて具合を確かめると、黒本を肩から提げて裏路地を出る。いつの間にか、北の方から一つ目の月が昇り始めていた。

 ちらほらと辺りの家々に明かりが灯りはじめる。そろそろ夕食どきだが、ルカたちの手元には食糧といえるものは何もない

《今日はもう晩飯はいいだろう。明日の仕事探しのために寝た方がいいな》

「はいはい、わかりました」

 イザベラの忠告に従い、ルカは進路を山に向けた。

 杖が石畳を小突く音の後を、軽い足音がついて来ている。

《どこまで来るつもりだ?》

「さぁ?」

 走って振り切ろうにも今の体では普通に歩くことすら厳しい。いかに戦場で脳内麻薬に助けられていたかがわかる。

 追い払うのも気が引けるので少女の思うがままについてこさせているのだが、どうにも落ち着かない。

 街の出口に辿りつくと、ルカは振り返って後ろを見た。

 わかっていたものの、そこにはやはり先ほどの少女の姿がある。

 どういう意図があるのかは知らないが、彼女が不安分子であることに違いはなかった。

「……お前、親はどうした」

 驚いたようにルカの顔を見た後、少女は黙って首を横に振った。

「いないのか?」

 こくん。やはり黙ったまま、少女の首は前に折れる。

「俺についてきたところで、何もないぞ」

 こくん。

「分かってるならついてくんな」

 ふるふるふる。

「…………」

《ブフッ》

 呆然と佇むルカに、イザベラが思わず吹き出した。

《好きにさせとけ。そのうち飽きるだろ》

 その提案にルカは首を捻ったが、他に何かを思いつきはしなかったらしい。そのまま踵を返して、山への道を歩き始めた。

 少女もまた、彼の後を追って街から離れていった。


(あの子も頑張るもんだな)

 表情には出さず、ルカはかれこれ一時間以上彼らの後をついてきている少女を見やった。

 小さな両足を必死で動かし、時には小走りして歩幅の差を埋めながら。

 何が彼女をそこまで突き動かすのか、さっぱりわからない。だからこそ、ルカには少女の姿がどこか不気味に映る。

《まだ歩くのか? そろそろ二つ目が上るぞ?》

「あー……もうそんな時間か」

 イザベラの言葉にルカは西に視線を向けた。北の空の低い位置で輝く月に続いて、西の方からもう一つの月が顔を覗かせている。

 ルカは不安そうな表情を隠すことなくもう一度少女を見、空を見、ため息を吐いた。

「イザベラ、倉庫のとこ」

 これ以上歩くのは止めたのか、肩にかけていた黒本を芝の上に置く。

《ちょっと待ってろ……ほれ》

 黒本は自分をパラパラとやっていたが、程なくして絵画の描かれたページが開いた。

 絵画には微小な大きさで様々なものが描かれている。

「よ、っと」

 ルカは慎重に絵画の中に手を突っ込み、ダイスほどの大きさの畳まれたテントを摘まんだ。そのまま引っ張ってやると、テントがその巨体を収納するには小さすぎる本の中から姿を現した。

 ずいぶん歩いたが、まだ人目のありそうな街道沿いから僅かに離れ、少し開けた藪の中に畳まれたテントを運び込む。

 絵画の中からさらに楔とロープを取り出すと、ルカは慣れた手付きでテントを組み立ててしまった。

「よぅし、俺は寝る」

 宣言するが速いか、その姿はテントの中に消える。

《お前が寝たら身体借りるぞ》

「お好きにどーぞ」

 テントの中で灯っていた蝋燭の火が落ちると、すぐに寝息が聞こえてきた。


 テントの外に置き去りにされたイザベラは、獣道の悪路っぷりに四苦八苦しながらも少女がこちらに歩いて来る様を傍観していた。

 お好きにどーぞの言葉通り、ルカの体を借りることにする。

 後ろから二番目、『反転』と題されたページを開き、その魔方陣に魔力を流し込んだ。

《『反転』》

 相棒が寝ているので交代を告げる必要はないのだが、いつもの癖で宣言する。宣言が終わると、地面に転がっていた本から先のテントと同じく一人の女性が現れる。

 細い体躯ながら決して自己主張を忘れない肢体。

 腰まで伸びた艶のある黒髪とギラつく血色の瞳が、攻撃的な印象を際立たせる。

 それら全ての土台となる柔肌は、処女雪の如き白さで月明かりを弾き返していた。

 女性は凝り固まった首を鳴らし、先ほどまで自分が入っていた本を拾い上げる。

 テントの入り口を開け、無人となった寝袋の中に安らかな寝息を立てる本を突っ込んだ。

「……出てこいよ」

 隠れているつもりなのか、一部だけ美しく輝く茂みに声をかけてみる。

 僅かな間を置いて、草むらの陰から例の少女が姿を見せた。だが、少女の顔からは微かな警戒の色が窺える。

「おいおい、そんなにビビらなくてもいいだろ?」

 反応は芳しくない。落ち着かない様子で時折視線を投げてきては、すぐに顔を俯けてしまう。

(……可愛い)

 言われるままに出てきたはいいものの、どうしていいやらわからない様子である。

「とりあえず、座ったら?」

 少女はイザベラが示した辺りに腰を据えるが、未だに表情は硬い。

「……私はイザベラ=キルヒナーという者だ」

 特にすることもなく、何となく名乗ってみる。

「イザベラ?」

 すると、初めて少女が口を開いた。その外見に反せず、金細工が響くような透明な声であった。

「あ、知ってる?」

「……知ってます。魔術を作った人、ですよね?」

 自身の功績がこんな幼子にまで届いていることを知ってか、イザベラは満足そうに微笑んだ。

「正確には、魔術を復活させたんだけどな」

 そう言って得意げに胸を逸らす。

「たまたま潜った遺跡で閉じ込められてさ。最悪だわー、と思ってたら、あれを見つけたわけ」

 イザベラはテントの入り口を開け、寝袋で安眠を貪っている本を指差した。

「そんときは中に王様が入ってて、魔術を教えてくれたのもその人。ま、ちょっとしたら消えちゃったんだけどな。おかげで脱出できた」

 昔の情景を懐かしむように、彼女は切れ長の瞳を細める。

「学者さんでしたよね? 四百年くらい前の」

「あー、そうだな。そんなもんか」

「長生きですね」

 驚いたように目を丸くする少女に、イザベラは思わず失笑した。

「そんなわけないだろ」

 気の済むまで笑うと、美女は少女に掌を向けて自己紹介を促す。

「で、お前は?」

「あ、あの……アリエル、です」

 もし今が静かな夜でなければ聞こえなかったであろうか細い声で、少女が名乗った。

「じゃあ、アリエル。何でお前はあいつについてきたんだ?」

 イザベラは親指でテントを示した。

「あ、の……」

 一度口篭もるも、アリエルは先を続ける。

「話しかけて、くださいましたので」

「……?」

 イザベラが不思議そうに首を傾げると、少女は慌てて先を付け足した。

「初めてなんです、普通にお話ししていただいたの」

(……あれが普通? いやそもそも会話と言えるのかね)

「そうか」

 先刻二者が交わしたやり取りはお世辞にも会話と呼べるものではなかったが、イザベラは疑問を呈することなく、ただ頷いただけだった。

 いったいどういった環境が少女を取り巻いていたのかは非常に興味深かったが、詮索はしないでおく。

「お前、あいつのことどう思う?」

「えっ……あ、あの……」

 その唐突な問に少女は何か答えようとするが、特に思いつくことがなかったようで口を噤んだ。

「ま、どうでもいいか」

 イザベラはへらへらと笑い、テントの入り口を開いた。

 アリエルを中に招き入れ、その手に寝袋を渡してやる。

「今日はそこで寝たらいいよ」

 少女が中に引っ込むと、懐から取り出した葉巻にマッチで火をつけ、紫煙を吐き出す。

 イザベラは指を鳴らしてルカと自分にかかっていた術を解くと、先ほどよりも高い位置までやってきた北の月を仰いだ。

「やっぱり見えてたか……ふふっ」

 愉快そうに笑って、燻らせていた煙草の灰を地面に落とす。

「面白い」

 ふっ、と吐いた煙は夜に消えた。



 朝起きると、ルカは自分の体が未だに本のままであることに気付いた。

《イザベラ、起きてるか?》

「寝てる、それはもうぐっすり」

 テントの外から返答があり、ルカは内心ほっとため息を吐く。移動に不便な本のまま放置されていたわけではないらしい。

「そうだ、アリエルはまだ寝てるのか?」

《アリエル? 誰それ?》

 入り口から顔を覗かせたイザベラは、ルカの隣を指差した。

「誰って、そこに寝てるだろ」

《ん? ……こ、こいつ!》

 指の延長線上に意識を向けると、そこには昨日の少女が寝袋に包まっている。

《何でこいつがここにいるんだよ!》

「私が許可した」

《何でまたそんな勝手に……》

「気に入ったからな」

 だから傍に置いておく。それが当然だ、というようにイザベラが笑った。

 ルカの記憶の底にも、同じような言葉が残っている。

《……で、何がそんなに気に入ったわけ?》

 言いだしたら聞かない頑固者を説き伏せることは諦め、ひとまずこの少女がイザベラに気に入られた由縁を探ることにした。

「見た目だ」

《はい?》

「愛らしいだろう?」

《……いや、否定はしねぇけどよ》

「あとは、この子に対して魔術の類があまり効果をなさないらしいってことくらいか」

 まずはそれをいの一番に挙げるものなのだろうが、そんな常識が通用する相手でないことは嫌というほど承知している。

 イザベラの中では、アリエルという名の少女が持つ不思議な力より、その美貌の優先順位が高かったというだけのことだろう。

「いずれにせよ、こいつはいい研究対象だ。学者としては、その辺いろいろ探りたいし」

《そいつが本音か?》

 ルカの呆れた声に、イザベラは真剣な顔で答えた。

「いや、可愛いから私好みに調きょ……教育したい」

 やはり、双方のために親を捜して家に帰してやった方がいい。

 調教などととんでもないことを言ってのけた相棒に猛抗議を仕掛ける。

《ダメだダメだ! いいか、まずは保護者を見つけて、話はそれからだ》

「なんで? 親はいないって言ってただろ」

 イザベラは眉間に皺を寄せ、これでもかと不満アピールをしてくる。

《そしたら施設だ》

「そんな急に、そこそこ育った子供を面倒見てくれるとこがあるか?」

《あ、あるさ……たぶん》

 整然とした主張を前に、ルカの勢いから自信が薄れた。

《どうしても見つからないようなら……俺が、面倒を見る》

「…………」

 誰が見ても絶句という単語しか連想しない顔で、イザベラは固まっていた。

「……お前、子供苦手だろ」

《お前の魔手にかかるのを見過ごすよりは、ずっとマシだ》

 言いながらも、ルカは必死に弁解の術を考えていた。咄嗟のこととはいえなんということを、と自責にかられる。

 しばらく呆けていたイザベラが、不意ににやりと口の端を吊り上げた。

 その笑顔に、ルカの背筋を氷が滑り降りる。どうやら時間切れのようだった。

「そんときは、もちろんしっかりばっちり、アリエルの面倒見るんだよな?」

 やっぱり止めたなどとはっきり言えるわけもなく、ルカは生返事を返す。

《あー、ぃやー、まぁ……》

「……だってよ」

《え!?》

 そのままの笑顔が向けられた先には、感涙に瞳を潤ませた少女が座っていた。

《いいい、いつから!》

「んー? お前がダメだとかデカイ声出すから、それで起きちまったんだよな」

 こくん。

《ま、マジかよ……》

 抱える頭もそのための手もなく、ルカはひたすらに打ちひしがれる。

 退路は消えた。

「そーゆーワケで、今から買い物と仕事探しのついでに、アリエルの保護者を捜索だ」

 イザベラはルカ入りの黒本とアリエルを外に連れだし、指先一つでテントを畳む。

 倉庫の中に楔やら何やらを放り込んで、本を握り拳程の大きさまで縮めた。チェーンの先に繋ぎ、首からかける。

「さて、そいじゃ行くか」

「は、はいっ」

 少女一人を引き連れて、イザベラは街に向かって歩を進めた。

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