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琵琶湖伝  作者: touyou
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第二部琵琶湖決戦編八五「電瞬一撃」

 第二部琵琶湖決戦編八五「電瞬一撃」

 しかし、正英の納得はあくまで良之介の常識へ

の納得であった。

 七〇を越えた老人と、今、己が戦えば、常識的

には「若い」己が勝つであろう。

 ただ真の内功の達人は、年をとればとるほど体

内の「気」の力を上げていくといわれている。

 また各流派の奥義といわれる内功は、体内にか

なりの「気」のパワーを有していなければならず、

十代や二十代では内功を使えるだけの「気」が備

わっていないのが普通なのだ。

 だから良之介も、「平安百世」の技が完璧に使

えるとしたら若くて三十歳と考えたわけだ。

 もし「平安百勝」が今も生きているなら、戦う

「意味」が正英にはあるとも思えたが、その点で

良之介と議論をしようとは思わなかった。

 なぜならそれ以上に、正英の心を悩ませること

があったのだ。

 何かといえば、己の「居合い」の必殺性であっ

た。

 孫六にしろ、竜雲にしろ、いや他の敗北者も皆、

美里拳論会では殺した者も殺された者もいないの

だ。

 では己が「居合い」で拳論会にでたらどうであ

ろう。

 生か死しかないのである。

 相手が死ぬか正英自身が死ぬかなのだ。

 居合いは電撃抜刀 (でんげきばっとう)の武道

であり、先に抜いて攻撃してくる相手に対し、鞘

に納めている己の刀を生死の境ギリギリまで抜か

ず、抜いた瞬間には相手を倒さねばならぬ技であ

る。

 十六世紀の後半に、「居合い」道を創始した林

崎甚助 (はやしざき じんすけ一五四二〜一六一

七)は、居合いの極意を「居合の生命は電瞬 (で

んしゅん)にあり」と抜刀の際の一撃こそ居合い

であるとのべているほどだ。

 正英は、十代のころ忠勝から「居合い」という

新しい武術の存在を聞かされ自分なりに、いかに

速く抜刀するかを研究してきた。

 一五九〇年徳川家康の「関東入国」にとない大

多喜(現在の千葉県大多喜)に家康より封じられた

忠勝は、翌年正英に大きなプレゼントをする。

 林崎甚助は出羽国楯山林崎(現・山形県村山市

楯岡)の出であり、かの地で暮らしながら居合い

の道場を開いていた。

 忠勝は、その林崎の元に、正英を一年間武術留

学させたのだ。

 正英は、林崎の厳しい指導に耐え、一年後、林

崎夢想流免許皆伝の目録を受ける。

 大多喜に戻る日、林崎甚助は正英に、言葉を送っ

た。

「抜かずに勝つために、電瞬一撃の修行を怠るべ

からず」

 居合いは最終的には平和のための道具であり、

世の人々に剣を抜かせぬために居合いの修行はす

べきなのだ、という意味であり、「居合い」とい

う殺人剣を創始した林崎が、「居合い」を「活人

剣」にするための言葉であった。

 それから十年以上が過ぎた今、正英の胸に去来

するのは、己の居合いがいまだに、殺人剣以上の

ものになってはおらず、活人剣の域に達していな

いことへの反省であった。

 もし真の居合いの達人なら、敵と向かい合って

も、生か死かではなく、互いの「生」しかないは

ずなのだ。

 しかし正英には、相手を畏怖させ刀を鞘に納め

たままにさせる自信などない。

 またもし切りかかられた場合、抜刀せず両手で

敵の刀の刃先を押さえ、奪い取る柳生新陰流 (や

ぎゅうしんかげりゅう)の奥義無刀取り(むとうど

り)も練習では三回に一回はできるが、実践で使え

る自信もこれまたない。

 正英は、三十年近い武術の修行をしてきたにも

かかわらず、いまだ「活人剣」の域に達していな

い、己のふがいなさを嘆いた。

 良之介は、先を行く正英の背中が何かに耐えて

いるように見え、

「正英様、物思いにふけっておられますか」

 と声をかけた。

 正英は振り向き、

「良之介、中原中也の「帰郷」という詩を

知っているか」

 と逆に問う。

「いえ、知りませんが、どういう詩ですか」

「うん、こんな詩だよ」


 心おきなく泣かれよと

 年増の低い声がする

 あぁ、

 お前は何をしてきたのだと

 吹きくる風が私にいう


 すでに路傍の道標は、「彦根まであと半里(約二

キロ)」と記している。

 晩秋の寒風が、正英と良之介の跡を追ってきてい

た。


 以下八六に続く


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