琵琶湖伝第二部琵琶湖決戦編八四「平安百勝」
「フーン、腕だめしか。美里村の代表者との勝負は、
雑賀や根来との勝負以上に、他派にはきついだろう
な」
「いや、腕試しといいましても、美里村の方の背後に
回れれば、門の通行を許すというもので、真剣勝負で
はなく、かなり形式的なものです」
「背後にも回れぬ者は参加してもしかたないしな。そ
れで新しい形の大会が一五五〇年から始まったわけ
だ」
「「美里拳論会」は、五〇、六〇、七〇、八〇、九〇
年とその後五回開かれ、一六〇〇年の大会は、関ヶ原
の戦いで武術大会どころではなくなり、中止になります。
八〇年の優勝者が孫六様。九〇年の大会は、決勝で孫
六様に負けた竜雲和尚がリベンジを果たすために修行
に修行を重ねたのですが、諸国を遍歴していた孫六様
は不参加でした」
「竜雲様も残念だったな」
「えぇ、九〇年の準決勝は、竜雲様と堅田水舟拳の
使い手岡本邦源 (おかもとほうげん)」様、もう一方は
古今天真拳を使う細川幽斎様と織田信長様の側近で信
長様亡き後仏門に入られた三井園城拳の大田牛一様」
「良之介、堅田水舟拳の岡本邦源といえば、近江堅
田(滋賀県大津市堅田)の堅田湖族衆総代の岡本邦源様
か」
「そうですよ、正英様、お知り合いですか」
「いやぁ、ちょっとな。それで邦源様に竜雲様は勝っ
たわけだな」
「はい。そして細川幽斎様と大田牛一様の空中書対
決は、細川様がお勝ちになり、決勝は竜雲様と細川様
でした」
「竜雲様は細川様にも勝ったんだ。すごいな」
「ただ、決勝は細川様が、岡本様に勝った竜雲様に勝
てるわけがないと辞退され、竜雲様の不戦勝になった
そうです」
「ふーん、岡本邦源様の力も凄かったわけか」
「そうなりますね」
「良之介」
「はい」
「次の大会は一六一〇年か」
「そうです」
「次の大会には一緒にでようね」
「出たいですね。アッ、六〇年の大会は対外的な問
題はなかったのですが、中止になったんですよ。参加
者全員が、当日午前九時までに美里村の門をくぐれな
かったということです」
「・・・台風か何かあったのか」
「いえ、門の前に立っていた美里村の代表者が、参
加条件を勘ちがいして、雑賀や根来の方々を含め参加
者全員と真剣勝負をし、門前で全員を戦意喪失に陥ら
せたというのです」
「何と、全員を。強すぎるな。当然、外功では体力
的限界があろう。すさまじい内功の持ち主が、美里村
にいたわけだ」
「そうです。なんでも、美里正拳の奥義「平安百世
(へいあんひゃくせい)」という技を使ったそうです」
「どんな技かわかるか」
「竜雲様もわからないといってました。ただその美里
村の代表者の名前を、美里村では隠し、「平安百勝
(へいあんひゃくしょう)」という名でその者を呼び、
その者ではなく表様が参加者全員にわびたそうです」
「平安百勝か。戦ってみたいな」
「それは無意味でしょう。美里正拳の奥義「平安百世」
という内功を完璧に使えるとしたら、おそらくその時
点で若くても三〇歳ですよね。ならばもし今生きてい
るとして、もう七〇を越えているはず。そのような老
人と戦って勝っても威張れませんよ」
「生きていれば確かに、七〇は越えているな。戦って
も仕方ないか」
良之介の言葉を繰り返し、納得顔の正英であった。
以下八五に続く