琵琶湖決戦編八〇「高野神拳」
「正英様、「九星陰陽経」の技を学べる体力、
体質、精神力を村人全員がお持ちとお考えか」
正英は一瞬、
「キョトンッ」
とした顔をするが、すぐうなずいた。
「そうか、体力、体質、精神力のすべてに秀
でた人間など、そうはいないな。心がなければ、
教えたことも悪用されよう」
「ですから、空海様は表様を貴重な人材とみ
なされ、大いに鍛えられます。そして、御入滅
あそばす二日前、八三五年四月二十日、表様を
呼び、以下のことを命じられました。表家を美
里村の永代名主とし代々表正左衛門を名乗るこ
と、空海様が教えた技のうちすべての技を継承
していくものは表家のみの一子相伝とすること、
村人のうち代々の表正左衛門が選んだ五人(の
ちに美里五人衆と呼ばれる)にはすべての技の七
割を教えること、他の村人には男女の別なくすべ
ての技の五割を教えること。この四つの指示を表
様にしたあと、空海様は、「九星陰陽経」をお焼
きになられたのです」
「やはり、「九星陰陽経」はこの世にないのか」
「空海様がお亡くなりになったあと、表様は空
海様が自分に教えた武術と自分が空海様のご遺言
に沿って今から教えていく武術とは、同じはずが
ないとお考えになり、空海様の武術を「高野神拳
(こうやしんけん)」、表家の技を「美里正拳 (み
さとせいけん)」と名づけられました。そしてこ
こからは、言い伝えなのですが、初代表正左衛門
様は、唐で空海様が印九星様の教えを文字にした
ためたように、空海様のお教えを文字に直されて
いたというのです。表家の書物の名も「九星陰陽
経」というそうです。ただしその書物を見たとい
う方は今の今まで誰もいないのです」
「ウーン、噂か。武術を志す者なら誰でも、そ
ういう書があってほしいと願うな。その夢が伝説
を作り出したかもしれんな」
そういい、一人で納得顔をする正英に、
「正英様、早いものでもう大垣の街中に入りま
すぞ。養老屋でしたかね。あとの話は、夕食でも
とりながらにしましょうよ」
という。
正英も、
「歩き続けてきたからな、確かに腹が減った。
養老屋はすぐそこだ」
と同意する。
養老屋に着くと二人ともすぐに一風呂浴び、
夕餉の膳につく。
まず付け出しは、湯葉と伊勢湾でとれたウニを
酢でさっぱりとまとめ、さらにホウレン草ときの
このお浸し、それに焼き栗と銀杏 (ぎんなん)を少
々。
「うまい」
正英は心からうれしそうにいう。
良之介は、声をださず何度も噛み締めているが、
顔は満足していることがわかる。
御椀は京の白味噌の味噌汁に焼き茄子 (なす)と
とうふを具としていれ、とうふには黒ゴマをかけ
ている。
正英は、絶品の味噌汁を飲み干すと、空海様の
死後、「美里正拳 (みさとせいけん)」はどのよう
な道をたどったのかを、良之介に問うてみた。
以下八一に続く