琵琶湖決戦編七九「表正左衛門」
空海が高雄山から高野山に移ったとき、空海を
信奉し、空海の生活を支え、また身辺警護なども
していた在家の信徒百人あまりが、高野山麓に空
海を追って移住してきた。
この移住してきた人々が、高野山の寺院や僧侶
の生活を支えていく、美里村を形成することにな
る。
「良之介、空海様や高野山、美里村についてはわ
かったが、美里拳論会はどうなってんだ」
正英が不満げにいうと、
「武術的なことは今からいいますよ」
と良之介は答え、話を続けた。
「空海様は、「九星陰陽経」の修行を、日本に帰
られたあとも続けられ、自由自在にその技を使い
こなすようになられました。高雄山寺におられた
ころは、同じ高雄山にある東命寺 (とうめいじ)の
僧侶たちが、空海様の武術の修行に参加すること
を請うたとき、快くそれを、お受け入れになり、
「九星陰陽経」のわざの一部や薬学の知識を授け
られたのです。その後、東命寺の方々は高雄山東
命寺派という武術の一派を形成され、内功と空海
様直伝の薬学の知識を基にした「毒使い」によっ
て、武林(ぶりん 武術の世界)にその名を轟かせ
ていきます。空海様は高野山にお登りになったあ
とは、僧侶は武を有する必要はないとお考えにな
り、「九星陰陽経」を二度と僧侶には教えなかっ
たそうです」
「僧侶には教えなかったということは、誰かには
教えたということか」
「正英様、さすがに鋭い」
良之介が世辞をいうと、正英は喜び、
「教えたのは、美里村の人々か」
と勝手な推測をした。
それが当たっていたので、良之介はブタもおだ
てりゃ木に登ると思いながら、それをいったらお
仕舞いよと口にはせず、話を続けた。
「すごい、正解です。空海様は、空海様とともに
京都から移って来られた在家の方々を深く信頼さ
れました。その方々が作った新しき村である、美
里村の中でも特に名主となった表正左衛門 (おも
て せいざえもん)には高野山の支え石になっても
らいといと思い、「九星陰陽経」の技を教えられ
たのです」
「俗界と聖界の境目に美里村を置き、高野山全体
を純粋なる仏教の聖地にしたわけだ」
良之介は、次々によき解答をいう正英に驚き、
眼を丸くした。
「正英様冴えすぎ。それだからこそ、美里村には
「俗」の無法をはねつける「武」を空海様は持た
せねばならぬとお考えになり、表正左衛門を鍛え
たのです」
「それなら表だけではなく、多くの村民を教えれ
ばよいのではないか。量がなければ、戦う集団と
はなるまい」
素朴な疑問を正英は、良之介にぶつけた。
以下八〇に続く