表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
琵琶湖伝  作者: touyou
79/208

琵琶湖決戦編七八「高野山へ」

 「その「九星陰陽経」の写しはどこにあるのだ」

 「正英様、あくまで伝承、言い伝えでして、本当

にあるかどうかは不明ですよ」

 「良之介、もったいぶるな。言い伝えではどこに

あるのだ」

 「紀州高野山 (こうやさん)の麓、美里村に」

 「美里拳論会の行われる場所か」

 「そうです」

 「なぜ、そこに」

 正英の疑問に良之介は答えていくのだが、空海様

の業績を事細かに良之介はしゃべりだしたので、正

英が聞きたかった事のみを書くことにする。

 空海は、八○四年が終わりかけた時に長安に来た

が、それから一年余りでなんと、密教の真髄に到達

し、唐に来た目的を果たしてしまう。

 そこで八○六年は、半年以上にわたり、密教以外

に土木技術や薬学についての造詣を深めることに費

やし、十月には日本に帰朝する。

 九州に上陸した空海は、そのまま大宰府(現在の福

岡県太宰府市)に滞在する。実は空海は、二〇年の留

学期間を国より命じられていたのに、二年で切り上

げての帰国。当時の規定では、それは罪にあたると

されていたため、入京の許しを待とうと大宰府にと

どまったのである。

 八○九年七月、ついに入京の許しが出て、空海は

京都の高雄山寺 (たかおさんじ 現在の神護寺)に入

った。

 それから十年余りを高雄山寺を拠点として過ごす

が、その間八一六年には、修禅の道場として高野山

の下賜を請い、七月八日には、高野山を下賜する旨勅

許を賜る。

 八一七年、泰範や実恵ら弟子を派遣して高野山の

開創に着手し、八一八年十一月には、空海自身が勅

許後はじめて高野山にのぼり翌年まで滞在、翌年八

一九年春には七里四方に結界を結び、ついに伽藍建

立に着手、ここに高野山真言宗の基礎が築かれるこ

とになる。

 高野山について述べれば、高野山は、和歌山県北

部、周囲を千メートル級の山々に囲まれた、標高約

八百メートルの平坦地に位置する。

 現在では百か寺以上の寺院が密集する、日本では他

に例を見ない宗教都市である。

 そして京都の東寺(八二三年正月、宮廷より賜った

真言密教の道場)とともに、真言宗の宗祖である弘法

大師空海が宗教活動の拠点とした寺であり、真言密

教の聖地、また、弘法大師信仰の山である。

 以下七九に続く


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ