琵琶湖決戦編七七「九星陰陽経」
「何、隠し芸やってるんですか。着物が汚れまくりで
すよ。さぁ、立って立って」
良之介は笑いながら正英の脇を抱え、起こして、ほこ
りをはたいてやる。
「良之介、何をするんだ。せっかく蝦蟇功 (がまこう)
をお前に見せてやろうと思ったのに」
「いやぁ、今の「がま」だったんですか。形態模写がう
まいんですね。けど着物汚すほど体を張る必要はないで
すから」
正英は良之介の応対に不満顔をしながら歩き出した。
歩きながら、
「空海様の続きはどうなってんの」
と良之介に催促した。
「そうですよ。正英様が妙な格好をされるんで、話を忘
れそうになりました。印様とともに長安に着いたのは、同
年の八百四年十二月末。空海様は当然長安に残り密教
のお勉強にいそしみ、印九星様は長安の青龍寺の密教の
大権威である、恵果様に約束の経典を渡し福州にお戻り
になりました。空海様は、福州を出発してから印九星様
と長安で別れるまでの間に習ったさまざまな少林寺の武
術の技を忘れぬように、書物にしたためその書物に「九
星陰陽経 (きゅうせいおんみょうきょう)」という、名をつ
けました。そして、空海様は、九星陰陽経の中にある技
を、毎日のお勉強の合間に、一日足りとも欠かさず、練
習されたのです」
「読みたい」
正英は腹の底から声をだした。
「 読みたい」
さらに繰り返す。
あまりに力んだ声に、良之介は正英が腹でもこわした
かとおもったが、真剣なまなざしで、宙をにらんでいる
様子に声をかけにくくなる。
「良之介、その「九星陰陽経」という書物は今、どこ
にあるのだ。ぜひ読んでみたい」
「そうですよね、正英様。私もこの話を竜雲様から聞
いたとき、やはり、正英様と同じ反応をしました。読ん
でみたい・・・でも八百年近く前の話で、「九星陰陽経」
が現存するはずはないですよね」
そういう良之介に、正英は問う。
「空海様の直筆のものはないかも知れんが、写しがあ
るのではないか」
「写しがあるという、言い伝えはあります」
良之介は、ニヤリと笑ってそういった。
以下七八に続く