琵琶湖決戦編七四「美里拳論会」
「ところで、良之介はいつごろ善良寺の寺男になった
のか」
「いえ、私は生れた時から善良寺で」
「えッ」
「善良寺の門の前に、赤子の時に捨てられていたそう
です。竜雲様の前の御住職の禅海和尚が、私を拾われ
育ててくださりました。九歳のときに禅海様が亡くなられ、
竜雲様がおいでになりました」
良之介はたんたんと話しているが、その眼には涙がうっ
すらと見える。
正英は、良之介が禅海和尚という方を心から好きだっ
たのであろうと感じた。
そして話を変えようと思った。
「しかし、お前や弥助やお風に武術を教えた竜雲和尚
とは相当な力量の持ち主であろうな」
「聞くまでもないですよ。でも孫六様もすごいですよ。
二十二年前にお二人は 美里拳論会 (みさとけんろんかい)
の決勝で立ち会われ、孫六様が圧勝したそうです。竜雲
様から直々にお聞きしたので、間違いないと」
「ヘェー、二十二年前か。孫六様は二十四歳だな。竜
雲様は今年おいくつだ」
「四十歳です」
「なら、その美里拳論会のときは竜雲様は十八歳か。
わかすぎるな。それは孫六様に利があるな・・・孫六様
は雑賀海王拳だが、竜雲様は」
「根来山王拳です」
良之介の話をそこまで聞くと、正英には、ある疑問が
浮かんだ。
「おい、美里拳論会って何だったかな。ちょっと記憶が
ないんだが」
「これは竜雲様からの受け売りですが、竜雲様は美里
拳論会についてやその由来を何度も私に話してください
ましたので、・・・」
「よかったら教えてくれ」
正英の要望に良之介は姿勢を正して話し出した。
「はい、それでは・・・そもそも美里拳論会は、今か
ら八百年以上前の弘法大師空海様の誕生(七七四年)か
ら始まります。空海様は三十まで山に籠り瞑想を通じて
密教(インドで三世紀頃、もともとの釈迦仏教に病気を治
し豊作を祈るインド土着の呪術や儀式を取り入れてうま
れた。根本経典は大日経と金剛頂経。)の真髄に迫ろうと
しますが、その間日本にもたらされていた、密教の中国
仏典の研究にもいそしみます。しかし、中国からの渡来
人との交流を通じて中国語に堪能であった空海様でも、
中国語の仏典の解釈には悩み、本場中国での研鑽を目
指し、八百四年の遣唐使船の一員となりました」
正英はそこまで良之介の話を聞くと、
「空海様の密教修行の話は勉強になるが、武術とは関
係ないではないか」
と不満をのべる。
良之介は一六〇センチ八〇キロの正英の体格に合わ
せるように、一九〇センチ六五キロの体を大きく曲げ、
己の顔を正英の顔に近づけ、
「正英様、お話はまだ途中でございます」
と、にらみながらいった。
「わかりまちた」
素直にうなずく正英であった。
以下七五に続く