第二部琵琶湖決戦編六九「彦根涼単寺」
第二部琵琶湖決戦編六九「彦根涼単寺」
「たしかにな。この忠勝とて最初に孫六からその話を聞い
たとき、笑ったものよ。しかし、その三成に似た男が、彦根
(当時はまだ彦根城はつくられておらず、佐和山といわれて
いた。一六○三年から彦根城は作られ始める。佐和山は中
仙道と北国街道を見張るためには最も重要な軍事拠点であっ
たのだが、直政没後、家督を継いだ直継の元に、西国の防
衛拠点として新城築城をするようにと幕府から伝令が下る。
佐和山城にいた若い直継はその建設予定地に悩むが、家
老の木俣守勝が琵琶湖から広がる内湖に浮かぶ彦根山にす
ることを進言し、直継の同意の下、築城工事が着工する運
びとなった。その後、佐和山という地名は死語化し、彦根
が普通につかわれるようになる。そこでこの第二部では、
現在一般的な「彦根」をつかっていくことにする)に井伊直
政の遺言で新しく建立された涼単寺の僧の中にいると聞いて、
興味がわいたのよ」
正英はアゴに手をやり、考え込む。
「殿、何で涼単寺の僧だと、興味がわくのですか」
「ウン、正英、その涼単寺には最初彦根の清涼寺と井伊谷
の龍潭寺に分けられていた直政の遺骨の一部がさらに分けら
れ直政の墓がつくられているのよ。涼単寺と聞いて、わしは、
直政の死への疑問を解決したくなったのだ。是非その墓のな
かにある直政の骨を調べたくなってな。三成のことと直政の
こと。一石二鳥だ」
「直政様が殺されたとでも、殿はお考えなのですか」
正英は率直に忠勝に聞く。
「正英、直政の死に疑問を持つのが自然であろう。2年前
の関ヶ原の島津の鉄砲でやられた傷でなんで今年の二月に、
死なないけんのよ・・・おかしいではないか。直政が死んだ
その日に何が井伊家にあったか・・・なんとその日のうちに
直政の遺体の火葬だ(当時の常識は土葬)・・・おかしいでは
ないか」
正英は反論する。
「火葬の件は直政様の遺言ではないのですか」
「世間ではそう言われている。しかし、遺言を聞いたのは、
木俣守勝だけだ。守勝が直政を殺し、病死とした可能性がな
いとは誰もいえない。表立っての殺しならわかろうから、刀や
鉄砲などは使わず、たとえば、毒殺。酒に毒をいれ、あの真
面目そうな顔で「殿、一杯どうぞ」などといわれたら、わしでも
飲んで・・・死ぬかもな」
「キャッ」
孫六は小声でいうと、肩をすぼめお茶目に怖がる格好をした。
以下七十に続く