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琵琶湖伝  作者: touyou
63/208

第一部62最終話「厭離穢土 欣求浄土」

 第一部関ケ原激闘編62最終話「厭離穢土 欣求浄土」

 今回で第一部は終了し、次回からは琵琶湖伝第二部63

 となります。


 徳川家康は、19歳で今川家から独立して以来、常に

戦 (いくさ)において、「厭離穢土 欣求浄土 (おんり

えど ごんぐじょうど)」という旗を立てていた。

 「厭離穢土 欣求浄土」とは、穢 (けが)れた国土

を厭 (いと)い離れ、永遠に平和な浄土を欣 (ねが)

い求めてそれを成す、という意味である。

 戦国時代を終わらせ、日本に平和な時代をもたらすと

いう家康の願望が、そして当時の日本人すべての夢が、

「厭離穢土 欣求浄土」の八文字にはこめられていた。

 今流にいえば、若くてたいした力もない三河の小大名

が、「日本に平和を」という大きな旗を立て、合戦に臨

んでいたわけである。

 そしてこの青年の夢は、40数年後に、1602年の春に、

指先で触れられる距離まで来て、井伊直政の死を理由

に去っていってしまう。

 その去った距離が、無限なのか、思い切って手を伸

ばせば届く距離なのかは、当然誰にも分かることでは

ない。

 勧修寺晴豊、金地院崇伝、板倉勝重との話し合いが

終わり、皆が帰ったあとの部屋で、家康は眼をつぶり

瞑想した。

 「厭離穢土 欣求浄土」のための長き坂を行く己の

人生の果てに、日本の真の平和は実現されるのか。

 己がその日まで生きていられるのか。

 あの井伊直政でさえ、わずか42歳で死んだのである。

 一瞬、寿命という言葉が、敵の繰り出す槍の穂先の

ように家康を襲った。

 その穂先に家康は、心底、恐怖を感じた。

 「もし、わしが今死んだとしたら…」

 今の豊臣の指導力では、確実に群雄割拠の乱世に戻

る。

 しかし、死とは何か、生とは何か。

 所詮、われわれ人間は、阿弥陀仏の本願の下に生き

ているのである。

 己が努力を重ねていく過程を、阿弥陀仏が見ていて

くれるのである。

 その結果として天命が下されるのであり、死は仏の

お導きなのだ。

 人智の及ぶところではない。

 己の努力が阿弥陀仏の本願に適うなら、真の平和が

日本に来る日まで、己は生かされるであろう。

 家康は、前進のための努力をするしかないと思い至

り、長き眠りから目覚めたたように、ゆっくりと眼を

開いた。

 自然に今の心境をあらわす句が心に浮かんできた。

 「春風や

  闘志抱きて

  丘に立つ」

 すでに六十歳を越え、当時としては「老い」を迎えて

いるはずの家康の心の中には、日本に平和をもたらすと

いう夢が、若き日以上の情熱をもって、輝いていたので

ある。

 琵琶湖伝第一部関ケ原激闘編 完。

 (第二部琵琶湖決戦編63に続く)

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