第1部関ケ原激闘編60 「独鈷比叡剣」
晴豊は、
「もともとは毒薬使いですな。あらゆる毒とその毒消しに精通してはる家ですわ。
ただ、刀のほうも…一子相伝で独鈷比叡剣 (どっこひえいけん)いう剣術をしはりま
すな」
と、答える。
「独鈷比叡剣とは伝教大師最澄様のあの剣…」
金地院崇伝が、やや自信無げに晴豊に言う。
「そうや。最澄様が唐に渡られた時、己の心身の鍛錬と他派の無法な僧から身を
守るために習われた剣術や。なんでも中国の伝説の武術家独鈷千風 (どっこせんぷう)
が編み出した独鈷剣を学ばれ、日本に帰られた後、最澄様なりの工夫を加えられた
んが、独鈷比叡剣っていわれとるね」
晴豊が、皆を見回しながら語っていく。
「それがなぜ、烏丸の御家芸に」
板倉勝重が口をはさんだ。
「それは、帝を守る気持ちに燃えていた当時の烏丸家の当主の心意気に、最澄様
が、打たれたからや。独鈷比叡剣はもともと最澄様一代の技にするおつもりであっ
たそうな。そやから、朝廷守護のための一子相伝の約束で、烏丸家に教えたんや」
さらに晴豊がいうと、家康が、
「しかし暗器師は、表に出ぬから暗器師であろう。表にでては暗器師ではないで
はないか」
と、首をかしげる。
「あせりですな」
晴豊が答える。
「誰の」
板倉勝重が、晴豊に問う。
「関白の九条兼孝様の。関ケ原で家康様が勝利した次の日、烏丸中将が宮中に参
内したのを見て、九条はんに宮中は暗器師の来るところやないって、注意してもら
えまへんか、っていうたんや。そしたら…驚いたわ…九条はん…ニヤリと笑って、
晴豊はん、烏丸呼んだのわいや、いいよる。今日からあんたと同じ武家伝奏や、よ
ろしゅうに…いうた」
以下61に続く