第1部関ケ原激闘編56「戦国猿回し」
東洋 「1580年といえば、佐久間信盛父子と林秀貞(通勝)を追放した年。
信長の若い頃からの譜代の重臣の大物二人ですね」
勧修寺「林はこの年に、佐久間信盛は次の年に死んでいるから、信長は
んが殺したと同じやな。「近頃、他の武将に比べて仕事してない
とか、何十年も前に自分に逆らったことがあった」とかな首にす
るための理屈をこねて、二人を追放したんや。そうそう、信盛に
示した「信長による19ヶ条の折檻状」の中には、「明智光秀の働
きはめざましく天下に面目をほどこし、羽柴秀吉の功労も比類な
し。」とかいう文句があるが、今考えたら、これほど信長はんの
人間を見る眼がくもっていたのかと、嘆息するしか、ありまへん
なぁ」
東洋 「そうですね、その2年後に明智光秀に信長は殺され、羽柴秀吉が
織田家を乗っ取ってしまうんですからね。…むなしいですね」
勧修寺「けど信長はんの自業自得やね。本能寺の変はな。佐久間と林は
信長の父親からの家臣や。織田家とともに人生を歩くのが当然と
思う取った人たちや。信長はん殺そうとか、織田家乗っ取ろうと
か、絶対に頭に浮かばん人たちや。そういう人、追放して明智は
んや秀吉はんに何万もの兵隊やってしもうたら、殺されても当然
や…これで話は、終わりにしょうか」
東洋 「いや、せっかくですので秀吉や家康のコメントもだめでしょう
か」
勧修寺「しゃないなー、ほんとにわては、忙しいんや。サービスやで。
秀吉はんは、天下人になったらいけん人がなってしもうた典型
や。目標与えられて、如何に人より効率的に出来るかという能力
は、すごかった。誰も勝てん、猛烈セールスマンや。けど、そう
いう人間が、大所高所からものを見ていける人間かといえば、疑
問やわな。競争に勝つことだけが得意な人間が上に立つと恐いで。
日本統一、平和になった。もう領土拡張の競争は終わりました」
東洋 「日本が平和になった瞬間に、秀吉は人生の一番の快楽を無くし
たわけですね」
勧修寺「そうや。競争に勝つ天才が、言い換えれば、敵が存在しその敵
を倒すことの天才が、己の力を発揮する場を無くしたわけや。15
90年の北条攻めで実質、日本国内の戦いは消滅や」
東洋 「秀吉には、民を平和にするための理念がなかったと」
勧修寺「あったら、朝鮮出兵などしますかいな。秀吉はんの本性は、信
長はんの命令を最高に実行する、主人の命令を必死で行う、イヌ、
ワンちゃんですわ。猿回しのサルといってもええね。86年に死ん
だ蜂須賀小六が、「わしは秀吉というサルにひもをつけて戦国を
走り続けさせた、猿回しの親方だ。戦国猿回しや」と、よう言う
て自慢しとったけど、本当の戦国猿回しは、信長はんですな。秀
吉猿を使いこなしきったんやからね」
以下57に続く