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琵琶湖伝  作者: touyou
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第1部関ケ原激闘編5「赤色エレジー」

 その牛の瞳が40年後の今、孫六の脳内をすさまじい

スピードで駆け巡ってゆく。

 あの牛の恨めしげな瞳が孫六の間脳の視床下部に達し

たとき、孫六のホメオスタシス(体内の状態を一定に保

つこと)は異常反応を引き起こした。

「ウォー」

 と叫びながら孫六は立ち上がり、両腕を一直線に天に

向かって伸ばし、耳につけた。

 傍らの木俣守勝が

「いかがなされた」

 と問いかけるや、

 孫六は

「モォーッ」

 と鳴いたのである。

 お気を、確かに」

 守勝が恐る恐る気遣いの言葉を孫六にかけると、両腕

を空に向かわしたまま、さらに

「モォーッ」

「モォーッ」

 と二度鳴いた。

 哀れ、哀れ、哀れ、哀れ、哀れ好漢、雑賀孫六よ。

 己が四十年、意識の底に眠らせていた牛殺しの原罪を

贖うため、己が身を畜生界に落としてしまったのだ。

 天に向かって伸ばした両の腕は、牛の角の具現化であっ

た。

「落ち着かれよ、落ち着かれよ、孫六殿」

 木俣守勝は、さらに心からの気遣いをする。

 その様子を冷淡に見ていた井伊直政は

「あのアホ主人(忠勝)にして、この家臣か」

 とせせら笑う。

 しばらく笑ったあと、

「おい、忠勝殿からの伝言は何じゃ」と直政は問うた。

 孫六は牛の姿勢を崩さず、

「モォーッ」

「モォーッ」

 と鳴きながらも忠勝の口上は告げた。

 それを聞いた直政は

「しかと承った」

とだけ言い、孫六を木俣守勝に見送らせた。

 木俣守勝は孫六の肩を抱き、本陣の外まで連れて行く。

 その間も孫六は両の腕を垂直に挙げ

「モォーッ」

「モォーッ」

 と鳴いている。

 さすがに井伊家家中の者もその異様な状況に気づき、

特に木俣家の郎党 (ろうとう)は主人、井伊家家老木俣守

勝の身を案じ、二人の周囲を固めるように数十人が歩き

出す。

 気の利く者が孫六の馬を二人の前に引いてくる。

 己の馬を見た孫六は、天に向いた両の腕を耳につけた

まま、上半身を前に倒し、地面と水平にした。

 まさに牛の上半身の表現である。

 一瞬の沈黙の後、一声

「モォーッ」

 と鳴くや、その体勢のまま馬に向かって跳躍したのだ。

 そして見事、馬の背に牛の体勢のまま乗ったとき木俣

守勝をはじめとする木俣家の者全員が驚嘆の声を挙げた。

「すごい」「人間技とはおもえん」「いや牛の技だ」

「牛ならもっとすごい」「誰だ」「鳥か」「人か」「ス

ーパーマンだ」「そんなはず、ないだろ。」「雑賀孫六

だよ」「紀州のか」「さすが紀州、雑賀党」

 絶賛の嵐の中で木俣守勝は孫六の美技に酔い、思わず

大量の鼻血を出してしまった。

「木俣様」

 と皆が駆け寄る中、周囲を制止し、

「心配無用。それより見たか、あの体技。みんな、本

多の人間がいかに日頃、修練してるか、分かるな。俺た

ちはどうだろう。もっともっと努力して本多に負けない

ように頑張ろうな」

「木俣さまー」

「俺たちも頑張るよ」

 木俣守勝とその郎党たちが今後の努力を誓い合うなか、

牛の上半身を表現したままの孫六は、またもや

 「モォーッ」

 と鳴き、両足で馬の腹を蹴った。馬に出発の合図を送っ

たのである。

 それに応えて馬はすばらしい速さで駆け出した。さら

に孫六は両足のみで馬を操り、直進させ、本多忠勝の元

へ去っていった。

 その動きの見事さにその場にいた全員が拍手をし孫六

を見送ったのである。


 感動の渦の中の井伊家陣内でただ一人、灰色の脳細胞

をフルスピードで回転させる男がいた。

 井伊直政である。

 孫六を帰らせたあと直政は、物見の甲賀衆に問うと、

確かに本多勢が出陣したとのこと。

 忠勝の申し入れは直政には計算外であった。

 常にあらゆる場面で家康の評価を得ることしか考えな

い直政にとって今日は「先駆けの功」を松平忠吉と果た

したことで家康の評価は得たと考えてい た。あとは松平

忠吉のお守りで充分なはずであった。

 それ以上、家康のためにする必要もないのである。

 しかし忠勝の口上を聞けば別である。

 だらだらと島津と遊んでいたと忠勝なら言いかねない。

 それは己の致命傷になる。忠勝の来る前に攻めるべきな

のだ…今すぐ。

「愛は愛とて何になる 男直政 ままよとて 

  幸子の幸はどこにある 男直政 一人行く」

 直政は愛唱歌「赤色エレジー」の替え歌を口ずさんだ。

 そこに孫六の見送りが完了したと告げに木俣守勝が戻っ

てくる。

 直政は言った。

「ぜん、いん、しゅつ、どう(全員出動)」

 直政は赤備えに島津への総攻撃を命じたのである。 

 以下その六に続く

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