第1部関ケ原激闘編39「信州上田へ」
この忠勝の言は反逆ともとれるものである。
しかし家康はそのような理性で忠勝の言を捉えていない。
弟のように思ってきた者と戦うことへの淋しさとその一方での恐
怖である。
忠勝の強さを一番理解している家康だからこその恐怖である。
「ううう…」
悔しそうな声をだしながら、家康は己の左手の親指を口にくわえ、
チューチューしだした。
家康は真に判断に窮したとき、チューチューする癖があった。
それが今でたのだ。
「……ゆるちゅ…ゆるちゅ…」
家康は親指を口からだして、
「許す」
とはっきり言った。
「真田父子の命、許していただけるので」
「そうだ」
「ありがたき幸せ」
「真田の仕置きは、真田昌幸とその子幸村に、所領没収並びに高
野山麓の九度山への蟄居を命じ、その没収した所領は真田信幸に与
えることで、最終決定とする」
家康は、その内容を書状にしたため、信幸に手渡した。
夕刻、大阪城をでた忠勝と信幸は、京都の屋敷に戻った。
信幸は小松姫を連れ、そのまま父と弟のいる信州上田に向かった。
念のためと忠勝は、雑賀孫六と井原正英を随行させた。
次の日の夕刻、信幸と小松は上田城内で昌幸と幸村に対面する。
昌幸は、
「おうおうおうおう、いい度胸をしているな。この城の偵察にき
たか。生きて帰れると思うなよ」
といい、
幸村は、
「兄きと姉貴のお二人そろって、家康に尻をかかれて喜んでるこ
とは、衆知のこと。切り刻んで、豚の餌にしてやろうか」
と凄いことをいう。
信幸は、昌幸と幸村が本気だと分かるだけに、こんなことを言わ
れるために上田まできたかと、暗澹たる気分になった。
小松は、昌幸と幸村を蹴り殺したい衝動に駆られた。
昌幸と幸村は人を殺す作戦能力は高いが、戦闘能力は信幸の方が
高いし、武闘能力なら小松自身のほうが高い。それは真田家に嫁い
で日々過ごしてきたなかで分かっていることだ。
殺してやると小松が脚を前に踏み出そうとしたとき、背後から小
松の左ひじを軽く押さえる者がいた。
雑賀孫六である。
小松の背後に控えていた孫六は、ただならぬ小松の殺気を感じた
のだ。
振り向いた小松は、
「安心して」
というように、微笑んだ。
井原正英は、孫六が小松の左ひじに触れたのを見て、
「アッ、おさわり、しちゃってる」
くらいにしか思わなかった。
以下40に続く