第1部関ケ原激闘編35「真田昌幸と幸村」
一五九〇年秀吉の小田原征伐に真田家は出陣し、
その功により、上野沼田(現在の群馬県沼田市)二
万七千石を与えられた。真田昌幸は二つの所領の
主となったわけだが、体はひとつであり、信州上
田は真田の本領、そこで沼田は信幸の支配に任せ
ることになった。
ここに真田信幸は一城の主となったわけだが、
妙な話である。
なぜなら信幸は嫡男であり、真田本家を継ぐ身
分のもので、本来なら沼田行きは一歳違いの次男
幸村のはずだからだ。
ところが信幸は異を唱えるわけでもなく、父の
命じるまま沼田の城にはいった。
入城して二日目の夜、小松と二人だけで酒を飲
んだ信幸は、小松に沼田に来て肩の荷が降りた気
がするといった。
何のことか分からず、小松は酌をしながら問い
かけると、父と弟の幸村のことだという。
「はっきりいって私は、あの二人が恐いのだ。一
年三百六十五日朝も昼も夜もいや寝るまで、どう
いう作戦を立てれば敵を効率的に大量に殺せるか
を楽しげに語り合うのが、あの二人の楽しみで趣
味なのだ。 私はそこまで人殺しの効率化の話に
付き合うほど神経が強くはない。 父上たちの話
の中で平和という言葉を聞いたことがないのだ。
平和という前提なしに何の合戦か何の人殺しか。
そう表立っていう勇気もなく、せいぜいその場を
立ち去るくらいしか出来ずに、ずっと暮らしてき
たのだ。それが私の方に父は沼田に行けという。
好機到来、本当に解放された気分なのだ」
小松は初めて信幸の本心を聞けたと思い嬉しかっ
た。
確かに上田城は殺伐としており、昌幸様も幸村
様も人をどう殺すかの話しかしなかった。
父本多忠勝も純粋な武人だが、常に平和を求める
家康の薫陶を受け、いかにすれば日本の民が平和に
なるのかという話を武術訓練の合間に頻繁にしてい
た。
相手を殺せばよいと考えるだけの人間と、平和の
ための万策尽き止む終えず殺しあってしまう人間で
は、その過程には天と地ほどの差がでてしまう。
前者はケダモノである。
自分の愛する信幸が父忠勝と同じ考えの人間であ
ることに、小松は心からの幸福を感じた。
しかし、その一方で、上田から離れたから昌幸と
幸村の呪縛から解放されたと信幸は、単純に喜んで
いるが、親子の絆はそんなに浅いもののはずがなく、
信州真田との関連で自分と信幸に何らかの不幸が訪
れるのではないかという不安にもかられた。
そして、その危惧はそれから十年後に関ケ原の合
戦において的中するのである。
以下三十六に続く
ヨコ書きこの下のネット投票のクリックして一票入れてください。これを書いた努力賃です。